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岡山県南大山道ダイジェスト(総社市・岡山市)
「大山道」と呼ばれる道は、大山に近い鳥取県中西部(伯耆国)や岡山県北部(美作国)だけでなく、岡山県南部(備前国、備中国)にも存在します。岡山県北部や鳥取県西部の大山道のように古道の道筋をできる限り忠実に歩いてはおらず、主として自転車で大まかな道筋を通っているため、細部までご紹介することはできませんが、その道筋を「ダイジェスト版」としてご紹介いたします。
岡山市西部や総社市東部において、旧街道としての山陽道は国道2号と国道180号の間、鉄道では山陽本線と吉備線(桃太郎線)の間を通ります。造山古墳や備中国分寺といった有名史跡もある吉備路の山陽道から北上する形で、岡山県南部の大山道をご紹介していきます。

0001.旧山陽道から見る備中国分寺
巨大な五重塔を持ち、吉備路のシンボルと言えるのが総社市上林地区の備中国分寺です。史跡としての価値はもちろん、いかにも吉備路らしい田園風景の中、地元でレンゲなどの季節の花を育てる活動も行われて、京都や奈良の有名社寺以上にすばらしい景観が作られていることが特筆されます。本題の大山道とは直接の関係はありませんが、この辺りに来たのならぜひとも立ち寄ってみたい名所であり、吉備路自転車道も整備され、徒歩や自転車による旅も楽しみやすい環境となっています。

0002.備中国分寺の五重塔
その備中国分寺の東の道をしばらく進めば、0003の写真の交差点に大師堂があり、そこに道標が立てられています。「岡山」「倉敷」「総社」「松山(高梁)」といった有名な地名が目白押しの道標で、この場所がかつて重要交差点であったことを示していることもさることながら、大山道という意味で重要なのは「北 あしもり 大せん 道」の文字です。一般に岡山県南部からの大山道は足守からと認識されていますが、それよりさらに南、山陽道のすぐ近くでもこのように大山道の道標は存在しています。

0003.大師堂の脇に大山道道標がある
大師堂と道標のある交差点から北へ向かう道は低い丘陵越えとなり、平地に出れば、右折して東に向きを変え下林地区を通過していきます。赤浜地区で旧国道429号の広い道路に出て北に向きを戻します。

0004.小さな丘陵越え
総社市の赤浜地区は水墨画の大家として世界的に有名な雪舟の生誕地です。広々とした田園風景の中にポツンと雪舟生誕の地があり、顕彰碑が立てられています。そこから200mほどで岡山市に入り、岡山自動車道の岡山総社インターに接続する高松田中交差点を右折、国道180号を東に進みます。

0005.雪舟誕生の地
高松田中交差点から国道180号を700mほど行くと、足守川に架かる生石橋に至ります。橋の西詰には足守駅を経て足守の町に入る旧国道が分岐する福崎交差点、橋の東詰には門前交差点、さらにそのすぐ東には現在の国道429号が分岐する小山交差点と3つの交差点が連続していますが、古道としての大山道は門前交差点から堤防を北へ向かう形となります。

0006.生石橋
門前交差点から北へ進めば、足守駅の近くには高松城水攻め水取入れ口の跡があります。羽柴秀吉による水攻めで名高い高松城跡はここから東南東へ2km弱ほど離れていますが、水取入れ口と高松城跡を結ぶ直線に見事に沿った形で、国道180号沿いには微高地が続いているため、備中高松駅の東側に300mほどの堤防を築き、ここから水を流すだけで壮大な水攻めを実行することが可能でした。この場所からその地形の全貌を見ることはできませんが、地域の地形を理解しておけば、広く知られた歴史の舞台の見え方も変わってきます。

0007.高松城水攻めの水取入れ口
吉備線の線路をくぐり、生石神社の鳥居前を右折、国道429号を横断してまた左折という順で東の丘陵沿いの道へ進んでいきます。足守駅を過ぎたとは言え、足守の陣屋町まではまだ約3kmの距離がありますが、その間、足守川沿いを行く旧国道、平地の中央を一直線に突っ切る現国道、そして緩やかなカーブを繰り返しながら丘陵沿いを行く大山道と、時代ごとに違うルートの選び方と道沿いの雰囲気の個性が鮮明に表れています。

