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2.飾西から觜崎へ
飾西宿を過ぎると県道724号に出ます。飾西までは家並みが途切れない都市郊外でしたが、ここからは店の数も少なくなりますので、ちょっとした買い物やトイレは飾西で済ませておきましょう。まもなく左(南)には長池が見え、季節によっては蓮の花がきれいに見えそうです。その脇には北向地蔵尊の地蔵堂もあります。

1201.長池
 
1202.北向地蔵尊
>拡大画像 北向き地蔵尊の案内板
長池の先でたつの市中心部方面への県道5号が「分岐」します。大きな番号の県道から若い番号の主要地方道が分岐することに少し違和感を感じますが、これはかつて県道724号が国道29号だったためで、道路標識等にもその痕跡が見られます。ここから緩やかな上り坂になり、山陽西IC東交差点が頂上となっています。幹線道路に高速道路が接続する大きな交差点ですが、その脇には車石歯痛地蔵があり、また、かつては一里塚もあったという場所でもあり、平成29年(2017年)に整備されたばかりの案内板が歴史を語っています。交差点を直進して国道29号の姫路北バイパスを潜ると、そのすぐ先で斜め右へ分岐する道に入ります。

1203.上り坂にかかる
 
1204.山陽姫路西IC東交差点

1205.車石歯痛地蔵
 
1206.斜め右に分岐する道へ
>拡大画像 車石歯痛地蔵の案内板
この30年ほどで整備された幹線道路が縦横無尽に通る中ですが、石倉地区へ下っていく古い道筋には小さな祠が見られるなど、古道の雰囲気も残されています。周囲の山に目立つのは竹林で、この付近は筍の名産地になっています。

1207.小祠
 
1208.この辺りは筍の産地
●石倉地区
石倉地区のほぼ中央には稲荷大明神があり、鳥居前には地名の由来にもなった「石の鞍」も置かれています。この付近の山々は岩肌が露出した姿になっていることが多く、また、ここで右折して進路を北に変えると、右前方には頂上付近が異様にとがった「とんがり山」もよく見え、地質が特徴的であることを感じさせます。石の鞍の脇にある「播磨鑑」の文章も、こうした地質の特性が古代からの歴史を形作ってきたことを物語っていると言えるでしょう。

1209.石倉の稲荷大明神

1210.石の鞍
 
1211.とんがり山が右に見える
>拡大画像 石ノ鞍の案内板(播磨鑑の記述)
再び県道724号にぶつかると左折し、少しだけ戻る形で大津茂川を渡ります。やや不自然な歩き方で、道筋も旧街道時代とは変わっているのでしょうが、下伊勢の集落に入れば旧街道らしい雰囲気も残されています。

1212.左折で大津茂川を渡る
 
1213.下伊勢の集落内
●伊勢茶屋
飾西と觜崎のほぼ中間点にあたる下伊勢にはかつて茶屋があり、今も国道29号沿いのバス停に伊勢茶屋という名前が残っています。案内板によれば、1214の写真の地点が鳥取の殿様が参勤交代の途上で休憩された「立場」があった場所です。なお、案内板のタイトルにもあるように、播磨国ではほとんどの区間で因幡街道と出雲街道が重複しているため、出雲街道も「因幡街道」と呼ばれていることが多いです。

1214.伊勢茶屋の立場跡
>拡大画像 伊勢茶屋と因幡街道の案内板
伊勢茶屋の立場跡からしばらく行くと変則的な五差路がありますが、道なりに一番左の道を行くが正解で、ここから追分峠への上り坂となり、かなり大規模な墓地である「姫路西霊苑」に至ります。

1215.変則的五差路は直進(左)
 
1216.姫路西霊苑は拡張工事中
その姫路西霊苑が終わるところには柵があり、あたかも行き止まりのようになっていますが、この柵の扉を開き、山道へ直進するのが旧街道の道筋です。柵の扉が閉められているところに入っていくのには少し抵抗感もありますが、これは獣害防止のための柵であり、ここは「一般的な地図でも道路扱いされている道」「鍵が掛けられておらず普通に開けられる」「立入禁止とは書かれていない」「電気柵ではない」といった条件なので、ただ街道歩きのために通行する程度なら構わないと判断できます。もちろん、扉を開けたらキッチリと閉めるのが当然のマナーです。しばらくは道の状態も悪く、旧街道の雰囲気もありませんが、少しだけの辛抱です。

