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14.坪井から目木へ
坪井宿を出て、題目塔や六地蔵、力士塚などの石造物群を見ながら鶴坂と呼ばれる坂道にかかります。里山の風景も美しい緩やかな坂道ですが、途中で中国自動車道に分断されてしまっています。道路の形状から本来の旧街道は鶴坂神社の鳥居前を通っていたと想像でき、古い道筋が失われたことを惜しくも思いますが、出雲街道歩きを気軽に楽しめるのも中国自動車道とそこを走る便利な高速バスがあってこそなので、こればかりは仕方ありません。

2341.題目塔と六地蔵

2342.鶴坂を上る

2343.中国道に分断された鶴坂神社
>拡大画像 鶴坂の案内板
中国自動車道をオーバークロスしたところが鶴坂の頂上にあたります。ここはかつて8本の道が接続していたという交通結節点で、江戸時代には茶屋が、明治以後は大井西村の役場がこの付近にありました。現在ここにあるのは鶴亀神社の小社で、妹の敵を追ったものの鶴坂で返り討ちにあったという侍の仇討ちの悲話にちなんで「久世を夜出て目木乢越えて坪井鶴坂歌で(討たで)越す」と歌われた場所です。東に行けば鶴坂神社があり、こちらは後醍醐天皇が休息されたと伝えられる地に建てられたという後醍醐天皇ゆかりの史跡の一つです。

2344.鶴亀神社

2345.鶴坂神社
鶴坂は下り坂も気持ちの良い坂道で、下りきったところで姫新線の鶴坂踏切と久米川を渡って左折します。

2346.鶴坂を下る

2347.鶴坂踏切
久米川を渡ると進路を西に変えて国道をアンダークロスします。さらに600mほど久米川沿いを行き、国道に戻る直前には津山元標四里の里程標があります。

2348.久米川に沿って西進

2349.津山元標四里
●岩屋城下
この付近では同じ津山市の東部と同じように、国道の旧道が多く見られ、それが旧街道の道筋となっています。久宗農場前というバス停のところから斜め右に入れば、中世の山城である岩屋城の城下となり、北酒造場跡などの史跡が見られます。戦国時代の美作国は、山陽、山陰、そして近畿地方の大名のせめぎ合いの場だったので、軍事拠点として山城が多く築かれていますが、中でもこの岩屋城跡は実際に大規模な合戦があって落城したという歴史を持ち、津山と真庭の両市街を一望できる山頂からの眺めも見事、そして「岩屋城を守る会」の活動のおかげで史跡としての保存状態も非常に良好という条件も重なり、美作国を代表する山城と言えます。ただし、本格的な山城だけに、実際に城跡まで行くためには急峻な坂道を相当の時間をかけて登る必要があります。

2350.中世山城の城下に史跡が続く

2351「岩屋城を守る会」が活動中

2352.城跡は谷の奥の高い山の上
>拡大画像 岩屋城跡の案内板(登山口の駐車場に設置)
このあたりは吉井川流域(津山市)の最終コースで、旭川流域(真庭市)へ向けて上り坂になっていますが、なだらかな中国山地らしく勾配は緩やかなものです。六十六部供養塔と崩れてしまった塞の神の先からは原集落の北側にある旧街道の細道を歩くことができます。

2353.緩やかに上っていく

2354.六十六部供養塔と塞の神
●原の出雲街道
2355の写真の地点からは一般的な地図に記載されていない旧街道の道筋が残されており、国道や旧国道に沿った家並みの裏の少し高い場所を通り抜けています。最近、土砂災害対策の工事が行われたようで、道そのものにはあまり風情はありませんが、「札場跡」「息つぎの井戸跡」といった史跡があり、「大井西自治協議会」による標柱が立てられています。ところどころに獣害防止柵が設置されていますが、低い板のタイプなので、跨いで先に進んでいけます。

2355.原の出雲街道へ

2356.札場跡

2357.ところどころにある柵
原の旧街道の後半は道もかなり細くなります。水路や畑などができたことにより、旧街道の時代よりも幅が狭くなってしまったのでしょうが、1km弱の間、谷の北端に1本の道が明確に残っています。ただし、原の旧街道は雑草が伸びていることも多く、全区間にわたって通り抜け可能な状態であることは多くありません。その場合は集落内を通る旧国道をお通りください。

