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御来屋から所子へ
大山道のうち、北の山陰道に接続するのが坊領道で、主として鳥取県沿岸部の人々が利用していたと考えられます。当サイトでは山陰道の宿場町もあったという大山町(旧名和町)の御来屋をスタート地点にし、大山道の道筋以外のことも含めながらご紹介いたします。
御来屋駅は山陰最古の駅舎を持つ駅です。山陰における鉄道は明治35年(1902年)に境駅(現在の境港駅)から米子駅を経てこの御来屋駅まで開通したのが始まりで、御来屋駅では当時からの駅舎が今も現役です。駅舎内部にはその歴史を紹介するパネル等が設置され、また、「みくりや市」として地元の農産物や海産物の直売所にもなっており、無人駅となった現在でも地元で大切に使用されています。

6601.御来屋駅

6602.山陰最古の駅舎が現役
>拡大画像 御来屋駅の案内板
御来屋駅からまずは東に出て、少し逆戻りする形で山陰道を目指します。踏切を渡って少し南下し、6604の写真の交差点で交差するのが山陰道の道筋で、ここを右折します。

6603.山陰本線を渡って南下

6604.右折で山陰道へ
●大山道道標
山陰道に入れば左にため池があり、池を過ぎたところで斜め左への分岐がありますが、そこには文化4年(1807年)の道標があります。「左 大せん道」とわかりやすく大書された道標で、もちろんここで分岐する道も大山道(坊領道)の一つではありますが、あえてこの道には入らず山陰道をそのまま進みます。

6605.大山道道標
山陰道を500mほど西へ進み、坂道を上ってみどり区公民館前交差点を右折、今度は坂道を下って跨線橋で山陰本線を渡ります。古道の雰囲気はほとんどありませんが、概ね山陰道の道筋を辿っていることになります。

6606.みどり区公民館前交差点を右折

6607.跨線橋で山陰本線の北に戻る
山陰本線の北に出るともう一本北の道に出て左折、御来屋駅西入口交差点で国道9号を横断します。緩い坂道を下り、突き当たりを左折すれば御来屋宿の街並みに入っていきます。

6608.御来屋駅西入口交差点

6609.左折で御来屋宿へ
●御来屋宿
御来屋宿に入り、最初に目に付くのが「元弘帝御着船所」の碑が立つ家で、さすがに当時からの家が残っているわけはありませんが、隠岐から戻った後醍醐天皇が最初に匿われた家だとされています。また、御来屋宿は山陰道の宿場町として栄えてきただけあって現在も宿場町型の街並みが形成されていますが、当サイトでご紹介している出雲街道や大山道の宿場町とは少し雰囲気が違って見えるのは日本海に面した漁港の町でもあるからでしょう。大山道の宿場ではありませんが、大山周辺の地域らしく、牛馬市も開かれていたそうです。

6610.元弘帝御着船所

6611.御来屋宿の街並み

6612.ここは漁港です
●後醍醐天皇御腰掛岩
「元弘帝御着船所」の碑のすぐ西側から海岸に出ると、漁港の一角に「後醍醐天皇御腰掛岩」があります。文字通り隠岐から名和の湊(御来屋港)に到着された後醍醐天皇が腰掛けて一息ついたという伝承の岩です。伝承の真偽はともかく、続く船上山の戦いで活躍した名和長年の本拠地にも近いこの港は後醍醐天皇が隠岐から脱出され辿り着いた場所として最有力であるのは間違いありません。新しいものですが、隠岐から伯耆に戻ったときに後醍醐天皇が詠まれた歌の歌碑もあります。

6613.後醍醐天皇御腰掛岩

6614.歌碑
住吉神社などを見ながら御来屋宿を西へ進んでいき、6616の写真を名和駅や名和神社の方へ右折します。ここからは大山道でも山陰道でもない道で、古道歩きの主旨からは外れますが、続けて名和長年ゆかりの地を巡りながら進んでいくことにします。

6615.住吉神社

6616.左折で山陰道と別れる
海岸沿いの御来屋宿を離れると、すぐに上り坂になります。山陰本線にしては珍しく単線の名和駅を過ぎ、上り坂がほぼ終わったところからは桜の名所となっている名和公園となります。

6617.名和駅

6618.名和公園
●名和神社
坂道を上り詰めれば、南朝方の皇族や武将を祀った「建武中興十五社」の一つに数えられている名和神社で、祀られているのはもちろん名和長年です。名和長年の生涯や事績は船上山の戦いでの勝利や建武の新政崩壊後の戦死など、あの楠木正成と極めてよく似ており、この神社が昭和10年(1935年)に現在のように整備されているということから想像できるように、戦前には「全国的なヒーロー」の一人でした。とは言え、現在では境内は静かなもので、地形的に大山山麓と日本海の境目となる景色の美しい場所において、「地元のヒーロー」が祀られているという雰囲気です。

