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内海乢から御机へ
内海乢から鳥取県最初の集落である下蚊屋までの間、山を削って極めて近代的な道路に整備された国道482号バイパスに対し、現道はカーブを繰り返しながら下っていきます。一方、古くからの大山道の道筋はそのどちらとも大きく異なり、県境で山道を抜けた地点付近から直線的に下り、下蚊屋の集落に南から入っていく形になっていました。その方が明らかに距離は近いのですが、勾配はものすごいものだったでしょう。どこかで国道を横断しているはずなので、その痕跡を探してみますが、6102の写真の地点で道が異様に広くなっているのがかつて別の道があった名残かと想像できる程度で、それも確実にそう言えるものではありません。

6101.カーブを繰り返して下る
 
6102.道が異様に広い理由は?
下蚊屋に下っていく途中にはそれなりに広い平地があり、田園が広がっています。その平地の最後にヘアピンカーブの付近には谷底に下蚊屋の集落、写真では霞んでいますが、その向こうに大山と烏ヶ山が見える展望スポットがあります。大自然が作り出した雄大な風景、狭い谷の古くからの集落、そこを貫く国道バイパスと、大山道沿線の自然と歴史を凝縮したような眺めです。

6103.途中に平地が
 
6104.眼下に下蚊屋、遠くに大山
急カーブを繰り返しながら下り続けるので、方向感覚がおかしくなってしまいそうですが、国道482号は北から下蚊屋の集落に入っていくこととなり、大山道の道筋とは正反対になっています。

6105.まだまだ曲がる、下る
 
6106.北から下蚊屋へ
●下蚊屋
下蚊屋では東の山沿いの通りに宿場町型の街並みが形成されています。大山道の宿場町として繁栄したことや、江府町の中心地である江尾よりも岡山県の旧川上村域(延助、郷原、上福田など)の方が近いことの影響もあって、岡山県の文化的影響を受けた集落で、鳥取県指定の無形民俗文化財に指定されている荒神神楽も岡山県の神楽から生まれたものです。また、郷原でご紹介した木地師の集落でもあり、家の表札を見ても、木地師に多い名字の家が大半を占めます。大山道を介したこれらの歴史・文化が評価され、下蚊屋は日本遺産を構成する文化財の一つとなっています。

6107.下蚊屋の街並み
 
>拡大画像 下蚊屋の荒神神楽の案内板
さて、県境から下蚊屋への大山道は失われてしまっていますが、南から下蚊屋に至る道筋を行ける限り辿ってみます。下蚊屋の街並みがある東の道が終わる付近から南の墓地の方へ上っていく道があり、それが古い道筋と思って付近で立ち話をしていた80歳くらいの女性二人に声をかけてみると、やはりその通りでした。「昔の道はここから『そら』の田んぼの方に行っていた」「去年『そら』の方から下りるのに通ってみたら、戻るにも戻れなくなって大変だった」(『そら』=山の上)とのことで、昔からの道筋がわかっている人でも通過困難な状態になっているそうですが、道は古老の記憶の中に生き続けています。そして、この女性は「子どもの頃、歩いて大山に行ったことがある」そうで、「今の道路とは全然違って、『そら』の方の山道をずっと歩いた」そうです。「奥大山古道ウォーク」で歩いたあの道筋と思われ、今、そのようなイベントが開催され、大山道が復活しつつあることにも喜んでおられる様子でした。私としても、大山道を歩いて大山に行った最後の世代から貴重なお話をお聞きすることができ、これほどうれしいことはありませんでした。

6108.左が古い道筋
 
6109.古道沿いの六地蔵

6110.この先は通れそうもない
 
かつての大山道は南から下蚊屋に入り、北に出ていたため、来た道を引き返して下蚊屋の集落を出ます。集落の北端には明神社があり、ここには「下蚊屋明神のサクラ」と呼ばれる鳥取県指定の天然記念物のエドヒガンの巨木があります。そのすぐ東にある道が大山道だと思われますが、少し行くと草に埋もれてしまっています。

