出雲街道を歩こう > 大山道トップ > 川床道 野井倉→大休峠
野井倉から大休峠へ
大休峠→大山>
大山寺の東、川床という場所に集まってくる大山道は川床道と呼ばれ、主な道筋として琴浦町の赤碕からのルートと、倉吉市の関金からのルートがありました。当サイトではこのうち中国自然歩道にもなっている関金からのルートを琴浦町野井倉地区以西に絞ってご紹介します。なお、このルートは標高1100mを超える峠を挟んで長く山道が続くので、実際に歩くには山を歩くための準備が必須です。
先に関金から野井倉までの大山道の沿線を簡単にご紹介しておきます。大山のほぼ真東に位置する関金は古くからの温泉町であり、関金からの川床道は現在の倉吉市や三朝町、岡山県真庭市北東部の人々に利用されていました。温泉街がある関金宿地区の対岸、倉吉市役所の関金庁舎があるあたりは大鳥居という地名で、かつては大山遥拝の鳥居がありました。現在、その鳥居は少し北の農業大学校付近に移転していますが、鳥居越しに大山を拝むロケーションに変わりはありません。

7101.大山鳥居神社
>拡大画像 東大山鳥居と道標の案内板
関金からしばらくの間の道筋は、昭和60年(1985)に廃止になった国鉄倉吉線に近いものです。大山道が駅前を通る旧泰久寺駅付近ではレールが残っており、自然に還ろうとする線路は「日本一美しい廃線跡」と評される人気の観光スポットになっています。また、倉吉線は泰久寺駅の次の山守駅が終点でしたが、中途半端に見える場所が終点だったのは、関金から蒜山や湯原を経由して中国勝山駅までを結ぶ南勝線の計画があったためで、未成に終わった南勝線についても令和6年(2024)に真庭市で関連するイベントが開催され、ちょっとした盛り上がりを見せています。

7102.倉吉線の廃線跡
>拡大画像 泰久寺駅跡の案内板
関金周辺の平地が尽きると一気に標高を上げ、高原上の明高地区に至ります。この付近では大山道の道筋はあまり残されていませんが、明高東口バス停の少し北には古道が残存しており、道沿いにある土着地蔵と呼ばれる地蔵があり、「右 大山」と刻まれています。

7103.土着地蔵
明高地区の高原が終わって山が険しくなってくると、県道44号東伯野添線と県道45号倉吉江府溝口線の交差点に至り、その西に倉吉市と琴浦町の境にあたる地蔵峠があります。ここにはその名の通り地蔵があり、道標と常夜燈もあります。中国自然歩道が通っており、県道の交差点または地蔵峠展望駐車場から入っていけますが、残念ながらここから西の道は草木に埋もれています。

7104.地蔵峠の道標
>拡大画像 地蔵峠の案内板
さて、当サイトでの川床道のご紹介は琴浦町の野井倉バス停から始めさせていただきます。ここは琴浦町(旧東伯町)の加勢蛇川沿いの最後の集落で、山陰本線の浦安駅から琴浦町営バスで行くことができます。バス停からは集落に入らず、加勢蛇川を渡って右折、県道44号に入ってまずは関金方面から来た大山道に近い道筋を目指します。交差点のすぐ西には大山滝みちびき不動明王があり、過去の災害による道の変化や願主の思いなどが記されていて、古道沿いに存在する石仏等にそれぞれのストーリーがあることを実感させてくれます。

7105.野井倉バス停

7106.県道44号に出て右折

7107.大山滝みちびき不動明王
>拡大画像 大山滝みちびき不動明王尊安置について
ここからの県道44号は地蔵峠を目指す上り坂ですが、S字カーブを繰り返す道筋は古道とは別のもので、交通量が少ないため危険は少ないものの、歩いて面白いような道ではありません。野井倉の集落入口の交差点からの約1kmで100mほど標高を上げ、大山滝・一向平方面へ右折します。

7108.県道を上る

7109.大山滝・一向平方面へ右折
県道44号を離れると幅員こそ少し狭くなりますが、それでも自動車が走りやすいように改良された道路が続きます。道筋が少し南に突き出すようにカーブする写真7110付近で地蔵峠から下ってきた大山道の道筋に出会うと思われますが、山の中にそれらしい道筋は見当たらないため、地蔵峠から一向平までの大山道は失われてしまっているようです。県道と分かれてから1.5kmほどで一気に視界が開け、一向平の高原に至ります。野井倉の集落内を通ってきた道と合流する写真7111の交差点にはかつて道標があったそうです。

7110.古道の跡は見当たらない

7111.道標のあった交差点
一向平では一直線の道が1km以上続き、勾配も約7%でほぼ一定の上り坂です。地図を見ても戦後の開発に合わせて建設された道路のように思えますが、地形的に直線的に進める一向平ではかつての大山道もほぼ同じ直線的な道筋だったそうです。私が歩いた10月下旬にはススキが一面に広がっており、また、周辺には牧場があって牛が見られるときもあるようで、大山山麓らしい景色が満喫できる区間でもあります。

