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18.神代から美甘へ
龍宮岩の公園を過ぎ200mほど行くと出雲街道の案内看板があり、山の方を指していますが、草に埋もれています。強引に進んだとしてもその先に断崖の上で道が崩壊してしまった箇所があり、危険で歩けませんので、ここは無視して国道を進みます。しばらく行けば赤坂の岩壁と呼ばれる切り立った崖が見えますが、落石がひどいため、その下を通っている国道も近年になって付け替えられています。

2532.ここには入らない
 
2533.赤坂の岩壁
次の八反というごく小さな集落のところで同じく山の方を指す看板があり、コンクリート舗装の道へ入ると、そこには中国電力の施設があり、そこから右折して一般的な地図で道路扱いされていない山道へと入っていきます。ここまで書けばご想像いただけると思いますが、「美甘三里は五里ござる」と呼ばれた難路はいよいよここから本格化します。
ちなみに、「出雲街道勝山宿の会」の皆様にこの道を教わるまでは私もさすがに不安だったので、初めて来たときには新庄川沿いの国道と旧国道を歩くことにしましたが、八反集落を過ぎたところでなぜか七体ある六地蔵があったり、新庄川を最初に渡る直前で供養塔等が見られたりしますし、景色も非常に美しいので、この先ご紹介する山道を歩くことに自信のない方は、国道と旧国道を選ぶのも一つの手です。

2534.山の方が案内される
 
2535.電力施設からの登り口

2536.七体の六地蔵
 
2537.猿飛の地蔵、馬頭観音、供養塔
山道に入れば、ヘアピンカーブ一つで標高を稼いだ先に案内看板がある三差路があります。旧街道を先へ進んでいくのは左折の田口方面ですが、直進して神代方面に少し戻ってみましょう。

2538.さぁ山道です
 
2539.田口方面に左折
●赤坂の石垣
八反から登り、少し戻るのでそこは赤坂の岩壁の上で、ここでは高く積まれた見事な石垣で街道が造られています。この道は文久3年(1863年)に美甘の横山平右衛門が改良したものですが、このような山奥の急傾斜地にまでこれほどの石を運び込み、積み上げて道を造った苦労が偲ばれます。この付近には灯明御崎と呼ばれたお堂があり、道を踏み外せば死につながるような危険な場所だけに、明かりを灯していたとも言われています。なお、この先は先述の通り、急傾斜地で道が崩れているところがあります。ここの写真を公開しているのは当サイトのみと思われますが、だからこそ、安全のため、2540の写真の地点までで折り返していただきますようお願いいたします。

2540.赤坂の石垣
2539の写真の地点に戻って田口方面にしばらく進んでいくと、2541の写真の地点の案内看板で、出雲街道は左折、直進は不動滝が案内されます。山奥に来たことを象徴するようなこの滝に立ち寄ってみるのも一興です。

2541.旧街道は左折、不動滝は直進
 
2542.不動滝
不動滝の分岐からも山道をどんどん進んでいきます。一言で山道と言っていますが、人工林のところも天然林のところもあり、山の雰囲気は場所によって結構違います。2543の写真の地点では避けにくい倒木があり、2544の写真の付近では道が埋もれるほど草が伸びやすくなっているなど、道の状態が悪い場所も一部あります。距離としてはほんのわずかで、道筋もちゃんとわかるため、通行困難と言わなければならないほどではありませんが、十分に注意するようにしてください。

2543.倒木が道を遮る
 
2544.少しだけ刈りましたが…
そのわずかな難所を過ぎれば、かつて二本の松があり、新庄川の谷の眺めも開ける景勝地だった二本松と呼ばれる場所です。現在でも木々の間から対岸にある延風の集落が見えます。次の見どころである茶屋跡、鉄問屋跡に到着する直前には「若水の源」と呼ばれる湧水があり、土砂が溜まって飲用できる状態ではありませんが、きれいに掘りなおせば良質な水が出てきそうで、旧街道時代にはこの山道を歩く人々の喉を潤す名水であったことは間違いありません。