6111.下蚊屋の明神社
 
6112.旧道らしき道はすぐにこの状態に
>拡大画像 下蚊屋荒神のサクラの案内板
古い道筋をこれ以上進むのは無理なので、現在の道路を北上していきます。谷底の下蚊屋から『そら』にある笠良原方面へ上っていく道は2つのヘアピンカーブで一気に標高を稼ぐ道ですが、自動車の走る道路としてよく整備されています。近年の笠良原は大手飲料メーカーのヒット商品であるミネラルウォーターの採水地を筆頭に、豊かな自然環境と広い土地を活用した「新しい産業の生産拠点」として脚光を浴びているため、この道路には大型トラックの交通量が多くなっています。歩道はありませんので交通安全には十分注意してください。

6113.大山山麓の「産業団地」へ
 
6114.国道並みの道を上っていく
道路が整備された結果か、古道が草木に埋もれてしまったせいかわかりませんが、古くからの大山道の痕跡も判然としないまま上っていくと笠良原に至り、蒜山における鳩ヶ原と同じように広い平地が広がります。鳩ヶ原とは違って水田もあり、ミネラルウォーターの採水地だけあって川がなくとも水は豊富であることを感じさせます。笠良原の集落に至るよりも前に6116の写真の地点で左折します。

6115.左に行くのも一つの手
 
6116.ここを左へ
●笠良原の道標地蔵
6116の写真の交差点には「左ハ大せん 右ハくらよし」の道標地蔵があります。広い平地の中にポツンと佇む地蔵ですが、この地蔵がなければ、どこで左折してよいのかもわからない状況なので、旅人にはとてもありがたい道標であったことでしょう。写真では雲に隠れていますが、大山や烏ヶ山がよく見える地点でもあるので、大山道の中でも絵になる道標地蔵と言えます。

6117.道標地蔵
 
道標地蔵を左折すると細い農道に入りますが、舗装はすぐに途切れます。道筋もややわかりにくいですが、真西に進むイメージで進んでいきます。

6118.ここはまっすぐ
 
6119.左にカーブ
笠良原は住所には現れない地名で、この付近はすでに御机地区に入ってますが、ここから御机までは谷へ下り、峠を越え、もう一度谷に下り、また上るという過酷な道のりです。山道を少し進むとつづら折れの道で急傾斜を一気に下っていきます。「奥大山古道ウォーク」のために「奥大山古道保存協議会」の皆様が整備してくださっているので、歩くのに問題はない状態ですが、多くの牛馬が往来した古道とは思えないほど細くて急峻な道です。

6120.山道に入る
 
6121.かなりの急傾斜をつづら折れで下る
●細谷川
下りきると細谷川が行く手を遮ります。細谷川にはほとんど側方侵食がなく、下方侵食しかしていないので、文字通り極めて細い谷しか作っておらず、下蚊屋で本谷川から分かれてから源流までの流域には集落が一つもありません。これは大山山麓の地形の特色を典型的に示すもので、結果的に尾根に広がる笠良原や御机の高原の方が、下蚊屋などの谷の平地よりはるかに広くなっています。その細谷川を渡らないと先には進めませんが、現代の道としてはまったく利用されていない道なので、橋などというものは存在せず、岩伝いに歩いて渡ることになります。幸いにしっかりした大きな岩が歩幅程度の間隔で並んでいるところがあります。おそらく昔の人がそんな場所を選んで川を渡ることにしたのでしょう。一度くらいはそんな珍しい体験をするのも楽しいものですが、万一こんなところでケガをしてしまってはどうしようもありませんので、足元にはくれぐれも注意するとともに、ここを訪れるときは雨天時や雨上がりを避けるようにしてください。

6122.細谷川
 

6123.このへんを渡ろう
 
細谷川を渡ると、今度はつづら折れの道を上っていきます。左岸に比べれば道は少し良く、人工的に造られた道であることもわかりますが、それにしてもすごい急傾斜であることは変わりません。西に進んでいますが、現実には北に歩いて左に曲がり、南に歩いて右に曲がることの繰り返しです。

6124.また急傾斜をつづら折れで上る
 
6125.それでも人工的な道です
上り詰めるとわずかな平坦地があり、さらに少し上ると峠に至ります。ここには地蔵が残されており、最近までほとんど忘れ去られてしまっていた古道を今も見守り続けています。

6126.少し平坦になる
 
6127.峠の地蔵
峠を越えるとやや道が悪くなり、足を取られそうな石が多く転がっていたり、雨上がりでなくてもぬかるんでいる場所もありますので、転んでケガをしたりしないよう引き続き注意が必要です。基本的に道らしい道は1つしかありませんが、唯一、6129の写真の地点だけは注意が必要で、右にも道があるように見えますが、直進が正しい道です。集落はもちろん、自動車が通る道路からも遠く離れていますので、ケガをしたり、道に迷ったりすることのないように注意してください。「奥大山古道ウォーク」に参加するか、準備万端整えてから複数人で訪れるのが良いです。

