「出雲街道を歩こう」総合トップ > 大山道トップ > 岸本→大山
岸本から大山へ
大山の西、丸山にはかつて大山山麓地域を統治する代官所があり、その丸山を経由して大山に至る道筋が丸山道と呼ばれます。伯耆町のうち旧岸本町や、南部町、島根県安来市南部あたりの人々に利用されてきたと思われます。比較的地味なルートではありますが、道沿いには史跡も多く、大山に向かう道筋が多数存在していたことを象徴するような道です。
伯耆町の旧岸本町域には日野川の渡し場がいくつかあり、丸山道はその渡し場からスタートしていました。歴史の道調査報告書では3つの道筋が紹介されており、それらが丸山から大山に向かう一筋の道になっていきますが、当サイトでは伯備線の岸本駅をスタート地点とし、出雲街道を1.5kmほど南下したところにある吉定地区から大山道に入っていくルートでご紹介することにします。
岸本駅を南に出て県道326号を横断すると、歯科医院の脇から南に入る細道があり、それが出雲街道の道筋と思われます。国道181号に出るまでの間は路地裏の細道となっています。

4101.伯耆溝口駅

4102.旧出雲街道と思われる道
岸本バス停付近で国道181号に出ると、600mほど南の吉定交差点から県道36号が分岐します。これから概ねこの県道沿いを歩くことになりますが、ここは直進して南下を続けます。まもなく左側(東側)に牛馬安全供養塔が見られ、牛馬市への入口となる場所であることを感じさせます。さらにその先、4104の写真の地点では斜め左に分岐する道に入ります。もちろんこの道は出雲街道です。

4103.牛馬安全供養塔

4104.ここで斜め左へ
●吉定の常夜燈と道標
出雲街道と丸山道の交差点には文政4年(1821年)の常夜燈が残されていて、そこには「大山大智明権現」との文字も刻まれており、まさに主要都市間の街道と主要社寺への参詣路との交差点という感じがします。また、ここに道標はありませんが、さらに出雲街道を150mほど南下したところにある吉定公民館の前にはこの先通ることになる久古地区を示した道標が保存されています。元の設置位置はこの常夜燈の近くだったでしょう。

4105.大山大智明権現の常夜燈

4106.吉定公会堂
常夜燈の交差点から早速上り坂にかかり、瑞応寺を回り込むようにして県道36号に合流していきます。やや不自然な回り込み方なので、かつての道筋とは少し違っていそうですが、それでも古道の道筋を残していると思われる部分もあります。県道に出ると道は平坦になり、まもなく江戸時代の石造物も多く残っている大河原神社があります。

4107.瑞応寺

4108.大河原神社
米子自動車道の高架橋をくぐった先、4109の写真の交差点では直進となる集落内の旧道に入ります。吉定公会堂の前で見た道標が指す久古の集落で、鯉が泳ぐ池を持つような立派な古民家も多く残っています。

4109.久古の集落へ

4110.久古の集落内

4111.大山山麓では定番の鯉
久古の集落を出れば県道36号に復帰して坂道にかかり、次の番原地区に向けてまた一段標高を上げます。坂道の途中の北側には善福寺が、坂道を上り詰めたところの南側には植松神社があります。

4112.県道に戻ると上り坂

4113.植松神社
>拡大画像 植松神社の伝説と由緒
番原地区に入ると地形が一気に広がり、広大な田園地帯の向こうに大山がよく見えるようになり、次の真野地区に入った辺りには八郷郵便局や八郷小学校があります。現在も観光のメインルートとなっている尾高道(県道24号)や溝口道(県道45号)の沿線と比べ、丸山道(県道36号)は集落との距離が近く、沿線の生活感を感じやすいのが特徴です。八郷小学校の東には旧道が残っているので、4115の写真の交差点でいったん右折し、供養塔のある交差点をすぐに左折します。200m少々の短い旧道を抜けて県道に戻ると、幅員が狭くなっていて昔の道をそのまま引き継いだような雰囲気になっています。

