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5.三日月から佐用へ
三日月駅付近は現在の三日月の市街の中心になっています。国道の一本北にある旧道沿いにも佐用町の三日月支所や郵便局などが集まり、そして旧三日月村の道路元標もこの旧道沿いにあります。

1501.旧道沿いの市街
 
1502.三日月村道路元標
大川橋で志文川を渡ると、旧街道の道筋としては左折して国道沿いに戻っていく形になりますが、ここはぜひ三日月のもう一つの歴史の名所と言える乃井野地区へ寄道してみましょう。志文川を渡って右折、次いで2つ目の交差点を左折すれば、まずは平成30年(2018年)に再移築され、先述した西法寺から約140年ぶりに戻ってきた乃井野陣屋の表門に迎えられます。

1503.大川橋を渡って右へ

1505.再移築された表門
>拡大画像 三日月藩乃井野陣屋表門の案内板
●乃井野集落
乃井野の集落に入れば、交差点がすべて三差路になっており、「○○町」等と書かれた新しい石碑が随所に立っています。この町割りは城下町そのもので、特に中之町では古くて立派な門を構えた家が連続しており、一見の価値があります。老朽化が目立ち、朽ちかけているところも多いのが気にかかりますが、近年、乃井野地区では表門の再移築だけでなく、「武家屋敷マルシェ&ウォーク」というイベントも開催され、古い陣屋町を活かしたまちづくりが力強く進められています。

1505.門を構えた民家が連続

1506.交差点はすべて三差路

1507.このような石碑が多数
●三日月藩乃井野陣屋
その乃井野集落から少し上ると、再建された三日月陣屋の門があり、「三日月乃井野陣屋館」となっています。再建とは言え、木造の本物志向のもので、その大きさも含めて圧倒的な存在感があります。案内図を見れば、三日月は森氏1万5000石の「三日月藩」があった地であり、その城(を代替する陣屋)がここにあり、今では田園の方が目立つ乃井野集落もその城下町として武家屋敷が建ち並んでいたことがわかります。また、三日月陣屋のすぐ西にある列祖神社という神社の境内には藩主庭園跡、旧藩校広業館の建物(移築)があるなど、三日月藩という江戸時代の小さな藩の歴史を物語る史跡は乃井野集落近辺に集結しています。

1508.三日月藩乃井野陣屋

1509.藩主庭園跡

1510.旧藩校広業館

1511.落葉の清水

1512.日岡八幡神社
>拡大画像 旧三日月藩乃井野陣屋跡 周辺案内図
>拡大画像 藩校広業館の案内板
三方里山の西側を回り込むように国道に戻っていく途中に「味わいの里三日月」という施設があります。特産品が販売されているほかトイレやレストランもあり、定休日や営業時間の制約はあるものの、道の駅的にも利用できます。また、「味わいの里三日月」に隣接してルピナス園があり、5月中旬〜下旬頃には色とりどりの花が楽しめます。陣屋館の前にも小規模ながらルピナス園があり、花の名所として育てようという地元の心意気が感じられます。4月の桜、6月のアジサイの名所は全国あちこちにありますが、その中間の時季に咲くルピナスの名所は珍しく、地域おこしのアイデアとしても感心させられます。

1513.味わいの里三日月

1514.ルピナス園
国道に復帰すると、三日月の市街は終わっていますが、播磨科学公園都市への北からのアクセス路となる県道28号が分岐する市ノ上交差点付近にはコンビニや飲食店もあります。その市ノ上交差点の手前ではわずかに旧道らしき道を歩ける区間があり、水路に「いぼ神さん」という小さな社があります。

1515.国道に復帰

1516.わずかに残る旧街道らしき道

1517.いぼ神さん

1518.市ノ上交差点
市ノ上交差点から300mほどでまた斜め右へ旧道が分岐が分岐し、新宿の集落へ入っていきます。現在では旧道沿いに商店もなく、小学校も閉校されているものの、ここは旧三日月町の西部にあった旧大廣村の中心と言える集落でした。道沿いには古いものを含む民家が並んでいるだけでなく、道路元標も残されていて、かつては多少なりとも繁栄していたことを想像させます。

1519.斜め右で新宿へ

1520.旧道沿いの家並み

1521.大廣村道路元標

1522.道なき道を抜けて宝篋印塔へ
●新宿の宝篋印塔
新宿には県指定の文化財になっている宝篋印塔があります。この宝篋印塔は嘉慶2年(1388年)のもので、出雲街道のような旧街道であっても、現存するほとんどの史跡は江戸時代以降のものなので、南北朝時代のものがそのまま残されているのは貴重な例と言えます。しかし、ごくわずかの寄道とは言え、辿り着くためには1522の写真の地点から民家の隙間に入っていき、行き止まりに見えるところからは溝の中を歩き、さらに民家の裏手の山に少し入るという順で道なき道を抜けていかなければなりません。とは言え、このことは中世の出雲街道が現在の国道の裏にある旧道のさらに裏を通っていたという道筋の変遷を想像させてくれるものであり、その意味でも興味深い史跡と言えます。

