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19.美甘から新庄へ
美甘宿を出ると、麓城という山城があった小高い丘を北に見ながら国道を進み、美甘こども園とJAの美甘支所の間にある2602の写真の地点で斜め右に入ります。美甘宿周辺で地形が平坦になるのは一時的なものではなく、新庄までの間は勝山から美甘までの険しさが嘘のような穏やかな地形になり、国道もその平地の中央を直線的に貫いていますが、集落および旧街道は平地の北の端にあります。

2601.右は麓城跡

2602.斜め右で山沿いへ
当政集落内では集落の中に旧街道が通っていて、現在では何も残されていませんが、2603の写真の地点の付近には当政の一里塚もあったそうです。先述のように、旧美甘村西部では旧街道は小盆地の最北端を通っているので、2604の写真の地点では右が旧街道と思われますが、民家の敷地内へ突っ込んでいく形になってしまうので、いったん一本南の道に出ます。

2603.当政集落内

2604.ここはいったん左へ
続く片岡集落内では、2605の写真の地点で右に入ると、少し高い位置に五輪塔やお堂が立っているのが見られます。そしてそのすぐ先にある交差点のところからは昔のままの姿を残した旧街道が再登場します。

2605.右に入ってみると…

2606.五輪塔

2607.お堂もある

2608.本物の旧街道が再登場
●美甘西部の出雲街道
片岡から平島の両集落の間では昔のままの旧街道が1km以上も続きます。先述のようにこの辺りは小盆地になっているとは言え、農地に適した平地の面積は限られているので、わずかな平地を少しでも多く利用するため、この付近では旧街道は山沿いの集落のさらに裏を通っています。出雲街道沿線では随所で見られる土地利用の方法ですが、都市的な開発と無縁なこの辺りで最も典型的に見ることができます。一方で旧街道のさらに山側には墓地が多く、地元の人達が歩いて通るためか、道もほとんど荒れていません。その結果、単に旧街道がよく残っているというだけでなく、旧街道時代から脈々と続いている地元の生活感もよく残されている道となっています。

2609.古木の間に道が続く

2610.山側(北側)には墓地が多い

2611.川側(南側)の眺め
2612の写真の地点では(間違えてもほとんど同じ場所に出られるので問題はありませんが)右が旧街道で、平島集落に到着すると舗装された道路に出ます。集落に入ったところには供養塔や荒魂神社があります。

2612.ここは右

2613.平島集落に到着

2614.念仏供養塔と大峯山供養塔
平島集落でも途中から旧街道が残されており、やはり集落の裏の山沿いに未舗装の道が続きます。400mほど旧街道を行くと美甘惣社の小社があり、その先にも山沿いに旧街道が続いている様子が見えますが、この先は道が荒れてしまっているので、いったん国道に出て野尾集落に入ります。

2615.平島でも旧街道が残る

2616.ここも集落の裏に歩きやすい道

2617.美甘惣社

2618.道が荒れているので国道へ
野尾集落内の旧街道は荒れてしまっているところが多いのでしばらく国道を歩きますが、2619の写真の交差点を右折すれば、ほんの100mほどですが、最後にまた良い雰囲気の旧街道を歩くことができます。その違いは何なのかと注意して見ると、荒れてしまっている道の脇は概して空き家で、きれいな状態の道の脇にはしっかりした生活感のある家があることが多いのに気づきます。その意味でも旧美甘村西部の出雲街道は今も地元の暮らしと結びついている道と言えそうで、地元の方々の暮らしがあってこそ古道歩きが楽しめるのだと感じさせられます。

2619.ここを右に行けば…

2620.またきれいな状態の旧街道
野尾集落の西側で旧街道と国道が合流しますが、ちょうどその地点には古い六地蔵があります。ここから300mほどは新庄川に沿って国道を歩きます。

2621.野尾の六地蔵

2622.しばらく国道
次の羽仁集落ではまた小平地の北端にある集落沿いを歩きます。美甘からここまでに見てきた各集落と比較して、ごくわずかながら規模も大きく賑やかな雰囲気に感じられますが、これは美甘と新庄のほぼ中間点にあるため、2つの町の間を取る形で施設が置かれたりすることが多かった影響です。古くは牛馬市が羽仁で開かれていた時期があり、現在では真庭消防署の美新分署が羽仁の国道沿いにあります。

2623.右折で羽仁へ

2624.集落はやはり山沿い
羽仁の集落を出て右折、国道に戻るとまもなく新庄村に入ります。500mほど国道を歩き、大所橋で新庄川を渡ります。新庄川にはずっと並行し続け、国道や旧国道はこれまで幾度も渡ってきましたが、旧街道としては初めて渡ることになります。なお、旧街道時代に新庄川を渡る地点はもう少し下であったと言われています。

2625.新庄村に入る

2626.大所橋を渡る
大所集落の真ん中にある交差点を右折し、田園地帯を北上していきます。この付近では旧美甘村西部とは逆に左岸より右岸の方が平地が広くなっており、そういった場所を選んで新庄川を渡るコースで街道が設計されていたことが窺えます。しかし、これまた旧美甘村西部とは逆に旧街道そのものは失われてしまっており、史跡は山沿いに清正公大神儀という石碑が残されているのみで、その付近にあったという姿の一里塚も痕跡を残していません。

2627.清正公大神儀

2628.姿の一里塚はこの辺り?
新庄村の中心部に入っていく直前に、丸山石造物群という明治44年(1911年)の疫病で亡くなった人々を弔うための石仏群があります。次いで対岸に現れるのは今井河原刑場跡という処刑場の跡で、ここで先述した山中一揆の首謀者格の5人が処刑されたそうです。こうした負の歴史を語る史跡に少し暗い気分にさせられてしまいますが、それも歴史ある街道の村であり、宿場町である一つの証と言えるでしょう。

