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岡山県南大山道ダイジェスト(真庭市南部)
真庭市に入って県道66号を1kmほど北上すると、上山地区の集落に入ります。吉備中央町域の後半、加茂市場からの県道沿いは谷筋の集落を縫って進んできましたが、ここはまた高原上の集落です。集落の南の入口には倒れてしまっているとは言え、大山みちの案内看板があります。

0201.上山の集落に入る
上山のデイサービス会館の前には「左 あしもり こんぴら道 右 うかん まつ山道」という道標があります。吉備中央町域でも多くがそうでしたが、ほとんどの道標で今辿っている大山道の「足守」「大山」という地名だけでなく、備中国の地名も案内されており、東西方向の古道もたくさんあったことを感じさせます。

0202.上山にもまた道標が
>拡大画像 上田南部地区の案内板
上山地区はいくつかの独立した小規模な集落で構成されており、大山道の流れを汲む県道66号はそれらの集落を結びながら北上していきます。真庭市に入ってからもまだ上り坂が続いており、上山地区の中で最北の鰻田集落が岡山県南部の大山道では最も標高が高い地点となり、標高は430mほどです。また、鰻田には小さな池があり、案内板にあるように大山道にも結び付いた大鰻の伝説が語られています。また、条件さえ整えば、鰻田からははるか北の大山を望むことができる日もあるようで、もちろん、南では最遠の大山ビューポイントです。

0203.鰻田の伝説の池
>拡大画像 鰻田の大鰻伝説の案内板
鰻田からは備中川の谷を通る国道313号沿いの鹿田地区に向けて、辻坂と呼ばれる坂を一気に下ります。鹿田の標高は130m程度なので、4km少々の間で一気に300mも下ることになります。空気が澄んだ晴れの日ならそれこそ大山も見えそうな眺めの良さがあり、かつては大山遥拝の社もあったそうなのですが、現在の県道66号の道筋はかつての大山道の辻坂とは違っているため、史跡は全く見られません。歩道もなく歩くのには全く不向きなので、「出雲街道勝山宿の会」の「第2回大山みちを歩こう会」のように、歩くのなら花の山寺として知られる普門寺や、閉校となった旧上田小学校を活用した地域おこしの新拠点施設のUEDA VILLEGEの方へ迂回して進む方が良さそうです。

0204.辻坂の長い下り坂
長い下り坂を下り終えれば鹿田です。突き当たりを右折すれば、備中往来の街道筋と合流し、鹿田の町に入ります。古い家並みが長く続き、かつて宿場町だった雰囲気をよく残しています。

0205.鹿田の街並み
かつての宿場町の密集した町並みが残されている場所には、そこをバイパスする現在の幹線道路が付き物で、鹿田でも国道313号がその少し西側を通っています。そこには「道の駅醍醐の里」があり、道の駅では当然のこととは言え、トイレや飲食店が揃っているということが大山道では非常にありがたいです。なお、この道の駅の名前は名木100選にも選ばれている後醍醐天皇ゆかりの「醍醐桜」にちなむものですが、道なりの距離で10kmほど離れており、大山道歩きで立ち寄るには遠いです。

0206.道の駅醍醐の里
>拡大画像 鹿田の文化財マップ
一方、鹿田の東の山沿いに目を向ければ、こちらには勇山寺や正覚寺といった立派な寺院が見られます。特に勇山寺は神亀3年(726年)の創建で、33年に一度しか御開帳のない薬師如来もあるという寺です。

0207.勇山寺
そして鹿田宿の北端近くには道標もあり、「左 木山道 すぐ 大せん ゆばら道」と刻まれています。木山寺および木山神社は鹿田の北、落合の西の山中にあり、かつては木山宮と呼ばれた神仏習合の場所でした。牛頭天王を祀っていることにより、牛馬繁栄を祈って参詣する人も多かったなど、大山寺との共通点もある寺社だと言えます。