2545.二本松
 
2546.若水の源
●鉄問屋跡と茶屋跡
ここで山中に人工的なわずかの平地が現れ、そこには鉄問屋跡、茶屋跡があります。自給的な農業すらできないと見て間違いないこの場所にこのような史跡があることは、かつて出雲街道による交流が極めて盛んだったことを物語っています。そして「鉄問屋」という史跡が示すように、この辺りからはいよいよたたら製鉄の本場に入っており、道端に落ちている石も鉄の成分を含んでいそうな花崗岩が多くなってきています。しかし、訪れる人もほとんどいないこの史跡には雑草どころか竹までが派手に伸びており、藪こぎをしないと通過できない場所となってしまっています。

2547.茶屋跡

2548.鉄問屋跡付近は藪になっている
 
2549.石垣は今も健在
>拡大画像 茶屋跡の案内板
●美甘南部の出雲街道
鉄問屋跡、茶屋跡を過ぎても相変わらずの山道が続きますが、その先で地形と地質の関係上、とても崩れやすい場所があります。平成27年(2015年)4月に開催された「第4回出雲街道を歩こう会」のために「出雲街道勝山宿の会」の皆様が道を直してくださっているのですが、2550の写真を撮影した平成28年(2016年)10月までのたった1年半でそれも一部が崩れてしまっています。また、ここではロープも張られていて、古道を未来に残そうという現在の人々の苦労が感じられます。このように、八反から田口までの山道は部分的に道の悪い場所が多いですが、一本道で迷う心配はなく、90%以上は普通の山道です。この付近の出雲街道を歩く際は、山道に対するご自身の慣れや天候等の条件を考えて、旧街道の山道を選ぶか国道および旧国道を選ぶかをご判断いただくようお願いいたします。

2550.この10mほどは気をつけて
●田口の地蔵と晒し場
長く続いた山道が終わる直前に、「晒し場」という史跡があります。美作国の「山中地方」とも呼ばれる真庭地域では江戸時代中期に「山中一揆」と呼ばれる大規模な一揆がありました。真庭地域にはそれに関する史跡がいくつかありますが、ここは出雲街道沿線の美甘・新庄でリーダー格となっていた2人の首が晒された場所です。続いて山中一揆のあった享保2年(1717年)に建立された大きな地蔵があり、その先でようやく人里に出ます。

2551.舟形地蔵

2552.晒し場
 
>拡大画像 晒し場の案内板
山道を抜けたところにある案内看板は左を差していますが、途中で旧街道に該当する道は途切れてしまうので、右の田口集落方面に迂回します。田口コミュニティハウスのところで左折し、国道と新庄川沿いに下っていく途中には旧街道と交差している箇所があり、文字の消えかけた標柱が立っていますが、どちらの方向に行っても道は途切れています。

2553.右の田口集落へ
 
2554.田口集落へ進む

2555.旧街道と交差
 
下りきったところには田口バス停と美甘小学校の田口分校跡があります。ここから国道はすぐに新庄川の右岸に移りますが、左岸に旧道があるので、そちらを北上していきます。まもなくオーバーハングの下に明治34年(1901年)に立てられた馬頭観音があります。

2556.田口分校跡
 
2557.馬頭観音
●湯谷バス停付近
国道の旧道はいつしか旧街道の道筋と合流しており、湯谷というバス停のところで国道と旧街道が一瞬だけ並びます。2558の写真ではもちろん左が国道ですが、右にある家屋および湯谷集落への道との境界の段差が二段となっていて、間に挟まった細道こそが旧街道です。国道との境界はコンクリート、家屋と湯谷集落への道との境界は石垣と、ほんの10mほどの間にある段差に道の歴史が凝縮された形になっています。

2558.真ん中が旧街道
湯谷バス停からは屈曲する新庄川に沿う国道とその旧道に対し、旧街道は山を越えてショートカットしていきます。国道との高低差はどんどん大きくなり、最後の民家を過ぎたところからは山道になりますが、こちらは地図によっては道路として扱われている道で、地元住民の通行もあるためか道の状態も良く、八反から田口までの山道のような苦労はありません。

