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延助から内海乢へ |
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<藤森→延助 |
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内海乢→御机> |
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延助から県境まで、岡山県の最終コースは一般的な地図で道路扱いされていない道がほとんどです。延助の集落を東に出て国道482号を横断したところにある徳田コミュニティハウスには大山みち散策コース案内図がありますので、その内容を理解してから歩くようにしましょう。
延助から先の大山道は延助の宿場の中央付近から北に入って国道を横断し、付近に題目塔がある1502の写真の交差点からさらに北へ向かいます。 |
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1501.徳田コミュニティハウス |
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1502.ここを右(北)へ |
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>拡大画像 大山みち散策コース案内図 |
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1503の写真の分岐では墓地や地蔵堂が見える右側(東側)へ曲がります。その墓地を過ぎたところで舗装がなくなります。 |
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1503.右の墓地と地蔵堂の方へ |
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1504.ここから山道 |
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●川上坂の上り坂
延助から県境へと上る道は川上坂と呼ばれますが、その最初の上りは細い沢の流れがそのまま道になったような姿で、大きな石が多数転がっているので、足元に注意が必要です。今は人の通ることのないこの道ですが、「蒜山ガイドクラブ」の皆様が年2回「大山古道トレッキングツアー」を開催し、保全活動に努めてくださっています。延助から内海乢までの間はそのお力がないと歩けないような箇所が多く、その活動には大いに感謝しなければなりません。 |
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1505.川上坂最初の上り坂 |
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水が流れる沢からそれると、安定した足場の道となり、次いで周囲は人工林になります。この辺りは割ときつい上りですが、実は県境までの間で、きつい上り坂が続くのはここが最後です。 |
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1506.山道は続く |
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1507.周囲が人工林に |
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●津山伊勢道標
坂道をを上り詰める寸前に立派な道標があります。「左ハむら道 右ハつ山いせ道」と刻まれていて、右の方だけ指の絵が付いています。左の「むら」は延助のことだそうですが、その道は現在では草木に埋もれてしまっているローカルな道で、大山方面から来た旅人に対して「右に進め」ということが強調された道標と言えます。また、大山道は山陽側の人が大山を目指すための道というイメージが強いですが、山陰側の人が津山、上方、そしてお伊勢参りに行くのにも利用された道でもあることがわかります。また、ここにはより小さな道標や首のなくなった地蔵もあります。 |
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1508.津山伊勢道標 |
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道標の側で何かが造られようとしているようで、ここからは作業用の軽トラックも通れるように、少しきれいすぎるくらいの道となります。新しい作業道とも交差しますが、道なりに進んでいけば大丈夫です。 |
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1509.古道を作業道にしている |
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1510.道なりに右カーブ |
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鳩ヶ原の高原地帯に入ると農道に出て、その付近で東の方を振り向けば、いかにも蒜山高原らしい風景の中、蒜山三座が見えます。大山道の中でも随一の蒜山ビュースポットと言えるでしょう。 |
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1511.鳩ヶ原に出る |
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1512.蒜山三座が見事 |
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鳩ヶ原は多少の起伏があるので平地とは言えませんが、ある意味、久世を出てから地形が最も伸びやかに開ける場所のように感じます。しかし、水を引ける河川はないため水田を作ることはできず、野菜が栽培されています。蒜山と言えばジャージー牛が有名ですが、野菜の生産も盛んな場所で、最も目立つのは蒜山大根です。左前方には見えるなだらかな山は米子自動車道の県境のトンネルが貫く三平山。秋になれば周囲はススキの原となります。 |
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1513.大根畑の中を行く |
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1514.遠くに三平山、近くにススキの原 |
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1515の写真に見られるように、鳩ヶ原ではいくつかの交差点があり、どれを進むべきか迷いかねませんが、ミスコースの恐れがあるような交差点には「蒜山エコツーリズム」による案内標識があるので、それを頼りに進みましょう。進むにつれて眺めはますます良くなり、広大な畑や牧草地が広がります。 |
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1515.標識に従って左奥の道へ |
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1516.広大な牧草地や畑 |
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●野中地蔵
鳩ヶ原の高原地帯の真ん中あたりに天明8年(1788年)に建立された野中地蔵があります。天明の大飢饉の供養のために建てられた地蔵だそうで、施主として延助の人と並んで石州、すなわち島根県西部の人の名前が刻まれています。山陰と山陽を結ぶ道として、出雲街道だけでなく大山道も利用されていた証拠の一つと言えます。 |
