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12.津山から院庄へ
京橋御門跡から街道筋に戻り、京町交差点で津山市街中心部を南北に貫く鶴山通り(県道394号)と交差します。ここからが津山の中心商店街と言える商店街で、最初のソシオ一番街はきれいなアーケード街です。ソシオ一番街の町名は東半分が京町、西半分が堺町および二階町となっていおり、この付近では町の境界と現在の主要な道路や商店街が一致していないことがわかります。平成11年(1999年)にオープンした再開発ビルの「アルネ津山」に突き当たると、中に入って催し物のコーナーと化粧品店の間の通路を右折します。別に外を歩いてもいいのですが、再開発前の商店街の記憶を残している者としては、それが昔の道筋を歩くことだとこだわらせていただきます。このような思いは地元住民の中にもあったようで、「第6回絵図で津山城下町を歩く会」で帰り道をご一緒させていただいた方によれば、アルネ津山の開業当初は上記の通路を営業時間外でも通れるようにしていたそうです。結局は防犯上の理由で営業時間内しか通れなくなりましたが、津山市民の出雲街道に対する思いの強さを物語るエピソードと言えます。

2240.京町交差点

2241.ソシオ一番街からアルネ津山へ
●津山商店街
アルネ津山を北に出ると次は元魚町です。その南半分は銀天街という商店街ですが、アーケードの天井には鏡が張られ、文字通りの銀天街になっているの大きな特徴です。アルネ津山の開発によりその大半が失われ、老朽化のためか鏡の撤去も進んでいますが、2242の写真の地点では津山城のイラストが天井に映りこんでいるのが見られます。商店街が寂れてきていっていることには寂しさを禁じえませんが、かつての繁栄を思わせるこのような商店街の景観は、昭和時代の史跡として、きっと近い将来に価値が再評価されることになるような気がします。旧街道の道筋はここで左折して本町に入ります。

2242.銀天街の天井に映りこむ津山城
続いて本町二丁目、三丁目と進んでいきますが、この本町という地名は江戸時代にはなかった町名で、「二丁目」「三丁目」と呼ばれていました。元魚町が「一丁目」だったという説もありますが、なぜこの界隈だけが町名なしの「○丁目」となっていたのか、詳細は明らかになっていません。この辺りはアーケードも明らかに老朽化し、営業している店舗の方が少ないような姿ですが、しゃれた雰囲気の店づくりをしてがんばっているところもあります。なお、商店街の名誉のために補足しておきますが、あらぬ誤解や肖像権侵害を防ぐため、市街部での写真はなるべく人があまり写りこまないタイミングを選んで撮影していますので、平均的な姿よりも人通りが少なく見えるようになってしまっています。

2243.二丁目(二番街)

2244.三丁目
本町三丁目の商店街を抜けると、右折して再開発で大幅に拡幅された道路(県道68号)に入ります。道路があまりに広いため雰囲気がなくなっていますが、ここは城東地区で何度も見た城下町の道の曲りです。旧街道はまたすぐに2245の写真の信号交差点を左折して坪井町に入りますが、この北にある田町にも見どころが多いので、ここから少し寄り道することにします。まず、200mほど北には「出雲大社」(美作分院)があり、道路の拡幅に合わせて新しくなってしまっているとは言え、出雲の本家と共通する雰囲気も感じられます。もちろん、ここに祀られているのは大国主命で、参拝の作法も「二礼四拍手一礼」です。このような出雲大社の「分院」は他にも各地にあります。

2245.広い幹線道路に出る

2246.出雲大社(美作分院)
田町は武家屋敷があった地区で、出雲大社の北の通りを西に行けば、今も当時の姿をとどめたような家が残っていたりします。突き当りを左折したところにある中島病院では、大正6年(1917年)に建てられたかつての本館が「城西浪漫館」として公開されており、カフェも併設されています。余談ながら、先述した洋学者たちは当時の日本語で表現できない欧米の言葉の置き換えや当て字をしたのもその功績の一つで、一例として「珈琲」という当て字を考案したのは津山出身の宇田川榕菴です。続いて中島病院の南の道を少し東へ戻れば、平成29年(2017年)にオープンしたばかりの「津山城下町歴史館」があります。だんじりを見られるのが特徴となっていますが、もう一つ注目すべきはこの施設の敷地全体が一つの武家屋敷だったということで、上級武士の屋敷はかなり広かったことがわかります。

2247.城西浪漫館(旧中島病院本館)

2248.津山城下町歴史館
>拡大画像 旧中島病院本館(城西浪漫館)の案内板
街道筋に戻ると、南には津山城下町内を代表する徳守神社があり、その付近は徳守神社にちなんだ町名の宮脇町です。その100mほど西では大正15年(1926年)に架けられた登録有形文化財の翁橋で藺田川を渡ります。藺田川は水路のような細い川ですが、その流れは明らかに人工的に曲げられているほか、かつて東岸には土塁が築かれ、竹が植えられていたという、津山城下町の西の重要な防御施設としての役割を担っていた川です。翁橋東詰には西の大番所も設置されており、藺田川と翁橋は東の宮川と大橋と全く同じ役割を果たしていたと言えます。