0008.大山道は東の丘陵沿いに
足守へ向けて北上を続けていくと、葦守八幡宮の鳥居にぶつかります。この石鳥居は何と康安元年(1361年)に造られたという極めて貴重な中世の建築物で、建てられた時代がわかる鳥居の中では全国でも最古の部類のものです。

0009.葦守八幡宮の石鳥居
>拡大画像 八幡神社鳥居の案内板
>拡大画像 岡山市てくてくロード 高松・足守ルートの案内板
そして、この鳥居のすぐ脇には足守一里塚の跡もあり、標柱が立てられています。参勤交代に使われたような主要な街道に比べれば大山道はマイナーな庶民の道ですが、人の往来が多かった道には一里塚が整備されていたことがわかります。

0010.足守一里塚跡
葦守八幡宮の参道には入らず、斜め左方向への道で足守の陣屋町を目指していきますが、途中には東にある最上稲荷神社を指す道標も見られます。このページはダイジェスト版として制作しているため、古道沿いにある小さな史跡の一つ一つまではご紹介しておりませんが、生石橋から足守に至るまでの古い道沿いにはこのような石造物等が多数見られ、古道らしさをよく保っています。葦守八幡宮鳥居の近くに案内板が設置されているように、この付近の大山道は中国自然歩道にも指定され、岡山市が「てくてくロード」として整備しているハイキングコースにもなっています。

0011.最上稲荷を示す道標
再び国道429号を横断すればまもなく足守川にぶつかり、(歩道は後に架けられた新宮路橋となりますが)昭和12年(1937年)に架けられた宮路橋を渡って、ようやく足守の陣屋町に入っていきます。しかし、鉄道ルートから大きく外れたことが、かえって後世の開発から小さな陣屋町を守る結果となり、宮路橋を渡った途端に古い家屋が目立ち始め、歴史の町に来たという雰囲気が明らかに感じられます。

0012.宮路橋を渡って足守陣屋町へ
宮路橋から続く道が旧国道に突き当たる交差点のところには、足守を代表する商家建築である「旧足守商家藤田千年治邸」があり、大山道の道筋としてはここを右折します。この旧国道沿いは古い街並みが見事に残っており、寄り道しながら散策してみたいところです。大山道の道筋はそのまま北東に進んで葵橋で再び足守川を渡ることになりますが、足守観光駐車場のところで左折して足守の散策を続けます。

0013.足守の街並み
>拡大画像 足守町並み保存地区の案内板
足守は豊臣秀吉の正室で「ねね」として知られる北政所の兄である木下家定が立藩した2万5000石の陣屋町です。北の山沿いにある陣屋跡自体はごく一部の遺構が残るだけですが、先にご紹介した町通りで商家が残っているのと同様、江戸時代の武家屋敷が良好な保存状態で残る「旧足守藩侍屋敷」があります。また、陣屋跡の東には「近水園」の庭園が今もきれいに整備されています。見事な庭園を建造していることに象徴されるように、足守藩には文化や教育に力を入れる伝統があったようで、江戸時代後期の蘭学者で、西洋医学の普及や、明治時代の日本の近代化を推進していく人々の教育に大きく貢献した緒方洪庵は足守の生まれ、武者小路実篤や志賀直哉とともに雑誌「白樺」を創刊した木下利玄は木下家の第14代当主です。小藩ながら、教科書に載るような歴史を造った人物を2人も輩出しており、それぞれの生誕地には記念碑も立てられています。

0014.近水園
>拡大画像 旧足守藩侍屋敷の案内板
>拡大画像 近水園古図 陣屋図
>拡大画像 近水園の案内板
葵橋で足守川を渡り、ここから大山道は足守川沿いに北上を続けます。右岸にある足守陣屋町の中心部近くだけでなく、この付近も旧家が残るなかなかの街並みが続いていて、先述した緒方洪庵の生誕地があるのも左岸の町の中です。地名も川崎町と呼ばれ、「町」と付くのは陣屋町に含まれる場所だったからでしょう。

