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藤森から延助へ
藤森からは藤森川に沿って鳥居乢を目指します。旧湯原町と旧川上村の境の峠を目指しているはずですが、道は平坦なままで、同じような景色が2km以上も続きます。史跡もなく、人気もほとんどない道で、途中にある奥田というごく小さい集落に数軒の民家がありますが、すべて空き家という感じです。自動車一台しか通れない道で、交通量は皆無と言っていいほどですが、それだけにたまに通る自動車は歩行者の存在を想定せずに走っている恐れがありますので、油断はしないでください。

5401.こんな景色が長く続く
 
5402.奥田集落は消滅?
米子道に近づく辺りからようやく上り坂になってきますが、勾配は緩やかなものです。米子道が鳥居トンネルに消えていった直後に、5404の写真の交差点を右へ進むと、早くも最後の上りとなります。

5403.米子道に近づく
 
5404.ここは右

5405.頂上は近い
 
●鳥居乢
鳥居乢を越えたすぐ先で大山が見えます。これまでも大山が見える地点はいくつかありましたが、いずれも近くの山並みの合間から「ちょこっ」と見える程度だったのに対し、ここでは初めて「どーん」と正面に大きく見えます。幼稚な表現になってしまいましたが、山陽側から歩いてきた者にとっては、感動的な眺めであることは間違いありません。このロケーションの良さは当然昔から変わっておらず、ここには鳥居が建てられ、大山まで行くことのできない人のための遥拝所となっていました。大山道が利用されなくなった後にその鳥居も倒れ、壊れてしまったそうですが、柱は再び立てなおされ、そこには「大山大権現遥拝処」という文字もあります。

5406.鳥居の間から大山
 

5407.大山が「どーん」
 
>拡大画像 鳥居乢の案内板
●雲雀塚
鳥居乢の遥拝所でもう一つ見逃せないのが芭蕉句碑の「雲雀塚」です。松尾芭蕉を顕彰した句碑は全国津々浦々にありますが、これほど句にマッチした場所で、しかも観光地として俗化もしていない田舎にある例は珍しいのではないかと思います。

5408.雲雀塚
 
>拡大画像 雲雀塚の案内板
鳥居乢では5409の写真ではほとんど見えない正面左に下っていく道に入ります。名所に気を取られてミスコースしがちな地点なので注意してください。旧湯原町側では緩やかな上り坂でしたが、旧川上村に入ってしばらくは急な坂を下っていき、米子道と並びます。米子道は鳥居トンネルで鳥居乢をパスしていますが、トンネルを抜けて正面に大山が見えるのは古道と全く同じです。現在でも鳥取県西部や島根県東部にお住まいの方やご出身の方は、ここで大山を見て「帰ってきた」との実感を持つ方も多いのではないかと思います。

5409.正面左の下り坂が正解
 
5410.米子道の正面にも大山
鳥居乢からの下り道は米子道の建設の影響か、古道の雰囲気はあまりありませんが、それでも文久3年に建てられた地蔵など、歴史の道の痕跡はわずかに見られます。言うまでもないことですが、鳥居乢を過ぎるとそこは蒜山高原。下り坂が少し落ち着いた辺りからは牧草地も目立ちはじめ、蒜山高原らしい風景になります。

5411.沿道に地蔵
 
5412.ここは蒜山高原
蒜山西茅部地区では少し道が入り組んでいますが、基本的には直線的に北西に進んでいくことになり、5413の写真の地点では直進、5414の写真の地点では左折して下郷原の集落に入ります。5414の交差点の下には牛舎が見え、牛の姿が見えます。真庭市北部は今も酪農や畜産の盛んな地域であり、その生産や利用や流通の形は変貌したとはいえ、地域の伝統は生き続けています。

5413.ここは直進
 
5414.ここは左折

5415.牛の姿も見える
 
下郷原の5416の写真の交差点を直進して200mほど田畑の中を行き、5417の写真の交差点では現在の道路を斜め方向に横切って郷原の集落へ入ります。

5416.ここは直進
 
5417.斜め分岐×2で郷原へ
●郷原
郷原は大山道の宿場町として栄えた集落の一つです。旧道沿いの家並みは宿場町らしい並び方をしており、坂道沿いに水路が音を立てて流れています。そして、鳥居乢方面から見て最後の方には「牛つなぎ石」を持つ古い民家もあり、牛馬の道の宿場という雰囲気を色濃く残しています。
また、郷原は木地師の集落、そして漆器の一大生産地としても繁栄してきた歴史があります。「木地師」とは木材加工が機械化する以前に手作業で木材加工品を作ってきた技術集団で、時に移動しながら加工に適した木材が多く得られる場所に暮らしており、中国山地は彼らにとって格好の場所であったため、木地師の集落はこの地域に多くあります。特に郷原は木地師の作った木地製品を漆器として完成させる塗師が定住していたため、木材加工が機械化したり、陶磁器が普及したりして木地師が消滅した後も、「郷原漆器」は伝統工芸品として今も生き続けています。旧道沿いの集落の南側を通る現在の道路沿いには郷原漆器を販売する店もあります。

5418.郷原の街並み
 

5419.牛つなぎ石
 
5420.郷原漆器を販売する店
>拡大画像 郷原漆器の案内板
●日本一の石鳥居
郷原集落の上、茅部神社の参道が分岐する場所には「日本一大きい石鳥居」があります。これは現在の技術力によってパフォーマンス的に建てられたものではなく、文久3年という時代に建てられたもので、その時点では紛れもなく日本最大の石鳥居でした。その大きさはもちろん、当時の地元の人々の心意気にも感心しますが、牛馬の道の宿場町であることに加え、木地と漆器の生産によって、このような田舎の集落に現在では想像できないほどの豊かな経済力があったことに何より驚かされます。

