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8.勝山の出雲街道 〜勝山宿へのもう一つの入り方〜
今回は「別ルート」というほど大幅なものではなく、細かな話になりますが、勝山宿の東方の出雲街道は2つの道があります。1つは当サイトでもご紹介し、「出雲街道勝山宿の会」による平成の道標も設置されている北の山沿いの道ですが、もう少し南の国道181号線や姫新線に近い、南寄りの道筋も存在しています。

旧勝山町の東端、原方には東から来て最初の平成の道標がありますが、国道の反対側にもう一つ、こちらも「出雲街道勝山宿の会」による「勝山宿 城下町」の道標があります。ここから国道の旧道らしき道に入り、その後、姫新線の線路の少し南側を西進、中国勝山駅のすぐ東側、トイレや観光駐車場の辺りを横切り、現在の駅前商店街である新町を経て旭川沿いの勝山の街に至るという道筋だったそうです。

こちらは北の道よりも新しい道筋だそうで、なぜこのような道筋が形成されたかと言えば、江戸時代中期の明和元年(1764年)、勝山に三浦藩が成立したため、城のすぐ側で武家屋敷群があるような場所に街道が通るのを避けるようにしたからだと言われています。従って、江戸時代の後期には南寄りの出雲街道の方が盛んに利用されたと考えられ、勝山の街並みのうち、商店街が形成されて賑わっているのがその道筋に合致するL字型になっています。

しかし、国道の改良や姫新線の線路の敷設、昭和9年(1934年)に発生した大水害の影響により、現在では南寄りの旧街道はほとんど道筋も史跡も残っていません。歩くなら北寄りの道筋の方が良いのですが、勝山の歴史を考えるとき、このような道筋があったことは意識しておきたいものです。

左の道も旧出雲街道

国道と姫新線の南を進む

中国勝山駅の裏手から

勝山新町へ
令和元年(2019年)10月14日 Facebookページに掲載
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