0015.足守川沿いの川崎町
大井橋で足守に続く町は大井です。足守とは独立した町ではありますが、その距離はほとんど離れていません。またも足守川を渡るのは古道らしくないルートの選び方ですが、足守も大井も外せない重要な町だったことを表しているとも言えるでしょう。

0016.大井橋を渡って大井へ
大井地区に入ると、さすがに足守の町並み保存地区ほどではありませんが、古い商家が並んだ見事な街並みに迎えられます。江戸時代に陣屋町として整備された足守よりも大井の方が歴史は古いそうで、足守藩が成立した後も大井は商業の町として高い地位を保持し続けてきました。

0017.大井の街並み
大井の街並みの途中、常夜燈と大師堂がある交差点があります。大井の古い街並みは二面橋で足守川を渡って、さらに北の方へと続いているので、もうしばらく大井の散策を楽しんでから先へ進むのも良いですが、大山道の道筋としてはここで左折し、足守川の右岸を進んでいきます。

0018.常夜燈と大師堂がある交差点
岡山市域では国道429号が概ね大山道の道筋を引き継いでいますが、足守と大井の町の付近における現在の国道429号は洪庵トンネルや大井トンネルを含むバイパスとなっています。しかし、その旧道は蛇行する足守川に沿ったルートで、旧道らしい静かな雰囲気の道となっています。再び国道に合流する地点の先述した足守の一里塚に続く久田の一里塚もあったそうです。

0019.この付近に一里塚があった
国道429号と再合流すれば、基本的に国道を北上していきますが、大きい番号のローカル国道だけに沿道の開発はあまり進んでおらず、国道を一歩離れれば周囲はのどかな田園風景です。この辺りまで来れば、周囲は丘陵に囲まれており、岡山平野が終わったと感じます。

0020.のどかな田園風景となりました
西山内地区の広石集落では県道76号が分岐しますが、集落内には国道429号と県道76号の旧道がともに残っておいます。私には見つけられませんでしたが、古い民家の前に牛つなぎ石が残っていないか探したくなるような家並みで、ここに来て大山道らしい雰囲気が強まってきます。

0021.広石集落内の旧道
続く東山内地区の旧道に入ると、まもなく大きな題目塔に迎えられます。この付近では国道の西を通る旧道のもう一本西にある細道がかつての大山道で、そこには「左 大せん道」と記された小さな道標も残されています。

0022.東山内地区の大山道道標
この東山内地区は国道429号の旧道が最もよく残っていて、地区のほぼ全体において国道の西の山沿いに旧道が続きます。立派な古民家が点在しているだけでなく、小さなお堂や供養塔、石仏なども多数見られ、古道沿いの集落らしい特徴をよく示しています。

0023.東山内地区の旧道
その東山内地区の旧道が終わりに近づく頃、左前方には黒谷ダムが見えてきます。本来の大山道の道筋はこの黒谷ダムによって消失してしまい、国道429号を進んでいくしかありませんが、ダムの方へ立ち寄ってみると、大日如来や移設されたと思われる古い墓などが見られます。

0024.黒谷ダム
先述のように大山道の道筋はダムの建設によって失われたので、その東側の国道で急坂を上っていきます。カーブを繰り返す坂道を行けば、地形がかなり険しくなってきたことを感じます。岡山市内で長く並行してきた足守川の谷も終わりが近づいてきています。

0025.国道も急な上り坂
坂道を上りきれば黒谷ダムの天端に至り、そこには駐車スペースと小公園が設けられています。黒谷ダムは平成2年(1990年)に竣工した比較的新しいダムですが、歴史を遡れば昭和7年(1932年)に現在のダムと同じく治水と灌漑を目的に黒谷池が造られていて、その黒谷池を整備しなおして建設されたというダムです。そのため、大山道が牛馬の道としての利用された末期頃には既に大きな池が存在し、現在と似たような景観を見せていたことが想像できます。

