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久世から三坂峠へ |
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岡山県からの大山道で最も代表的と言えるのが、足守(岡山市)から久世(真庭市)や延助(真庭市)を経て大山に至るルートです。ここでは久世から大山までの道のりをご紹介します。
なお、最初にお断りしておきますが、概ね国道沿いの出雲街道に比べ、当サイトでご紹介している大山道の沿線には食べ物どころか飲み物の現地調達もほとんどできず、トイレも少ないです。予め準備や計画をしてから歩いていただくようお願いいたします。
久世は出雲街道の宿場町であり、江戸時代の多くの時期において天領として発展してきたというだけでなく、岡山県内で最大規模の牛馬市が開かれていた町でもあります。大山道の道筋からは少し外れますが、その久世の牛馬市が開かれていたのは久世駅の北にある上ヶ市です。久世市街より一段高く、その北にある久世神社や宮芝グラウンドより一段低いところに上ヶ市公民館があり、その周辺は小平地があるにも関わらず、古い家が少なくなっています。案内看板等は見つけられませんでしたが、牛馬市が開かれていたのはおそらくこの辺りだと思われます。 |
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5101.重願寺の牛の像 |
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5102.上ヶ市公民館 |
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足守から来た大山道は、中川橋で旭川を渡って久世市街に入ります。すぐに旧出雲街道の商店街と交差しますが、直進して北の国道181号に出る道は新しい道なので、ここは左折して西に入り、西のアーケード街が始まるところを右折して再び北に進路を戻します。なお、より古い道筋は東のアーケード街を抜けたところから北に入っていたそうです。久世市街は出雲街道でご紹介しているので簡単に流しますが、この辺りは久世の古くからの中心地で、平成の合併前の「町」では珍しいアーケード街が存在していることはもちろんのこと、牛馬市の開かれていた上ヶ市に近い市街の西半分では今なお旅館が多く現役であることからも、歴史的に久世が経済都市として発展し、牛馬市もその一翼を担っていたことを想像させます。 |
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5103.中川橋から来て左折 |
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5104.ここを右折 |
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久世の街並みはメインストリートである東西方向の出雲街道沿いだけでなく、南北方向にも続いています。5104の写真の地点から約100mほどで国道181号を横断し、さらに200mほどで姫新線の線路を横断しますが、その踏切の名は「倉吉踏切」で、伯耆国へ向かう道筋がこの道であった何よりの証拠です。なお、より古い道はもう少し東であったことに触れましたが、その道筋の踏切は「元町踏切」です。踏切の名前は道の歴史を今に残している貴重な遺産と言うことができます。 |
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5105.南北方向にも街並み |
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5106.倉吉踏切を渡る |
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久世体育館の東、地元の醸造業者のすぐ北の交差点には道標があります。寛延年間という大山道としては古めの道標で、私には右のところの文字が読めませんでしたが、左は「真賀」を指しています。この付近で左に曲がれば、冒頭で紹介した上ヶ市を通り、久世と勝山の間の北にある山を越えていく道に至ります。現在の道路のない道筋ですが、かつてはそのような山道に人の往来があったことがわかります。大山道もこの後三坂からは現在の道路が並行することのない山道となります。 |
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5107.醸造業者の北の交差点に |
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5108.寛延年間の道標 |
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5109の写真の地点は小川を挟んで変則的な形状の交差点になっており、そこからは進路を北東に変えます。道順がわかりにくいですが、5109の写真の地点では川を渡って直進、次の交差点は斜め右へ進みます。ここに来てようやく久世の市街が終わり、5110の写真の交差点で県道65号に合流します。この交差点の案内標識には「大山みち遊歩道」の文字も見えます。 |
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5109.川を渡って直進 |
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5110.県道65号へ |
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5111.案内標識に「大山みち」の文字が |
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県道65号に入って200mほどのところに建設会社があり、建材や廃材が外に置かれていますが、その中に牛馬安全供養塚があります。大山道が遊歩道として整備されている区間はまだまだ先ですが、このようなところにも「牛馬の道」であった証拠物件は残されています。その先で県道65号は三坂の集落をバイパスするように三坂川を渡りますが、斜め左に旧道があり、そちらを進んでいきます。 |
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5112.牛馬安全供養塚 |
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5113.斜め左の旧道へ |
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週に3回、1日2往復のコミュニティバスが通るのみの三坂バス停の手前でまた斜め左への分岐へ入っていきます。さらに700mほど行けば三坂上の集落に至ります。三坂上の集落に入ると、5110の交差点に至り、斜め左が古くからの道筋、三坂川を渡って直進する道がバイパス、右が三榮神社です。 |
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5114.また斜め左 |
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5115.斜め左が集落、右が神社 |
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●三坂上
旧久世町側の最後の集落となる三坂上の集落は、中央に三坂川と大山道が通り、その両側に家並みが連なるという、街道型の集落が見事に残ります。すっかり細くなっている三坂川は水路として活用されていて、各民家からは川を渡る細い橋が架かっているだけでなく、河原に下りる階段もあり、それらが大山道が盛んに利用されていた頃からのものであることが想像できますし、橋や階段が現代の暮らしに合う姿に変わった今でも川と集落の住民の暮らしが密接に関わっていることが実感できます。そして、集落にある三榮神社には三坂峠の峠道に祀られていた神々が合祀されているそうです。 |
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