7112.牧場もある

7113.ススキの原を一直線
●一向平キャンプ場
一直線の道を1km少々進むと一向平キャンプ場に至ります。広々とした場所で豊かな自然を楽しめ、設備面も充実したキャンプ場として人気がありますが、ここは大山滝方面への散策の拠点としても開放されており、キャンプ場としての利用者以外も駐車場やトイレを使用でき、中国自然歩道の案内板も設置されています。当サイトでは公共交通機関を利用して大山寺へ抜けることを想定して野井倉バス停をスタート地点にしましたが、大山滝方面へ歩くならここの駐車場を利用させていただくのが一般的です。

7114.一向平キャンプ場
>拡大画像 中国自然歩道 川床〜一向平の案内図
中国自然歩道はさらにまっすぐ進みますが、令和6年(2024)10月時点では災害のため通行止となっており、少し北寄りの代替路を通ることになります。しかし、キャンプ場の北西の隅に古い地蔵があることからも想像できるように、かえって古い道筋には近くなっており、かつての大山道を歩きたい者にとってはありがたい状況になっています。

7115.中国自然歩道は通行止めで迂回路へ

7116.一向平の地蔵
一向平キャンプ場からは道路の舗装がなくなり、大山寺にもかなり近づいた川床までの約9kmの間はすべて山道となります。とは言え、いきなり険しい上り坂になるわけではなく、最初は人の手が入っている雰囲気の下り坂で加勢蛇川に近づいていき、途中に大山道不動明王があります。これは野井倉で見た大山滝みちびき不動明王の案内板に記述されていたものと思われ、やはり中国自然歩道の代替ルートは平成18年(2006)以前の道筋に戻ったものだと推測できます。不動明王の先のカーブを曲がると加勢蛇川の谷の眺めが開け、前方に吊り橋が見えてきます。

7117.最初は下り坂

7118.大山滝不動明王

7119.吊り橋が見えてくる
●大山滝吊り橋
一向平キャンプ場から約800m、吊り橋を渡って加勢蛇川を渡ります。この吊り橋は昭和52年(1977)に中国自然歩道として架けられた比較的新しいもので、揺れは大きくありませんが、高さがかなりあるので高所恐怖症の方には怖い橋かもしれません。案内板によると以前はよく流される丸太橋があったということなので、川の高さまで下っていたことでしょう。近くには鮎返りの滝があり、吊り橋を渡って少し上ったところから滝へ下っていく道があるので、それが昔の道なのかもしれません。

7120.大山滝吊り橋

7121.かなりの高さがある

7122.鮎返りの滝に下る道も
>拡大画像 大山滝吊り橋の案内板
吊り橋を渡った先からは本格的な山道に変わりますが、中国自然歩道というだけでなく大山滝までは観光客も多いので、しっかりと管理されています。公園の遊歩道のような階段のところもありますが、古い石が並べられた階段もあり、古道であることを実感させてくれます。

7123.石段になっているところ

7124.新しい木製の階段
●旦那小屋跡
吊り橋から200mほど西へ進むと、ごくわずかな平坦地で道が石畳になっています。人工的な雰囲気を感じるこの場所は旦那小屋跡で、この場所ではたたら製鉄が行われており、実際に地面を探すとカナクソがたくさん落ちています。日野郡で史跡となっているところのような規模の遺構ではありませんが、逆にこのような人里離れた場所にも小規模な製鉄遺跡があるという事実は中国山地の地域性をよく示していると言えます。

7125.旦那小屋跡

7126.カナクソが落ちている
●木地屋敷跡
旦那小屋跡に続いて現れるのが木地師の屋敷跡です。旦那小屋跡の平地よりも広く、今も残る石積みを見ると、ここに「屋敷」と呼ばれるような建物があったことが想像できます。それにしても、たたら製鉄の遺跡に木地師の屋敷、そこを通る牛馬の道と、中国山地の失われた産業ばかりが目につき、大休峠前後の川床道が自動車の通る道路にならず、戦後には周辺が無人地帯と化したことにも納得せざるをえないところです。しかし、逆に言えば、この周辺は鉄を採取できる地質、様々な木製品を作れる植生、そして整備された交通路と、昔の産業に適した条件が揃っていた場所であったと言うこともできます。

7127.木地屋敷跡
吊り橋から大山滝の入口までは上り坂ながらもそれほど険しくはなく、周囲も人工林であることが多いです。現在の人工林は戦後の植林によるものでしょうが、昔から人の手が入っていた森であることに変わりはありません。木地屋敷跡から200mほどのところには地蔵と文字の読み取れない石造物があり、地蔵には「大山 七十丁」という距離の表示とともに「木地屋」という文字も見えます。そこからさらに100mほどで大山滝の入口に至り、小平地にベンチや案内板が整備されています。