2559.小社と地蔵、大日如来
 
2560.山道の状態は良好
あっさり上り詰めるとそこにはゲートボール場があり、作業道が交差していますが、旧街道は直進して右カーブで下りに変わります。また、ここでは高台からは木々に遮られながらも、新庄川の谷と太井の坂の集落が見渡せ、国道との高低差や旧街道がショートカットのコースを辿っていることを感じ取れます。

2561.ゲートボール場のある頂上
 
2562.わかりにくいですが眺望あり
ここから地形はやや険しくなり、安全に撮影できる場所がないので写真は掲載できませんが、断崖の上を行くところでは赤坂の岩壁の上で見たような高い石垣で道が造られています。また、その先では平成28年(2016年)4月に開催された「第6回出雲街道を歩こう会」のために「出雲街道勝山宿の会」の皆様が崩れかけた道を直してくださった箇所もあります。しかし、江戸時代の土木技術とそれを持ち続けている現在の人々のおかげで歩きにくさはなく、「出雲街道勝山宿の会」の皆様にはただただ感謝するばかりです。

2563.高い断崖の上
 
2564.古道再生ありがとう!
人家が現れると舗装道路に戻り、新庄川へ向けて下っていきます。打火谷川を渡ったところに寄水発電所があり、脇に地蔵等がありますが、大日如来が倒れてしまっています。平成28年(2016年)4月の「第6回出雲街道を歩こう会」のときにはちゃんと立っていたので、平成28年10月21日の鳥取中部地震の影響かもしれません。

2565.舗装道路に戻る
 
2566.大日如来が倒れている
●真橋と美甘渓谷
寄水発電所から100mほどで旧国道が真橋を渡って合流してきます。その脇にある案内板からわかるように、この辺りでは両岸を行き来する国道とその旧道に対し、旧街道は一貫して左岸を通っているのが大きな特徴となっています。真橋のすぐ北では大岩に挟まれて川幅が極端に狭くなっていて、ここには板橋を架けて後醍醐天皇が通られたという伝承もあります。美甘渓谷と呼ばれるこの付近の新庄川は、景色の美しさでは出雲街道の長い道のりの中でもハイライトの一つと言える場所です。また、太井ノ坂の一里塚もこの付近にあったと言われています。

2567.後醍醐天皇が通られた?

2568.真橋を下から
 
2569.美甘渓谷
>拡大画像 真橋周辺の案内板
真橋から美甘渓谷沿いの旧国道は「通行止」と表示されていますが、徒歩なら入れます。そのような道を通って良いのかと思われるかもしれませんが、途中にある大きな落石が原因が自動車が通行不能になっているだけで、実際、反対側から入ろうとしたら「車輌進入禁止」と表示されていて、そちらが正確なニュアンスです。将来的に後述する首切乢付近の旧道のようになってしまわないかは心配ですが、この車両通行禁止区間では美甘渓谷の眺めがすばらしく、途中に「魚切」という名勝もあります。なお、この場所は私が現場の状況をよく知っているのでこのように記載しましたが、「通行止」の道は基本的に徒歩でも通行してはいけませんので、念のため補足しておきます。

2570.通行止ですが…
 
2571.大きな落石が原因です

2572.魚切
 
2573.正確には車両通行禁止
国道に復帰すれば、右岸は「出雲嶽」と呼ばれる断崖になっています。これは松江の殿様がこの景勝地で足を止めて休憩されたことに由来する名前です。さらに300mほど行けば右側に「寄水滝」が見え、一方、左側では国道の柵が一カ所だけ切れているところがあり、そこを下れば旧街道の道筋に出ます。しかし、旧街道には棘があるものを含む草が生い茂っており、旧美甘村指定の天然記念物である寄水のケヤキも折れてしまっているという状態なので、ここは国道経由が無難です。なお、この付近の国道には歩道はあるものの、車は高い速度で走っており、見通しの悪いカーブもありますので、特に横断時にはくれぐれも気を付けてください。