6619.名和神社
>拡大画像 名和神社の案内板
名和神社の西に出て南東へ進んでいきます。6620の写真の交差点で県道240号と交差しますが、直進してもうしばらく先を左折すれば、北朝方との戦いで戦死した名和長年とその二人の息子の首塚である「三人五輪」が田畑の中に祀られています。

6620.県道240号との交差点

6621.三人五輪
>拡大画像 三人五輪の案内板
6620の写真の交差点に戻って、県道を南方向に進みます。大山を望む坂道を下っていき、6622の写真のカーブの手前で旧道と思われる斜め左への道に入れば、下り坂の途中に氏殿神社があり、境内には「故伯耆守名和君碑」が立てられています。この碑自体は尊王攘夷運動が盛んになるような時代背景を受け、南朝方の忠臣の英雄化が進みつつあった幕末のものですが、案内板によれば、裏面の碑陰記は元禄3年(1690年)に書かれたもので、南朝方の忠臣の顕彰文としては最古のものになるそうです。

6622.大山を望む下り坂

6623.氏殿神社の故伯耆守名和君碑
>拡大画像 故伯耆守名和君碑の案内板
氏殿神社からもうしばらく下ると、6624の写真の交差点に至り、右(北)に行けば伝説的な弓の名手として知られる名和長年が弓の稽古で用いたという的石があります。少し先で左(南)に行けば名和氏の菩提寺である長綱寺、さらにもう少し先の突き当たりを右折したところには名和公屋敷跡と、この付近では名和長年ゆかりの歴史や伝承の地が集中しています。名和神社以来、点在する史跡に立ち寄りながら進んでいるため、道順がややこしく感じられるかもしれませんが、大山町(旧名和町)では「潮風の道散策コース」としての整備がよくなされ、要所となる史跡や交差点に案内板や地図が設置されているため、大まかに進んでいく方向さえ認識していれば迷ったり史跡を見逃したりする心配はありません。

6624.この付近に史跡や伝承が集中

6625.的石
>拡大画像 潮風の道散策マップ
●長綱寺と名和公一族郎党の墓
名和氏の菩提寺である長綱寺の境内には後醍醐天皇ゆかりの伝承を持つ硯岩があります。案内板にある伝承自体も嘘っぽく感じられる岩を平成22年(2010年)に名和の地に戻したというものですが、現代になってもそのような伝承が大切にされていることがよく感じられます。そして圧巻なのが寺の裏山にある名和公一族郎党の墓で、およそ200基もの五輪塔が斜面を埋め尽くしている様子は必見です。

6626.名和公一族郎党の墓

6627.長綱寺
 
6628.伝承の硯岩
>拡大画像 硯岩の案内板
6624の写真の突き当たりを右折し、進路を北に変えます。名和地区の最後に名和公屋敷跡を見ると、北の方へ戻る形で進んでいきましょう。もちろん大山は南にあるので遠回りになってしまいますが、この付近から本題の坊領道の道筋に戻るのに適した道がないので仕方のないところです。

6629.名和公屋敷跡

6630.田園地帯をいったん北上
6631の写真の交差点を左折し、新しい広域農道と思われる道で西へ進んでいきます。山陰道まで戻っていては遠回りになりすぎるので、道なりに行けば坊領道沿線で最大の見どころと言える所子地区に行けるこの道をあえて選択しています。自動車が飛ばしていることもある道ですが、交通量は少ないので、歩くのに危険を感しるほどではありません。

6631.ここで左折

6632.新しい農道を行く
大山道でも山陰道でもない道を4km近くも歩くことになるので、この付近はごく簡単に流しますが、沿道には藤の名所として有名な住雲寺もあり、風力発電の風車も間近に見られます。何より南西の孝霊山から南の大山、南東の烏ヶ山にかけての山並みがよく見えるので、古道歩きではないと言っても地域の魅力をたっぷりと楽しめる楽しい道です。

6633.住雲寺

6634.南の山並みが美しい

6635.発電用風車と山陰本線
名和地区から約3kmも田畑がのびやかに広がる中を歩いてきましたが、大山から流れてくる阿弥陀川を渡る直前には急カーブもある下り坂となります。平坦地なので忘れがちですが、まもなく日本海に注ぐ川よりははるかに高い位置(標高30〜40m程度)を歩いてきたことになります。大山山麓においては大山のかつての火山活動による堆積物がなだらかな地形を作っているものの、川沿いの谷はほとんど平地を作っておらず、その地形の特質は山深い江府町や伯耆町だけでなく、日本海に面した大山町でも同じです。阿弥陀川の美しい急流を見ていると、これまで見てきた景色とのギャップに驚かされます。