1523.新宿の宝篋印塔
>拡大画像 新宿墓地宝篋印塔の案内板
新宿集落の旧道が終わる目前、1524の写真の地点では斜め左に細道があり、そちらから国道を横断すれば新宿廃寺跡につながっていくことからも、そちらが古い道筋と思われます。この辺りから国道は旧三日月町と旧南光町の境である卯ノ山峠への上り坂となっており、国道を少しだけ上れば六地蔵があります。国道を横断し、1526の写真の地点で写真左の2本の木の間にある直進方向の土道に入れば新宿廃寺跡です。

1524.ここを斜め左へ

1525.国道沿いの六地蔵

1526.木の間から新宿廃寺跡へ
●新宿廃寺跡
新宿廃寺跡は礎石が3つ残るだけの場所ですが、周辺の出土品等から奈良時代に建てられたものと推測され、平安時代に編纂された延喜式にも記載されている「中川駅」もここにあったという、まさに古代の佐用郡の中心であったと言える地です。当サイトは主として近世以降の街道としての出雲街道を取り上げていますが、先述した中世(南北朝時代)の宝篋印塔、そして古代の中川駅と、いつの時代も出雲街道が重要な交通路であったことを示す史跡が新宿集落周辺には集中しています。

1527.新宿廃寺跡
>拡大画像 新宿廃寺跡の案内板
新宿集落を出ると、旧街道は卯ノ山峠を越えて旧南光町に入ります。しかし、その道筋を引き継いだ国道には歩道がなく、峠道に旧街道らしい史跡もあまりありません。一方で、姫新線や志文川沿いに南寄りのルートを歩いても、わずかに遠回りにはなりますが旧南光町の中心地である徳久に至ることができるので、ここではあえて街道を外れて志文川沿いのルートをご紹介します。旧三日月町の西部では志文川の堤防に桜が植えられており、季節にはとても美しい道です。

1528.南寄りを歩くことにします

1529.志文川堤防の桜
●南光のひまわり畑
旧南光町に入って宝蔵寺地区には有名なひまわり畑があり、約26.5万本ものひまわりが植えられています。約25年前に始まったというこのひまわり栽培は、特産品づくりと観光名所づくりを兼ねた上、あまりお金もかからない地域おこしという点においても、すばらしい事例だと思います。また、ひまわり畑は旧南光町内の6カ所にあるため、旧街道の道筋にこだわって国道沿いを歩いたとしても、林崎地区で千種川沿い(上流側)に少し寄り道すれば、ひまわり畑を楽しむことができます。さらに、各地区で開花時期をずらしているため、7月にはいつでもどこかの地区でひまわりを楽しめるようになっています。

1530.宝蔵寺地区のひまわり畑

1531.車窓からも楽しめます

1532.林崎地区のひまわり畑
景色の良いところを求めて国道を離れましたが、まっすぐ行くと出雲街道の道筋からどんどん離れていってしまうので、小山という集落の南にある1533の写真の交差点(標識は志文川南岸の安川集落を案内)で忘れず右折しましょう。この辺りの道は当然ながら国道に比べると整備されていないので、交通量が少ないと言っても歩道のない区間もあり、案内標識もほとんどないので注意してください。小山集落から小さな丘を越えると、千種川を渡って播磨徳久駅に出てきます。

1533.ここを右折

1534.小山集落付近

1535.千種川を渡る

1536.播磨徳久駅
播磨徳久駅前では正面に2本の道があり、左(西)の道を選択して旧国道の徳久駅前交差点に出ます。ちなみに徳久の市街は駅の東に広がっており、旧国道沿いに南光支所をはじめとした旧南光町の主要施設が集まっていますが、当サイトでご紹介しているコースからは外れることになります。徳久駅前交差点を(駅方向から来て)直進すると、まもなく旧街道が東から合流してきて、出雲街道の道筋に戻りますが、徳久の市街はここでもう終わりで、次なる峠に向けて坂を上っていきます。中腹では平成27年(2015年)に開通したばかりの国道179号(徳久バイパス)と合流します。

1537.左の道で徳久駅前交差点へ

1538.トンネルの国道バイパスに合流
佐用町は全域が千種川流域ですが、旧三日月町の中心部は志文川の谷、旧南光町の中心部は千種川本流の谷、旧佐用町と旧上月町の中心部は佐用川の谷にあり、谷筋の間に峠があります。徳久と佐用と間の峠は佐用坂と呼ばれ、雰囲気は相坂峠に似ていますが、こちらには史跡が見当たらず峠道の風情もほとんどありません。相坂峠よりも一足早く歩道が完成しており、歩きにくさはないのが救いです。