2249.徳守神社

2250.西大番所跡と翁橋
>拡大画像 翁橋の案内板
●津山城西地区
藺田川の西は、宮川の東の城東地区に対応する城西地区で、まずは西今町に入ります。翁橋の西詰にはやはり登録有形文化財となっている「作州民芸館」があります。この建物は土居銀行として大正9年(1920年)に建てられたとされてきましたが、実際はもっと古く、明治42年(1909年)に建てられたということが最近の研究でわかっています。城西地区は明治31年(1898年)に中国鉄道(現在のJR津山線)が現在の津山口駅まで開通してから、大正12年(1923年)に現在の津山駅が開業するまでの約25年間、駅と中心市街の間の街として繁栄を謳歌していたそうで、西今町には明治時代頃に建てられたと思われる古い家並みが目立ちます。一方で、あくまでも人が歩く道沿いの発展であり、自動車の走る広い道路が縦横無尽に整備されたわけではないので、江戸時代の城下町の町割りはほぼそのまま残されています。

2251.作州民芸館(旧土居銀行本店)

2252.作州絣工芸館
>拡大画像 作州民芸館(旧土居銀行本店)の案内板
>拡大画像 西今町の案内板
西今町の次の西寺町では文字通り寺院ばかりが立ち並んでいて、寺院を城下町の西端(藺田川の外側)に集中させようした江戸時代初期の「都市計画」を見ることができます。家屋が密集している西今町に対し、西寺町は白壁に囲まれた大きな寺院ばかりで建物の密度が疎らになり、その変化はあまりにも鮮やかです。さらにその次の茅町では2254の写真の交差点を右折します。この交差点は変則的な五差路で、津山城下町もあとは安岡町を残すのみですが、その安岡町が後付けでできた町であることを感じさせます。

2253.愛染寺の鐘楼門

2254.茅町では右折
>拡大画像 寺町界隈案内図
津山城下町の中でも最後に編入された安岡町を過ぎ、2255の写真の地点で左折して筋違橋で紫竹川を渡ると、津山の城下町が終わります。とは言え、市街地が拡大した現在ではここで急に田園風景に戻るわけではありません。

2255.安岡町で城下町は終わり

2256.筋違橋
>拡大画像 安岡町の案内板
筋違橋を渡ると、後述する高野神社の鳥居前まで一直線の平坦な道が約1.5kmも続きます。この辺りの平地は江戸時代初期の水害や津山藩の堤防の建設により、吉井川と紫竹川の流れが現在と同じ形に固定されたことによって誕生したもので、少し北の丘陵沿いを通っていた街道もこの平地を一直線に貫く形に改められ、「二宮の松原」と呼ばれる松並木も整備されました。松並木は戦時中の昭和18年(1943年)に木材供出のために伐採されてしまいましたが、現在も松原という地名が残っています。しかし、この付近は市街化した現在では想像できないほど寂しい場所だったそうで、津山藩が茶屋を開かせたという記録が残っており、その跡地には案内板が設置されています。また、だんじりの格納庫もある西松原公会堂の前には芭蕉句碑の「月見塚」が立てられています。

2257.吉井川の堤防沿いを行く

2258.月見塚
>拡大画像 二宮松原街道御茶屋の跡の案内板
吉井川の堤防沿いを600mほど行くと二宮交差点で国道と交差しますが、筋違橋から来た出雲街道はその旧道で、二宮交差点付近にはかつて国道179号であったことを示す標識等が現在も残っています。現在の道路網から考えると適切でない部分もありますが、撤去されずに残った昭和の道標とも言えます。津山以西で出雲街道が初めて姫新線と交差する第一出雲踏切を渡り、旧国道をさらに900mほど西へ行くと、高野神社の鳥居手前に明治時代の「津山元標壱里」の里程標も残っています。

2259.二宮交差点

2260.ツッコミどころが一つ、二つ…

2261.その名も第一出雲踏切

2262.津山元標壱里
●高野神社と宇那堤の森
筋違橋から一直線に西進してきた街道は高野神社の鳥居にぶつかり、鳥居をくぐったところには樹齢700年とも言われる宇那提の森の古木が1本だけ残っています。高野神社は美作国の「二宮」の由緒ある神社で、境内には国指定の重要文化財が3つもあります。その参道は道路と並ぶように200mほど続いていますが、すぐ隣の道路はかつて国道に指定されていた道路であるにも関わらず、道路拡幅に利用されることもなく神社優先の道路状況になっていることからも、高野神社の格式の高さが窺えます。また、高野神社付近では北の丘陵が吉井川まで張り出していることもあり、かつては津山の出雲街道沿いでは随一の景勝地と呼ばれていた場所でもあります。