2358.こんなところや

2359.こんなところも
追分一里塚跡の手前で国道に戻り、難所と言うほどの難所は全く見られないまま、追分口というバス停のところで真庭市(旧落合町)に入ります。ここにはつい最近まで営業していたと思われる「おいわけ茶屋」という店がありますが、この店は旧街道時代に繁盛していたという「かしく茶屋」の跡に建てられたもので、標柱も立てられています。

2360.追分一里塚跡

2361.真庭市に入る
●追分
追分では文久3年(1863年)に立てられた大きな道標がよく目立っています。さすがに「信州善光寺」はありませんが、「出雲大社」「伯州大仙」「伊勢大神宮」「讃州金毘羅」など、西日本の著名な寺社仏閣が目白押しの道標で、出雲大社まではあと三十七里(148km)と案内されます。その脇にはより古い元禄16年(1703年)の道標もあります。ちなみに、播磨国でもたつの市の追分において同じように道標をご案内しましたが、追分という地名は交通分岐点を表す地名で、ここは備中往来が分岐する場所です。現在の交通網を見ても、ここでは県道411号および姫新線が旧落合町の中心部を目指して分岐していき、さらに落合からは国道313号が備中国(高梁市方面)に続いています。

2362.出雲大社江三十七里 伯州大山江拾七里

2363.伊勢大神宮江八十五里

2364.元禄の道標もある
出雲街道の道筋は追分でも直進となりますが、ここから久世インター付近までの間はほぼ国道を歩くことになり、あまり面白い道ではありません。一方で、ここには北を指す「大山みち」の案内があり、この道はより古い出雲街道の道筋でもあるそうなので、そちらを選択することにします。北に行く「大山みち」は最初だけはコンクリートで舗装されていますが、すぐに未舗装の山道になり、松ヶ峪乢という小さな峠を目指します。ここの峠道は小規模な崖崩れや倒木が見られるなど、状態が良くありませんが、距離も勾配も大したことはありませんので、長く津山盆地の穏やかな道のりを歩いてきた者にとっては、このくらいの山道があった方が変化があって楽しいと思えるレベルです。

2365.「大山みち」は古い出雲街道

2366.倒木をくぐって進む

2367.松ヶ峪乢

2368.北側のヘアピンカーブ
旧落合町北東部の上河内地区はY字型の谷になっていて、要の位置にあるのが国道沿いの宿集落、その北東に東谷、北西に西谷という形になっています。古い出雲街道の道筋は松ヶ峪乢を下りきると上河内地区の東谷に出てきて、またすぐに西谷との間の丘陵への上りにかかります。

2369.東谷へ

2370.もう一度上る
●熊野神社
東谷から坂道を上り詰めると、熊野神社の五本杉が目を引きます。熊野神社は平安時代から1000年以上の歴史を持つ神社で、案内板等で確認することができませんでしたが、この五本杉もそれに準ずる樹齢を持っているのではないかと思われます。神社と杉のこの長い歴史が古い出雲街道の道筋がここにあったことを語っているかのように感じます。

2371.熊野神社の五本杉

2372.鳥居と杉の対比

2373.大樹を見上げる
熊野神社の少し先を右折すると圓融寺があり、ここも熊野神社と同様に平安時代から1000年以上の歴史を持ち、比較的規模も大きい寺です。続いて西谷に向け下っていきます。

2374.ここは右

2375.圓融寺

2376.西谷へ下る
西谷に下るとまた右折して今度は西谷を上っていきます。こちらは真庭産業団地の造成に合わせて整備された立派な道が通っていますが、2378の写真の地点で斜め右に入ると普通の田舎道となります。

2377.西谷を上る

2378.ここを右へ
2379の写真の地点で正面はかなり急な坂道となります。これは鮒越乢と呼ばれる旧落合町と旧久世町の境となる峠への上りです。上り詰めると鮒越乢に至りますが、案内板にも記載されている通り、かつては峠の両側の傾斜地に鮒が峠を越しているかのような形をした棚田が広がっているのが見え、見事な景観だったそうです。

2379.急坂にぶつかる

2380.来た道が眼下に

2381.鮒越乢
>拡大画像 鮒越乢の案内板
鮒越乢を過ぎると、まもなく(道なりに)右折、左折、右折の順で真庭産業団地(北区域)に入っていきます。このような道路形状になったのはもちろん産業団地の造成によるもので、旧街道の道筋が消失してしまったのは残念なことですが、21世紀型の「新たな歴史」の舞台となるのがこの場所です。

