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9.楢原から勝間田へ
梶並川を渡ってしばらく行くと県道51号と交差する北山交差点に出ます。左折すると400mほどで美作インターがあり、津山や大阪・京都への高速バスが頻発しているだけでなく、その周辺には全国最大手の家電量販店が進出しているなど、現在では美作市内でも最も栄えている一帯になっています。
旧街道の道筋はなおも中国自動車道に沿って直進します。ここからの道路は県道ですらないものの、勝央町と美作インターの間の近道として幹線道路的性格を持っており、車が高速で行き交っていますが、北山交差点からしばらくの間では一本北に旧道があるので、2102の写真の地点で斜め右に入ります。

2101.北山交差点

2102.ここは斜め右へ
豊国神社から西では集落の裏側にあたる山沿いに旧街道が続いています。田園風景の中にいくつものため池があるなど、美作国らしい風景の道です。

2103.豊国神社

2104.山沿いの旧街道

2105.レンゲの花咲く田園地帯

2106.ため池が多い
北山交差点から勝間田への幹線道路に戻ると、新設された道標があります。本来ならこの側で中国自動車道の南側に出るのですが、通行できる状態ではないので、もう少し西に行ってから左折し、中国自動車道を越えて南に出ます。

2107.新設の道標

2108.四ツ辻は左折
●四ツ辻
2108の写真の地点から中国自動車道をオーバークロスすると、「出雲街道 四ツ辻」という新設の道標があります。東西方向の出雲街道に対し、南北方向に岡山方面と鳥取方面を結ぶ古道が交差していた地点で、「備前岡山へ十三里」「因幡鳥取へ十四里」と刻まれています。ここで交差する古道は出雲街道や因幡街道のような有名な街道ではありませんが、美作市においてもこのような新設の道標を立てて古道を後世に残そうという活動は盛んに行われています。

2109.四ツ辻の新設道標
四ツ辻からは中国自動車道のすぐ南側を西へ向かいますが、そこからの道は荒れてしまっています。道筋はわかるので私は何とか通過しましたが、次の上相地区に出るまでの約500mの間には特筆すべき史跡もありませんので、よほど旧街道の道筋にこだわるのでなければ、いったん2108の写真の地点まで戻って迂回する方が良いかもしれません。

2110.荒れた旧街道

2111.マシなところの山道
四ツ辻から続く山道を通り抜け(または迂回し)、上相地区の谷に出れば松が植えられた「立場跡」のほか、安政5年(1858年)に時の老中堀田正睦の息子の堀田正倫との婚約のため江戸に向かった松江藩の政姫が休息されたというお姫田があります。それにしても、標柱に書かれた案内によれば、正倫は7歳、政姫は5歳だったそうで、幕末の動乱期とはいえ、ほんの160年ほど前にそのような政略結婚が行なわれていたことには驚かされます。

2112.立場跡

2113.お姫田
上相地区の谷を通過すると再び上り坂となりますが、こちらは勾配が急な割には民家も連続して道も舗装されています。上り坂が終わる寸前には鍛冶屋逧の一里塚跡で、やはり新設の標柱が整備されています。そして頂上付近には弘法大師供養塔や六地蔵があり、旧街道らしい雰囲気です。

2114.ナシ木乢へ上る

2115.鍛冶屋逧の一里塚跡

2116.弘法大師供養塔

2117.六地蔵
さらに道なりに進むと道路が新しくなり、平成28年(2016年)3月に開通したばかりの地域高規格道路である美作岡山道路と中国自動車道をつなぐ勝央ジャンクションをアンダークロスします。真新しい道路が整備されて旧街道の風情も何もありませんが、ここにも「大畑」という小字と思われる地名とともに「古道跡/住宅跡」と刻まれた新設の標柱があります。史跡らしい史跡がある地点でなくても、「こうなること」を見越して標柱を立てて歴史を遺したことは地元のファインプレーだと思います。
美作岡山道路をくぐって右折、突き当たりを右折して中国自動車道をくぐり、またすぐ左折という順で勝央町に入ります。新しい自動車専用道路が開通したばかりなので、この付近では少し古い地図には掲載されていない道を行くことになりますが、「おかやまファーマーズマーケット ノースヴィレッジ」を目指すことを意識して進んでください。

2118.美作岡山道路をくぐりますが…

2119.大畑の古道、住宅跡

2120.美作岡山道路の先を右折

2121.右折で中国自動車道をくぐる
「おかやまファーマーズマーケット ノースヴィレッジ」は名前の通り広大な農業公園で、家族で休日を過ごすのにピッタリの施設です。エントランスの建物に野菜の産直市もありましたし、近辺の農産物を使ったおいしいものも食べられそうです。道路沿いには出雲街道を紹介する案内板があり、内容に若干の間違いがあることが気にかかりますが、ファミリー層向けにわかりやすく地域の歴史を紹介しようというのはとても良いことだと思います。

2122.ノースヴィレッジのエントランス

2123.ノースヴィレッジの内部
>拡大画像 ノースヴィレッジの出雲街道の案内板
ノースヴィレッジの先で左折し、勝間田の市街へ向けて下っていきますが、この付近の岡地区も史跡がたくさん残っている場所です。2122の写真の地点を左に行けば「みちしるべ地蔵」、そのわずかに東(ノースヴィレッジ側)から右に入れば「姿見橋」の跡です。

