トップページ > その他コンテンツ > 連載 出雲街道の別ルート > 7.津山の中世出雲街道
7.津山の中世出雲街道 〜津山市街を通らない道〜
津山の出雲街道と言えば、城下町を東西に貫き、城東でも城西でもすばらしい街並みが残されています。しかし、この道筋が出雲街道となったのは江戸時代になって津山城下町が形成された後のことで、中世は現在の津山市街から南に山一つ隔てた谷を通っていました。

林野、勝間田方面からのルートははっきりわかりませんが、後醍醐天皇の伝承が美咲町百々の大宮神社などで語られていることなどが、南寄りにより古い道筋があることを想像させます。古い道筋が現在でも生きているのが津山市南部の押渕地区と皿地区を東西に結ぶ県道449号です。

押渕の吉井川の河原には巨大な岩があり、川中山王と呼ばれる神社があります。その川中山王から始まる古い道筋はまず荒神川の細い谷を上っていき、備前の戦国大名である宇喜多氏が美作進出の拠点としていた荒神山城跡がある荒神山地区に入ります。次いで後醍醐天皇ゆかりの洗顔清水を見ると峠と気づかないほど小さな峠を越えて種川の谷に移ります。
種地区には太平記にも記載されている雲清寺の推定地に石碑が立てられていて、また、少し谷を下れば後醍醐天皇の駐輦碑もあります。

津山盆地に出れば、古代から和歌に登場する「久米のさら山」に迎えられます。津山往来を横断して皿川を渡れば、後は嵯峨山に沿って北上、二宮の高野神社近くにあったという渡し場で吉井川を渡るか、そのまま吉井川南岸をもうしばらく西へ行くかで再び近世出雲街道と道筋がほぼ一致するようになります。

この道筋の特徴はやはり中世の歴史を感じさせる場所が多いことです。近世以降に比べて史料が不十分なため、後醍醐天皇にまつわる話は伝承に過ぎなかったり、「久米のさら山」も神南備山のことなのか、嵯峨山のことなのか、笹山のことなのか意見が分かれているなど、はっきりしない部分もありますが、それがかえって地域の歴史に対する自分なりの想像力をかき立ててくれます。

※写真の案内板は現在劣化が激しいため、この道筋を初めて知った平成27年(2015年)の写真を掲載しています。

川中山王

洗顔清水

雲清寺跡の碑

後醍醐天皇駐輦碑

津山往来と交差

吉井川を渡る(現在の宮下橋)

案内板(→拡大)
令和元年(2019年)10月6日 Facebookページに掲載
<< 6.新出雲街道 8.勝山の出雲街道>>
▲ページトップ
inserted by FC2 system