2263.宇那堤の森の古木

2264.高野神社の鳥居

2265.高野神社の本殿
>拡大画像 宇那堤の森の案内板
>拡大画像 高野神社の指定文化財
●街道分岐点と首なし地蔵
高野神社を出ると、すぐ西に旧々伯耆街道分岐点があります。「旧々」とあるのは、旧伯耆街道分岐点が100mほど西にあり、現在の出雲街道と伯耆街道の分岐点はさらに1kmほど西にある院庄交差点であるからで、時代とともに街道(道路)が移り変わっていることがとてもよくわかる場所だと言えます。その旧々伯耆街道分岐点と旧伯耆街道分岐点との間には「首なし地蔵」があり、由来は案内板でご確認いただくとして、首のない地蔵が5体並んでいる姿は不気味で、夜通ると怖い場所です。また、痕跡すら残っていませんが津山以西で最初の一里塚もこの付近にありました。続く旧伯耆街道の分岐点では出雲街道は左で、もうしばらく吉井川沿いを行くことになります。

2266.首なし地蔵

2267.旧々伯耆街道分岐点

2268.伯耆街道分岐点
>拡大画像 首なし地蔵の案内板
出雲街道は滑川という小さい川を渡った先で道なりに右折し、院庄地区に入っていきます。現在、院庄地区と言えば津山市民でも院庄駅から院庄インターあたりをイメージすると思いますが、院庄の古くからの集落はその南にある旧出雲街道沿いにあります。

2269.滑川を渡り右へ
●にらみ合いの松
滑川を渡って500mほど行ったところにある「にらみ合いの松」は、傾奇者として名を馳せた名護屋山三郎が、同じ津山藩家臣である井戸宇右衛門と刃傷事件を起こし、両者とも死亡したという地です。両者の墓には松が植えられ、今も「にらみ合い」を続けています。「傾奇者」の名護屋山三郎が出雲阿国と出会い、歌舞伎につながる阿国の「かぶき踊り」に影響を与えたとも言われており、それは伝説の域を出ない話ですが、名護屋山三郎も出雲阿国も出雲街道に縁のある人物であることに間違いはありません。

2270.にらみ合いの松
>拡大画像 にらみ合いの松の案内板
にらみ合いの松から北方の国道に戻ると、院庄交差点に出ます。すぐ近くには院庄インターがあり、津山インターのある東の河辺地区と同様、新しい郊外型の大型店舗が多く並んでいます。長く付き合ってきた国道179号はここで右折し、現代の伯耆街道として、人形峠を越えて倉吉へ向かいます。沿線には奥津温泉や三朝温泉があります。出雲街道は直進してさらに西へ向かう国道181号となり、真庭市を経て四十曲峠を越えて米子を目指します(ここから先、本文中で単に「国道」と書いている場合、国道181号を指しています)。なお、この地点で姫路から出雲大社までの約1/3で、まだまだ先の道のりは長いです。

2271.院庄交差点

2272.出雲街道は国道181号に
●作楽神社
院庄交差点から北西へ600mほどのところにある作楽神社には、元弘の変に敗れて隠岐に流される途中の後醍醐天皇を救出しようとし(て失敗し)た児島高徳が、十字の詩で天皇を励ました故事が残されています。ここでは両手をついた銅像ばかりが印象的ですが、戦前には忠臣の鑑としてその故事が唱歌にまでなった人物でもあり、境内の案内板の記述等も少々右寄りな感じですが、それも含めてある意味貴重な史跡です。また、後醍醐天皇の伝承の地というだけでなく、ここは美作国の守護所が置かれていた院庄館跡でもあり、江戸時代に津山城が築かれるまでは美作国の中心地でした。堀や土塁が現存しており、その意味でも貴重な史跡となっています。

2273.作楽神社

2274.児島高徳

2275.院庄館跡の堀や土塁も
>拡大画像 作楽神社の案内板
>拡大画像 院庄館跡の案内板
「地域の皆様とともに」コーナーの「第6回絵図で津山城下町を歩く会」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・大国主命=おおくにぬしのみこと
 ・宇田川榕菴=うだがわようあん
 ・藺田川=いだがわ
 ・翁橋=おきなはし
 ・茅町=かやまち
 ・筋違橋=すじかいばし
 ・紫竹川=しちくがわ
 ・宇那堤=うなて
 ・滑川=なめらかわ
 ・傾奇者=かぶきもの
 ・名護屋山三郎=なごやさんさぶろう
 ・井戸宇右衛門=いどうえもん
 ・三朝=みささ
 ・四十曲峠=しじゅうまがりとうげ
 ・作楽神社=さくらじんじゃ
 ・児島高徳=こじまたかのり

●参考資料
 尾島治「絵図で歩く津山城下町」
 小谷善守「出雲街道 第4巻 院庄−二宮」
 小谷善守「出雲街道 第5巻 安岡町−西寺町−宮脇町−坪井町」
 美作地域歴史研究連絡協議会「美作の道標と出雲往来一里塚」

●取材日
 2014.10.23/11.4
 2015.10.26
 2016.5.31
 2017.7.29/12.3
 2018.1.3
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