2574.出雲嶽
 
2575.寄水滝

2576.旧街道は左ですが…
 
●首切乢
寄水集落を過ぎると、首切乢という峠を越えます。現在では桜の名所となっていますが、このような恐ろしい名前が付けられているのは、戦国時代にこの場所で出雲の大名である尼子氏と高田(勝山)の領主である三浦氏との合戦があり、多数の首が斬られたことに由来しています。ここにも東に旧道があるのでそちらに入りますが、明治時代の旧国道として切り開かれた峠道はほとんど利用されなくなってから約50年が経過していることもあって落石が多く、特に峠を越えた先では東側の崖が派手に崩れています。道自体は崩れていませんが、堆積した土砂の上に低い雑草が生え、舗装道路であることが信じられないような道です。ジメジメしているので、ぬかるみにも注意してください。

2577.首切峠

2578.首切トンネルの手前で斜め右へ
 
2579.舗装された旧国道…!?
国道に戻れば、すっかり地形も穏やかになっており、美甘宿がようやく近づいてきたことを感じさせます。400mほど国道を行けば、斜め左への分岐で美甘宿に到着します。

2580.穏やかになった新庄川
 
2581.美甘宿の入口
●美甘宿1
美甘宿は「てまり街道」として旧街道沿いの民家の軒先にてまりが吊るされており、勝山ののれんほど遠目のインパクトはありませんが、それぞれに趣向を凝らしたてまりが見られます。てまりは美甘の伝統工芸品で、最近は地元で創作てまりを作る活動が盛んになってきており、美甘支局に隣接して「てまりの館」もあります。また、「香杏館」は美甘が生んだ名医である横山香杏(横山廉造)が薬の調合場として使用した建物で、現在は美甘の食材を使った昼食やお茶が楽しめるカフェとなっています。

2582.美甘宿は「てまり街道」

2583.てまりの館
 
2584.香杏館
>拡大画像 横山廉造(香杏)の案内板
●美甘宿2
美甘自体は次の新庄よりも古い歴史を持つ町ですが、現在の美甘市街は江戸時代初期に出雲街道とともに整備された宿場町です。そのため、新しい美甘の街の発展を目指す美甘の人々からの要請で勝山の塚谷屋が出店したという歴史があり、以来、松江藩の参勤交代の際に本陣の置かれることの多かった新庄に対し、美甘は経済の町としての色彩が強くなったと言われています。その塚谷屋跡から少し西、美甘小学校の東側の交差点にはその名も「かどや」という旅館があり、ここで旧街道の道筋は屈曲して一本南に移ります。美甘宿の東半分では宿場町につきものの水路が見えませんでしたが、ここからは水路が登場し、街並みの裏を通っていたことがわかります。勝山以西の出雲街道は、中海や宍道湖のうなぎを運ぶ「うなぎの道」としての役割も持っていましたが、「うなぎ池」もこの水路沿いに残っています。

2585.塚谷屋跡

2586.「かどや」を左折
 
2587.うなぎ池
>拡大画像 塚谷屋の案内板
美甘宿では街並みのすぐ南側にある新庄川の堤防に植えられた桜並木が「美甘宿場桜」という桜の名所となっています。美甘宿の西端には美甘神社があり、まもなく国道に復帰します。

2588.美甘宿場桜
 
2589.美甘神社
「地域の皆様とともに」コーナーの「第4回出雲街道を歩こう会」「第6回出雲街道を歩こう会」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・美甘=みかも
 ・八反=はったん
 ・猿飛=さるとび
 ・横山平右衛門=よこやまへいえもん
 ・延風=のぶかぜ
 ・享保=きょうほう
 ・太井の坂=たいのさか
 ・寄水=よりみず
 ・首切乢=くびきりたわ
 ・横山香杏(横山廉造)=よこやまこうきょう(よこやまれんぞう)
 ・塚谷屋=つかたにや

●参考資料
 出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
 小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」
 美作地域歴史研究連絡協議会「美作の道標と出雲往来一里塚」
取材日:2014.11.12/2015.3.26/2015.4.12/2015.11.16/2016.10.23/
2016.11.12/2017.11.5/2017.11.29/2018.4.12
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