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15.目木から久世へ
目木から久世までの表街道は目木の現在の中心部には入らず、目木川を渡る手前で左折します。まずは国道をくぐり、次いで目木川の堤防に上がると、正面には中世に山城が築かれていた笹向山がよく見えます。しかし、旧街道の視点で見ると、この付近では目木川の改修や圃場の整備、真庭産業団地(南区域)の造成といった要因により、旧街道の道筋は消失してしまっているようです。2402の写真の地点で左折して、ひとまず南東の山沿いに出ます。

2401.国道をくぐる
 
2402.ここを左折
次いで2403の写真の交差点を右折し、県道330号で三崎地区を目指します。この県道はこの付近では真庭産業団地(南区域)の造成に伴い、近代的な姿に生まれ変わっています。2404の写真の交差点をまた左折し、三崎の集落に入っていきます。

2403.右折で県道330号へ
 
2404.左折で三崎の集落へ
三崎地区では旧街道は南の山沿いを通っていたそうで、2405の写真の地点を左折してまた右折すれば、旧街道の道筋と思われる道を見ることができます。とは言え、集落内のこの細道も開けられない獣害防止柵に遮られて通り抜けができません。

2405.右折ですが…
 
2406.旧街道らしき細道も
結局すぐに県道330号に戻ることになり、県道に戻る地点には大きな地神と題目塔がありますが、これはいかにも移設されてきたという雰囲気です。圃場整備の済んだ田園の中を行く県道は古い道筋ではなく、特に北側には田園や新しい工場や倉庫しかありません。やはり南の山沿いに旧街道の道筋があったようですが、ここでも旧街道は歩いて通り抜けられるような状態ではなく、現在も農作業に用いられていると思われるごく一部分にその面影を残すのみです。

2407.地神と題目塔
 
2408.これが続けば良いのですが…
●ホウキ鼻
旧久世町から旧落合町に入るところで県道330号の幅員が狭くなり、そこで南の山が削られています。ここはホウキ鼻と呼ばれ、かつては目木川の寸前まで山が突き出していました。現在では三崎と大庭が平成の合併前まで別々の自治体に属していたことが不思議なくらいですが、かつてはこのホウキ鼻が壁のようになっていたと推測できます。県道の改良も進行中で今後ますますこの境界線は忘れ去られていくことになるでしょうが、現在では田園地帯の中を直線的に県道が通るこの辺りも、かつては険しい地形であったことが想像できます。

2409.削られたホウキ鼻  
ホウキ鼻を過ぎた先で、北側の田園に「町頭」という標柱が見え、この先、大庭の集落内で流れている水路もこの近くから始まっています。この標柱は現在の県道より少し北にあり、ホウキ鼻が削られた分だけ、旧街道も北にあったことがわかります。大庭では地元の皆様によりこのような標柱が多数建てられており、美作市の土居宿と同様に、旧街道時代にはその場所に何があったかがわかるようにしてくださっています。

2410.大庭の町頭
 
2411.標柱が歴史を語る
●大庭
美作国西部を占める真庭市のほとんどは平成の大合併までは真庭郡でしたが、さらに昔には旭川の西岸の「真嶋郡」と東岸の「大庭郡」でした。その「大庭」を名乗るこの地区は、東西方向の出雲街道と落合、岡山方面の道が交差する地に近く、先述した笹向山に山城が築かれていました。出雲街道の宿駅は近世になって大きく発展した久世に譲りましたが、それ以前には美作国西部でも随一の要衝の地であったと言えます。集落の集会所のところに移設された道標や、法光寺や廃寺となった妙蓮寺という寺院もあり、その繁栄を想像させてくれます。

2412.移設された道標  

2413.法光寺
 
2414.妙蓮寺跡のラン塔
>拡大画像 「城下町」大庭の里の案内板
●首なし地蔵
大庭の集落を出たところで、北側の田園の中に地蔵があり、とてもよく目立っています。首がなくなってしまっていますが、一般的な街道沿いの地蔵より大きな立像で、とても丁寧に造られている印象があります。

2415.首なし地蔵  
     
久しぶりに姫新線と出会うところにある大日踏切は、踏切を挟むような形の十字路になっており、ここを右折します。踏切の西には牛馬繁栄塚と、地元の名士と思われる金平善十郎翁之碑があります。先述した大庭集落の集会所のところにあった道標も、この辺りに置いて向きを直せば「右 久世 かつやま道 左 津山 大坂 (南に)岡山 落合」となって矛盾がなくなります。

2416.大日踏切を渡る
 
2417.牛馬繁栄塚
鯰集落に入り、大庭バス停がある交差点で今度は県道329号に入りますが、県道が曲がって、旧街道が直進という形状です。そのすぐ先の紫雲寺橋で目木川を渡りますが、先代の橋がわずかに上流側にあったことがはっきりとわかる道路形状になっています。

2418.県道329号へ
 
2419.旧道の痕跡を残す紫雲寺橋
目木川を渡れば、再び旧久世町に入ります。この付近は中島地区ですが、すぐ東側は旧落合町の大庭地区です。目木川という明確な境界線があるにも関わらず、目木川の北岸にも旧落合町の大庭地区が飛地のように存在しているのは何らかの歴史的経緯があるのでしょう。私の推測になりますが、中島という地名や、目木川が旭川に合流する地点にも近いことから、かつては川の流れが現在とは違う形だったのかもしれません。本来の旧街道の道筋は現在の県道329号に近く、途中で旭川の堤防に上がりますが、旧街道時代とはすっかり姿を変えてしまった堤防を歩いても面白味がないので、あえて2421の写真の地点で右折します。

