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11.兼田橋から津山へ
兼田橋を渡ると、まもなく鳥取と津山を結ぶ鉄道である因美線の踏切を渡り、その後も国道のすぐ北に旧道が長く続きます。旧道沿いには古いものを含む家並みが途切れることなく続き、その状況は津山市街を出るまでずっと変わりません。そのため見落としがちになってしまいますが、2202の写真の地点では右斜めに分岐する道が旧街道です。

2201.因美線を渡る

2202.ここで斜め右へ
旧街道は国道やその旧道よりわずかに北、丘陵沿いのわずかに高い位置を西進していきます。途中で交差する八幡神社の参道は長い石段になっています。上ればもちろん八幡神社がありますが、この参道を下ったところにはB'zの稲葉浩志さんの実家の化粧品店があり、ファンの聖地となっています。この辺りでは既に周囲は市街化していますが、道に微妙なカーブがあったり、塞神社で多くの石造物や六地蔵が見られたりすることに旧街道らしさを見出せます。

2203.八幡神社の参道

2204.稲葉浩志さんの実家

2205.少し高い位置を行く

2206.塞神社
●玉琳
旧街道の道筋は玉琳で兼田橋からの旧道に合流しますが、その手前には地蔵などの石造物が集まった交差点があり、北への道が接続しています。この道は津山と鳥取を結ぶ因幡道で、この分岐点にはかつて道標や一里塚もあったそうです。美作国の一里塚は後述する津山城下の京橋を基準として整備されていましたが、ここは京橋から4kmも離れていないため、実質的に東の出雲街道と北の因幡道の一里塚はこの玉琳の街道分岐点を基準としていたと言えます。

2207.玉琳の石仏群

2208.因幡道はここから分岐

2209.津山ホルモンうどんの有名店も
>拡大画像 玉琳と因幡往来の案内板
この辺りはまだ津山城下町に入っておらず、続く東松原の街道沿いにはかつて松並木がありましたが、現在では跡形もなくなっています。しかし、東松原には津山市内でも屈指の名建築と言える旧津山洋学資料館(旧妹尾銀行)など古い建物も多く、城下町からは外れていると言っても、比較的古くから市街が拡大し、発展してきたことを感じさせます。旧津山洋学資料館から100mほどで新しい広い道路を横断し、さらに200mほど行けば江戸時代からの津山城下町である東新町に入ります。

2210.旧津山洋学資料館

2211.新しい道路を横断
>拡大画像 東松原と松並木の案内板
●津山城東地区1
東新町から始まる津山城東地区は、平成25年(2013年)に伝統的建造物群保存地区に指定されました。最初に現れるのは荒神曲りで、城下町らしく一直線に進めないよう道が屈曲しており、そこからは古い街並みが長く続きます。ここからは観光地として整備が進んでおり、私などがご紹介するまでもないため、見どころを一つ一つ紹介することはしませんが、要所要所に東新町の例のような案内板が整備されています。そのような案内板でそれぞれの町のストーリーを知るとともに、旧街道に接続する小路などに目を向ければ、津山の城下町の成り立ちや、城下町時代の町割りが今もよく残されていることがわかります。

2212.荒神曲り
>拡大画像 東新町の案内板
●津山城東地区2
続く西新町は電線も地中化されていて景観もスッキリしており、また同時に津山城東地区の中でも古い街並みが最もよく残っている場所と言うこともできます。城東むかし町家は津山城下町でも最大級の規模を誇った商家で、内部が無料公開されています。そのすぐ西には新しい津山洋学資料館と箕作阮甫旧宅があります。江戸時代の末期に、津山はその箕作阮甫ら多数の洋学者を輩出しており、明治維新前後の日本の近代化に大きく貢献しています。

2213.城東むかし町家(旧梶村家住宅)

2214.津山洋学資料館

2215.さすがの伝建地区
>拡大画像 津山城下町案内図(津山洋学資料館前設置の城東版)
西新町を過ぎるとまた道が曲げられており、その大曲りを過ぎると中之町に入ります。中之町には作州城東屋敷があり、こちらは平成5年(1993年)に建てられたものですが、城東地区に似合う雰囲気の観光施設で、だんじりの展示館もあります。

2216.大曲り

2217.作州城東屋敷
このように城東地区は津山を代表する観光地として整備されていますが、車の交通は規制されていないので交通安全には注意しなければなりません。ただ、津山市のコミュニティバス「ごんごバス」は東循環線がほぼ出雲街道のルートで貫通し、途中からは小循環線も加わって1時間に1〜2回のバスが確保されているので、便利に観光ができます。
勝間田町を経て、続く林田町には平成28年(2016年)に国の重要文化財に指定された苅田家住宅があり、2219の写真で工事をしているその西の町家は宿泊施設として整備中です。津山市では近年「観光立市宣言」をして観光に力を入れており、城東地区も観光地としての真価を発揮しようとしています。

2218.ごんごバスが通る

2219.苅田家住宅付近
>拡大画像 勝間田町の案内板
また、林田町では2220の写真の和菓子屋で伝統の和菓子が、その向かいにある系列の洋菓子屋で津山の新名物の「津山ロール」が販売されていて、お土産に最適です。伝統の和菓子にしても新名物の津山ロールにしても、この店だけでなく市内の多くの店が味を競い合い、高め合っています。松江に比べればあまり知られていませんが、津山は美味しいお菓子の宝庫でもあるのです。林田町を過ぎると、またも鉤型に曲がった道で橋本町を通過し、大橋に至ります。

