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16.久世から勝山へ
久世市街の南側、旭川北岸の堤防は「久世のトンネル桜」となっています。堤防に桜が植えられている例は全国どこにでもありますが、ここでは堤防道路の両側に桜が植えられているため、季節には文字通り桜のトンネルになります。その堤防を見ながら国道313号をくぐり、斜めから国道に合流します。旧街道の道筋とは厳密に言うと少し違っているそうですが、市街化が進んでいる中では、痕跡が明確に残り、しかも通り抜け可能な道は見当たりません。

2440.久世のトンネル桜
 
2441.国道に復帰
国道に復帰しても、またすぐに斜め右への分岐で黒尾地区に入ります。黒尾地区では平地を一直線に貫く国道に対し、旧街道は北の山沿いを辿り、写真のように旧街道らしい史跡が点在しています。

2442.またすぐ右折で黒尾地区へ
 
2443.大乗妙典供養塔

2444.愛宕宮
 
2445.津山元標七里
黒尾地区の途中で北の山に朝日神社がありますが、道はそこで途切れてしまうので、国道に戻ります。ここから旧勝山町の原方までの間、旭川の北岸を通る国道は狭隘な地形のため歩道が設置されておらず、2km近くも交通量の多い幹線国道を歩かなければなりません。出雲街道本来の道筋は北岸ではあるものの史跡も失われているところが多いので、朝日神社の前から国道に復帰してすぐ西にある2447の写真の交差点を左折し、南岸を歩くのがオススメです。

2446.朝日神社の前で左へ
 
2447.ここで左折して迂回
浜橋を渡って旭川の南岸に出て、対岸の出雲街道を遠望しながら堤防を歩きます。自動車はあまり通らない快適な道で、時にはこういった道を歩くのも悪くありません。2km弱で次の大上橋を渡って旧勝山町に入ります。

2448.浜橋
 
2449.まったり歩ける南岸堤防

2450.大上橋を渡って北岸に戻る
 
国道に戻るとすぐに姫新線と交差しますが、国道を跨ぐ姫新線の橋梁はその名も「出雲街道架道橋」です。次いで国道は左にカーブするところには東への道が接続しており、旧街道の道筋を引き継いでいますが、当然、久世までは続いていません。

2451.出雲街道架道橋
 
2452.この道は久世まで続きません
●平成の道標
ここの左カーブには新しい道標が立てられていて、右(北)に分岐する旧街道を示しています。これは平成24年〜25年(2012〜2013年)に「出雲街道勝山宿の会」が企業や団体から助成を受けて整備してくださった「平成の道標」で、旧勝山町内の合計20カ所に設置されています。この道標に従って歩けば、少なくとも旧勝山町内の約8kmの間、現在でも通行可能な道で最も旧街道に近い道を歩くことができるという優れもので、その取り組みには心から感謝したいところです。その道標に従って北の山沿いを西へ進んでいきます。

2453.平成の道標が初登場  

2454.北の山沿いを行く
 
●真庭市の木質バイオマス発電2
この付近で見える製材会社は、自社で発生する木くずを利用したバイオマス発電を行っていることで有名で、敷地内の発電施設から水蒸気が上っています。現在では、先述した真庭産業団地内により大規模な発電所ができましたが、ここは約20年前から発電を行ってきた施設であり、東日本大震災後に各種のエコ発電に補助金が交付されたりするようになってからバイオマス発電を始めたところとは一線を画しています。また、この会社では同じく先述したCLTの生産も行っており、その先進性は全国的な注目を集めています。

2455.バイオマス発電施設  
平成の道標に従って原団地という団地に入り、その手前も含めて道標がなければよそ者が歩くことのないような道を行きますが、団地の裏にも鎌倉時代から南北朝時代に活躍した禅僧の寂室元光(円応禅師)が育ったとされる龍玄寺跡という史跡があり、廃寺というのがまた旧街道らしさを感じさせます。

2456.団地の中にも道標
 
2457.龍玄寺跡
勝山スポーツセンターにぶつかると左折し、またすぐに平成の道標に従って右折してで勝山市街に入っていきます。スポーツセンターと勝山高校の間を抜けると、山側には高田神社があります。勝山はかつて高田という地名で、その中心近くにあることからも、勝山を代表する神社と言えます。そして、この高田神社の前にあった一里塚は跡形もなく消滅してしまっていましたが、平成30年(2018年)に「出雲街道勝山宿の会」の皆様により檜の標柱が立てられました。