5421.日本一の石鳥居
 
>拡大画像 茅部神社の大鳥居の案内板
●茅部神社の参道
せっかくなので茅部神社に立ち寄ってみますが、大鳥居から本殿までは700m以上の距離があり、その間の参道にはずっと桜並木が続いています。知名度はやや低く、観光地化もされていませんが、「醍醐桜」「がいせん桜」にも負けない真庭地域の桜の名所の一つとなっています。

5422.桜咲く参道
 
●茅部神社
そうして辿り着いた茅部神社は蒜山地域を代表する神社です。規模としてはそれほど大きくはありませんが、この神社は天照大神を祀り「蒜山高天原伝説」の中心をなす神社です。また、茅部神社の背後にある山には、「天岩戸」の伝承を持つ大岩もあります。その他にも蒜山高原には神話に由来した伝承や地名が多く、「高天原」は蒜山高原であるとの説があります。そういった伝承の真偽はわかるはずもありませんが、神社から振り向けば蒜山三座も美しく見え、少なくともそうした伝承の存在にふさわしい雰囲気を持つ場所であるとは感じることができます。

5423.茅部神社の本殿
 

5424.舞台
 
5425.蒜山三座もよく見える
>拡大画像 茅部神社の案内板
>拡大画像 「高天原」伝説の案内板
大鳥居の側の5426の写真の地点に戻り、右の道に進んで大山道歩きを再開します。郷原では一貫して現在の道路の南側に旧道があり、旧道が最後に新しい道に合流する手前の墓地には六地蔵や三界萬霊塔があります。

5426.ここは右へ

5427.墓地に六地蔵など
郷原から延助までは旧道はほとんど残っておらず、よく整備された現在の道路を歩きますが、その距離は1km程度です。米子道の本線をくぐり、次いで蒜山インターの料金所付近を跨ぎ、いよいよ蒜山の平野部へと下っていきます。大山道が出てくるのは蒜山の平地の西端近くで、右(東)の方を見れば蒜山三座をバックに広がる蒜山の平野がよく見えます。延助へと下っていく途中、5431の交差点には道標があります。

5428.現在の道路に出る

5429.蒜山インター

5430.蒜山高原の眺めが広がる

5431.この交差点には道標
●延助東方の道標
蒜山インターから延助の集落へ下っていく途中には天明6年に建てられた道標があり、「左ハ新庄道 右ハ大山道」と刻まれています。また、ここも道標メインの形状ながら地蔵が彫られています。延助近辺には道標が数多く残されており、この延助手前の道標に加え、延助の宿場町の東端および西に出てすぐのところ、北に出て川上坂を上る途中と、一つの集落とそこから1km程度しか離れていない場所に合計4本もあり、いずれも江戸時代後期のものです。このことからも江戸時代後期以降、大山道の重要性は極めて高く、交通量も多かったことが窺えます。

5432.大山道らしい地蔵の道標
 
道標を過ぎるとほどなく眼下に延助の集落が見えてきて、5433の写真の地点で左の細道に入ります。坂を下りきるとすっかり細くなった旭川の本流を渡り、延助の集落に入っていきます。

5433.ここは左へ
 
5434.旭川を渡る
●延助
延助は大山道の中でも最もよく利用された宿場町だと言われています。これと特筆するほどの建造物はなく、朽ちた空き家も多いのも気にかかりますが、これまでの大山道で見た「宿場としての機能を持った集落」ではなく、ここは出雲街道のように参勤交代にも利用された有名な旧街道の「宿場町」にも劣らない規模の街並みです。先述したように街並みの東端には明和5年に建てられた道標が、西の県道58号に出た中曽バス停のところには天保3年に建てられた道標があり、各方面への交通拠点として栄えたことがよくわかります。余談ながら、旧道のすぐ北をバイパスする国道482号沿いには、比較的新しいホテルもあります。蒜山高原らしい観光地から少し離れたこの場所に、高原リゾート的な雰囲気のホテルではなく、ビジネスホテル的な雰囲気のホテルがあるのは、結果的に延助の伝統が現在に引き継がれている形になっています。

5435.延助の街並み
 

5436.東の道標から街並みへ
 
5437.中央付近のエビス堂

5438.西の道標
 
5439.国道沿いにホテル
さて、延助からはいよいよ県境の峠越えにかかっていくことになりますが、その前に5431の写真の交差点をそのまま直進するか、5436の写真の道標のところから東に出るかで国道482号に出ると、東に約300mのところに蒜山インターの入口の交差点があり、その付近には「道の駅風の家」に加え、飲食店やコンビニが集まっています。重要な休憩ポイントというだけでなく、「蒜山そば」や「ひるぜん焼そば」が味わえるなど、蒜山高原の魅力に手軽に触れられる場所となっています。

5440.蒜山インター入口の交差点付近
 
5441道の駅風の家
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●地名、人名等の読み方
 ・松尾芭蕉=まつおばしょう
 ・茅部=かやべ
 ・郷原=ごうはら
 ・木地師=きじし
 ・文久=ぶんきゅう
 ・天照大神=あまてらすおおみかみ
 ・高天原=たかまのはら
 ・天明=てんめい
 ・明和=めいわ
 ・天保=てんぽう

●参考資料
 小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」 
取材日:2017.4.20/2017.06.22/2018.4.12
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