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| 大休峠から大山へ |
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| <野井倉→大休峠 |
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●石畳
大休峠から下り坂に変わるとまもなく道は石畳となり、断続的ながらもその長さは1km以上に及びます。案内板は板がずれて読みにくくなっていますが、この石畳が造られたのは慶長年間(1596〜1615)だそうで、標高1000mを超える山道にもかかわらず、古い時代からこれほど大がかりな整備がなされていたことに驚嘆します。石畳が現在でもしっかりしていることにも驚かされますが、石が浮いてしまってかえって危ない状態となっているところもありますので、過信せずに足元に注意して歩くようにし、別の意味で驚くことがないようにしてください。 |
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7201.石畳が続く |
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7202.自然との調和も美しい |
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7203.危ないところもあるのでご注意を |
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| >拡大画像 石畳道の案内板 |
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| 川床道の最高地点である大休峠からは北西に向かって下っているため、場所によっては日本海側の眺めが開けます。木々に遮られがちではありますが、日本海、中海、弓浜半島、美保関、そして条件が整えば隠岐島と、大山周辺の山々では定番の眺めも、険しい峠を越えてきた先で見ると格別のものがあります。大休峠から1kmほど行くと石畳の整備率は下がってきますが、それでも同じような石の組み方で石段が造られているところもあります。 |
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7204.北西に眺めが広がる |
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7205.古い石段もある |
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| 中国自然歩道の道標がある香取分かれからは石畳もほぼなくなりますが、登山道としての整備は行き届いており、勾配も緩やかなので、大休峠までの上りに比べると歩きやすい状態です。香取分かれは大休峠から約2kmの地点ですが、標高はまだ1000mを切ったばかりで、ブナの美しい森が続いています。 |
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7206.香取分かれ |
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7207.ブナの森は続く |
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| 標高約900mの岩伏分かれを過ぎたあたりから阿弥陀川の谷への下りが本格化してきます。下っていくうちに植生も変わってきて、クマザサや低い木が目立つようになってきます。大休峠から概ね北西に下ってきた道が一時的に南に向くカーブではまた日本海方面を望むすばらしい眺めが楽しめます。 |
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7208.岩伏分かれ |
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7209.植生が変わってくる |
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7210.眺めがすばらしい場所も |
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| 前方の山に県道30号沿いに設置された崖崩れ防止の擁壁が見え、次いで眼下に阿弥陀川が見えると川床はもうすぐです。山道を下りきると川床木地屋橋で阿弥陀川を渡ります。大休峠から大山寺までの間ではここが標高の最も低い地点(約680m)で、ここからは再び上りに変わります。 |
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7211.阿弥陀川 |
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7212.川床木地屋橋 |
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●川床
阿弥陀川を渡って少し上り、久しぶりの舗装道路である県道30号赤碕大山線に出会う場所が川床です。県道30号はその路線名が示す通り山陰道の赤碕からの川床道の道筋を引き継いでおり、ここが川床道の要になっていますが、今は一軒の民家もありません。しかし、かつてはここに木地師の集落があったそうで、人工的な平地がいくつかあり、また、木地師のものと伝えられる古い墓も見られます。ところで、川床には登山者向けの駐車場があり、一向平キャンプ場と同様の案内板も設置されていますが、一向平の案内板とは道中の所要時間の案内が少し異なっているのが山道らしいところです。 |
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7213.川床 |
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| >拡大画像 中国自然歩道 川床〜一向平の案内図 |
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| 川床からは県道30号が大山寺につながっていますが、自動車向けのヘアピンカーブは古い道筋とは異なっており、カーブをショートカットするような山道が残っているところもあります。川床からはいったん短い山道を上り、県道に出るとまたすぐに斜め左の山道に入ります。県道も自動車の通る道路としては急な勾配ですが、それをショートカットする古道の道筋は大休峠ほどではないにしてもなかなかの険しさです。 |
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7214.山道は続く |
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7215.斜め左へ |
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7216.まだまだ道は険しい |
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| 川床からはまた100m以上標高を上げます。山道の途中ではだいせんホワイトリゾートのコースを横切ります。突如として現れる広い草地に道筋を見失いそうになりますが、川床方面から見て最初のコースは真正面に横切ると道の続きがあり、少し山道に戻った先に現れる次のコースでは斜め左に道が続いています。なお、この道は国土地理院の地図でも点線で描かれており、営業時でなければスキー場のコースを横切ることに問題はありません。 |
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7217.最初のコースは正面に道が続く |
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7218.次のコースは斜め左に道が続く |
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| だいせんホワイトリゾートは近畿地方以西では最大級のスキー場だけあって、県道30号に出てもしばらくはいくつかのコースを横切りながら進みます。だいせんホワイトリゾートは「海の見えるゲレンデ」を売りにするスキー場で、一方、ここに来て大山もようやくその姿をはっきりと見せてくれます。なお、県道沿いに設置された案内板によると、大山におけるスキー場の歴史は大正時代に博労座から始まっており、昭和12年(1937)頃には豪円山や中の原に広がっているそうで、スキー場の発展は牛馬市が終わりを迎える時期にその代わりとなる集客に努めた結果という見方もできそうです。 |
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7219.海側の眺め |
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7220.大山もよく見える |
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| >拡大画像 スキー場の歴史の案内板 |
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●豪円山
スキー場のコースが終わるあたりでは北に山が少し突き出しており、この山は大山寺中興の祖とされる豪円僧正の墓所があることから豪円山と呼ばれています。慶長16年(1611)、米子城主の中村氏と領地に関わる諍いがあった最中に亡くなった豪円僧正は米子城を望む場所に葬るよう遺言したと言われており、この山の人気展望スポットも「のろし台」です。大山寺からもすぐに上ることができ、このロケーションの良さから、武士の統治とは独立した勢力を持っていた大山寺にとっては非常に重視されていた山と言えます。 |
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7221.豪円山の入口 |
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| 豪円山の入口からは源盛坂遊歩道を下っていき、県道30号のカーブをショートカットします。これまで大山の自然を満喫してきた立場からすれば、遊歩道と呼ぶには物足りない道ですが、眼下に見える大山寺門前の集落が持つ現役の生活感に、終点が近づいたことの感慨を覚えます。 |
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7222.源盛坂遊歩道を下る |
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7223.大山寺の集落が見えてくる |
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| 現役の墓地の脇を抜けて県道30号に復帰すると、大山寺門前の街並みが始まり、まず入口に番所跡があります。門前の街並みは大山寺から博労座へ下っていく通りがメインとなりますが、途中で東へ分岐する道は宿坊通りと呼ばれ、現在もいくつかの宿泊施設が営業しています。写真7225の交差点では大山寺への道と博労座への道が分岐し、斜め右へ少し下っていけば博労座に到着します。 |
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7224.番所跡 |
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7225.大山寺は斜め左、博労座は斜め右 |
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7226.博労座に到着 |
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| <野井倉→大休峠 |
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- ●地名、人名等の読み方
- 慶長=けいちょう
- 美保関=みほのせき
- 隠岐=おき
- 阿弥陀川=あみだがわ
- 岩伏=いわぶし
- 豪円=ごうえん
- 源盛坂=げんせいざか
- ●関連ページ
- ●参考資料
- 鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書第十集 大山道」
- ●取材日
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