6636.突然現れるカーブと下り坂

6637.阿弥陀川を渡る
阿弥陀川を渡って300mほどで「上野第二遺跡」の標柱が立つ交差点を左折、また突き当たりを左折すれば、お待ちかねの坊領道の道筋に入ります。なお、ここまで来ると、大山口駅は西へ800mほどです。当サイトでは旧名和町の史跡もご案内してきましたが、単純に坊領道歩きをするなら大山口駅をスタート地点にして、この付近に出てくるのが良いでしょう。

6638.上野第二遺跡から南へ

6639.突き当たりを左折すれば坊領道
坊領道に入れば、さっそく延命地蔵堂に迎えられます。隣接して古いものを含む墓地もあり、古道らしさが一気に強まります。まもなく所子地区の集落に入っていきますが、さすがに伝統的建造物群保存地区に指定された集落だけあって、この時点から雰囲気が少し違うことが感じられます。

6640.延命地蔵堂

6641.雰囲気が一気に変わる
●所子地区(シモ)
所子地区は伝統的建造物群保存地区に指定された集落で、北から入ってすぐの辺りに価値ある古い建造物群が集中しています。大庄屋の門脇家住宅は明和6年(1769年)という並の古民家よりもはるかに古い年代に建てられた茅葺屋根の家屋がそのまま残っており、国の重要文化財に指定されています。一般公開は年に数日のみですが、大庄屋の家だけあって中の庭園や茶室等も見事なものだそうです。大山道を隔てた東側は登録有形文化財の東門脇家住宅、少し南には県指定重要文化財の南門脇家住宅もあり、母屋だけでなく立派な門や塀を持つ住宅が並ぶ様子はまさにここでしか見られないものだと言えます。

6642.所子地区(シモ)の大山道

6643.門脇家住宅
 
6644.東門脇家住宅
>拡大画像 門脇家住宅の案内板
門脇家住宅の南を左折すると、まもなく家並みがいったん途切れます。ここは「神さんの通り道」として、所子地区の南端に位置する賀茂神社の正面(北)をあえて空けてある空間です。この神様用の道により、「シモ」「カミ」に明確に分かれた集落の形が今も残されていることも所子地区の大きな価値の一つです。

6645.いったん家並みが切れる

6646.神さんの通り道
●所子地区(カミ)
「神さんの通り道」と交差すれば「カミ」の集落に入ります。大庄屋の門脇家とその分家がある「シモ」に比べ、特記するほどの古い家屋は登録有形文化財の美甘家住宅くらいですが、こちらの特徴は大山山麓の昔の暮らしぶりがよく感じられる建造物等が残されている点で、煙草の乾燥場や水車小屋(今は水車はない)、小さな石造物等が点在しています。所子地区は「農村集落」として伝統的建造物群保存地区に指定されている全国的にも数少ない例であり、宿場町や城下町、商家町の古い街並みとは一味違った魅力があります。また、「カミ」の道は南南東を向いており、正面に大山が見える景観もすばらしいものがあります。

6647.辻の薬師、遠くに大山

6648.煙草乾燥場
 
6649.美甘家住宅
大山道の道筋は山陰自動車道にぶつかって途切れてしまうので、その手前を右折し、所子地区の南端近くの道を県道158号の方へ進みます。道沿いには文化11年(1814年)の廻国供養塔や古い家屋の立派な屋敷林も見られます。最後に見るのが賀茂神社で、先述した「神さんの通り道」を確認しながら所子地区を振り返ることができます。6653の写真の交差点では直進が大山口駅、右折が所子地区の駐車場、左折が県道158号となり、ここから県道に入り、いよいよ大山へ向けて本格的に進んでいくことになります。

6650.山陰自動車道にぶつかる

6651.廻国供養塔

6652.賀茂神社

6653.続きは左折、駅は直進、駐車場は右
>拡大画像 所子地区の案内板
所子から佐摩へ >>
●地名、人名等の読み方
 ・御来屋=みくりや
 ・所子=ところご
 ・坊領=ぼうりょう
 ・元弘=げんこう
 ・隠岐=おき
 ・後醍醐天皇=ごだいごてんのう
 ・名和長年=なわながとし
 ・船上山=せんじょうさん
 ・伯耆=ほうき
 ・建武=けんむ
 ・楠木正成=くすのきまさしげ
 ・氏殿神社=うじどのじんじゃ
 ・長綱寺=ちょうこうじ
 ・住雲寺=じゅううんじ
 ・孝霊山=こうれいざん
 ・烏ヶ山=からすがせん
 ・江府町=こうふちょう
 ・門脇家=かどわきけ
 ・美甘家=みかもけ

●取材日
 2018.4.12/5.21
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