4114.番原地区からは広い平地

4115.八郷小学校の東で右折

4116.供養塔のある交差点

4117.県道が狭くなる
●伯耆安綱伝承地碑
県道36号に戻り、大原地区に入ったところには「伯耆安綱伝承地碑」があります。中国山地が古代からたたら製鉄が盛んであったことは知られていますが、鉄の産地は同時に名刀を生み出す場所でもあり、平安時代に初めて反りのある形の日本刀を作ったのが伯耆国の大原という地の安綱という人物だと伝えられており、その一門が国宝や重要文化財として現存するような名刀を作り出してきました。実のところ、この大原がどこなのかは特定されておらず、伯耆国で大原という地名の場所にそれぞれの伝承があるようですが、ここは「太平記」に「会見郡」という記述があることが根拠となっている伝承地です。

4118.伯耆安綱鍛刀傳承之地
>拡大画像 大原古鍛冶発祥の地の案内板
県道36号の幅員は狭いまま大原の集落へ入っていきますが、古道としての道筋は集落内のさらに狭い道だと思われ、4119の写真の地点から家並みの間を通り抜けて大原神社の鳥居前に出ます。そのまましばらく集落内の道を進み続け、4122の写真の交差点を左折して県道に戻ります。

4119.斜め右で家並みの間の細道へ

4120.こんなところを通り抜ければ…

4121.現県道には背を向ける大原神社
 
4122.左折して県道に戻る
県道36号に戻れば吉壽小学校の跡に多くの石造物が保存されています。続いて4124の写真の交差点を右折して30mほど先に大原の道標があります。

4123.石造物が保存されている小学校跡

4124.右折すると道標
●大原の道標
大原の道標は「左 大山 右 やま 道」と刻まれています。この付近では右(東)に大山が見えるので違和感がありますが、冒頭に記したように、まずは丸山地区に入るのが昔の道筋です。ここでは古道そのものと思われる道筋も見えますが、草に埋もれてしまっているので、折り返して県道36号に戻ります。なお、現在の県道でも案内方は同じで、次の交差点で大山に向かう方向は右折ではありません。

4125.左 大仙

4126.現在の県道も同様
さらに県道36号を直進し続け、丸山の集落に入る手前で県道は右折となりますが、ここは直進します。この交差点には「大山無窮」と大書された石碑があります。丸山道の沿線は今でこそ広大な田畑が広がっていますが、農地の改良が行われたのは意外と新しく、完成したのは昭和62年(1987年)だそうです。県道と別れると古道らしい雰囲気に戻り、4129の写真の交差点を右折します。

4127.丸山には直進

4128.大山無窮の碑

4129.ここで右折
●丸山
丸山は代官所が置かれ、大山山麓の拠点となっていた場所です。現在は寂れた雰囲気ですが、その家並みは「街並み」と表現できるような形をしています。代官所跡も石碑が残るのみですが、地域で歴史を保存する取り組みが行われており、要所要所に案内看板が建てられていて、かつての繁栄を想像させてくれます。

4130.丸山代官所跡の碑

4131.丸山の街並み

4132.空き地にも歴史が残る
>拡大画像 丸山代官所跡の案内板
●丸山からの大山道
丸山の集落を出たところで「左 大山」という大きな道標と常夜燈があり、道標に従って左折します。この近辺の県道36号沿いには観光施設も見られるようになってきますが、この付近の古道はほぼ昔のままの姿を残しています。この付近では大山もよく見え、あまり長い距離ではないとは言え、丸山道では最も大山道らしさを感じられる場所です。

4133.左 大山

4134.左折で古道の道筋へ

4135.大山道らしさがよく残る
4136の写真の交差点では古道の道筋は直進ですが、道が続かないので右折して県道36号に戻ります。あまり意識しないほど緩やかな上りが長く続いてきましたが、ここからは山も深くなってきてアップダウンが多くなります。

