出雲街道を歩こう > 大山道トップ > 坊領道 坊領→大山
坊領から大山へ
<大山口→坊領
●佐摩
坊領の次の集落は佐摩で、大山小学校の運動場の脇を通り抜け、校舎との間にある交差点には「大智明大権現」の文字のある常夜燈があります。ここから南下していく道沿いにも江戸時代の年号が刻まれた石造物が多く見られ、家屋も古いものが多く残っています。扇状地の扇頂に位置する坊領と佐摩はまさに大山の玄関口であったという雰囲気をよく残している集落と言えます。

6201.佐摩の常夜燈

6202.石造物が多い

6203.旧道沿いの家並み
佐摩の集落を抜けると、一気に山が迫ってきた雰囲気となり、坊領川を渡って今在家地区に入ります。佐摩の古道の道筋から道なりに進んでいますが、どこかで微妙なズレがあるようで、県道158号(この付近では県道36号と重複)に出ると、佐摩の集落の方へ少し戻ったところに今在家の道標があります。

6204.坊領川を渡る

6205.少し戻る形で鋭角に左折
●今在家の道標
今在家の道標は「左 大山 右 やま 道」というだけでなく、下部には「佐摩村 二里」と大山寺からの距離が刻まれています。ここは坊領道がこれまでの穏やかな道のりから山道に姿を変える境目の地点であり、道標が示している通り斜め左に細道が分岐していますが、この道はすぐに再び県道36号に合流します。

6206.今在家の道標
大山保育所や大山農村環境改善センターのある交差点のところからは県道36号沿いにも人家がなくなり、いよいよ本格的な上り坂となります。歩道もなく、自動車が飛ばしている道となりますが、交差点の脇には六十六部供養塔、その先にも享保11年(1726)の念仏供養塔が見られ、古道の道筋であることを感じさせます。

6207.ここからは県道

6208.六十六部供養塔

6209.念仏供養塔

6210.県道を進む
県道36号を800mほど行くと鈑戸バス停があり、大山道の道筋はなおも県道を直進していくものの、歩くのには不向きな道路を歩く距離が長くなってしまうので、ここで左折して興味深い地名の鈑戸の集落へ寄道することにします。

6211.鈑戸では左折してみる

6212.両墓制の墓地に寄ってみよう
●鈑戸の両墓制
鈑戸の集落に入っていく橋の手前で右(南)に入ると、両墓制と呼ばれる独特の墓があります。両墓制とは一人の死者に対して2つの墓を作ることで、ここでは一般的な墓石ではなく、自然の石をたくさん積んだ墓が墓地を埋め尽くしています。現在ではほぼ単墓制に移行しているそうですが、何と平成30年(2018)の墓も見られ、大山山麓独特の風習である両墓制が現在も細々と守られていることがわかります。

6213.自然石を積んだ墓が多数

6214.入口には五輪塔がたくさん

6215.平成30年の墓も
>拡大画像 鈑戸の両墓制の案内板
写真6212の地点に戻り、鈑戸川を渡って鈑戸の集落を目指す途中ではまだ日本海も見え、眺めがとても良いです。さらに直進して突き当たって右折し、鈑戸神社に裏から入っていくという順で集落を通り抜けています。両墓制が残っていることに象徴されるように、鈑戸は昔ながらの大山山麓の暮らしが今も残っているような雰囲気の集落です。

6216.まだまだ海も見える

6217.鈑戸の集落内

6218.生活用水になっていた湧き水

6219.鈑戸神社
鈑戸の集落を通り抜けると、そのまま農道を歩いて南下していきます。再び大山道の道筋に戻るのは種原バス停近くの写真6221の交差点で、付近(写真の「止まれ」の標識の左後方)には2つの供養塔があり、そこから昔のままの古道が続いています。

6220.農道で近道

6221.斜め左に古道が復活
●鈑戸地区内の坊領道
坊領道でハイライトと言えるのが写真6221の交差点から続く古道で、ここから約1.9kmの間、県道36号の少し東の森の中に昔のままの姿で道が残されています。鳥取県の大山道は横手道と川床道の一部区間が「歴史の道100選」に選定されていましたが、令和元年(2019)にここの坊領道も追加選定されています。歴史の面だけでなく珍しい草木もあるのも魅力の一つで、私にはその植生の特色をご案内できる知識はありませんが、気持ちの良い森林浴が楽しめる道でもあります。