0026.黒谷ダムはかつての黒谷池
黒谷ダムを過ぎると、吉備中央町の旧賀陽町域への道路が分岐していきます。このまま国道429号を北上して吉備中央町の旧加茂川町域に直接入っていくルートの方が距離が近いので、当サイトではこのまま北上していくルートを採用しますが、どちらとも大山道として利用されてきた道筋です。ここで分岐していくルートについて簡単にご紹介しておくと、譲乢を越えて吉備中央町(旧賀陽町)に入り、吉川地区や田土地区を経て旧加茂川町の加茂市場で当サイトでご紹介している方のルートと再合流します。吉川地区には有形、無形の重要文化財を持つ吉川八幡宮があるほか、道沿いには「大山」と記された道標もいくつか見られるそうで、「歴史の道調査報告書」やその他のいくつかの書籍でもそちらのルートが採用されています。

0027.吉川・田土経由の大山道は左
吉川方面への道が分岐した直後に、黒谷ダムの建設によって移設されてきたと思われる地蔵堂がありますが、そこで祀られている中で最も背が高い地蔵は明治3年(1870年)のもので、「右 大せん」と刻まれた道標になっています。

0028.移設された道標地蔵
黒谷ダムを過ぎれば、岡山市最後の掛畑地区で、国道としては急な勾配を上り続けていきます。国道沿いに人家はあまり見られず、0029の写真に見られるような分岐からさらなる激坂を上っていって古くからの集落に辿り着くというような形になっています。「大都会岡山のイメージ」と真逆の風景となりますが、これは山の上でも人が暮らせるという吉備高原らしい風景でもあり、岡山市の最後にこれから進んでいく地域らしさを感じられる景色を見られます。

0029.西の集落には急坂を上る
山上にある集落に立ち寄ってみるのも良いですが、国道429号から東側に下っていくと、わずかな平地に容易に数え切れる程度の民家がある千升の集落があります。かつての大山道の道筋かどうかはわかりませんが、集落の中の道には古道らしい雰囲気があり、千升乢と呼ばれる峠の頂上付近で国道に再合流します。

0030.千升の集落内
国道429号に戻って、少しだけ下れば国道と県道72号との交差点に至りますが、よく整備された国道と主要地方道との交差点の割には付近に一軒の店舗すらありません。この交差点は岡山市と吉備中央町の境のすぐ側で、国道429号を北に進んでも、県道72号を西に進んでもすぐに吉備中央町に入っていくことになります。

0031.国道と県道の交差点
大山道ダイジェスト(吉備中央町)>>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  伯耆=ほうき
    •  美作=みまさか
    •  備前=びぜん
    •  備中=びっちゅう
    •  吉備=きび
    •  造山古墳=つくりやまこふん
    •  上林=かんばやし
    •  高梁=たかはし
    •  足守=あしもり
    •  下林=しもばやし
    •  赤浜=あかはま
    •  雪舟=せっしゅう
    •  生石橋=おいしばし
    •  羽柴秀吉=はしばひでよし
    •  葦守八幡宮=あしもりはちまんぐう
    •  最上稲荷=さいじょういなり
    •  宮路橋=みやじばし
    •  藤田千年治=ふじたせんねんじ
    •  北政所=きたのまんどころ
    •  木下家定=きのしたいえさだ
    •  近水園=おみずえん
    •  緒方洪庵=おがたこうあん
    •  武者小路実篤=むしゃのこうじさねあつ
    •  志賀直哉=しがなおや
    •  木下利玄=きのしたりげん
    •  二面橋=ふたもばし
    •  山内=やまのうち
    •  賀陽町=かようちょう
    •  吉川=よしかわ
    •  掛畑=かけはた
    •  千升=ちます
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」
    •  三浦秀宥 雲内威雄「山陽カラーシリーズ28 岡山の大山みち」
    •  岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第八集 大山道」
          
  • ●取材日
    •  2019.1.17/9.24
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