2458.スポーツセンターにぶつかると左折
 
2459.高田神社

2460.一里塚の碑
 
高田神社と一里塚跡の先で上り坂となり、上がったところには津山の荒神曲とそっくりの大曲りがあります。勝山は三浦氏2万3000石の「勝山藩」があった地であり、ここから先はほとんどの交差点が十字路ではなく丁字路になっていたりするなど、三日月(乃井野)や津山で見たような城下町の雰囲気になってきます。北の山沿いには寺社が集中しており、東端にある化生寺には境内に妖狐伝説の「殺生石」が埋まっているとされており、その社があります。

2461.坂道にかかる
 
2462.大曲り

2463.ここから化生寺へ
 
2464.殺生石の社
>拡大画像 殺生石の案内板
●勝山城下町
次いで妙圓時の前を通り過ぎると、南に「武家屋敷館」が案内されます。ここは往時の姿をそのまま残した「渡辺屋敷」という武家屋敷で、有料ですが内部を見学できます。旧街道の道筋に戻って次の交差点を右折すると、立派な楼門を持つ安養寺と、古くからある醤油蔵を改装した「文化往来館ひしお」があります。そして「三浦坂」と呼ばれる2465の写真の階段を下り、町並み保存地区に入っていきます。

2465.三浦坂の階段

2466.武家屋敷館渡辺屋敷
 
2467.安養寺の楼門と文化往来館ひしお
>拡大画像 渡辺屋敷の案内板
●勝山町並み保存地区
三浦坂を下ると、旭川沿いの町並み保存地区に入ります。勝間田で見た石畳風の舗装と津山で見た電線地中化の合わせ技で景観が整えられていますが、それ以上に見事なのが「のれん」です。町並み保存地区のほとんどの店(家)が玄関にそれぞれ独自のデザインののれんを掛けていて、それだけを見ていても飽きないほどです。この地元発の取り組みが勝山の街並みの魅力を倍加させ、今では他地域の人が勝山に移住して店を出す例も増えてきています。もちろんその景観だけでなく、史跡も一つ一つ紹介しきれないほど多くあります。

2468.勝山の街並み

2469.ほとんどの家(店)にのれんが
 
2470.高田用水と階段
>拡大画像 城下町勝山の案内板
>拡大画像 のれんマップ
●勝山と旭川
勝山の町並み保存地区の西側には旭川が流れており、近代的な交通機関が登場する以前には、勝山は上流(真庭)と下流(岡山)を結んでいた高瀬舟の港町としても繁栄してきました。2471の写真では旭川の東岸近くに細い流れを人工的に作っていることがわかり、高瀬舟の船着場として使用されていた跡が明確に残っています。また、旭川がもたらす豊富かつ良質な水資源を利用して、2472の写真の日本酒の蔵元があり、ここの日本酒も高い評価を受けています。

2471.高瀬舟の船着場跡

2472.日本酒の蔵元
 
2473.川側から
一方で、町並み保存地区の南端から地元の檜をふんだんに使用した景観が印象的な新町商店街を抜けると、中国勝山駅前に出ます。駅には観光案内所が併設され、真庭市内の観光情報が手に入るほか、観光客向けの駐車場もあります。当サイトでは街道の道筋に沿った順序でご紹介してきましたが、勝山を観光するならここを拠点として地図をもらったりして歩くのが一般的ですし、そうしてじっくりと歩き回るだけの魅力がある町とも言えます。余談となりますが、このように勝山が観光地として脚光を浴びるようになったのは21世紀に入ってからのことで、高速道路のインターもなく大規模な工業団地や商業施設の進出もなかった勝山において、まちおこしに知恵を絞り、行動した地元の努力が実を結んだ形となっています。

2474.「檜舞台」の新町商店街
 
2475.中国勝山駅
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●地名、人名等の読み方
 ・原方=はらかた
 ・浜橋=はまはし
 ・大上橋=おおかみはし
 ・化生寺=かせいじ
 ・妙圓寺=みょうえんじ
 ・三浦坂=みうらざか
 ・安養寺=あんようじ

●参考資料
 出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」

●取材日
 2014.11.11/11.12
 2015.11.15
 2016.2.27
 2018.7.25 
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