トップページ > 出雲街道の道のり > 13.院庄から坪井へ
13.院庄から坪井へ
作楽神社から旧街道に戻ると、200mほどで南北方向に流れるようになった吉井川に再びぶつかります。国道の新錦橋と並んだ錦橋で川を渡り、旧久米町に入ります。

2301.錦橋で吉井川を渡る
●中須賀船着場
錦橋を渡ると、中須賀船着場の跡があります。ここには、鉄道の開通以前に下流の備前(岡山県南東部)と上流の美作との間の交易を担っていた高瀬舟の船着き場があり、東西の陸路である出雲街道も觜崎の揖保川(寝釈迦の渡し)と同様、渡し舟によって連絡されていたと思われ、当時の交通拠点となっていたところです。川の畔にはかつて使用されていた石灯籠が移設されて保存されています。

2302.石灯籠が並ぶ
>拡大画像 中須賀船着場石灯籠の案内板
中須賀では屈曲した道沿いに古いものも含めて民家が立ち並んでいて、やはり街道の拠点であったことを感じさせます。次の宮尾地区に入ると沿道は田園風景となり、交通は北にある国道に集まっているため、久しぶりにのどかな雰囲気となります。北の山沿いにある宮尾八幡神社の鳥居が旧街道と参道の分岐点にあるのも旧街道らしいところで、また、現在は失われてしまっていますが、「津山元標二里」の里程標もここにあったそうです。

2303.中須賀の旧街道

2304.田園風景に戻る

2305.宮尾の地蔵など

2306.八幡神社鳥居
●道の駅久米の里
宮尾地区の国道には「道の駅久米の里」があります。レストランでは地産地消メニューを出すとともに、「津山ホルモンうどん研究会」の協力店にもなっているなど、設備・サービスとも充実した道の駅ですが、それ以上にその名を有名にしているのがZガンダムです。高さ7mに及ぶ類例を見ない模型は、全国のガンダムマニアがこれを目当てにわざわざこの道の駅を訪れるほどの人気を誇り、津山市(旧久米町)在住の個人が作成したものということで余計に驚かされます。

2307.Zガンダムが大人気
>拡大画像 Zガンダムの案内板
旧街道が久米川にぶつかったところには村界の石柱があり、道なりに斜め右へ進み、次いで国道に合流しますが、左折で久米川を渡るとまたすぐに右折で茶屋の集落に入っていきます。

2308.村界の石柱

2309.久米川を渡る
旧街道らしい名前の茶屋集落はやはり旧街道沿いに旧街道らしい雰囲気を残した集落で、金毘羅常夜燈などが見られます。そして集落内には一里塚の跡もあり、旧街道時代の堠樹であった木の切り株が残されています。

2310.茶屋の集落内

2311.茶屋の一里塚
茶屋集落を出るとしばらくはほぼ国道歩きとなります。移設されたと思われる常夜燈や供養塔が道路脇に保存されているほか、立派な古民家が国道側に門を構えているのも見られ、現在の国道が旧街道の道筋を引き継いでいることを感じさせます。

2312.村界の石柱

2313.国道沿いに立派な古民家
千代駅口バス停のところでいわゆる停車場県道の短い県道205号が接続しており、その先にある美作千代駅はまた古い木造駅舎が残っている駅です。旧久米町は仙人伝説の残る町で、駅に併設のトイレに「久米の仙人」のイラストと案内板が設置されています。私(昭和56年生まれ)くらいの世代なら「久米の仙人」と聞くと、「ドラゴンボール」に登場するあのキャラクターをつい思い出してしまいますが、案内板に書かれたエピソードを読むと、…やっぱり「亀仙人」と同じような仙人様だったようです。

2314.美作千代駅

2315.久米の仙人
>拡大画像 久米の仙人の案内板
美作千代駅から600mほど西に津山市の久米支所があり、その近くの交差点周辺が旧久米町の中心部になっています。賑わいを感じるような市街はありませんが、コンビニ程度はあり、このコンビニは津山市で最後のコンビニとなります。地形的にも川の合流点、歴史的にも備前方面からの旧街道の結節点となる場所ですが、国道の南に残っている旧道にも、やはり宿場町ほどの街並みはありません。なお、この「千代」という地名は後醍醐天皇が乗っていた輿をここで洗ったことから名づけられたという伝承があります。

2316.斜め左へ

2317.千代の旧道沿い
県道159号を横断すると千代橋で久米川を渡りますが、すぐ近くの国道に対して斜め向きになっており、古い道筋と新しい道筋の違いが感じられます。千代橋を渡った先で国道を横断し、そのまま国道の斜め右に進んでいきますが、またすぐに久米川を渡り、その先をまた右折という形で進んでいきます。道路や川を何度も渡る何とも目まぐるしい形ですが、概ね久米川に沿っているのが旧街道の道筋です。

2318.千代橋

2319.また久米川を渡って右
千代橋から500mほど行くと、久米川の堤防に「二ツ柳跡」という石碑があります。病を患った出雲国の旅人がこの場所で柳の枝を折った箸を植え、病気の快癒祈願をしたところ、帰るときには病気も治り、2本の柳の木が伸びていたという伝説が残る地です。さらに100mほど西には「津山元標三里」の里程標が残されています。

2320.二ツ柳の石碑

2321.津山元標三里
津山の中心部から12kmも進んでいますが、小さな峠すらもないまま久米川沿いの平坦な道が続きます。かつての大倭村、大井西村、大井東村の境界であった地点にはまた石碑が立てられていますが、ここも地形的に境界線だったとは思えないような場所です。

2322.久米川に沿う

2323.三ヶ村の界
国道と合流すればまもなく坪井駅があり、さらに200mほど進むと坪井宿への分岐点に至ります。「出雲街道 坪井宿」の大看板が印象的なので、ここでは分岐点を見逃す心配はありません。

2324.坪井駅

2325.坪井宿入口の看板
大渡橋で久米川を渡り、さらに支流の七森川を渡った先に一里塚の跡があります。一里塚の跡は出雲街道でも多く残っていますが、旧久米町内では先述の茶屋一里塚跡と後述の追分一里塚跡を含めて3連続で標柱が整備されていて、実際に約4kmずつに一里塚があったことが実感できます。続いて下愛宕様の小社があり、そこから坪井宿の街並みへ入っていきます。

2326.坪井一里塚跡

2327.下愛宕様
>拡大画像 坪井一里塚跡の案内板
>拡大画像 坪井の大火と愛宕様の案内板
●坪井宿
坪井宿の大きな特徴は道の中央に水路があり、北側に旅籠などが集中していたことで、「麦飯町」という異名を持っていたそうです。現在では中央の水路もありませんが、他の宿場町の道と比べて明らかに道の幅が広いことから2つの道が通っていたことが想像できますし、貫禄のある旧家が残っているのもほとんどが道の北側です。観光地としての整備もほとんどなされていない宿場町ではありますが、このような現状からかつての面影を十分に感じ取ることができます。旧道を道なりに行くと行き過ぎた地点で国道に戻ることになるので、2330の写真の地点を右折します。

2328.坪井宿の街並み

2329.広い道と北側の古民家群

2330.ここは右です
>拡大画像 坪井宿の案内板
<< 12.津山から院庄へ 14.坪井から目木へ >>
●地名、人名等の読み方
 ・中須賀=なかすか
 ・千代=せんだい
 ・七森川=しちもりがわ

●参考資料
 小谷善守「出雲街道 第3巻 久世-落合-久米-津山」

●取材日
2014.11.4
2015.10.26
2018.4.22/9.12
2019.1.17
▲ページトップ
inserted by FC2 system