4136.ここで右折

4137.県道に戻って左折
●地蔵滝の泉
県道36号に戻ったところから200mほどで「平成の名水百選」に選定された地蔵滝の泉が案内されます。現在では県道から下っていくことになりますが、かつての丸山道は泉のすぐ側を通っていました。昭和34年(1959年)の伊勢湾台風に伴う豪雨災害までは滝もあったそうで、脇の地蔵堂とともに、まさに「地蔵滝の泉」という姿だったそうです。現在も水は豊かに湧いており、冷たくて透明度の高い泉が大山に向かう旅人の憩いの場所になっていることに変わりはありません。

4138.地蔵堂の脇に豊かな泉

4139.透明度が高く冷たい水

4140.今も地元の重要な水源
>拡大画像 地蔵滝の泉の案内板
県道36号に戻って丸山橋で佐陀川を渡り、しばらく県道を北東へ進みます。伯耆町から大山町に入る手前では丸山道と見て間違いなさそうな道が東に分岐しているのが確認できますが、少し進むと草木に埋もれてしまって通り抜けできないので、ここからは迂回して進むことになります。

4141.丸山橋を渡る

4142.古道の道筋が右に見えますが…

4143.通り抜けはできません
4144の写真の交差点を右折して県道24号(尾高道)の一本南の道を東へ進みます。単に大山を目指すのならもう尾高道に合流してしまっても良いようなものですが、せっかくなので後述する分の茶屋跡付近で尾高道に合流するという形にこだわらせていただきます。迂回コースのため丸山道の道筋ではありませんが、後方の眺めも良くなってきて気持ちの良い道です。丸山道の道筋に戻るため、4147の写真の交差点をまた右折します。

4144.ここで右折

4145.前方に大山

4146.後方に日本海や島根半島

4147.また右折
4148の写真の地点で左折すれば丸山道の道筋に戻ります。ここから先の道沿いに史跡は見当たりませんが、尾高道の県道24号を歩くよりも大山がよく見え、交通量の少ない道をゆっくり歩くことができます。

4148.左折で丸山道に戻る

4149.眺めが良く歩きやすい道
右前方に大山を見ながら観光農園や別荘地が点在する中を道なりに進み続け、4150の写真の交差点を左折して県道24号(尾高道)に合流します。県道24号はかつて有料道路だった幹線道路ですが、道沿いには一丁地蔵が保存されています。

4150.ここで左折

4151.県道24号に合流

4152.一丁地蔵
●分の茶屋跡
4151の写真の交差点を右折すればまもなく分の茶屋跡で、文字通りかつての尾高道と丸山道の分岐点であり、茶屋もあった場所でした。大きな供養塔と由来塔のほか、道標も保存されており、文字は読み取りにくくなっていますが「左 やわた 右 をだか」と思われます。やはり通り抜けはできないのですが、丸山道の古道も短区間ながら草が刈られていて、かつての分岐点であったという雰囲気だけは現在も保たれています。

4153.分の茶屋の道標

4154.供養塔と由来塔

4155.丸山道の道筋も残る
>拡大画像 分の茶屋跡の案内板
この先、大山博労座までの残る約3kmは尾高道と重複するので簡単なご紹介とさせていただきますが、県道24号は路肩が未舗装の状態で広く取られ、一丁地蔵も保存されているので、単調な幹線道路ながらも歩きやすい道です。尾高道と坊領道を分ける別れの道標と地蔵を見ればまもなく大山寺の門前町で、かつて日本最大の牛馬市が開かれていた博労座駐車場に到着します。

4156.一丁地蔵が保存された県道

4157.別れの地蔵と道標

4158.博労座駐車場に到着
大山山内(大山寺、大神山神社奥宮方面)への続きは横手道の「御机から大山へ」のページをご覧ください。
▲ページトップ
inserted by FC2 system