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御机から大山へ
御机の集落を北西方向に出ていくと、新しい広域農道に入ります。そのすぐ先で昔の道と思われる斜め左への分岐がありますが、道が荒れているうえ、その先の船谷川を渡る橋もないので、ここは無視して広域農道を歩き、船谷川を渡ります。

6201.北西方向に出ていく
 
6202.広域農道へ

6203.昔の道は左?
 
6204.船谷川を渡る
船谷川を渡ると6205の写真の地点を右折してまた山道に入ります。ここには「入山禁止」との看板があり、入るのをためらいますが、ニュアンスとしては「道をそれて山の中に入ることを禁止する」「野草等の採取を禁止する」というようなものであり、道自体に入らせないようにしているように立っているわけでもないので、古道歩きで道を通行するのは構わないと判断して構わないでしょう。もちろん、そのような看板が立てられている理由を考え、マナーを守って歩かなければならないことは言うまでもありません。

6205.ここを右折
 
6206.「入山禁止」
入口付近だけ少し道が悪いですが、すぐに普通の山道となります。しばらく行くと地下水利用のための設備も見られます。先述したように、御机地区では谷ではなく台地上に集落がありますが、目に見えるような川のない台地上においても広い水田がありました。豊富な地下水を活用するためのこのような設備を造り、水の利用に不便がないように工夫された結果と言えるでしょう。

6207.普通の山道
 
6208.豊かな地下水を活用
山道の途中、6209の写真の地点では本来の大山道の道筋は直進する形だったと想像できます。しかし、「奥大山古道ウォーク」においてもここではいったん広域農道に出るコースを歩くようになっていて、6209の写真の地点から直進する道は整備されていませんので、ここは左折して広域農道に出るように歩きましょう。ちなみに船谷川を渡ってから再び広域農道に戻るまでの間、広域農道は大きく南に迂回していて、ここでも昔の道の近さを実感できます。

6209.左へ迂回
 
6210.再び広域農道
●御机の道標
広域農道を100mほど行くと、山道の入口に移設された道標や地蔵が並んでいます。道標には「右 大山道」と大書されているのに対し、側面の「左 大川原」は小さく書かれています。現在では御机や大河原など江府町北部の集落を結ぶ広域農道に古道が接続している形ですが、かつては大山道の方がメインの道で、現在の広域農道に引き継がれている道筋はローカルなものであったことがわかります。

6211.移設された道標等
 
●米金井手
大山道道標からまた山道に入ります。最初だけは軽トラックが通行可能な道になっており、それが尽きるところに丸太を並べた橋がかかっています。橋の下に水は流れておらず、現在は利用されていませんが、ここは明治時代に建設された「米金井手」の跡です。大山南麓の各集落を東西に結ぶ全長約20kmの水路で、地域の水田開発に大きな役割を果たしました。この場所でも石垣が築かれているのを見ることができます。

6212.米金井手の跡
 
米金井手の跡を渡ると、ほとんど人の手が入っていない森の中を進んでいきます。鍵掛峠に向けて少しずつ上っていきますが、笠良原から御机までとは違って、緩やかな勾配です。ほぼ北に向かう一本道ですが、たまに他の道が分岐していて、6214の写真の地点では左の道に進みます。

6213.美しい山道
 
6214.ここは左の道へ
●大山山麓の森
御机の集落の標高は約610m、鍵掛峠の標高は約910m。私は植物についてはほとんどわからないので、「奥大山古道ウォーク」のときにガイドリーダーの方に教わったことの受け売りになりますが、上っていくにつれて森の植生も変わっていきます。御机周辺ではクリやコナラの多い森となっているのに対し、標高800mを過ぎた辺りからはミズナラ、次いでブナの木が増えてきて、鍵掛峠に近づく頃には、西日本では珍しいブナの森が広がります。植物に詳しくなくても少しだけ注意して見れば、明らかに違いを見分けることができます。

