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岡山県南大山道ダイジェスト(吉備中央町)
国道429号と県道72号との交差点では左折して県道72号に入ります。すぐに吉備高原口というバス停があり、岡山市街と吉備高原都市を結ぶバス路線が通っていることから想像できるように、岡山市中心部と吉備中央町域を結ぶルートとしては国道429号よりもこの県道72号の方が近く、よく利用されています。単に近いというだけでなく、この県道のルートは岡山空港と吉備高原都市という岡山県が一時期公共事業として熱心に推進してきたプロジェクトとの関連が強いため、人家もほとんど見えない山中なのによく整備され、ところによっては片側2車線道路にできるだけの用地が用意されています。歩く立場から見れば、古道が失われて面白味はない反面、広い歩道を安心して歩けるのはありがたいところです。岡山市と吉備中央町の境界線と沿うように1.5kmほどこの県道を行くと吉備中央町に入ります。

0001.吉備中央町に入る
吉備中央町に入るとすぐに右(北)方向への道が分岐します。その交差点には「鬼突岩」と呼ばれる不自然な穴が空いた大岩があり、案内板に記されているように、旅の娘を襲おうとした鬼の亀頭の跡が残されたという話が言い伝えられています。この付近は人里から離れているだけに、山賊や追剥ぎに対する注意喚起でこのような鬼の話が語られてきたと想像できます。

0102.鬼突岩
>拡大画像 鬼突岩の伝説の案内板
その鬼突岩の脇には道標もあり、そこには「左 大山」と刻まれています。県道72号が先述したような姿の県道のため、鬼突岩ともども移動しているように思われ、岡山市方面からここまで来た場合、ここでは道標とは逆に右折して町道に入ります。これから辿る吉備中央町域は大山に近い鳥取県の町にも劣らないほど多くの大山道道標が残されていることが特筆されます。

0103.鬼突岩の脇に大山道道標
鬼突岩から国道484号にぶつかる竹部地区までは千升乢を越えた後の下り坂を一気に下っていきます。吉備高原都市の開発に関連していると思われますが、交通量の少ないこの町道も下手な県道よりよほど整備されているような姿です。その反面、古道のルートとは違う道筋になっているのか、沿道には集落も史跡も見られず、国道484号との交差点が近づいてきてようやく供養塔などの石造物群が見られます。加茂川を渡った先を右折、しばらく国道484号を東へ進みます。

0104.加茂川を渡って国道484号へ
国道484号が通る加茂川の谷はわずかながらも平地が広がり、穏やかな田園風景に戻りますが、国道484号を辿るのはわずか600m程度、同じ竹部地区内で今度は左折して県道366号に入ります。

0105.国道484号から県道366号へ
県道366号は吉備中央町の旧加茂川町域だけで完結する短い県道です。あまり整備も進んでおらず、平成30年7月豪雨の被害を受けた際にも復旧に半年以上かかったという状態ですが、それでも昔から人の往来が多く、重要性の高い道筋だったからこそ県道に指定されているのでしょう。ここからはまた上り坂となり、沿道ではさらに高い位置に集落が見えるという、岡山市の掛畑地区で見たような景色となります。

0106.吉備高原らしい景色が続く
竹部地区から上野地区、高谷地区へと県道366号を単に進んでいくだけですが、小規模な集落が散在しているため、途中にはいくつかの交差点があります。県道が県道らしくない姿のため、ミスコースをしないよう注意が必要です。上り坂を上りきる手前にある上野東の集落は吉備高原らしい集落で、山の上にあるにも関わらず、狭い平地なりに近代的な圃場が見られます。

0107.上野東の集落内
いよいよ峠が近づいたところで、道端に埋もれかけた道標が見られます。足守方面に向かって見たとき「左」の方は土に埋もれている部分が多くて読めませんが、「右 足守」の文字ははっきりと読み取れ、やはりこのような県道もかつては足守(岡山県南部)と岡山県北部、そして大山を結ぶ重要な道であったことを感じさせます。