1539.また峠道に

1540.佐用坂の頂上付近
坂を下り終えると、まず佐用商店街への道が左に分かれ、佐用宿の流れを汲む街並みに入ります。国道を直進して智頭急行の線路をくぐると、国道373号と合流する上町交差点に至ります。国道373号沿いのルートは因幡街道(智頭街道とも呼ばれる)であるとともに、平成6年(1994年)に鉄道の智頭急行、平成25年(2013年)に道路の鳥取自動車道が開通するなど、今も昔も鳥取へのメインルートとなっていて、沿線には宿場町平福の街並み、宮本武蔵の生誕地などの史跡や名所が多くあります。ここから国道179号は国道373号と重複するようになりますが、旧街道で考えるとその分岐点は旧南光町内にあり、既に出雲街道の単独区間になっています。

1541.佐用宿は左、国道は右

1542.旧上町交差点らしき地点
●佐用宿
上町交差点の近くには県指定の天然記念物となっているイチョウの古木があります。ここから始まる佐用商店街がかつての宿場町となり、まず、佐用警察署に本陣跡の石碑が立っています。そこから続く商店街は史跡の残り方はあまり良好とは言えませんが、佐用郡の中心の町だけあって、賑わっているとまでは言えずとも、商店街と呼んで恥じない状態で踏みとどまっています。1545の写真左の呉服店などは残念ながら営業していないようですが、現役であればそれだけで絵になるような雰囲気です。

1543.佐用の大イチョウ

1544.松江藩役所並本陣跡

1545.佐用の街並み
>拡大画像 佐用の大イチョウの案内板
佐用宿では商店街の街並みが佐用駅までずっと続くので、そのまま道なりに進んでしまいそうになりますが、中町交差点で左折して駅の裏の方を通るのが旧街道の道筋です。龍山神社御旅所のところで右折すると、もう宿場町の街並みは終わっているような感じですが、山沿いに石造物群が見られたりします。駅の駐車場としても利用可能な駅南公園の脇にある1549の交差点では直進しますが、斜め右の道に入って線路をくぐれば佐用駅です。

1546.中町交差点を左折

1547.龍山神社御旅所の前で右折

1548.山沿いに石造物群

1549.佐用駅には斜め右へ
     
市街の西端には佐用駅と佐用町役場があります。佐用駅には姫新線だけでなく智頭急行も発着し、特急列車もすべて停車します。智頭急行に乗車しても、上郡を経てもちろん姫路に行けるので、街道歩きのアクセスとして、姫新線の列車が良いタイミングで来ないときなどは智頭急行を活用すると良いと覚えておくと便利です。
さて、佐用の市街は、平成21年(2009年)の台風9号の際に佐用川が氾濫し、大きな被害を受けました。商店街では浸水した家屋も多く、復旧不能と判断されて取り壊されたのか、更地になっている場所も見られます。旧街道の宿場町らしさをあまり感じられない一因でもあるのでしょうが、地元の人達は復興に向けた取り組みを力強く進めています。そんな佐用の名物が「ホルモン焼きうどん」で、町内では多くの店が味を競っており、旧街道沿いにも店舗があります。「津山ホルモンうどん」がB−1グランプリで上位入賞を続けて有名になりましたが、ホルモンを入れた焼きうどんはこの周辺地域、すなわち播磨国西部から美作国にかけての食文化なので、どちらかが「パクった」というわけではありません。

1550.佐用駅

1551.佐用ホルモン焼きうどん
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●地名、人名等の読み方
 ・志文川=しぶみがわ
 ・乃井野=のいの
 ・列祖神社=れっそじんじゃ
 ・広業館=こうぎょうかん
 ・市ノ上=いちのうえ
 ・新宿=しんじゅく
 ・大廣村=おおひろむら
 ・嘉慶=かきょう
 ・南光町=なんこうちょう
 ・卯ノ山峠=うのやまとうげ
 ・延喜式=えんぎしき
 ・中川=なかつがわ
 ・徳久=とくさ
 ・宝蔵寺=ほうぞうじ
 ・林崎=はやしざき
 ・佐用川=さよがわ
 ・上町=かんまち
 ・智頭=ちず
 ・宮本武蔵=みやもとむさし
 ・佐用駅=さよえき
 ・上郡=かみごおり

●参考資料
 たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」
 佐用ハイキングコース選定の会「佐用ハイキング34コース」

●取材日
 2014.8.26/9.2
 2015.3.5/4.8/7.14/10.9
 2016.5.4/11.12
 2017.2.28
 2018.5.22/6.13
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