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1517.野中地蔵 |
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>拡大画像 野中地蔵の案内板 |
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●鳩ヶ原からの大山
野中地蔵を過ぎた辺りから、大山がよく見えるようになります。手前の尖った山は烏ヶ山、大山の下に見える平べったい低山は城山。全く異なった三者三様の形状の山がどのように生まれたのも興味深く、その見え方の変化がこれからの楽しみです。 |
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1518.雲がかかっていますが… |
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道の舗装が切れた地点を右折し、山道を下っていきます。ここから先は時季を選ばなければ草に埋もれてしまって道筋すらもはっきりしません。特に1520の写真の付近では棘のある草が背丈ほどの高さになってしまうこともあります。一般的な地図に記載されていない道でもあるので、道の状態が悪いときは無理をせず鳩ヶ原までで折り返してください。先述のように「蒜山ガイドクラブ」の皆様が「大山古道トレッキングツアー」の際に道の整備をしてくださっているので、それに参加するか、その開催直後に歩くのが無難でしょう。 |
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1519.舗装がなくなると右折して下る |
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1520.時季によっては草が伸びる |
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1521.大山道のみが守られている |
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1522の写真の地点では斜め左の道に入ります。しばらくの間、かつて多くの人と牛馬が往来した道とは思えないような雰囲気ですが、ピンクテープが見えるのでそれに従って進みましょう。1523の写真の地点で標識に従って右折すると、そこからは平坦な森の中の道となります。倒木があったり夏に草が伸びたり晩秋に落葉したりすることで、道筋が少しわかりづらくなることはありますが、基本的に道なりに進んでいけば大丈夫です。
森林浴を楽しみながら進んでいくと「蒜山の森」と通称される鳥取大学の教育研究林に入ります。ここからは教育と研究のための演習林であるため、看板にあるような注意事項を厳守しなければなりません。山歩きと言えば山野草を採ったりするのも楽しみ方の一つですが、蒜山から大山にかけてはその多くの区間が大山隠岐国立公園の区域内でもあるため、ここに限らずマナー遵守で歩いていただくようお願いいたします。 |
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1523.斜め左へ進みます |
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1524.ここは右折 |
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1525.美しい森の道 |
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1526.「蒜山の森」の区域へ |
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>拡大画像 鳥取大学教育研究林内の注意事項 |
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●「蒜山の森」の土塁
教育研究林に入るとまもなく1.5mほどの高さの土塁が行く手を遮り、それを越えて進みます。「蒜山の森」は明治31年(1898年)から大正6年(1917年)まで陸軍の軍馬育成場として利用されていた場所であり、さらに昭和10年(1935年)から終戦までは全国最大の面積を持つ蒜山原陸軍演習場の一部となっていました。ここまで歩いてきた高原や森ののどかな風景とは裏腹に、この場所で過酷な軍事演習が行われていたことは忘れてはいけない歴史です。 |
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1527.山中に戦前の遺跡 |
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土塁を越えると左折し、左に土塁を見ながら進むと作業道にぶつかる直前に山の神の小社があり、ここを右折します。 |
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1528.山の神の小社 |
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1529.作業道に出て右折 |
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>拡大画像 山の神の案内板 |
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●鳩ヶ原奥の地蔵道標
右折で作業道に入り、次の作業道同士の交差点には岡山県側最後の道標があります。この道標は野中地蔵と同じ天明8年(1788年)に立てられ、道標メインで地蔵が彫られたタイプです。先述した津山伊勢道標もそうですが、このように人家も全くない場所に古い道標が残されているのは大山道の大きな特徴と言えます。大山牛馬市の日本遺産指定を受けて大山道もようやく脚光を浴び始めましたが、大山道が「牛馬の道」としての使命を終えてから、別の意味で再び注目されるようになるまでの長い間、このような山の中の忘れ去られていても仕方のないような史跡が守られてきたのは、大山道が地元の道として細々と生き続けてきたおかげと言えるでしょう。 |
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1529.左 大山道 |
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>拡大画像 大山道の案内板 |
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道標のある交差点を左折するとすぐに別の作業道に出会いますが、ここは直進で山道に入ります。「蒜山の森」は近年になって再整備されており、これまで通ってきた山の神や道標には案内板が新しく設置されています。ここの案内板によると、この辺りは戦前には草地だったそうで、大山道が牛馬の道として現役だった頃は全く景観が違っていたようです。 |
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1530.直進の道へ |
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1531.トイレもある |
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>拡大画像 蒜山の森の案内板 |
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ここからはいったん谷までの下りとなります。下りきった1533の写真の地点は左折で、ミスコースの恐れがある場所でしたが、令和3年(2021年)10月に訪れたときはその先の人工林で作業中だったので、車両が通行できるようになっており、その道に従って進めるようになっていました。 |