0108.ローカル県道に埋もれかけた道標
用木乢と呼ばれる峠の頂上に至ると、意外にも周囲が開けます。少なくとも県道366号に入ってからは最も多くの建物があるだけでなく、よく見れば峠の頂上なのに5方向の道が集まっていて、ある意味で上野地区の中心となっていると言える場所だと気づきます。一般的な峠のイメージからはかけ離れていますが、吉備高原らしいと言えば吉備高原らしい珍風景です。

0109.頂上なのに少し開けている
峠を越えるともちろん下り坂に変わりますが、400mほどでまた次の高谷地区の集落に入ります。ここも吉備高原らしく高い位置にある集落です。また、高谷地区内には新しそうな吉備高原希望中学校と廃校になった都賀西小学校を活用した吉備高原のびのび小学校があります。全寮制の学校だそうで、都会の画一的な学校とは一味違った少人数制の教育が行われているのでしょう。

0110.閉校が新しい小学校に
坂道をひたすら下り続けると、眼下に加茂市場の集落が見え始めます。田舎の山の集落と谷の集落を結ぶ県道とは思えないような田舎道ですが、沿道に古そうな石造物が点在しているのはさすがにかつて人と牛馬の往来が多かった大山道だと感じさせるところです。坂道を下りきると加茂市場の集落で、その名の通り、かつて牛馬市も開かれていた場所です。久しぶりに普通の路線バスのバス停も登場するなど、吉備中央町に入ってからここまで見てきた小集落とはどことなく雰囲気が違い、拠点性を持つ場所にやっと出てきたと感じることになります。

0111.加茂市場の集落へ
加茂市場と言えば、何と言っても総社宮が有名です。境内は推定樹齢500年程度の大樹に囲まれ、10月に行われる「加茂大祭」は岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。平安時代に周辺の神社の神々を集めて「総社」となったそうで、周辺地域からの神輿が集結する加茂大祭も1000年近い歴史を誇っています。歴史的にこの周辺地域の中心地となっていたのがこの場所だということを感じさせる場所です。神社の前には「お祭り会館」もあり、吉備中央町内の大山道沿いでは貴重な公衆トイレもあります。

0112.総社宮
>拡大画像 備前加茂大祭の案内板
>拡大画像 総社の社叢の案内板
加茂市場は総社宮が人を集めてきた場所だけあって、かつては宿場でもあり、江戸時代には牛市が開かれたという記録もあるという大山道の拠点でもあります。道沿いに家屋が並び、集落の雰囲気が吉備高原の農村集落とは少し雰囲気が違っていることに気がつきますが、近代以降の発展からは取り残されていて、4方向から県道が集まる交通結節点にも関わらず、商店らしい商店も見られず、普段は静まり返っています。

0113.加茂市場の旧道沿い
加茂市場地区からは県道66号に入り、ここから真庭市に入って国道313号に合流するまでの間、ずっとこの県道沿いを進みます。よく整備された主要地方道に沿っているから余計にそう感じるのかもしれませんが、そう広くはない谷とは言え、久々に平地が「広がっている」と表現するような地形となります。

0114.加茂市場からは県道66号
加茂市場の県道交差点から700mほど北上すると、斜め左方向への分岐で県道66号の旧道らしき道で下土井地区の集落へ入っていきます。沿道には古いものを含む民家が並んでいて、旧街道の街並みと言っても良いような雰囲気です。

0115.下土井の旧道
下土井の旧道から県道66号に戻り、大きく右カーブして集落の最後の民家を過ぎたところで、左(西)に山道があり、「右 大山」と刻まれた道標地蔵が見られます。このページはダイジェスト版として取材も自転車で行ったため、山道に入ることはできませんでしたが、この山道は古道そのものの道筋と思われます。

0116.山道に道標地蔵
自動車交通のためによく整備された国道や県道には集落内の旧道が付き物で、今度は斜め右方向へ井原地区の旧道に入ります。集落の中心部に入る手前には道標と思われる石柱がありますが、肝心の文字が消えかかっていて読み取ることができません。

0117.井原地区の道標
井原地区では最後に立派な家並みが続くようになり、豊岡川に架かる正面橋を渡って豊岡上地区に入ります。この付近は吉備中央町の旧加茂川町域の北の中心と言えそうな場所で、豊岡八幡神社や御北小学校があります。

