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佐摩から大山へ
大山保育所や大山農村環境改善センターのある交差点を過ぎれば県道36号沿いにも人家がなくなり、いよいよ本格的な上り坂となります。歩道もなく、自動車が飛ばしている道となりますが、すぐに享保11年(1726年)の念仏供養塔を見られ、古道の道筋であることを感じさせます。

6801.念仏供養塔

6802.歩道のない県道を進む
県道36号を800mほど行くと鈑戸バス停があり、大山道の道筋はなおも県道ではあるものの、興味深い地名の集落だけに、ここで左折して鈑戸の集落へ寄道することにします。

6803.鈑戸へ左折してみます

6804.鈑戸川を渡る地点
●鈑戸の両墓制
鈑戸川を渡り、鈑戸の集落に入る手前で右(南)に入ると、両墓制と呼ばれる独特の墓があります。両墓制とは一人の死者に対して2つの墓を作ることで、ここでは一般的な墓石ではなく、自然の石をたくさん積んだ墓が墓地を埋め尽くしています。現在はほぼ単墓制に移行しているそうですが、ここでは何と平成30年(2018年)の墓も見られ、大山山麓独特の風習である両墓制が現在も細々と守られていることがわかります。

6805.自然石を積んだ墓が多数

6806.入口には五輪塔がたくさん

6807.平成30年の墓もある
>拡大画像 鈑戸の両墓制の案内板
6804の写真の地点に戻り、鈑戸川を渡って鈑戸の集落を目指す途中ではまだ日本海も見え、眺めがとても良いです。圃場は整備されているものの、両墓制が残っていることに象徴されるように、鈑戸は昔ながらの大山山麓の暮らしが今も残っているような雰囲気の集落です。

6808.まだまだ日本海が見える

6809.六地蔵と三界萬霊塔

6810.鈑戸神社
鈑戸の集落を通り抜けると、そのまま農道を歩いて南下していきます。再び大山道にぶつかるのは種原バス停近くの6812の写真の交差点で、付近(写真の「止まれ」の標識の後方)には2つの供養塔があり、そこから昔のままの古道が続いています。

6811.農道で戻っていく

6812.「止まれ」の後ろの土道へ
●鈑戸地区内の坊領道
坊領道でハイライトとなるのが6812の写真の交差点から続く古道で、約1.4kmの間、県道36号の少し東の森の中に昔のままの姿で道が残っています。私にはその植生の特色をご案内できる知識はありませんが、珍しい草木もあるそうで、とても気持ちの良い森林浴が楽しめる道です。もちろん多くの人と牛馬が往来した古道だけに、石積みなど、古い時代に人の手が加えられたことがわかる場所も見られます。

6813.供養塔からスタート

6814.とても美しい森の道

6815.石積みも見られる
●坊領道の一丁地蔵
坊領道でも横手道と同じく一丁地蔵が見られ、もちろん日本遺産を構成する文化財の一つです。確認できるもののうち大山から見て最遠が三十一番で、そこから数字が減っていきます。途中からほぼすべての一丁地蔵が現存する横手道と違い、失われたり、苔むして字が読めなかったりするものも多く、「一丁地蔵」の実感には乏しいですが、それはそれで味があり、大山への古道を歩いている実感があります。

6816.坊領道にも一丁地蔵
県道314号と交差してももうしばらく森の中に古道は続きます。地蔵も続き、かつて旅人の目印となっていた松の巨木も見られます。

6817.県道314号を横断

6818.目印の古木
籠立橋バス停の付近からもまだ県道158号に並行して古道は続きますが、草に埋もれてしまっているので、ここからは県道を歩きます。この籠立橋には水場があり、かつて休憩場所として利用されてきた場所です。

6819.この辺りで県道へ

6820.籠立橋バス停
6821の写真のS字カーブの付近からは古道と県道の道筋が一致するようになり、ここからは県道沿いに一丁地蔵が見られるようになります。数字を見て少しずつ大山に近づいていることが感じられます。

6821.この付近からは古道と県道が一致

6822.一丁地蔵も県道沿いに
籠立橋バス停から博労座駐車場まではまだ3km近くの距離があり、美しい森の中の道とは言え、単調な上り坂の県道歩きがずっと続くので、さすがに疲れも感じてくるところですが、道沿いには一丁地蔵だけでなく、6824の写真の嘉永6年(1853年)の念仏供養塔などもあり、森の中からそういった古道の史跡を探しながら進んでいきましょう。

6823.県道ウォークは長く続く

6824.クマザサの中に念仏供養塔
博労座駐車場の標高は約730m。標高700mの標識を見れば長かった県道歩きももうすぐ終わりです。県道24号との交差点が近づけば視界が開け、大山の白い北壁が大きく見えます。

6825.標高は700m

6826.県道24号に合流
●別れの道標と地蔵
ここで合流する県道24号は、古道の観点から見ても「尾高道」の道筋であり、今も昔も米子から大山へのメインルートです。この交差点には「別れの道標」が残されていますが、県道の分岐点に大山方面から見て「左 よなご 右 みくりや」と大書されているため、現在、自動車で通ったとしても当時の意図通りにそのまま使えます。また、ここには立派な地蔵の立像もあり、昔からここが大山のメインの出入口であったことを感じさせます。

6827.左 よなご 右 みくりや

6828.別れの地蔵
 
>拡大画像 別れ地蔵の案内板
●大山博労座
県道24号と合流すればまもなく博労座駐車場に到着します。この駐車場こそが日本最大規模を誇っていた牛馬市が開かれていた場所です。歴史を語る案内板等も設置されていませんが、大山山麓では誰もが知っているというくらい親しまれている「大山賛歌 わがこころの山」の歌碑などがここに置かれています。また、前方の大山だけでなく、日本海、中海、島根半島方面の眺望も見事で、弓ヶ浜が文字通り弓のように曲がっている様子もよく見えます。

6829.夕方の眺望

6830.そう、大山は…♪
 
6831.大山の碑もここに
大山博労座から大山山内(大山寺、大神山神社奥宮方面)への続きは横手道の「御机から大山へ」のページをご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・享保=きょうほう
 ・鈑戸=たたらど
 ・籠立橋=かごたてばし
 ・嘉永=かえい

●取材日
 2018.5.21
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