1217.柵に阻まれますが…
 
1218.最初だけ道が悪い
●追分峠
状態の悪い山道を100mほど上れば、追分峠は姫路市とたつの市の境となる峠です。これからいくつも登場する峠に比べれば、距離も標高も勾配も大したことはありませんが、それでも出雲街道で最初の峠であり、頂上付近では古い石垣も残っていて古道の山道を歩いていると実感できます。峠を越えるとまたたつの市側の柵があり、そこからは道の状態も良くなり、視界も開けて気持ちの良い道に変わります。

1219.峠道の石垣

1220.たつの市側は順調
 
1221.眺望が開ける箇所もある
●追分の道標
追分峠を越えると街道らしい雰囲気を残す追分の集落に入り、抜けたところにある三差路に明治19年(1887年)の道標があります。姫路の方向から見れば、「左 作州 雲州 右 因州 伯州」とあり、ここは因幡街道(山崎・若桜経由のルート)と出雲街道の分岐点でした。この場所ではどちらの街道とも昔の道筋のままなので、まさに「追分の道標」という姿を残しています。近くには国道29号の追分交差点があり、北進する国道29号(山崎・若桜経由の因幡街道)と西進する県道724号(佐用・智頭経由の因幡街道および出雲街道)の分岐点となっており、現在も追分は道路の重要交差点となっています。

1222.左右に旧街道、分岐点に道標
●野部の縁切り地蔵
追分の道標ではもちろん左の出雲街道に入り、300mほどでいったん県道724号に合流します。その交差点からも見えている次の交差点を斜め左に入ると「縁切り地蔵尊」で、悪縁を切ることに霊験があるそうで、その由来はいかにも旧街道らしいエピソードです。出雲街道の一つの意義はもちろん縁結びの神様である出雲大社への参詣の道ですが、その道筋には悪縁を断つパワースポットもあるということになります。

1223.縁切り地蔵尊
>拡大画像 野部の縁切り地蔵の案内板
縁切り地蔵付近の旧道はすぐに終わりますが、県道724号を斜め方向に横断して、県道の北の道で林田川まで西進します。結局のところ林田川を渡るのは県道の鳥井橋になるのですが、旧街道時代にはこの橋の少し北で川を歩いて渡っていたそうで、現在でも東岸には少し広いスペースがあり、この場所から荒神社や道標のある西岸に渡っていたことが想像できます。

1224.南の旧道から北の旧道へ
 
1225.この付近で林田川を渡っていた

1226.対岸に見える荒神社
 
1227.県道の鳥井橋
林田川を渡ってすぐ右に曲がると荒神社があり、その側に明治34年(1902年)の道標が残されています。役割としては比較的近い年代に建てられた追分の道標と同じで、東から見て「左 因州 雲州 觜崎」「右 林田 安志 山崎」と刻まれていますが、因幡国へ行くのが山崎・若桜経由の国道29号ルートではなく、佐用・智頭経由の国道179号、373号、53号ルートになっているのが相違点です。なお、この地点から約1.5kmほど北、道標にも記載されている林田地区内にも史跡が多くありますが、道標に従えば、ここはUターンして県道724号の南を行くことになります。

1228.荒神社
 
1229.林田川の道標
林田川沿いに少し南下してから県道724号の少し南を西進していきます。道は微妙なカーブを繰り返しながらも、ただ道なりに行けば觜崎宿の近くまで行くことができるのが旧街道らしいところです。沿道には古い家もあれば新しい家もあり、時には田園風景になることもあるという感じで、何とも中途半端な印象ですが、大都市でもなければ過疎地でもない場所で、大がかりな道路の整備も開発の規制もされていなければ、旧街道はこのような姿になるのでしょう。

1230.少し南下して右カーブ
 
1231.新旧混在の家並みが続いたり

1232.田園風景になったり
 
新しそうな南北方向の立派な道路と交差すると少しは旧街道らしい雰囲気になり、1234の写真の交差点は細い道同士が接続する変則的な四差路になっています。その付近には道標も残されているそうですが、私には発見できませんでした。なお、林田川から県道724号の南の道を歩いてきていますが、この付近では県道の北に奈良時代の「奥村廃寺」の跡があり、山沿いにはより古い時代の出雲街道(因幡街道)と推測できそうな道筋も見られます。