2382.道なりに右、次いで左

2383.右折で真庭産業団地へ
●真庭市の木質バイオマス発電
真庭産業団地(北区域)には「里山資本主義」を標榜する真庭市の取り組みの核施設となる「真庭バイオマス発電所」があります。市域のほとんどを山林が占める真庭市においては後述する製材会社が中心となって、木くずから発電を行う取り組みが進められてきましたが、ここはそれを発展させ、平成27年(2015年)に開設された新しい発電所です。原子力発電所の是非といった問題はさておき、地域に豊富に眠る資源を活用して新たな産業を創出しようというその挑戦には、当サイトの精神からしても大いに共感させられるところがあります。

2384.真庭バイオマス発電所
真庭バイオマス発電所に次いで現れる真庭バイオマス集積基地のところで、産業団地の中央を貫く道路は左カーブで南に向きを変えますが、この後復活する旧街道の道筋につながるのは直進です。突き当りを右折して産業団地を出て、山にぶつかるとまた左折して急坂を下ります。下ったところには公園があり、ここにはこのクラスの公園には珍しくきれいなトイレがあります。そこからは旧街道の道筋に戻っており、その証拠にすぐ先の田園のなかに小祠があります。

2385.バイオマス集積基地の右へ

2386.産業団地を出る

2387.急坂を下る

2388.小祠
大内原の集落内を通り抜けていき、米子自動車道の高架橋をくぐると国道に復帰します。久世インターがすぐ近くに見えていますが、これまで見てきた中国自動車道の美作インターや津山インター、院庄インターと違って、ここでは周辺に郊外型の大型店舗の進出が見られません。

2389.米子道をくぐる

2390.国道に復帰
●高清水
国道に戻ってすぐ、2390の写真の地点では右に数軒の民家があり、その間の道に入った先には高清水という清水が湧いています。入り方がわかりにくいうえ、国道や高速道路沿いでそれらしい雰囲気もないのですが、ここは江戸時代を代表する茶人にして、松江の和菓子文化を花開かせた松平不昧公(松平治郷)も称讃した名水で、現在も水量豊かに湧いており、美味しく飲むことができます。また、国道の改良や久世インターの建設で完全に消滅していますが、この付近には一里塚もあったそうです。

2391.高清水
>拡大画像 高清水の案内板
沿道に久世特産のミツマタの木が植えられている中原バス停の先で、斜め右への分岐に入ります。旧久世町東部の中心と言える目木地区の現在の中心地は目木川を渡った西岸ですが、さらに細かい地名を見ると、東岸が「宿」、西岸が「昭和」となっていて、古い歴史を持つ米来神社があるのも東岸です。
目木から久世までの間では一直線に久世市街を目指す国道に対し、旧街道は目木川を渡る直前から南に迂回する表街道、目木川を渡った先から北に迂回する脇街道に分かれます。この先、表街道を選択してご案内しますが、平成27年(2015年)11月に開催された「出雲街道勝山宿の会」主催の「第5回出雲街道を歩こう会」では両方を歩いていますので、そちらもご覧ください。

2392.一万円札になる木

2393.中原バス停の先で旧道へ

2394.表街道は左、脇街道は直進

2395.米来神社
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  • ●地名、人名等の読み方
    •  目木=めき
    •  鶴坂=つるさか
    •  讃州=さんしゅう
    •  金毘羅=こんぴら
    •  上河内=かみこうち
    •  東谷=ひがしたに
    •  西谷=にしたに
    •  鮒越乢=ふなこしたわ
    •  久世=くせ
    •  松平不昧公(松平治郷)=まつだいらふまいこう(まつだいらはるさと)
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
    •  小谷善守「出雲街道 第3巻 久世−落合−久米−津山」
    •  美作地域歴史研究連絡協議会「美作の道標と出雲往来一里塚」
    •  岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第四集 出雲往来」
          
  • ●取材日
    •  2014.11.4/11.11
    •  2015.10.26/11.15
    •  2016.2.27/8.19
    •  2017.6.23
    •  2018.4.22/9.12
    •  2019.2.11
    •  2020.2.23/2020.4.3
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