6215.奥大山のブナの森
 
美しい森の道を抜けると、大山環状道路(県道45号)に出て、まもなく鍵掛峠に到達します。県道との接続部分だけは草が刈られておらず、メジャーな観光スポットのすぐ側だけにマナーの悪い観光客が入ってきにくいように道を隠してあります。笠良原から鍵掛峠までの間には歩行困難なほど草が生い茂った場所はなく、一方で貴重な自然の保護にも十分に配慮された形で道が整備されています。これは「奥大山古道保存協議会」の皆様のご尽力の賜物であり、もし江府町域の大山道を訪れる際には、その活動に感謝しつつ、マナーを厳守しながら歩いていただくようにお願いいたします。

6216.県道との接続部分
 
6217.大山環状道路へ
●鍵掛峠
鍵掛峠には隠岐に流される後醍醐天皇がここを通り、木の枝に杖を掛けて再興を祈ったという伝承があり、その後ここを通る旅人がその故事にちなんで木の枝を折って掛けるようになったので、鍵掛峠と呼ばれるようになったと言われています。現在では数ある大山のビュースポットの中でもナンバーワンと言ってよいほどの絶景スポットとして人気を集めており、再び鳥居乢で用いた幼稚な表現をすれば、大山が「どどどーん」と大きな姿で登場します。かつての大山道の峠とは少し場所が変わっているそうですが、峠の地蔵もここに移設されています。また、この場所には駐車場とトイレが整備されていて、ひたすら山の中を歩く南からの大山道の終盤戦では貴重な休憩ポイントでもあります。

6218.鍵掛峠
 

6219.峠の地蔵
 
鍵掛峠からは古道が失われてしまっているので、大山環状道路を歩きます。鍵掛峠の絶景、沿道のブナの森などを通過していくこの道は、やはり中国地方ではナンバーワンと言ってもよいほどの人気ドライブルートです。しかし、歩道は全く設置されておらず、見通しの悪い急カーブも多くあります。それだけの人気ドライブルートだけに道に不慣れな県外の車も多く、また、たまにこんな道で「やんちゃな運転」をして喜んでいるような車やバイクもいますので、交通安全にはくれぐれもご注意ください。

6220.しばらくは県道ウォーク
 
6221.全国的人気のドライブルート
鍵掛峠から1.2kmほどで、三の沢を渡ります。地表に水の流れていない沢ですが、大山は現在もしばしば崩落が起きる山であるため、沢には土石流の危険性があり、階段状に新しい砂防ダムが設けられています。

6222.三の沢
 
6223.急な災害に備える
●文殊堂
三の沢を過ぎたあたりが岡山県方面からの大山道の最高地点で、標高は960mに達します。ここには赤い文殊堂があり、大山が女人禁制であった時代にはここが女人遥拝所になっていました。「牛馬の道」という観点で見逃せないのはすぐ南に広場があることで、ここは牛の休憩場所として利用されていました。現在では周辺を散策する観光客の駐車場として利用されています。

6224.文殊堂
 

6225.「文殊堂パーキングエリア」
 
>拡大画像 大山森林生態系保護地域でのお願い
>拡大画像 大山森林生態系保護地域の植生の案内板
大山環状道路は文字通り大山を取り囲む環状道路で、大山の南にあたる鍵掛峠から江府町、大山町、伯耆町の町境付近を西へ進んでいきます。二の沢を経て一の沢に至る頃には大山の見え方もかなり変わってきます。

6226.一の沢
 
6227.大山の見え方が変わってきました
一の沢を過ぎると標高も900mを切り、周囲に人工林も見られるようになってきますが、この付近では天然林を再生するための活動が行われています。伯耆町に入り、6229の写真の地点で斜め右に道が分岐しています。鍵掛峠からかつての大山道の道筋は姿を消していましたが、ここからは「横手道」と呼ばれる昔の道筋がそのままに残っています。