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1532.一度下る |
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1533.作業道が左へカーブ |
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●竜王池跡と川上地蔵
山道の途中で左の谷に下れる箇所があり、そこを下れば旭川の源流となる竜王池の跡があり、川上地蔵が祀られています。湯原、勝山、久世、落合そして岡山と旭川流域の人々の利用が多かった大山道沿いにおける源流の地に、その水恩に感謝して建立されたものです。周囲にはシダが生い茂ってジメジメしており、かつては池になっていたことが想像できます。 |
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1534.川上地蔵 |
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1535.ここが旭川の源流 |
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>拡大画像 竜王池跡の案内板 |
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川上地蔵から大山道に戻ってさらに進めば、周囲は人工林に変わります。よく手入れされて美しい状態ですが、逆に進むべき道順がわかりにくくなっています。1537の写真の地点で左折して緩やかな上り坂になり、上り詰める寸前でまた左折して作業道を横断しますが、写真で見てもよくわからないと思います。この辺りは先述した鳩ヶ原の高原地帯を抜けた先とは別の意味で、初めて訪れる人には通過困難な場所で、やはり「蒜山ガイドクラブ」の「大山古道トレッキングツアー」に参加するのおすすめです。なお、大山道の山道は重量のある牛馬が多く通行したためか、道が少しくぼんでいる傾向があり、道筋を見分けるためのヒントとなります。 |
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1536.古道は斜め右 |
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1537.ここで左折 |
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1538.ややくぼんだ道が大山道の道筋 |
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1539.作業道を横断 |
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周囲が天然林に戻るとまた作業道に出て左折します。ここでも作業道を歩く距離はわずかで、1540の写真の地点でまた右折します。いずれも標識がありますので、道を間違える心配はありません。 |
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1540.標識に従って左折 |
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1541.ここは右へ |
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●大王の松
1541の写真の地点から山道に入ったところに大王の松があります。現在は枯死してしまっていますが、森の中でも十分に目立つ巨木にして、あちらこちらに伸びたその枝ぶりが印象的です。大山道を歩く旅人にとっても目印になっていたとともに、地元でも神木として祀られてきた木です。 |
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1542.大王の松 |
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>拡大画像 大王の松の案内板 |
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大王の松を過ぎれば鳥取県はもうすぐです。1543の写真の階段を上ればアスファルト舗装の道路が横切っていますが、ここから先の古道は歩けるような状況でなく、入口すらわかりません。たとえ無理に進入したとしても、国道482号のバイパス整備によって途中で道が完全に切れているのは間違いないので、ここを左折します。 |
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1543.階段で舗装道路へ |
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1544.この先の古道は通れそうもない |
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この道は県境をなぞるようルートで一般的な地図にも載っている林道で(ただし、国道482号から入る地点にチェーンが張られ、一般車両は進入不可)、この道を南下して内海乢へ向かいます。左(東側)には先述した土塁が見え、元は軍馬育成場だった「蒜山の森」の敷地を取り囲むように土塁が築かれたことがわかります。 |
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1545.ここにも土塁が |
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1546.林道で国道へ |
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●内海乢
国道482号に出た地点がちょうど県境の内海乢です。とは言え、林道から来ると、西から国道に合流することになるため、目にする県境の案内標識は「岡山県」で、当然ながらUターンする形で進んでいくことになります。県境は交差点になっており、東が蒜山方面への国道、南が俣野方面への広域農道、そして西が江尾方面への国道バイパスと現道ですが、ここでは左(南)にある現道を選びます。 |
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1547.西から県境へ |
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1548.Uターンの形で鳥取県へ |
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1549.中央の国道(現道)へ |
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<藤森→延助 |
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内海乢→御机> |
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- ●地名、人名等の読み方
- 内海乢=うつみたわ
- 鳩ヶ原=はとがはら
- 三平山=みひらやま
- 石州=せきしゅう
- 烏ヶ山=からすがせん
- 俣野=またの
- 江尾=えび
- ●関連ページ
- ●参考資料
- 小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」
- 岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第八集 大山道」
- ●取材日
- 2017.6.22
- 2019.6.14
- 2021.10.18
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