6128.道がやや悪くなる
 
6129.ミスコースにも注意
久しぶりの人工林が登場すると、トラックでも通行可能な新しい作業道に出会います。その作業道を横断し、大山道は引き続き細い山道を下っていきます。

6130.人工林が登場
 
6131.新しい作業道を横断
さらに下り続けると、普通に歩いて渡れるようなごく小さな沢を渡ります。この沢は「ショウガの刀水」と呼ばれ、昔、侍が人を斬った刀をここの水で洗い、それからこの水を飲んだ人はひどい腹痛になってどうしても治らなかったという伝承があります。その伝承の真偽はともかく、「ここの水を飲んではいけない」という昔の人なりの注意喚起であるとは言えるでしょう。

6132.まだまだ下る
 
6133.ショウガの刀水
長い下り坂を下りきると、丸太を並べた橋で美用谷川を渡ります。この川も細谷川と同様、ほとんど下方侵食しかしていない川なので谷に平地はなく、またすぐに上り坂になります。御机の集落が近づいてきており、久しぶりに明るい雰囲気の道になります。

6134.美用谷川を渡る
 
6135.明るくなった道を上る
坂道を上り詰めたところでアスファルト舗装に道に出ます。この地点では久しぶりに大山がよく見えますが、その姿はかなり大きくなってきています。

6136.ここは右(北)へ
 
6137.大山が大きくなってきました
少し北上すると、県道315号に出ます。この県道は下蚊屋から江尾へ下る途中にある宮市地区で国道482号から分岐しており、下蚊屋から御机に向かうには南西にかなり迂回しています。一方、笠良原から県道45号に入る方法もありますが、それでも北東にかなり迂回しており、これまで歩いてきた山道はあれほど険しいと言っても間違いなく最短ルートです。県道に出るとまたすぐに左折して御机の集落に入っていきますが、大山だけでなく、それぞれ個性的な形をしているそれ以外の山々もよく見えます。沿道には六地蔵と三界萬霊塔、五輪塔なども見られます。

6138.右折してすぐ左折
 
6139.六地蔵と三界萬霊塔

6140.大山の撮影スポット多数
 
6141.それだけじゃありません
●御机の茅葺小屋
御机の集落に入る寸前で少しだけ西に入ると、大山山麓でも屈指の撮影スポットとなっている茅葺小屋があります。これは御机に唯一残されていた茅葺屋根の小屋を地元住民と県外からもやってくるというボランティアが協働して守り続けているものです。私が訪れたときはちょうど修繕作業中で、大山にも雲がかかっていたために本来期待される姿は見られませんでしたが、逆に御机のこの風景を愛する人達の思いがよく伝わってきました。

6142.大山と茅葺小屋
 

6143.茅葺小屋は修繕作業中
 
●御机
御机は大山のかつての火山活動によってできた台地上の集落で、完全な平地はありませんが、緩やかな坂道沿いに集落が形成されています。また、ここは江戸時代には大名に支配されていた領地ではなく、大山寺の領地でした。郷原や延助、下蚊屋と同様、大山道の宿場としても利用されてきた集落ですが、それらの村とは少し雰囲気が異なるように感じるのは、地形や歴史の違いによるものと言えるかもしれません。集落の中央付近には文政8年(1825年)に建てられた常夜燈があり、そこを斜め左に入ると御机神社があります。案内板に記載されているように、後醍醐天皇の伝承もあり、木地師の集落としての性格も持っていました。まさにこの周辺地域の特色を凝縮したような集落であると言えます。

6144.御机の中心部
 

6145.緩やかな坂道沿いの街並み
 
6146.常夜燈

6147.御机神社
 
6148.川はなくても水路はある
>拡大画像 御机の案内板
「地域の皆様とともに」コーナーの「奥大山古道ウォーク2016」もあわせてご覧ください。 
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●地名、人名等の読み方
 ・御机=みづくえ
 ・下蚊屋=さがりかや
 ・笠良原=かさらばら
 ・美用谷川=みようだにがわ

●参考資料
 小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」 
取材日:2017.6.22/2017.10.10
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