0118.井原地区から豊岡上地区へ続く街
豊岡上地区からは豊岡川に沿って県道66号をひたすら北上していきます。この付近では旧道らしき道もなく、史跡もほとんど見られません。県道が古い道筋をほぼそのまま上書きしているというところでしょう。

0119.豊岡川の谷沿いを行く県道
次に旧道が見られるのは尾原地区で、集落に入る手前で県道66号は豊岡川を渡りますが、旧道は斜め右に分岐して引き続き豊岡川の左岸に続きます。県道から分岐してまもなく見られるのが「尾原の一本ザクラ」で、エドヒガンの古木が豊岡川に覆いかぶさるようにしてポツンと立っています。春には見事な景色になるでしょうし、そうでない季節であっても存在感のある古木は大山道を往来する旅人にとって目印となっていたことでしょう。

0120.尾原の一本ザクラ
>拡大画像 尾原の一本ザクラの案内板
尾原は加茂市場と同様、主要地方道同士が交差し、ローカルなりに交通の要衝と言える場所です。集落も宿場町型の家並みをよく残しており、歴史的に大山道の宿場として利用されてきたことが今でも想像できます。木造校舎を残す学校(新山小学校、中学校)も廃校となり、過疎化もかなり進んでいるような雰囲気ですが、校舎が「新山ほほえみセンター」として活用されているなど、地元の財産を守り育てようという雰囲気も見られます。ここまで来ると美作国も近づいてきており、集落の雰囲気も岡山県北部の集落にどことなく近づいてきたような気がします。

0121.尾原の街並み
尾原の旧道は豊岡川の左岸に続きますが、途中で豊岡川を渡り、重岡神社に立ち寄ります。鳥居前には移設されてきたと思われる道標と道標地蔵が置かれているだけでなく、鳥居前の取水鉢も道標としての文字が彫られています。驚くべきことにその3つ全てに「大山」「大仙」「大せん」の文字があり、尾原が岡山県南部からの大山道が集約される場所であったことを物語っています。

0122.重岡神社前には道標3つ
尾原からも県道66号で豊岡川の谷を少しずつ上っていきます。次は福沢地区では地区内の中心的な集落には入りませんが、県道沿いにはまた道標が見られ、「左 大せん 右 あハヰ」と記されています。

0123.福沢地区の道標
次の溝部地区に入っても県道66号沿いの道標ラッシュはまだ続きます。県道が引き続き豊岡川の右岸を北上していく中、左岸の集落への分岐点となる光本橋の東詰には「左 備中 うかん 右 大せん ゆばら」と記された道標が見られます。井原、尾原、福沢、溝部と約6kmの間で4つの道標を見てきましたが、注目すべきは道標の上部に共通のマークが描かれ、同じデザインになっていることです。このマークは江戸時代に金川を中心に宇甘川の地域を治めていた日置氏の家紋だそうで、その領内では組織的に大山道の整備が行われたことを窺わせます。

0124.光本橋の道標
0125の写真の交差点で溝部地区の奥の方の集落への道が分かれると、いよいよ美作国(真庭市)へ向けての上りが本格化します。恩木ダムというダムが建設されているため、県道66号の道筋もかつての大山道とは違っていると思われ、また、吉備中央町最後の杉谷地区でも集落の中心部には入らないため、ここからは史跡も特に見られなくなります。

0125.県道は右
溝部地区の0125の写真の交差点から1.4kmほどで真庭市に入ります。峠が境界線になっているわけではなく、真庭市に入ってもしばらくは上り坂が続きます。県道66号にはトンネルもなく、概ね北へ向けての上り坂にはなっているものの、部分的には下りになることもあり、吉備中央町内では最後の最後まで吉備高原らしい地形が続きます。

0126.真庭市に入る
<<大山道ダイジェスト(総社市・岡山市) 大山道ダイジェスト(真庭市南部)>>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  竹部=たけべ
    •  高谷=たかや
    •  都賀=つが
    •  新山=にいやま
    •  溝部=みぞべ
    •  杉谷=すぎや
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」
    •  三浦秀宥 雲内威雄「山陽カラーシリーズ28 岡山の大山みち」
    •  岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第八集 大山道」
          
  • ●取材日
    •  2019.9.24
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