2420.中島地区内
 
2421.堤防が見えたら右折
中島の次は土居集落で、集落の中心近くに千手観音堂があります。千手観音も一見の価値がありますが、より目を引くのはいくつかの看板に記された地元の皆様の活動で、ここでも地元の歴史や文化を後世に伝えようとする取り組みが光っています。続く下原地区でも常夜燈や地神、塞の神が見られ、この道も堤防の旧街道と並んで、古くから利用されてきた道であることがわかります。

2422.土居の千手観音堂
 
2423.下原の常夜燈、地神、塞の神
>拡大画像 土居地区のきずな大発見マップ
2424の写真の地点で左の道へ進むと、300mほどで旭川の堤防を通ってきた県道329号と交差し、南東から真庭市役所へ入っていきます。

2424.ここは左
 
2425.真庭市役所の南東側へ
●真庭市役所
真庭市は9つの町村が合併して生まれた県内でも最大の面積を持つ都市ですが、その多くを山林が占める過疎地域でもあります。久世に建設された新しい市役所は、9本の木柱に支えられたエントランスが印象的ですが、それ以上に驚かされるのは「エネルギー棟」で、地場の木材によりエネルギーを得て、庁舎内の冷暖房を行っていることです。また、バスの待合所は、木の板を直角に組み合わせたCLTという建材を採用した日本初の建築物で、この小さな待合所が真庭市の主産品である木材の大きな可能性をアピールしています。

2426.真庭市役所  

2427.エネルギー棟で資源の循環
 
2428.CLTのバス待合所
>拡大画像 CLTの説明板
●旧遷喬尋常小学校
真庭市役所前の交差点の西北には旧遷喬尋常小学校の校舎が保存されており、内部が公開されているだけでなく、休日には「懐かしの学校給食」などのイベントも開催されています。美作国の出雲街道沿いでは、小学校の名前が地名ではなく、「誠道小学校」「喬松小学校」など、教育に対する理念を表した学校名になっているケースが多く、中でもこの遷喬小学校は幕末から明治にかけての政治家そして教育者として活躍した山田方谷が、中国の古典「詩経」から引用して命名したものです。

2429.旧遷喬尋常小学校  
>拡大画像 旧遷喬尋常小学校の案内板
真庭市役所の西、旭川と国道に挟まれた一帯が久世市街で、その中央を東西に貫く道路が旧国道ですが、天神橋までの間はその裏道が旧街道の道筋です。

2430.天神橋までは裏道
 
2431.天神橋から久世宿へ
●久世宿
華蔵庵の松がある天神橋からが古くからの久世宿の街並みですが、久世は今も昔も真庭市内で最も商業的に繁栄してきた町だけあって、寂れてしまっているとは言え、平成の大合併前の「町」では珍しいアーケードの商店街も部分的に登場します。また、多くの旅館が健在なのが目を引き、本来の宿場町の機能を最も色濃く残した町と言えるかもしれません。その久世の都市機能は現在でも変わらず、旭川の北岸の国道181号、南岸の国道313号沿いにはそれぞれロードサイド型の店舗も立ち並び、旭川南岸の国道313号沿いには真新しいビジネスホテルもあります。

2432.天神橋と華蔵庵の松  

2433.立派な旅館が健在
 
2434.アーケードの商店街
>拡大画像 華蔵庵の松の案内板
●久世代官所跡
久世宿をさらに西へ進み、2434の写真の地点から北の久世駅へ出る通りは早川町通りと呼ばれますが、そこには久世代官所跡があり、隣接する重願寺の山門はかつての代官所の門です。久世は江戸時代の多くの時期において天領となっていた土地で、像が立てられている早川八郎左衛門正紀のような名代官も現れたこともあって、独自の発展を遂げてきました。また、同じく久世の独自性と言えば、岡山県内で最大の牛馬市が開かれていたことも挙げられ、重願寺には牛の像があります。これらの歴史的要因が先述したような久世の商業的な繁栄につながったと言えるでしょう。

2435.久世代官所跡と早川八郎左衛門の像  

2436.重願寺の門
 
2437.重願寺の牛の像
>拡大画像 久世陣屋跡の案内板
>拡大画像 早川八郎左衛門正紀の案内板
久世宿の西北にある久世駅は古い駅舎を持つ駅ですが、駅舎の東に隣接するトイレと一時駐輪場は、平成29年(2017年)に新築されたばかりのCLT建築の「木テラス」です。CLT建築の第二弾は、小屋のようなバス待合所より大きく複雑な建築物で、ヨーロッパでは高層建築物にも使用されているというCLTの日本での本格的な実用化に向けて一歩進化しています。これまでご紹介してきた市役所の冷暖房システム、バス待合所、真庭産業団地のバイオマス発電所、そしてこの木テラスと、久世の地では、新時代を見据えた真庭市の取り組みが続々と進行中です。

2438.久世駅
 
2439.木テラス
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●地名、人名等の読み方
 ・笹向山=ささぶきやま
 ・三崎=みさき
 ・大庭=おおば
 ・遷喬=せんきょう
 ・誠道=せいどう
 ・喬松=きょうしょう
 ・山田方谷=やまだほうこく
 ・早川八郎左衛門正紀=はやかわはちろうざえもんまさのり

●参考資料
 出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
 小谷善守「出雲街道 第3巻 久世−落合−久米−津山」

●取材日
 2014.11.11
 2016.2.27
 2017.6.23
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