0208.鹿田の道標
鹿田の町を出ると、いったん国道313号に合流しますが、国道はすぐに左カーブで備中川を渡ります。かつての大山道の道筋は直進の旧道で、現在の国道より500mほど下流に架かっている鹿田橋で備中川を渡ります。道は荒れがちで鹿田橋も老朽化のため大型車両の通行が禁じられていますが、徒歩や自転車なら問題はありません。

0209.鹿田橋
鹿田橋を渡ると国道を横断、備中川沿いの国道313号より少し西の細道を進んでいきます。交差点を曲がることが多くて道筋はわかりづらくなっていますが、古道であることをはっきり示すような道標などの史跡も見られませんので、正確な道筋を辿らなければならないという意識をそれほど強く持たなくても、イメージとして現在の国道のやや西の集落内を縫うような道を進んでいけば良いでしょう。

0210.国道から少し離れた道を進む
落合市街郊外の細道を進み続けると、国道の旧道と合流する地点の側に先述した木山神社の鳥居があります。神社までまだまだ遠い地点に鳥居が立っているのは歴史が長く、規模も大きく、広い範囲から多くの参詣者を集めてきた神社の証です。

0211.木山神社の鳥居
木山神社の鳥居の地点からは旧国道もありますが、大山道の道筋はまだ少し山側に続くので、少しだけ旧国道を歩くとまた少し北に古道の道筋があります。市街地に入っているため建て替えられている家も多いですが、古い家屋も点在しており、また、道沿いの水路が目につきます。この「山沿いに古い家並みと水路」が真庭市南部の大山道の道筋の注目点です。

0212.市街に入っても山側に旧道
いったん旧国道に合流して今度は400mほど旧国道を進み、垂水神社のところでまた斜め左の旧道へ入ります。垂水神社は落合を代表する歴史ある神社で、ここからが最も古い落合の町通りとなります。現在では商店もほとんどなく、街外れの道という雰囲気ですが、ところどころに見られる江戸時代の石造物が古道の道筋であることを感じさせます。

0213.垂水神社
落合市街の山沿いに続く旧道をしばらく進むと米沢町の商店街と交差します。現在は衰退しきってしまったような商店街ではありますが、平成の大合併前の「町」では珍しいアーケードが架かっていて、中心商店街として繁栄した時代があったことがわかります。なお、この米沢町商店街は旭川の高瀬舟船着場と備中街道と大山道の古い道筋を結んでおり、備中川と旭川が落ち合う河川交通の拠点として発展した落合のメイン通りにふさわしい道で、山沿いの古い町から緩やかに下り、また堤防へ上っていくという坂道の形状も落合を象徴していると言えます。

0214.米沢町商店街
米沢町商店街と交差する辺りから進路は北に変わっており、また、旧道と現在の落合市街との高低差もより大きくなっており、段差も一目瞭然です。岡山県を代表する大河川にその主要な支流が合流する地点だけに落合の町は歴史的に洪水に悩まされ続けており、大洪水で大きな被害を受けた記録も刻まれています。それゆえ、近世以前の時代の道と市街は山沿いの一段高い場所に、次いで近代以降の旧国道と市街は川から少しだけ距離を置いた場所に、そして新現在の国道313号は川沿いにというように、洪水調整の技術や堤防の高さ、頑丈さが高まるとともに市街も川沿いに移動しています。

0215.古道と市街の高低差
山が国道313号に迫ってくると、いったん国道313号に合流しますが、古い道筋はまたすぐに山沿いへ分岐していき、中国自動車道の落合インターの南側では今や通る人もほとんどないような細道となります。この道の道筋は中国自動車道の敷設によって昔の大山道とは少し変わっているのでしょうが、すぐ脇に水路がずっと続きます。大河川と古道と水路の関係性は落合市街から北ではずっと同じように続いていきます。

