トップページ > 出雲街道の道のり > 10.勝間田から兼田橋へ
10.勝間田から兼田橋へ
滝川を渡ってしばらく行くと、久しぶりの国道に復帰します。美作、勝央の2つの町を過ぎ、美作国最大の都市である津山市に入っていくため、前に国道から別れた江見あたりに比べれば交通量も明らかに増えており、田舎なりに沿道の店舗が増えてきます。そのような中でも2141の写真の泣清水など、歴史ある街道であることがわかる史跡はところどころに見られます。

2143.久しぶりの国道復帰

2144.泣清水
>拡大画像 泣清水の碑
この辺りは国道が旧街道の道筋をほぼそのままなぞっていますが、押田集落では斜め右への分岐があり、地形に従った道を歩くこともできます。2147の写真の交差点では斜め右に曲がって西勝間田駅方面に入るのが旧街道で、大峯役小角供養塔などが見られます。

2145.斜め右へ

2146.地形に従った道

2147.ここも斜め右

2148.大峯役小角供養塔
黒坂地区は旧道で通り抜け、また国道に戻る場所には高取小学校跡があり、次いで高取八幡神社があります。この周辺は昭和の大合併までは高取村という自治体でしたが、なぜか東の黒坂地区と西の池ヶ原地区に分離して、それぞれ勝央町と津山市に合併しています。その結果として、地区の中心であったと想像できる場所が市町境のすぐ近くにあるという状況が現在も続いています。

2149.高取小学校跡

2150.高取八幡神社

2151.津山市に入る
>拡大画像 高取八幡神社の案内板
この辺りの国道には、旧道への分岐が非常に多いのが特徴で、国道を挟んでジグザグに旧街道の流れを汲む旧道が続きます。古い民家は国道に背を向け、玄関が旧道に面していることが多いです。特に美作大崎駅のある福力地区に入ると長く旧道が続き、駅付近ではちょっとした市街が形成されています。この周辺は瓦の製造に適した粘土質の地質であったため、瓦の製造が盛んだったという歴史を持っており、廃屋が多いのが目につくのも瓦製造業(とそれに関連する商業等)の盛衰を物語るものだと言えそうです。また、美作大崎駅北側の福力荒神社はマムシ除けの神様として知られており、祀られているのは須佐之男命だそうです。

2152.このような分岐が多い

2153.美作大崎駅付近

2154.福力荒神社
大崎では後醍醐天皇ゆかりの「夜泣き地蔵」など、西半分においてもちょっとした史跡が多いです。2km近く続いた旧道が終わり、国道に戻る地点には松尾芭蕉の句碑もあります。

2155.夜泣き地蔵

2156.旧道らしい酒屋

2157.芭蕉句碑
国道に戻ってまたすぐに斜め右への分岐があります。今までの旧道に比べて怪しい雰囲気で、現れるのも産廃回収業者にラブホテル2軒という状況でやっぱり怪しいですが、ご覧の皆様に自信を持って歩いていただくためにあえて写真を掲載します。ともあれ、2160の写真のホテルの先を左折するのが、れっきとした出雲街道の道筋です。

2158.ここも斜め右

2159.旧街道の雰囲気とはほど遠い

2160.ラブホの先を右折
●河辺上之町
坂道を上れば河辺上之町に入りますが、集落の東西の入口には城郭でよく見られる防御施設の「桝形」が残されています。案内板に記載されているように、そもそもこの集落自体が江戸時代の前期に意図的に丘の上へ移転させられた集落であることからも、津山盆地に入る手前の最後の丘が地理的に津山城下町の防衛の要所として重視されていたと考えられます。いかに平和な江戸時代と言っても、大名は軍事的な視点を持って自らの領国を運営していたことがよくわかります。

2161.桝形(西側)

2162.桝形(東側)

2163.道標も残されている
>拡大画像 桝形の案内板
河辺集落を抜け、右折で国道に戻ると、あっと驚く都市の風景が眼下に広がります。国道179号は新河辺交差点で岡山と津山と鳥取を結ぶ国道53号と合流、さらに中国自動車道の津山インターも至近にあるという交通の要衝のため、河辺は今や津山市でも最大の商業集積がある地区になっています。とは言え、旧街道の道筋はまっすぐ新河辺交差点に下る国道の少し南側にあるので、姫新線を越えた先の階段を下り、集落の中を通って河辺交差点に至ります。

2164.久しぶりの都会へ

2165.旧街道へは階段を下る
河辺交差点で国道53号を斜め方向に横断し、周辺に全国最大手のショッピングモールを筆頭に、全国チェーン、地元資本問わず郊外型の大型店舗が乱立している中を西に進んでいき、加茂川に架かる兼田橋に至ります。

2166.河辺交差点

2167.兼田橋へ
●兼田橋周辺
国道の新兼田橋と並んで旧道の兼田橋を渡れば、いよいよ旧来からの津山市街に入っていきますが、その兼田橋の西詰には道標が残されています。文字の多い道標には「播州ひめぢ二十一里」というように行先も多く案内されていますが、その中にある「信州善光寺百五十五里」には驚き呆れます。現在の高速道路でも「長野 620km」などという標識は見たことがありません。また、この辺りには罪人の処刑場もあったそうですが、道標から河原を少し南に行くと、旧街道で一般的に見るものよりも立派な三界萬霊塔が立てられ、丁重に供養されています。

2168.兼田橋の道標

2169.「信州善光寺」って…

2170.三界萬霊塔
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●地名、人名等の読み方
 ・兼田橋=かねたばし
 ・役小角=えんのおづぬ
 ・池ヶ原=いけがはら
 ・大崎=おおざき
 ・美作大崎駅=みまさかおおさきえき
 ・福力=ふくりき
 ・須佐之男命=すさのおのみこと
 ・河辺=かわなべ

●参考資料
 大崎地区歴史を考える会「大崎の歴史と文化 出雲街道界隈編」

●取材日
 2014.10.23
 2016.1.31
 2017.12.3
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