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22.板井原から根雨へ
板井原の集落を過ぎたところで標高は400m。乢根からもう200mも下っていて、岡山県側と比較すると美甘(約410m)よりも低くなっていますが、景色の山深さは相変わらずです。3201と3202の写真からわかるように、国道は板井原川に沿って曲がりくねりながら、ひたすら同じような景色の中を下っていきますが、残念ながら歩道があったり路肩が広かったりするのは山側がほとんどなので、岡山県側の新庄川のように渓流の眺めを楽しむことはあまりできません。また、旧街道の道筋は国道とほぼ一致しているはずですが、同じく岡山県側の旧美甘村南部のように、旧街道が歩行可能な山道として残されていることもありません。

3201.歩道はあったり
 
3202.なかったり
板井原から3km少々でようやく景色が開けてくると、「元弘の忠臣 金持景藤の墓」という案内板があり、右側に上がれば金持景藤の墓があります。金持景藤は美作国で何度も見かけた児島高徳と似た人物で、隠岐に流される後醍醐天皇を四十曲峠で迎え、天皇が京に復帰される際には名和長年とともに手引きをし、以後も南朝方として各地を転戦しています。そしてようやく谷が少しずつ開けてきたところにある3023の写真の分岐からは旧道があるので、そちらに入っていきます。

3203.金持景藤の墓
 
3204.旧道(中央)へ
>拡大画像 金持景藤の墓の案内板
ここの旧道は明治時代に国道として整備された道ですが、100mほど行くと斜め右にそれ以前の旧街道と思われる細い山道が分岐しています。すぐに途切れてしまいますが、道が途切れる地点には石積みの上に小さな祠が祀られています。ここまでだけ道が残されていることから想像できるように、この祠を地元の方々が細々と守り続けているのでしょう。

3205.右に旧街道らしき道が…
 
3206.小さな祠まで残る
旧国道に戻ってさらに進んでいくと、山沿いには江戸時代までの旧街道と思われる道が通っているように見えます。3208の写真の地点を右折してそちらの方へ行ってみると、やはり3207の写真左の民家の方へ道は続いており、現在では通り抜けもできず、私道のような姿になっているものの、旧街道は今も生き続けています。そしてその道は3208の写真右の2つの家の間に続いており、わずかながらも通り抜け可能な旧街道を歩くことができます。

3207.左の民家の方へ旧街道が残る
 
3208.ここを右へ

3209.これでも旧街道
 
3210.ここにも旧街道
金持地区の右岸の集落を通り過ぎても、六地蔵が見られるなど、旧道には旧街道らしさが感じられる状態が続きます。自動車の通る道路としては3212の写真の地点で板井原川を渡って国道に戻りますが、直進するのが古い道筋と思われるので直進すると、右(北)の崖から流れ落ちる滝を見ることもできます。誰も通らなくなった道は荒れていますが、ごく短い距離なので気にするほどではありません。

3211.六地蔵
 
3212.直進することもできます

3213.道は荒れていますが…
 
3214.滝も見られる
板井原川を渡ってきた国道に合流すると、「日本で一番縁起の良い名前の神社」の金持神社の広い駐車場と札所が見え、久しぶりに賑やかな雰囲気になります。街道歩きをしている身からすれば、久しぶりに駐車場やトイレがきちんと整備された貴重な休憩ポイントともなります。「棚からぼた餅」などの開運グッズが販売されている札所の先で神明橋を渡り、100mほど行くと金持神社です。

3215.金持神社札所
 
3216.神明橋を渡って神社へ
●金持神社
その名前が有名な金持神社ですが、規模としては普通の田舎の神社という感じです。しかし、境内には「とっとりの名木100選」に選ばれているサワラとチャンチンの木があるなど、由緒ある神社らしい雰囲気はあります。そして、何と言っても現在の金持神社は金運を呼ぶパワースポットです。境内のあちらこちらに小銭が供えられ、絵馬を見ても金運の願い事がほとんどで、また、全国各地から参拝者が絶えないこともわかります。中には「宝くじ○等当たりました。ありがとうございました」といったものもあり、ひょっとしたら本当にご利益があるのかもしれません。ちなみに「金持」という地名はたたら製鉄が盛んであったことが由来ですが、先述した金持景藤ら「金持党」が活躍したことからも、歴史的事実として鉄のおかげでこの土地からはかなりの財力が生み出されていたと言うことはできるでしょう。

3217.金持神社

3218.狛犬もこの通り
 
3219.こんな祈願がほとんど
>拡大画像 金持神社の案内板(札所)
>拡大画像 金持神社の案内板(境内)
金持神社の札所からはまた板井原沿いの国道を下っていき、金持神社札所から1.5kmほどの地点にある高尾交差点で、新見方面から明地峠を越えてきた国道180号に合流します。とは言え、国道180号との重複区間はわずかで、旧街道を歩いていると通らない塔の峰交差点で分岐してしまい、次に国道180号と出会うのは鳥取県の最後の陰田町交差点です。順番的には出雲街道の国道181号は格下ですが、ここから米子までの間は明らかに181号がメインルートです。高尾交差点からもわずかに見える3221の写真の分岐には「旧出雲街道根雨宿入口」という看板があり、そこから旧道に入れば、まもなく六地蔵どころではないお地蔵さんに迎えられて根雨宿に入ります。

