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3.觜崎から千本へ
觜崎橋を渡ると、先述の磨崖仏の拝殿があります。ここからさらに600mほど先にある船渡交差点までの間は、寝釈迦の渡し跡の対岸から県道724号の南の裏道を歩いていきます。大きな河川の渡し場があったところだけに、古い家屋も残っていて、右岸にも旧街道らしい雰囲気がします。

1301.磨崖仏の拝殿
 
1302.右岸の旧街道
船渡交差点では初めて国道179号と交差します。ここから津山市の院庄交差点まで延々75kmもこの国道179号沿いを歩いていくことになります(ここから院庄までの間、単に「国道」と書いている場合、国道179号を指しているとご理解ください)が、ここではまだ直進して県道724号を行くのが旧街道の道筋です。夢前橋西詰交差点から(一部は国道29号に重複)辿ってきたこの県道も出雲街道の一翼を担う重要な路線と言えます。さらに800mほど行くと、馬立橋で栗栖川を渡ります。この付近で西に見える山は珍しい古代山城であり、中世の播磨を代表する大名であった赤松氏も一時期本拠地とした城山城跡です。

1303.船渡交差点
 
1304.城山城跡を見ながら栗栖川を渡る
栗栖川を渡り、馬立地区に入ったところにある1305の写真のモニュメントは地名の由来になったエピソードがあったことを想像させます。県道724号はよく整備された幹線道路、周囲も近代的に整備された田園風景で、旧街道らしい風情ではありませんが、西の山沿いにある史跡への案内板もあり、この道筋が歴史ある街道であったことを感じさせます。

1305.馬立のモニュメント
 
1306.ここを左折
1306の写真の交差点を左折すると、鎌倉時代からの伝承がある「お玉の清水」があります。今は飲用できるような状態ではありませんが、最近まで井戸として活用されていたようです。さらに500mほど北上すれば、市野保地区に入っていきます。

1307.お玉の清水
 
1308.最近まで利用されていた?
>拡大画像 お玉の清水の案内板
●市野保地区
西の山沿いにある市野保地区の集落内ではこれまでの道路と圃場がよく整備された近代的な農村風景とは一転して、旧街道らしい雰囲気になります。その中心にある越部八幡神社は、1000年以上の歴史を持つ神社です。また、市野保地区から北では山沿いに続く旧街道らしい雰囲気の道を歩くことができます。

1309.越部八幡神社
 

1310.境内の絵
 
1311.山沿いを行く旧街道
>拡大画像 越部八幡神社の案内板
●輪袈裟の清水
龍野北高校の西にある「輪袈裟の清水」は、旱魃の際に空海が見つけ出したという伝説を持つ清水です。名水として飲用できるような水ではありませんが、今も水はこんこんと湧いています。また、「たつの市ドラゴンウォーカーズ」のメンバーから教わった話によると、この付近では栗栖川はかつて現在より西側を流れていたそうで、付近の地形と西の山沿いの街道、そして「お玉の清水」と合わせて2つの名水が近隣に並んでいることから、かつての地形を想像してみるのも面白いです。

1312.輪袈裟の清水
 
芝田地区を通り抜け、芝田橋の200mほど西にある歩行者、自転車用の橋で栗栖川を渡って国道に出ます。旧街道の道筋としては、芝田地区の西で栗栖川を渡っていたそうですが、その地点には橋はありません。また、この後また遠くないうちにもう一度栗栖川を渡ることになるので、栗栖川を渡らずに済む大屋経由のルートもあったそうですが、ここでは左岸の平野経由のルートをご紹介します。

1313.芝田の集落内
 
1314.栗栖川を渡る
栗栖川を渡ると、500mほど東には播磨新宮駅があります。真新しい橋上駅舎を持つ播磨新宮駅は姫新線の拠点駅で、列車の運行回数も姫路から播磨新宮までは30分に1回、播磨新宮以西は1時間に1回未満となります。この列車本数が象徴しているように、新宮を境として、出雲街道の沿線は都市(郊外)から田舎へ地域性が変わります。一方、500mほど西には道の駅しんぐうがあり、旧新宮町内に残されていた元禄15年(1702年)の道標が移設されています。道の駅からさらに200mほど西の1318の写真の交差点で斜め右の旧道に入ると、平野の街並みです。

1315.播磨新宮駅
 
1316.道の駅しんぐう

1317.道の駅に展示されている道標
 
1318.斜め右で平野へ
●平野
觜崎から千本までのほぼ中間に位置する平野では、栗栖川沿いをバイパスする形の国道とは対照的に、旧道沿いには古いものも含む家並みが続き、旧街道らしい雰囲気が色濃く残されています。1319の写真の常夜燈は万延元年(1860年)に建てられたもので、「左往還」と旧街道の道筋を差しています。また、その下には東栗栖村の道路元標もあります。