2220.林田町の和菓子屋

2221.橋本町でまた曲がる
●大橋
(津山)大橋は津山盆地を南北に貫く宮川に架かる橋で、橋上からは鶴山公園(津山城跡)の石垣もよく見え、渡ればいよいよ津山の中心部です。津山城は南の吉井川、東の宮川を天然の堀とした平山城ですが、往来の多い出雲街道から宮川を渡ってきた大橋の西詰はまさにその防御の要と言える場所なので、ここには東の大番所が置かれていました。また、明治時代になってからも大橋は岡山県北部の交通の要であり続け、現存していませんが、大橋の西詰には「津山元標」が置かれていました。出雲街道にも8基が残る明治の里程標はこの大橋西詰が基点です。

2222.大橋

2223.東大番所跡
>拡大画像 東大番所跡の案内板
材木町、伏見町ともうしばらく西に進み、2225の写真の交差点では旧街道の道筋は直進ですが、せっかくなので鶴山公園(津山城跡)に立ち寄るため右折します。伏見町の家並みの裏には水路がありますが、これは津山城の内堀の痕跡です。この水路の北にはほとんど建物がなく、広い駐車場になっていることからも、かつてはもっと幅のある堀があったことがわかります。

2224.材木町

2225.伏見町で右折

2226.内堀の跡
突き当たりにある「津山郷土博物館」はかつての津山市役所で、外装も内装も重厚な作りになっており、かつての勝央町役場だった勝間田の郷土美術館もそうでしたが、昔は役所の建物を地域のシンボルにふさわしいものにしようというという考えがあったことが窺えます。美作国を代表する歴史博物館だけに展示物にも見るべきものが多くありますが、中でも江戸の町の鳥瞰図である「江戸一目図屏風」は東京スカイツリーに複製が展示されて話題となりました。また、郷土博物館の前には市内の道路整備等により撤去されたと思われる多数の道標が移設されてきており、古道歩きをしている者にとっては必見の展示となっています。

2227.津山郷土博物館

2228.道標多数
郷土資料館の西隣には「津山観光センター」があり、ここは津山近辺の観光パンフレットや土産物が一通り揃う観光拠点となっています。さらにその西に隣接して「森本慶三記念館」(旧津山基督教図書館)があります。また、鶴山公園への登り口には「つやま自然のふしぎ館」もあり、こちらは動物の剥製等が数多く展示されている珍しい博物館です。

2229.津山観光センター

2230.森本慶三記念館

2231.つやま自然のふしぎ館
●鶴山公園(津山城跡)1
鶴山公園(津山城跡)は、織田信長の寵愛を受けた森蘭丸の弟である森忠政によって江戸時代初期に建設されました。石垣の壮大さでは全国屈指の規模を誇り、公園中に植えられた桜も見事で、「日本100名城」「日本さくら名所100選」にも選ばれている地域のシンボルです。中枢部まで入場するには入場料がかかりますが、城好きなら石垣や縄張りを見て半日は過ごせそうなくらいの価値はあります。上層部まで行けば津山市街が一望でき、東は河辺まで、西は院庄までの約4kmは確かに確認できます。この道筋を歩いてきて、また、これから歩いていくと思うと感慨深いものがあります。

2232.壮大な石垣

2233.ここまで来た道

2234.ここから行く道
●鶴山公園(津山城跡)2
津山城は明治の廃城令で建物はすべて取り壊されてしまったのが惜しまれるところですが、備中櫓のみは平成17年(2005年)に再建されており、内装も含めてかつての姿が忠実に再現されています。天守閣はありませんが、「よみがえれ津山城天守」というアプリを使って天守台の方向に携帯電話のカメラを向けると…、詳しくは現地で説明書きをご覧ください。他にも、天守台の石垣にあるハート形の石探しなど、津山を代表する史跡の新しい楽しみ方も地元発の取り組みとして追加されています。

2235.再建された備中櫓

2236.天守閣はありませんが…

2237.ハート形の石垣を探そう
>拡大画像 津山城跡の案内板
鶴山公園(津山城跡)を出ると、2238の写真の交差点を左折します。旧街道の道筋に戻る途中、先述した堀の痕跡には京橋御門跡の石碑があります。ここに架かっていた京橋は津山城の入口であり、美作国における各街道の基点ともなっていました。

2238.ここを左折

2239.京橋御門跡
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●地名、人名等の読み方
 ・因美線=いんびせん
 ・稲葉浩志=いなばこうし
 ・玉琳=ぎょくりん
 ・妹尾銀行=せのおぎんこう
 ・箕作元甫=みつくりげんぽ
 ・林田町=はいだまち
 ・苅田家住宅=かんだけじゅうたく
 ・鶴山公園=かくざんこうえん
 ・森本慶三=もりもとけいぞう
 ・基督教=きりすときょう
 ・織田信長=おだのぶなが
 ・森蘭丸=もりらんまる
 ・森忠政=もりただまさ
 ・院庄=いんのしょう
 ・備中=びっちゅう

●参考資料
 尾島治「絵図で歩く津山城下町」

●取材日
 2014.10.23
 2015.7.5
 2017.12.3
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