1233.少し旧街道らしくなる
 
1234.この辺りに道標がある?
>拡大画像 奥村廃寺跡の案内板
●素麺神社とそうめんの里
1234の写真の交差点から300mほどで、「素麺神社」という神社があります。その名に驚かされるだけでなく、鳥居も社殿も新しくきれいな状態なのが印象的です。この付近は「揖保乃糸」というブランドで知られる全国屈指の素麺の産地であり、この神社は現在も周辺の関係業者からの篤い崇敬を集めていることが感じ取れます。また、県道724号沿いには「そうめんの里」があり、素麺の製法等を学ぶこともできれば、素麺流しを楽しむこともでき、素麺専門のレストランもあるという観光施設として人気を集めています。

1235.素麺神社

1236.そうめんの里
 
「素麺神社」の北にある1237の写真の地点では前方の丘陵が削られているのがわかります。旧街道の時代にはこのような大規模な掘削による道路の建設などできるわけもないので、ここでは斜め右の道を選んで丘の北を回り込むのが本来の道筋です。しかし、その道には草木に埋もれてしまっている部分があります。荒れているのはほんの10mほどなので強行突破も可能ですが、ここは直進して県道724号に出るのが無難です。

1237.斜め右が旧街道
 
1238.旧街道は荒れています
その丘陵をあっけなく越えると東觜崎駅方面に行く県道436号が斜め左に分岐し、その道で觜崎宿へと入っていきます。また、東觜崎駅の西側には今も現役なのかはわかりませんが、製麺工場とその倉庫らしい大きな建物が並んでいます。

1239.斜め左の県道で東觜崎駅方面へ
 
1240.東觜崎駅の構内
●觜崎宿
姫新線の佐用街道踏切を渡ったあたりからは、宿場町らしく両側に古い家や寺が立ち並び、觜崎宿の中心部に入ったことが実感できます。脇本陣の門は現在も健在で、本陣を務めた家の敷地内には神社があります。觜崎は西播磨を代表する河川である揖保川の畔にある交通の町で、本陣跡のすぐ先で県道437号を北に入れば草に埋もれた小さな道標も見られ、揖保川に到達する直前では瀬戸内海の港町である室津への古道も南へ分かれていきます。

1241.觜崎宿の街並み

1242.民家の中に鳥居
 
1243.道標も見られる
●寝釈迦の渡し跡
揖保川の堤防に上がると、そこに道標型に作られた「寝釈迦の渡し」跡の新しい標柱があり、かつてここに渡し場があったことを示しています。今でこそ觜崎橋が架けられ簡単に渡ることができますが、この辺りの揖保川は太く水量も豊富なため、かつては橋を架けるのが技術的にも費用的にも困難だったことが容易に想像できます。

1244.寝釈迦の渡し跡
>拡大画像 寝釈迦の渡しの案内板
●觜崎橋周辺
觜崎宿周辺の見どころは宿場町だけではありません。觜崎橋より北の揖保川東岸は、長年の風化浸食の末、川沿いの山肌の岩が露出していて、「觜崎の屏風岩」に代表される景勝地になっています。觜崎橋のすぐ北には文和3年(1354年)に作られたという「觜崎の磨崖仏」もあります。

1245.觜崎の磨崖仏

1246.揖保川に到達
 
1247.揖保川を渡る姫新線列車
>拡大画像 觜崎周辺の名所の案内板
「地域の皆様とともに」コーナーの「屏風岩鶴嘴山里公園ハイキング」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・觜崎=はしさき
 ・大津茂川=おおつもがわ
 ・追分=おいわけ
 ・因幡=いなば
 ・伯耆=ほうき
 ・美作=みまさか
 ・野部=のべ
 ・林田=はやしだ
 ・安志=あんじ
 ・山崎=やまさき
 ・若桜=わかさ
 ・佐用=さよ
 ・智頭=ちず
 ・横内=よこうち
 ・揖保川=いぼがわ

●参考資料
 たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」

●取材日
 2014.8.19
 2015.1.19/8.23
 2016.2.6/.4.9
 2017.10.1
 2018.8.19
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