0216.落合インター付近
落合インターの付近で中国自動車道をくぐると右折、またすぐに左折で進み、周囲は広い田園地帯となります。それでも旭川沿いの国道313号や新しい道路沿いの市街、氾濫原の田園地帯よりは少しだけ高いところを古道が通っており、やはり道沿いには水路があります。国道に合流する地点には道標があり、「左ハ岡山 右ハ木山」となっていますが、これは明治12年(1879年)の道標です。直線的に落合と久世を結ぶ現在の国道の道筋ができたのは明治18年(1885年)のことなので、部分開通の段階か新しい道路の開通を見越した段階で設置された道標と言えるでしょう。

0217.国道との交差点の道標
国道313号沿いの道標のすぐ北には地蔵堂や地神などの石造物が集まっていて、北には古い大山道の道筋も微妙に残されています。通り抜けができませんが、古い道筋はやはり一段高い場所を通っているという事実をはっきりと確認できます。

0218.ここから古道が残る
しばらく国道313号を北上し、また左(西)方向への道で引き続き西の山沿いを進みます。先述した大山道の古い道筋と合流する地点には井戸が残されています。大山道を歩く人々に活用されてきたと思われる井戸は、地元の開田自主防災会によって平成20年(2010年)に再整備され、「災害時の命の泉」となっています。

0219.古道の井戸に新たな使命
国道313号から離れて700mほど北上したところにある天津神社は比較的規模も大きく、江戸時代には津山や勝山の殿様にも崇敬されていたという神社です。郊外型店舗もあって田舎なりに発展している国道沿いに対し、西の山沿いを通る大山道沿いは静かな田舎道ですが、歴史を感じさせる社寺はこちらに集中しています。

0220.天津神社
>拡大画像 尾原の一本ザクラの案内板
天津神社から北では平地がかなりの広がりを見せるようになり、整然と整備された田園の中を進みますが、そのような中にも0221の写真の小社が見られたりします。大山道の道筋からはかなり離れてしまいますが、西の方の山の上には神林寺という鎌倉時代からの古寺もあり、古い時代から発展してきた場所であることを感じさせます。

0221.広い田畑の中に小社
国道313号の西に続く大山道の道筋は、相変わらず少しだけ高い位置に水路とともにあり、沿道には0222の写真の大日如来と地神と小社など、やはり石造物が目立ちます。

0222.信仰を示す石造物は数多い
天津小学校のところを右折、大山道の道筋はなおも西の山沿いを進みます。落合の市街を出てからもうずっと同じような景色が続いたまま、境界線もはっきりとしないまま旧久世町域に入ります。しかし、山沿いでありながら平地ではあるため起伏はほとんどない歩きやすい道で、古道らしい小さな史跡も点在しているため退屈もしない道であるとは言えます。

0223.釈迦堂と念仏供養塔
富尾地区でいったん国道313号と合流しますが、久世市街に入る直前でまた左折して山沿いの細道に入ります。ここでもなお水路が道に並行しています。しばらくの間は沿道に家屋もない道ですが、進んでいるうちに旭川南岸を通る国道313号沿いの新しい市街の裏側に出てきます。

0224.久世市街が近づいても山沿いで水路沿い
久世の新しい市街の裏側では沿道に史跡が見られなくなりますが、国道313号にぶつかる直前で、移設されて集められてきたような石造物群があります。道標や常夜燈、牛馬供養塔など、いずれも真庭の大山道らしいものです。この先の信号交差点で国道を横断し、すぐに右折、またすぐに左折の順で中川橋に至ります。

0225.惣の石造物群
久世で旭川に架かっている橋の中でも中川橋は最も古い橋で、橋が架けられる以前から久世において旭川を渡るのはこの地点でした。そして渡った先は久世市街のほぼ中心と言える場所で、出雲街道とクロスします。久世は出雲街道の宿場町であるというだけでなく、江戸時代の一時期は天領の陣屋町となり、現在でも真庭市の中では最も商業的に繁栄している町です。そして、大山道という観点で特に重要なのは岡山県内で最大の牛馬市が開かれていたということで、西方向の出雲街道、南北方向の大山道がクロスする久世は岡山県や鳥取県のかなり広い範囲の交流の要であったと言えます。大山道はここから中国山地の山中の道に姿を変えていきます。

0226.中川橋を渡って久世市街へ
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