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20.新庄から四十曲峠へ
御幸橋で戸島川を渡ると西に向きを変え、新庄宿の街並みを抜けた先で国道を横断します。この交差点の少し西には大歳神社という神社があり、大国主命を助けたという大歳の神様が祀られています。

2648.いよいよ分水嶺越えです

2649.大歳神社
>拡大画像 大歳神社の案内板
国道から少しずつ離れながら戸島川に沿った緩やかな坂道を進んでいきます。岡山県の残る区間は国道からかなり離れることになり、もはやこの先に町らしい町もなくなった道は現在ではただの田舎道にしか見えないような姿になりますが、力士塚や地神、題目塔などの石造物が点在していて、やはりかつては人の往来が多かった旧街道であることを感じさせます。

2650.力士塚

2651.地神と題目塔
>拡大画像 力士塚の案内板
>拡大画像 地神さまの案内板
新庄村役場から1kmほど行ったところにある2652の写真の地点には「後鳥羽上皇御旧跡中山道」と記された石柱があり、そこを右折しますが、ほんの少し先に五人塚という史跡があります。ここから上り坂がいよいよきつくなってきますが、この坂道はまだ四十曲峠への上りではなく、嵐ヶ乢という峠への上り坂です。

2652.ここを右へ

2653.後鳥羽上皇旧跡を示す標柱

2654.五人塚

2655.嵐ヶ乢に向けて上り坂に
>拡大画像 五人塚の案内板
●後鳥羽公園1
嵐ヶ乢へ上る途中で、いかにも旧街道らしい見事な杉並木に迎えられます。この辺りには隠岐に流された後鳥羽上皇、後醍醐天皇にまつわる史跡が集中しているので、「後鳥羽公園」として整備されています。最初に見るのは戸島一里塚の跡で、その先で少しだけ西の山に入ると、後鳥羽上皇(のお供の者)が硯代わりに使ったという伝承が残る「硯岩」があります。

2656.杉並木の街道

2657.戸島の一里塚跡

2658.硯岩
>拡大画像 後鳥羽公園の案内板
>拡大画像 一里塚跡の案内板
>拡大画像 硯岩の案内板
杉並木の道を上り続けていく途中、西側には大正15年(1925年)に当時の皇太子殿下(昭和天皇)行啓記念として造られた常夜燈があります。その先で道路が大きく右にカーブする地点に「後鳥羽上皇 後醍醐天皇 配流の道」という標柱があり、そこから公園内の遊歩道に入っていきます。公園の遊歩道というには整備が不十分に感じますが、その分、配流の道らしい寂しさと自然の美しさが印象的な道です。

2659.杉並木の道を上る

2660.皇太子殿下行啓記念

2661.配流の道の遊歩道へ

2662.山の自然が満喫できる
●後鳥羽公園2
再び自動車の通る道路にぶつかる地点の付近では、嵐ヶ乢方向に向かって右側に、後鳥羽上皇がこの場所で詠まれた和歌の歌碑と、後醍醐天皇が使用された「御水池」があります。左側には後鳥羽上皇が使用された箸が珍しい種の栗の木になったという伝承があり、岡山県指定の天然記念物になっている「しだれ栗」があります。鎌倉幕府に対して挙兵して敗れた二人が、同じ立場でこの道を通り、同じように和歌を詠んだのがこの場所です。

2663.後鳥羽上皇の歌碑

2664.しだれ栗

2665.御水池
>拡大画像 後鳥羽上皇の歌碑の案内板
>拡大画像 しだれ栗の案内板
>拡大画像 御水池の案内板
後鳥羽公園の最後には駐車場とトイレもあり、きれいな状態ではないですが、この辺りでは唯一といっていい貴重な休憩ポイントで、ここを過ぎれば嵐ヶ乢まではもうすぐです。

2666.後鳥羽公園の休憩所

2667.嵐ヶ乢はもうすぐ
嵐ヶ乢には730mという標高を示す標柱や「出雲街道 嵐ヶ乢」の大看板があり、また、右側(東側)の山の方を見ると少し高い位置に峠地蔵が見えます。峠地蔵に行くには頂上で分岐する林道に少しだけ入り、戻る形になっている細い山道に入りましょう。なお、この峠は道路改良により昔に比べて低くなっているそうで、かつては道も地蔵もさらにもう少し高い位置にあったそうです。

2668.嵐ヶ乢に到達

2669.峠地蔵
>拡大画像 嵐ヶ乢と峠地蔵の案内板
嵐ヶ乢を過ぎると、案内看板が示すように旧街道の道筋は現在の道路のわずかに東側にあったようですが、草木が生い茂って通れるような状態ではありません。やむなく現在の道路を進みますが、急な下り坂の前方には毛無山など県境の山並みもよく見える爽快な眺めです。

2670.これはちょっと無理

2671.二ツ橋集落へ下る
●二ツ橋集落
嵐ヶ乢の坂道を下りきって左折すると、美作国最後の集落である二ツ橋に入ります。出雲街道随一の難所を控えたその立地から、かつては旅人の休息地としての役割も持っており、茶屋集落とも呼ばれていました。旧街道時代、悪天候時等には住民が旅人を迎え入れて助けていたそうですが、私も新庄村内で同じような体験をしており、そういった伝統は現在も変わらず生き続けているのかもしれません。集落内には定番の六地蔵のほか、津山元標十五里の里程標も残されており、昔の雰囲気を色濃く残した集落とも言うことができます。

2672.二ツ橋集落

2673.六地蔵と三界萬霊塔

2674.津山元標十五里
>拡大画像 茶屋集落の案内板
四十曲峠の案内板と馬頭観音がある2675の写真の分岐を右に曲がれば、あとは道なりです。分岐からも舗装された緩やかな上り坂が続き、左側(南側)の牧草地では牛が草を食む牧歌的な風景が見られることもあります。

2675.この分岐を右へ

2676.左は牧草地
>拡大画像 四十曲峠の案内板
2677の写真の地点で道路の舗装が途切れても道はさほど険しくはならず、特に最初のうちは林業が営まれる人工林のため、自動車も入る歩きやすい道です。最後には峠に向けて少し勾配がきつくなるものの、難所として広く知られていたというほどには感じられません。

2677.舗装が切れる

2678.左に人工林、右に天然林

2679.きつい坂道は最後だけ
●四十曲峠
そうして意外とあっさり到達した四十曲峠の標高は760mほど、長かった美作国もついに終わりで、いよいよ山陰側(伯耆国)に入ります。今は看板一つが立っているだけの場所ですが、わずかな平地が人工的に作られていて、こんな場所にも一軒の茶屋があった時期もあったそうです。なお、ここでは道が左にもありますが、旧街道は直進です。

2680.四十曲峠
「地域の皆様とともに」コーナーの「第7回出雲街道を歩こう会」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・大歳神社=おおとしじんじゃ
 ・嵐ヶ乢=あらせがたわ

●参考資料
 出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
 畔高義正「出雲街道と新庄盆地をめぐる」
 小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」

●取材日
 2015.3.26/5.3/5.21/11.16
 2017.4.20
 2018.11.29
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