6222.供養塔からスタート

6223.美しい森の道

6224.石積みも見られる
>拡大画像 坊領道の案内板
●坊領道の一丁地蔵
「地蔵道」と刻まれた標石を見るとそこからは一丁地蔵が見られ、もちろん日本遺産の構成文化財の一つとなっています。確認できるもののうち大山から見て最遠が三十六番で、そこから数字が減っていきます。ほぼすべての一丁地蔵が現存する横手道と違って、一部区間のみの残存で、苔むして字が読めなかったりするものも多いですが、それはそれで味があり、大山への古道を歩いている実感があります。

6225.ここから一丁地蔵の「地蔵道」

6226.最初は三十六番

6227.苔むした三十五番
県道314号と交差してももうしばらく森の中に古道は続きます。三十一番までは一丁地蔵も続き、かつて旅人の目印となっていた松の巨木も見られます。

6228.県道314号を横断

6229.目印の古木
籠立橋バス停の付近で県道158号に接近します。この籠立橋には水場があり、かつて休憩場所として利用されてきた場所です。以前はここから先の古道は草に埋もれてしまっていましたが、「歴史の道100選」への追加選定に前後して再整備されたようで、もうしばらく古道の道筋を辿ることができるようになりました。写真6232の地点で県道に合流、次のS字カーブの付近からは古道と県道の道筋が一致するようになります。

6230.籠立橋バス停

6231.もう少し古道を歩ける

6232.ここで県道に合流

6233.大山まで残りは直進
県道158号に戻ってから博労座駐車場まではまだ約2.5kmの距離があり、美しい森の中の道とは言え、単調な上り坂の県道歩きがずっと続きます。さすがに疲れも感じてくるところですが、移設されてきた一丁地蔵も一部ながら保存されており、また、嘉永6年(1853)の念仏供養塔なども見られるので、森の中からそういった古道の史跡を探しながら進んでいきましょう。なお、歩道もない県道歩きを避けるなら、東の方を通っている中国自然歩道に迂回するのも一つの手です。

6234.県道沿いに一丁地蔵

6235.県道歩きは長く続く

6236.クマザサの中に念仏供養塔
博労座駐車場の標高は約730m。標高700mの標識を見れば長かった県道歩きももうすぐ終わりです。尾高道の流れを汲む県道24号との交差点が近づけば視界が開け、大山の白い北壁が大きく見えます。

6237.標高は700m

6238.県道24号に合流
●別れの道標と地蔵
ここで合流する県道24号は、古道の観点から見ても尾高道の道筋で、今も昔も米子から大山へのメインルートです。この交差点には別れの道標が残されていますが、大山方面から見て「左 よなご 右 みくりや」と大書されていて、現在、県道を自動車で通ったとしても当時の意図通りにそのまま使えるという道標です。また、ここには立派な地蔵の立像もあり、昔からここが大山のメインの出入口であったことを感じさせます。

6239.左 よなご 右みくりや

6240.別れの地蔵
>拡大画像 別れ地蔵の案内板
●大山博労座
県道24号と合流すればまもなく博労座駐車場に到着します。この駐車場こそが日本最大規模を誇っていた牛馬市が開かれていた場所です。歴史を語る案内板等はありませんが、大山山麓では誰もが知っているというくらい親しまれている「大山賛歌 わがこころの山」の歌碑などがここに置かれています。また、前方の大山だけでなく、振り返って見る日本海、中海、島根半島方面の眺望も見事で、弓ヶ浜が文字通り弓のように曲がっている様子もよく見えます。写真6242では確認が難しいかもしれませんが、空気の澄んだ日なら隠岐島も見ることができます。

6241.夕方の眺望

6242.隠岐島も見えるかも…?

6243.そう、大山は…♪
<大山口→坊領
  • ●地名、人名等の読み方
    •  佐摩=さま
    •  今在家=いまざいけ
    •  享保=きょうほう
    •  鈑戸=たたらど
    •  籠立橋=かごたてばし
    •  嘉永=かえい
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
          
  • ●取材日
    •  2018.5.21
    •  2020.10.17
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