1319.八幡宮入口の常夜燈と道路元標
 

1320.円休寺
 
1321.旧街道らしい雰囲気
平野地区を過ぎれば、また栗栖川を渡ります。対岸には大屋地区の集落が見え、大屋を経由した方が距離は短いように感じます。

1322.対岸は大屋
 
1323.また栗栖川を渡る
右岸に戻っても、国道は相変わらず栗栖川沿いを行きます。旧街道の道筋は少しだけ川から離れていたようで、1324の写真の地点で左折して東栗栖小学校の南側を通り抜けていきます。旧街道の道筋は失われてしまっていますが、この付近は「出茶屋」という旧街道らしい地名です。また、小学校の西側には旧街道を引き継いでいると思われる細道が見られます。

1324.ここを左へ
 
1325.東栗栖小学校の南へ

1326.民家の間に不自然な細道
 
1327.おそらく旧街道
さらに国道を西へ進んでいきます。この付近には旧街道の痕跡と思われるものは散見されるものの、通り抜けられる道は先述の東栗栖小学校の西の細道くらいで、あまり目立った史跡も見当たりません。

1328.左が旧街道?
 
1329.福栖橋東交差点
千本までは国道を歩く距離が長いですが、歩道もよく整備されていて歩きやすい状態が続きます。歩道が異様に広くなっているところも見られますが、旧街道を直線的な国道に整備した際、はみ出した部分と想像できます。千本橋で栗栖川を渡って千本宿に入っていきますが、旧街道はその100mほど東の1331の写真の付近を歩いて渡っていたそうです。

1330.歩道の広さに理由があるはず
 
1331.旧街道の渡河地点はこの辺り

1332.千本橋
 
千本橋を渡ると、斜め右に分岐する県道434号に入ります。千本駅前には地蔵堂があり、旧街道には欠かせない「地蔵菩薩」についてわかりやすく書かれた貼り紙があります。

1333.県道434号へ
 
1334.千本駅前の地蔵
>拡大画像 千本駅前の地蔵の貼り紙(1)
>拡大画像 千本駅前の地蔵の貼り紙(2)
千本駅は駅舎もない単線の駅で、播磨新宮までの各駅に駅舎と行き違い設備があったのと比べると、姫新線もローカル区間に入ったことを感じさせます。気になるのは駅前にある古い大きな倉庫で、かつてはこんなちっぽけな駅でも貨物を乗せていたのかという疑問を抱かせるほどです。本当にそうだったのかは私にはわかりませんが、このような駅前の古くて大きな倉庫は、姫新線の多くの駅で見られます。そして駅西側の千本街道踏切を渡って千本宿に入っていきます。

1335.千本駅
 
1336.駅前の倉庫

1337.千本街道踏切を渡る
 
●千本宿
千本宿の本陣は現役の民家でありながら当時の建物が残っており、そば屋として営業中で、ちょっとした観光拠点となっています。中に入るには営業日・営業時間内に訪れて食事をしなければなりませんが、あの伊能忠敬も宿泊したという本陣で食事も楽しむという貴重な体験ができます。

1338.本陣の門
 

1339.そば屋として営業中
 
1340.土塀も良い雰囲気
>拡大画像 千本宿本陣の案内板
千本宿はこれまでの宿場町と違って山沿いにあるため、旧街道は緩やかな坂道となっています。1341の写真はごく最近まで味のある古い商店だった家ですが、閉店後に店の看板等をきれいに外してリフォームしたようで、旧街道らしい雰囲気の民家に生まれ変わっていて、ご主人の判断に拍手を送りたいところです。その先で斜め右に入ると、山沿いには古代の栗栖廃寺の跡や大きな五輪塔が印象的な依藤塚という史跡もあります。

1341.古い商店が閉店したら…
 
1342.依藤塚
>拡大画像 依藤塚の案内板
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●地名、人名等の読み方
 ・千本=せんぼん
 ・船渡=ふなと
 ・院庄=いんのしょう
 ・馬立=まだち
 ・栗栖=くりす
 ・城山城=きのやまじょう
 ・市野保=いちのほ
 ・越部=こしべ
 ・輪袈裟=わけさ
 ・空海=くうかい
 ・芝田=こげた
 ・伊能忠敬=いのうただたか
 ・依藤=よりふじ

●参考資料
 たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」

●取材日
 2014.8.19/8.26
 2015.8.23
 2016.2.6/4.9
 2017.9.4
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