2629.丸山石造物群

2630.今井河原刑場跡
>拡大画像 丸山石造物群の案内板
>拡大画像 今井河原刑場跡の案内板
今井河原刑場跡のところに架かる今井橋から桜並木が始まり、正面には「がいせん桜」も見えてきますが、まっすぐ新庄宿へ続く道は新しい道で、旧街道の道筋は六十六部供養塔のある2632の写真の地点で斜め左へ行きます。

2631.六十六部供養塔

2632.ここは左へ
新庄宿も多くの宿場町と同様、出入口付近でわざと道筋が曲げられていて、その途中から新庄宿へ続く家並みが始まります。突き当りを右折、またすぐに左折の順でがいせん桜通りに入っていきますが、そこから少しだけ南に戻り、宝田橋で新庄川を渡れば、「道の駅がいせん桜新庄宿」があります。

2633.地蔵など石造物が集まる

2634.街並みが始まる

2635.左折でがいせん桜通りへ

2636.宝田橋から見た新庄川と新庄富士
「道の駅がいせん桜新庄宿」は、私などが紹介せずとも新庄村を観光するならほとんどの人が立ち寄るであろう道の駅ですが、ここでは新庄村の名産品である「ひめのもち」および「ひめのもち」を使用した様々な菓子が販売され、レストランでも「牛餅丼」など餅メニューが出されています。

2637.道の駅がいせん桜新庄宿

2639.牛餅丼
●新庄宿1
新庄宿では道の両側に、日露戦争の戦勝を祝して植えられたという「がいせん桜」が植えられており、街並みのほぼ全体に続いています。小さな山奥の村が大いに賑わう「がいせん桜祭」が開催される春はもちろん、夏の青葉、秋の紅葉、そして冬の雪化粧と、四季折々の姿が訪れる人々を魅了しています。令和元年(2019年)7月には待望の宿泊施設として、がいせん桜並木とほぼ同じ築100年ほどの古民家を改装した「新庄宿須貝邸」もオープンしました。新庄村出身の若い料理人による、地元の旬の食材を使用した本格的な料理が特色となっているほか、時候が良い季節の一部の土曜日には「縁側茶房」も開催され、「がいせん桜通りの古民家の縁側」という空間でお茶とお菓子を楽しむこともできます。

2639.がいせん桜通り(春)

2640.新庄宿須貝邸

2641.人生のひと呼吸を、この場所で
>拡大画像 がいせん桜並木の案内板
●新庄宿2
がいせん桜ばかりに目が行きがちですが、新庄宿は宿場町の街並みも良好に残されています。中でも脇本陣木代邸は江戸時代末期の建物が残り、「さくら茶屋」として営業しているときは内部を見学できます。その正面にある雲州候本陣は明治時代に建て替えられていますが、それでも出雲街道がまだ本来の機能を保っていた頃の立派な建物には本陣を務めた家らしい貫禄があります。そして本陣も脇本陣もそうですが、新庄宿では赤い石州瓦の家屋が大半を占め、これから行く鳥取県西部や島根県の景観の象徴とも言える石州瓦の多さに、文化的にも山陰側の影響が強まってきたことを感じさせます。また、通りの両側にある水路には、かつて(高貴な)旅人に振る舞われたという鯉が泳いでおり、普段は閑静な街並みの中で聞こえる水路のせせらぎは「日本の音風景100選」にも選出されています。なお、水路はかつて道の中央にあり、坪井宿同様の「麦飯町」となっていたそうです。

2642.脇本陣木代邸(冬)

2643.雲州候本陣
 
2644.鯉も泳いでいます
>拡大画像 出雲街道宿場町の案内板
>拡大画像 日本の音風景百選の案内板
新庄宿の魅力はがいせん桜通りだけではありません。新庄川の右岸堤防にはしだれ桜が、左岸も含む土手には芝桜が植えられ、ソメイヨシノの季節を少し外してしまっても花を楽しめるようになっています。

2645.しだれ桜通りのライトアップ
 
2646.新庄川堤防の芝桜
旧街道の道筋はがいせん桜の終わる御幸橋で戸島川を渡って左折しますが、直進して国道を横断したところには新庄村役場など村の公共施設が集まっています。新庄村は明治時代に市町村制が始まってから現在に至るまで一度も合併をしていません。人口1,000人にも満たない過疎の村のため、当然のごとく「消滅可能性」が指摘されていますが、「出雲街道」「ひめのもち」に加え、貴重な種を含む動植物が見られ、森林セラピーが楽しめる「毛無山」というすばらしい地域資源を有し、「日本で最も美しい村連合」にも加盟しています。役場に掲げられた「村民一家族の村」という看板も誇らしげに感じます。

2647.御幸橋を渡って左折
 
2648.新庄村役場
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  • ●地名、人名等の読み方
    •  当政=とうまさ
    •  平島=ひらじま
    •  野尾=のお
    •  羽仁=はに
    •  大所=おおどころ
    •  木代=きしろ
    •  毛無山=けなしやま
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
    •  畔高義正「出雲街道と新庄盆地をめぐる」
    •  小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」
    •  美作地域歴史研究連絡協議会「美作の道標と出雲往来一里塚」
          
  • ●取材日
    •  2015.3.26/5.2/.5.3/5.21
    •  2017.1.13/4.20/11.29
    •  2018.4.11/11.29
    •  2019.10.24
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