出雲街道の序盤とも言うべき姫路市やたつの市には特に多くの道標が残されています。前回、たつの市の追分の道標をご紹介しましたが、そこから出雲街道を1km少々西に行くと、林田川を渡った先にまた道標があります。
東から見た場合に『左 因州 雲州 觜崎』『右 林田 安志 山崎』と、前回ご紹介した追分の道標と同じような地名が案内されていて、同じ内容のようにも見えますが、よく見ると、追分の道標では右だった因州がここでは左に変わっています。
これは因幡街道が現在の国道29号ルート(姫路→山崎→若桜→鳥取)と、国道179号・373号・53号ルート(姫路→平福→智頭→鳥取)の2通り存在したためで、追分の道標は前者、西鳥井の道標は後者を案内していることになります。
たった1km程度しか離れていない場所に立っている役割も年代も近い道標でも、よく読んでみると内容が異なっているというのは興味深いところです。
明治34年(1901年)の道標です。
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