6228.伯耆町に入る
 
6229.右が横手道
>拡大画像 天然林へ誘導する施業技術試験地の案内板
横手道は日本遺産を構成する史跡の一つで、ウォーキングイベント等も開催されていることもあって、きれいに整備されています。また、標高は870m程度で安定していて、急坂もなくとても歩きやすい道です。場所によっては眺めも開け、大山山麓らしい地形を堪能することもできます。

6230.ほぼ平坦で歩きやすい
 
6231.眺望が開ける場所も
●桝水高原
大山のほぼ真西にあるのが桝水高原で、横手道は桝水高原スキー場の上を通過します。10月頃のススキに埋め尽くされた景観も見事ですが、伯耆町や米子市方面の眺めもすばらしく、米子市街や日本海も見えています。この眺望のすばらしさからスキー場のリフトはシーズン以外も動いていて、大山山麓の観光スポット、そしてデートコースとしても人気を集めており、「恋人の聖地」となっています。

6232.スキー場はススキの原
 

6233.恋人の聖地
 
●横手道の一丁地蔵
桝水高原のリフトの上に「十八番」の地蔵があります。これは一丁ごとに設けられた地蔵の一つで、桝水高原からはほぼすべての地蔵が現存しています。まさに「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」を象徴する史跡で、一つ一つ数字が減っていくごとに一歩一歩大山寺が近づいてきていることがよくわかるラストコースのカウントダウンです。

6234.一丁地蔵
 

6235.十八番
 
6236.十七番
桝水高原からも平坦な歩きやすい道は続きます。これまでの大山道は険しい道が多かっただけに、現在のキロポストにあたる一丁地蔵が設置されていることも含め、大山寺の近くは当時としては破格の道路整備が行われていると感じます。八番の地蔵がある6238の写真の地点には案内看板があり、横手道は右を指していますが、一丁地蔵は左の溝口道の方に続いているので、左へ進みます。

6237.雰囲気はずっと変わらない
 
6238.一丁地蔵は左に続く
>拡大画像 横手道の案内板(一丁地蔵等の案内)
●桝水分かれの道標
八番の地蔵から左に下っていくとすぐに桝水分かれの道標があります。天明8年(1788年)に建てられたこの道標は「左 ゑび みづくゑ道 右 みぞ口 二ぶ道」と刻まれています。左はこれまで辿ってきた岡山県方面からのメインルートである横手道であり、右は溝口へ至る溝口道です。溝口道は「出雲街道の道のり」でもご紹介した溝口の大山道道標に至り、根雨や二部、溝口という日野郡の出雲街道沿線からは溝口道がメインルートとなっていました。

6239.溝口別れの道標
 
>拡大画像 横手道の案内板(桝水分かれの道標等の案内)
桝水分かれの道標のところで、県道158号となった大山環状道路に出ます。観光地である桝水高原と大山寺の間でも相変わらず歩道はありませんが、一丁地蔵は道沿いに続きます。桝水別れの道標から500mほどのところには、三輪平太の墓などの石造物が集まっています。

6240.いったん県道へ
 
6241.三輪平太の墓など
>拡大画像 三輪平太の墓の案内板
三輪平太の墓付近には旧道らしき道があり、さらにそこから分かれる細道に入れば、大神山神社の石の大鳥居があり、側には地蔵がたくさんあります。神社なのに地蔵というのは不思議な感じに思えますが、大山寺は明治の神仏分離までは神仏をともに祀る神仏習合の場所でした。

6242.この細道に入ると
 
6243.石の大鳥居

6244.お地蔵さんがたくさん
 
>拡大画像 横手道の案内板(石の大鳥居など)
大山環状道路をさらに進んでいくと大山夏山登山口の前を通り過ぎ、さらに大山寺橋で佐陀川を渡ります。写真には写っていませんが、ここも大山ビュースポットの一つです。