3220.高尾交差点
 
3221.根雨宿の入口

3222.供養塔、題目塔、地蔵
 
●根雨宿1
根雨は伯耆国を代表する河川である日野川沿いにあり、また、四十曲峠を控えているという地理的条件から、出雲街道の中でも拠点性が高く機能の集中した宿場町の一つと言えそうです。道沿いには旧宿場町の雰囲気を色濃く残した街並みがあり、新庄宿と同様に美しい水路のせせらぎも心地良く聞こえてきます。その中央部付近には、鉄山師の近藤家をはじめとした江戸時代末期から明治初めの建物が残っています。特に日野町公舎は休日には「たたらの楽校」としてたたら製鉄に関する展示が行われており、日野郡のたたら場を網羅して表示した地図や「高殿」の模型は必見です。

3223.近藤家周辺

3224.たたらの楽校根雨学舎
 
3225.本陣の門(移築)
>拡大画像 日野町公舎と根雨宿場町の案内板
●根雨宿2
根雨の発展を支えてきたのは「たたら製鉄」と「出雲街道」と言えますが、両者とも前近代的なイメージとは反して、近代的な製鉄所が増え、鉄道ネットワークが全国的なものになる大正時代くらいまでは発展を続けてきました。根雨宿に3226や3227の写真のような近代以降の名建築が見られるのは、明治以後も産業と交通の拠点として発展を続けていた証とも言えます。また、根雨宿を見下ろす高台にある延暦寺には根雨出身で大正から昭和初期に思想家として活躍した生田長江の碑もあります。

3226.日野町歴史民俗資料館(旧根雨公会堂)

3227.最近まで現役だった銀行
 
3228.生田長江の碑
>拡大画像 日野町歴史民俗資料館の案内板
根雨駅や日野町役場、鳥取県の日野振興センターに向けて道沿いに市街が続いていますが、3229の写真の地点で右折するのが旧街道の道筋です。またすぐに左折すると、東側に旧権現神社の公園がありますが、その付近には富籤場もあったそうです。江戸時代の宝くじである富籤はごく限られた場所にしか許可されず、そこからも当時の根雨の繁栄が想像できます。

3229.ここで右へ
 
3230.旧権現神社
旧街道は日野町役場でいったん途切れ、根雨駅に出てきます。久しぶりに再会する鉄道は、佐用で出会った智頭急行と並んで「陰陽連絡」の機能を今も保持し続ける伯備線で、根雨駅には特急「やくも」の半数が停車します。

3231.細道をすり抜けて役場へ
 
3232.根雨駅
>拡大画像 根雨のまち並み散策マップ
●日野川のオシドリ
根雨の日野川には11〜3月頃、多いときには約1,000羽というオシドリが飛来してきて、日野町の名物となっており、出雲街道や根雨駅からも徒歩で約5分の伯備線の橋梁のところにはオシドリ観察小屋が設置されています。オシドリが見られるのは街道歩きに適したシーズンとは真逆になるものの、もし季節や時間帯を合わせられたならぜひとも立ち寄っていただきたい場所です。なお、オシドリ観察小屋の運営等をしておられるのは「オシドリグループ」の皆様方で、オシドリの餌となるドングリは全国の有志から届けられているということで、ここでも地域の有志の力で貴重な地域資源が守られ、育まれ続けています。

3233.清流日野川に集うオシドリ
根雨駅から少しだけ北へ行くと、先述した延暦寺への道があり、供養塔等の石造物が多数あります。その先には一般的な地図で道路扱いされていない細道があり、後述する「奥日野ガイド倶楽部」の皆様から教えていただいたこの道は旧街道の道筋そのもので、根雨市街の北端に出てきますが、伯備線や国道が造られたことによってその道筋は途中で途切れており、100mほどで現在の道に戻ることになります。付近にあったという三谷の一里塚も完全に消滅しています。ここから先、国道と伯備線、そして日野川に沿って穏やかな道のりに戻ると思いきや、そうではありません。伯備線の踏切と国道を渡ると、旧街道は日野川を渡って次なる峠越えにかかります。

3234.ここからの細道が旧街道
 
3235.伯備線と国道を渡る
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●地名、人名等の読み方
 ・金持景藤=かもちかげふじ
 ・金持=かもち
 ・高尾=こお
 ・明地峠=あけちとうげ
 ・陰田町=いんだちょう
 ・伯備線=はくびせん
 ・生田長江=いくたちょうこう

●参考資料
 小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」

●取材日
 2015.5.21/6.10/9.21/12.5
 2017.1.13/2017.11.5 
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