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21.四十曲峠から板井原へ
●伯耆側の四十曲峠
四十曲峠の名前の由来は「始終曲がっているから」「何十回も曲がっているから」だと言われ、東の箱根と並び称せられたほどの難所ですが、美作側ではそこまで険しい道には感じませんでした。しかし、伯耆側はその名の由来にも納得せざるを得ない壮絶な峠道で、私の計測では峠から乢根までの間で36回曲がっていました。まさに文字通りの「四十曲峠」です。今やこのような道を歩く人はなく、クマザサやシダに埋もれていた時期もありましたが、ここ数年はウォーキングイベントが開催されるなどして、問題なく歩ける状態が保たれています。

3101.幾重にも道が重なる

3102.ひたすらヘアピンカーブ
 
3103.最近は道の状態が良い
●乢根
国道に復帰する直前に乢根の地蔵があり、「左 上方 右 備中」と道標の役割を果たしています。そして旧街道の峠道は国道の四十曲トンネルの西側入口のところに出てきて、岡山県側を振り向けば四十曲トンネルは旧街道とは逆に一直線に峠をくぐり抜けています。また、地蔵に記されていた備中方面への道も県道112号として健在で、ここが分岐点となっています。峠を控えた交通の分岐点のため、かつては茶屋を含む集落がありましたが、現在では消滅しています。

3104.乢根の地蔵

3105.標識の間が旧街道
 
3106.四十曲トンネル
乢根から板井原に向けては国道の旧道があり、一部の地図では道路として扱われていますが、入ろうとした瞬間に3108の写真のような状態で、ここから板井原へは歩道がないと言っても国道を歩くより他にありません。先述のように乢根の集落は消滅していますが、少し下れば国道の東側に乢根の集落で最後の民家となっていた廃屋が残り、谷の反対側には今も守られていると思われる墓が見えます。

3106.鳥取県に入ったことを実感
 
3108.板井原へ下る旧国道(笑)

3109.乢根集落の最後の民家
 
3110.墓地は今も残る
現代の国道でも四十曲峠の地形が伯耆側の方が険しいのは同じで、自動車交通のために改良された国道としては急な勾配を下っていきます。乢根から1kmほどのところにある板井原橋は谷底から何十mもの高さがありますが、乢根の集落が消滅し、この辺りは日常的に歩行者が通ることがないので、板井原橋には歩道どころか歩行者一人通れる幅の路肩すらも用意されていません。交通量が非常に少ないのが救いですが、高所恐怖症の人が歩くには怖い橋でしょう。はるか谷底には旧国道の道筋が見えます。

3111.板井原橋へ
 
3112.路肩なし
板井原橋を渡ると2つのヘアピンカーブで一気に標高を下げますが、1つ目のカーブは何と板井原トンネルの中です。側溝の蓋の上が歩道になっているので、歩くのには危険はありませんが、トンネル内の急カーブに対応できなかった大型車も多かったのか、カーブの外側の側壁には擦ったと思われる傷痕が多数あります。板井原橋と板井原トンネルが竣工したのは交通戦争真っ只中の昭和43年(1968年)。設計時点では高い橋や長いトンネルを建設する技術力はあっても、交通安全に配慮したゆとりある設計をするという考え方は一般化していなかったということでしょう。

3113.一気に標高を下げる
 
3114.板井原トンネル

3115.トンネル内で急カーブ
 
板井原トンネルを抜け、2つ目のヘアピンカーブのところには閉店してしまったドライブインがあり、その脇から乢根方面への旧国道が分岐しています。ここで標高は500mにまで下がっています。

3116.昔のドライブイン
 
3117.旧国道はここから上る
旧ドライブインの付近からわずかな田畑がありますが、まだ集落は現れず、山深い雰囲気が続きます。さらに1kmほど下り続けると、今度は元気に営業を続けている昭和の雰囲気の食事処があり、そこを斜め左に入ると板井原宿に入っていきます。板井原宿は伯耆国で最初の宿場町というだけでなく、ようやく現れた鳥取県最初の集落でもあります。

3118.まだまだ山深い
 
3119.斜め左で板井原宿へ
国道から分岐してから宿場町の街並みまでの間には板井原の一里塚跡があります。明確な痕跡や案内板がないので断定はできないのですが、現在は柿の木が植えられているそうなので、集落に入るまでの3120の写真の地点か、県道311号が分岐した先の3121の写真の地点と思われます。

3120.一里塚の跡はここか
 
3121.ここと思われます
宿場町の街並みに入る手前で左折して県道311号に入り、南の山の方に行ってみると、高い位置から板井原宿とその向こうの山並みを見渡すことができ、また、さらに板井原神社まで行けば、本殿の扉に後述する日野町名物のオシドリの彫刻を見ることもできます。きつい坂道を上ることにはなりますが、あえてこうした寄道をしてみるのも楽しいです。

3122.上から見た板井原宿
 
3123.板井原神社のオシドリの彫刻
●板井原宿
出雲街道の宿場町の中でも最も山深い場所にある板井原宿は後世の町の発展や拡大とは無縁で、平地もほとんどない道沿いにおそらく旧街道の時代と変わらない規模の街並みが残されています。名所旧跡として案内看板が立てられているような建造物や史跡等は見当たりませんが、それでも家並みの裏にお堂があり、その付近で板井原川を渡る橋は「堂の下橋」、続いて馬頭観音を見て、本陣もあったと思われる宿場町の中枢部に入っていくところでもう一度板井原橋を渡る橋は「屋敷廻橋」と、よく見れば旧街道らしさを随所に見ることができます。

3115.板井原宿の街並み

3125.お堂や六地蔵など
 
3126.馬頭観音
板井原宿を出る直前には郵便局の跡があり、国道に復帰するところには板井原小学校の跡があります。板井原小学校の閉校は昭和48年(1973年)。国道が改良され、スクールバスが運行できるようになったため閉校になったと想像できます。交通の要所として繁栄してきた集落が、その繁栄をもたらした交通路(出雲街道)から外れることになったわけでもないのに、道路整備によって衰退してしまったのは、寂しさを感じざるをえないところです。

3127.郵便局の跡
 
3128.板井原小学校跡の碑
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●地名、人名等の読み方
 ・板井原=いたいばら
 ・乢根=たわね

●参考資料
 小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」

●取材日
 2015.5.21
 2015.11.16
 2017.11.5
 2018.11.29
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