2124.みちしるべ地蔵には斜め左

2125.姿見橋へは右
●岡のみちしるべ地蔵
岡の地蔵は「左 かみや 右 くらしき」と刻まれ、道標の役割を果たしています。アンパンマンのような丸顔をしたお地蔵さんが「困った人を助けるのが正義の味方」というやなせたかし先生の言葉のように(?)、歩く人が迷わないように見守ってくれています。なお、次に紹介する「姿見橋」とは一つの線上になっておらず、両方に寄ろうとすればどちらかに寄道する形になります。時代により旧街道の道筋も微妙に変わっていることがわかります。

2126.岡のみちしるべ地蔵
>拡大画像 岡のみちしるべ地蔵の案内板
●姿見橋
姿見橋は先に紹介した「笠懸の森」と同様、隠岐に流される後醍醐天皇ゆかりの史跡です。現在は伝承に残る池もなく、石碑と案内板があるのみですが、ここで後醍醐天皇が水面にそのお姿を映されたと言われています。ところで、このような後醍醐天皇ゆかりの史跡は出雲街道沿線に多数存在しますが、この姿見橋とは一本のルートで結べないような場所(美咲町など)にも似たような史跡は存在します。伝承の域を出ないこれらの史跡群を巡り、自分なりに後醍醐天皇の配流ルートを推定してみるのも出雲街道の楽しみ方の一つです。

2127.姿見橋の碑
>拡大画像 姿見橋の案内板
岡地区は先述したように旧街道らしい史跡がたくさん残っている地区であり、いかにも歴史の道という雰囲気が強く感じられます。そして「岡地区史蹟保存会」がその歴史を残すべく活発に活動されており、姿見橋の碑の裏にある2128の写真の「夜泣きの森」の立看板は平成28年(2016年)に設置されたばかりのものです。こういった地元の活動は当サイトでも見逃さずにご紹介していきたいものです。

2128.夜泣きの森

2129.姿見橋から岡地区の集落へ

2130.岡神社

2131.石碑や石仏が多く残る
岡集落を通り抜け、センターラインのある広い道路に出て西へ進むと、2133の写真の地点で直進は狭い道路になりますが、そこを直進すると勝間田宿の街並みに入っていきます。勝間田駅から北へ向かう県道67号と交差すると、いよいよ勝間田宿の中心部で、ここから道路の舗装は石畳風になります。

2132.再び広い道へ

2133.直進の狭い道へ

2134.石畳風の道になる
●勝間田宿1
勝間田宿はこれまでの宿場町と比べても古い建物が多く、いかにも旧街道の宿場町という雰囲気が色濃く残されています。江戸時代までの街道が石畳だったわけではないと思いますが、それでも石畳風の舗装が沿道の古い建物とよくマッチしており、水路には鯉が泳いでいるなど、史跡としての整備もこれまでの宿場町の中では最もよくなされています。また、勝央町は「金太郎」として知られる坂田金時の終焉の地で、街並みの中に金太郎の像があります。

2135.舗装は石畳風、水路には鯉

2136.古い建物も数多い

2137.金太郎の像
>拡大画像 勝間田宿の案内板
●勝間田宿2
勝間田宿のハイライトが木村脇本陣跡に建てられた郷土美術館で、旧宿場町の中で異彩を放つ洋館が石畳風の道路によく似合っています。この建物は明治45年(1912年)に勝田郡役所として建てられ、昭和57年(1982年)に勝央町役場としての役割を終えるまで、実に70年にわたって地域行政の中心であり、町のシンボルでした。さらにその西には下山本陣跡があり、江戸時代以来の茶室が残されています。旧街道の道筋を歩いていたら見逃してしまっても仕方のないような奥まった場所にありますが、それがかえって往時の本陣の広さを感じさせてくれます。郷土美術館や下山本陣跡からもまだしばらく街並みは続き、滝川を渡る勝間田大橋のところで石畳風の塗装が終わり、勝間田宿が終わります。

2138.勝間田郷土美術館

2139.下山本陣跡に残る茶室

2140.勝間田宿は勝間田大橋まで
>拡大画像 勝間田郷土美術館の案内板
>拡大画像 下山本陣の案内板
このように勝間田宿は史跡の残り方も整備状況も良好で、毎年9月には「街道祭」と題したイベントも開催されています。勝央町は平成の大合併の中で単独町制を選択していますが、勝間田駅前にもこういったイベントや町の取り組みをPRする大看板があり、元気なイメージを感じられる町となっています。余談ながら、ここは「勝田郡」「勝央町」「勝間田」という縁起の良い地名で、勝間田駅の駅舎内にある「WELCOME 3勝の勝央町へ」という貼り紙には「戦時中にわざわざこの駅から出征した」との記載がありますが、「勝つまで」駅の隣は「早死のう」駅です。縁起担ぎをしたくなるわけです。

2141.勝間田駅

2142.縁起の良い地名
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●地名、人名等の読み方
 ・勝央町=しょうおうちょう
 ・上相=かみや
 ・堀田正睦=ほったまさよし
 ・堀田正倫=ほったまさとも
 ・鍛冶屋逧=かじやさこ
 ・勝央町=しょうおうちょう

●取材日
 2014.9.23
 2016.1.31/5.3
 2018.4.11
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