7128.美しい森が続く

7129.石地蔵と石碑

7130.大山滝の入口
●大山滝
大山滝は大山周辺で最大の滝で、落差28mと15mの滝が2段になっている姿も独特のものがあり、「日本の滝100選」にも選ばれています。昭和9年(1934)の大雨で3段の滝が2段になったそうで、かつての大山道を歩いた人々が見た景色とは異なっており、この周辺の自然の厳しさを感じます。入口近くに設けられた展望台からでも高い位置からの眺めを楽しめますが、さらに下って滝のところまで行くこともできます。なお、滝まで下っていく道は古道歩きにはないような急傾斜なので、十分に注意する必要があります。

7131.大山滝(下からの眺め)

7132.上からの眺め

7133.滝までの道は険しい
>拡大画像 大山滝の案内板
大山滝の入口から大休峠方面に進もうとすると、長い上り坂が続くことに対する注意喚起がされています。確かに大山滝を過ぎると観光客の数が減り、誰もが軽いハイキング気分で歩くような雰囲気ではなくなるものの、しばらくの間は注意喚起が必要なほどの上り坂が続くことはありません。ただ、道の整備レベルは少し下がり、転倒につながるような石が転がっていることが多くなるので、足元には十分に注意してください。また、橋のない川を岩伝いに渡るところもあり、良く言えば山中の古道を歩いている気分がより高まりますが、ここでは必ず岩が安定した足場になるかどうか確かめてから進むようにしてください。水量は少ないので、岩が安定していないようなら少しくらい足を濡らして進む方が安全かもしれません。

7134.ここからの注意喚起

7135.橋のない川を渡る
川を渡ったあたりから坂が緩やかになり、まもなく整然とした国有林に入ります。管理も行き届いていて足場も良いので、ここに限っては平坦地の舗装道路に近いペースで歩けます。また、すっかり見逃してしまいましたが、歴史の道調査報告書や川床道の散策マップによれば、12体の石地蔵を建てたという日下平六の碑がこの付近にあるそうです。500mほど人工林を進むと中国自然歩道の大休口の道標があり、南に地獄谷へのコースが分岐します。ここはもちろん大休峠方面へ直進します。

7136.整然とした人工林を進む

7137.大休口の分岐
●大休峠への上り
大休口の分岐から道の雰囲気が大きく変わり、いよいよ大山道の中でも最も険しい上り坂にかかります。谷筋から尾根筋に移るまでの300mほどの間はひたすらつづら折れの急坂で、その間に一気に約100mの標高を稼ぎます。参考までに大休口までの人工林区間は約500mの間で約60mの標高差で、その違いは明白です。それでも道としての姿ははっきりしていて、牛馬を連れた人々が歩くことを想定し、最も急なところでも約33%の勾配となるように道を整備したのではないかという気もします。

7138.つづら折れの坂が続く
尾根筋に出たところで標高は約860mとなり、その付近に石地蔵が残されているそうですが、日下平六の碑に続いてこちらも私は見逃してしまいました。いつしか周囲はブナの森に変わってきて、大山らしい美しい景色が楽しめます。

7139.ブナの森に変わる

7140.それでもしっかりした古道が続く
尾根に出ると勾配はやや緩やかになりますが、大休峠に向けてまだまだ上り坂は続きます。大休峠が近づいてくると大休峠に向かて右側に小さな水場があります。新しいパイプが取り付けられ、大休峠の避難小屋には「水場を確保しました」というメモがありましたが、水を貯める石自体は古そうなので、昔の人が利用していた水場を最近になって誰かが整備しなおしてくださったように見えます。

7141.森の中を上り続ける

7142.水場がある
●大休峠
道が平坦になると標高約1110mの大休峠に至り、森の中から大休峠避難小屋が見えてきます。久しぶりに見る建物は登山者等の避難を想定したもので、電気も水道も通っていない場所ながら、数十人が避難できるほどの立派な建物です。大休峠は一向平方面、川床方面の大山道に加え、野田ヶ山方面や船上山方面への登山道も集まる場所のため、このような避難小屋が整備されていますが、川床道が牛馬の道として現役だった時代にもここには小屋があったそうで、祭のときには茶店が出るとともに、一応ながら宿泊も可能だったそうです。

7143.大休峠避難小屋
大休峠→大山>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  野井倉=のいくら
    •  大休峠=おおやすみとうげ
    •  川床=かわどこ
    •  三朝=みささ
    •  南勝線=なんしょうせん
    •  明高=みょうこう
    •  加勢蛇川=かせだがわ
    •  一向平=いっこうがなる
    •  日下平六=くさかへいろく
          
  • ●関連ページ
    •  
          
  • ●参考資料
    •  鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書第十集 大山道」
          
  • ●取材日
    •  2020.8.19
    •  2021.4.21/11.5
    •  2024.10.25
▲ページトップ
出雲街道を歩こう > 大山道トップ > 川床道 野井倉→大休峠
inserted by FC2 system