6245.大山寺橋を渡る
 
6246.ここも大山ビュースポット
大山寺橋を渡れば、旅館や土産物店などが並ぶ門前町に入ります。大山の日本遺産指定や登山ブームを受けて生まれ変わろうとしている最中のようで、施設のリニューアルなどの工事が行われている箇所が目につきます。6248の交差点では、右方向に上っていくと大山寺や大神山神社奥宮に至りますが、左折して先に牛馬市が開かれていた博労座に向かいます。

6247.門前町に入る
 
6248.博労座は左、大山寺は右
●大山博労座
門前町の端には大山の自然や歴史を紹介する大山自然歴史館や、登山や観光に関する情報が入手できる大山情報館(リニューアル中)といった施設がありますが、その一段下の広大な駐車場が牛馬市が開かれていた博労座で、現在でも「博労座駐車場」という名前で親しまれています。日本一の牛馬市が開かれていただけあって非常に広い駐車場ですが、現在は案内看板の一つも設置されておらず、ここを牛馬が埋め尽くして、大いに賑わっていた様子は想像するしかありません。

6249.博労座駐車場
 

6250.大山自然歴史館
 
6251.大山情報館
>拡大画像 大山寺地区散策コース
博労座から大山寺や大神山神社奥宮に向かう参道はかなりの急坂で、山岳信仰の聖地らしさを感じます。参道で目立っているのはやはり地蔵です。

6252.急な参道
 
6253.目立つのはやはり地蔵
大山寺の山門前に至ると、左に大神山神社奥宮の参道が分岐し、大山寺には直進の石段を上っていきます。山門前に「牛魂碑」もあります。

6254.大山寺山門
 
6255.牛霊碑
●大山寺
大山寺は地蔵菩薩を本尊とする寺院で、江戸時代までは領地や僧兵を持つ大規模な寺院で、牛の産地であるこの地域にあること、万物を救う地蔵菩薩を本尊とする寺であること、大山寺が牛馬の守り札を配ったこと、参詣の人々を多く集めていること、大山寺自体が独自の勢力を持っていることなどが大山牛馬市の発展の要因となりました。明治の神仏分離によって本殿は大神山神社奥宮となり、寺は現在位置の大日堂に移ったことで、寺院としての勢力は衰退することになりましたが、それに関わらず地蔵信仰に育まれた大山牛馬市は牛馬に頼る時代が終わりを告げるまでの間、発展を続けました。境内には願いを念じながら撫でるとその願いが叶うという「撫で牛」もあり、これは岡山県の宗教団体から寄贈されたものだそうです。

6256.撫で牛
 

6257.本堂(大日堂)
 
●大神山神社参道
大神山神社に向かう参道は日本一長い石畳の道です。森の中を緩やかに上っていく坂道はまさに山岳信仰の聖地へ向かうのにふさわしい神々しい雰囲気があります。また、参道の脇には吉持地蔵などの地蔵が点在しており、やはりかつての神仏習合の時代の名残を感じます。

6258.石畳の参道
 

6259.吉持地蔵
 
>拡大画像 吉持地蔵の案内板
●大神山神社奥宮
長い参道を経て辿り着いた大神山神社奥宮の社殿は権現造の堂々たるもので、国の重要文化財にもなっています。もちろん、文化2年(1805年)に建設された当時から先述した神仏分離が行われるまでの間は大山寺の本殿でした。なお、大神山神社の本社は米子市方面からの大山道である尾高道の近くにあります。

6260.大神山神社奥宮
 
>拡大画像 大神山神社奥宮の案内板
「地域の皆様とともに」コーナーの「奥大山古道ウォーク2016」もあわせてご覧ください。 
<< 内海乢から御机へ
●地名、人名等の読み方
 ・米金井手=べいきんいで
 ・鍵掛峠=かぎかけとうげ
 ・桝水高原=ますみずこうげん
 ・三輪平太=みわへいた
 ・大神山神社=おおがみやまじんじゃ
 ・佐陀川=さだがわ
 ・博労座=ばくろうざ
取材日:2017.10.10
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