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23.根雨から二部へ
根雨で鉄道にも再会し、比較的大きな町も見たため、そこから先は国道と伯備線、そして日野川に沿って穏やかな道のりに戻るような気もしますが、旧街道は早速国道と伯備線から離れ、日野川を渡って次なる峠越えにかかります。日野川を渡る舟場橋には大名行列を模した装飾があり、ここが参勤交代の道筋だった歴史が表現されていますが、もちろん近代以前にはこのような大きな川に橋が架けられているわけもなく、渡し船による連絡でした。

3301.舟場橋の装飾

3302.舟場のモニュメント
>拡大画像 舟場の案内板
かつては中安井と呼ばれていたという舟場は、その地名が示すようにまさに出雲街道の交通拠点として繁栄してきた場所と言えます。ここでは県道35号の西を通る裏道が旧街道で、舟場橋を渡ると左折、またすぐに右折して緩やかな坂道を上っていきます。道沿いには立派な古民家が多く見られます。3304の写真の地点で左折すれば、さらにもう一つ西を通っている裏道に「うなぎ池」もあります。

3303.県道の裏道が旧街道

3304.うなぎ池にはここを左
●うなぎ池
出雲街道は中海や宍道湖のウナギを京都や大坂に運ぶための「ウナギの道」としての役割も持っており、生きたまま遠方まで輸送するために、途中ではウナギの元気を取り戻すことを目的としてこのような小さな池が多数設けられていました。冷蔵(冷凍)技術のない時代に遠方へ水産物を運ぶための工夫と言えます。なお、ウナギの道は当サイトでご紹介している旧街道とは多少道筋が違っていたそうです。

3305.うなぎ池
●古民家沙々樹
舟場の集落も終わりが近づいてきた頃、旧街道と県道35号の間にとりわけ立派な古民家があります。ここは江戸時代末期に建てられ、平成29年(2017年)に登録有形文化財となった「古民家沙々樹」で、地域の歴史文化を活かしたイベントを多数開催し、出雲街道のウォーキングイベントも主催されている「奥日野ガイド倶楽部」の活動拠点ともなっています。古民家を活用したイベントや付近を通るウォーキングイベントに参加すれば、中を見学させていただくことができます。

3306.古民家沙々樹(県道側から)
舟場の集落を過ぎると、二部までの間は概ね県道35号に沿って間地峠を越えていきます。峠道だけに勾配こそきついものの、道路はよく整備されており、次の次の宿場町である溝口までの距離も、国道と伯備線が通る江尾経由のルートより、こちらの県道の二部経由のルートの方がやや近いです。日野川を2度渡ることに何の困難もなくなった現在では、日野町から米子市方面へ行くのにこちらを選択する車も多いのか、交通量も県境あたりの国道よりは多いです。歩道がないのが難点ではありますが、日野町側ではほぼ全区間で旧街道に該当する道が並行し、そちらを歩くので何の問題もありません。

3307.立派な主要地方道

3308.すぐに斜め左の旧街道へ
間地峠に向けてどんどん標高を上げていき、後ろを振り返れば舟場の集落はもちろん、日野川対岸の根雨の街やその向こうにそびえる宝仏山の眺めもすばらしいです。沿道はそば畑になっていますが、このあたりのそば畑は日野町で震度6強を記録した平成12年(2000年)の鳥取県西部地震で水路等が破壊されたために転作されたもので、現在では日野町の名物の一つに育っています。そば畑もなくなってきたところで獣害防止柵がありますが、針金で簡単に開閉可能なタイプですので、そのまま先に進んでいけます。

3309.そばの花が咲く坂道

3310.柵を開いて進む
●舟場山たたら跡
これまで何度かご紹介してきた「たたら製鉄」ですが、ここでついに出雲街道の道沿いにたたらの跡が登場します。写真ではわかりにくいですが、大量に取り残された「カナクソ」(製鉄の過程で砂鉄の不純物が固まったもの)を拾い上げてみれば、明らかに自然の石とは違って鉄の成分が含まれていることがわかり、ここで製鉄が行われていたことの証明になります。舟場の集落を完全に過ぎた山の中ですが、付近には石垣を築いて造られた人工的な小平地が多くあり、ここに人の暮らしがあったことがよくわかります。

3311.舟場山たたら跡

3312.カナクソ

3313.石垣で造られた小平地
舟場山たたら跡からさらに上っていくと、日野町と伯耆町の境となる間地トンネルの手前で県道35号と合流します。この地点には出雲街道の標柱と案内看板があり、本当はこの地点から直線的に間地峠に向かう道筋だったのですが、現在では草木に埋もれて到底通行できません。しかし、延長980mの間地トンネルを歩く必要はなく、途中で旧街道の道筋に戻って間地峠に行ける道が用意されています。

3314.出雲街道の標柱

3315.間地トンネル
>拡大画像 間地乢・出雲街道の案内板
県道35号をほんの少しだけ下って、古峠山という山を目指す林道に入ります。この道は自動車の走る道路としては伯耆町側につながっていませんが、500mほど上っていくと左側にまた出雲街道の標柱があり、そこで分岐する山道に入れば、まもなく旧街道の道筋に戻って間地峠に至ることができます。また、先述の「舟場山たたら跡」の入口やこの山道の入口には「奥日野ガイド倶楽部」の皆様が看板を設置して、見逃したり間違えたりしがちな場所をカバーしてくださっています。これまでこのような山道には何度も出会ってきましたが、ここは先述した「奥日野ガイド倶楽部」の皆様が定期的に出雲街道のウォークイベントを開催されている関係で草を刈ってくださっているおかげで、山道としての状態がとても良いです。

3316.左の脇道から右の脇道へ

3317.古峠山を目指す林道

3318.ここで左の山道へ

3319.状態は極めて良好!
●間地峠
山道を上り詰めると標高479mの間地峠に到達します。根雨から間地峠までの標高差は300m近く、新庄から四十曲峠までに匹敵しています。ここにもあったという茶屋のエピソードは案内文をご覧いただくとして、間地峠は条件さえ整えば日本海のはるか彼方にある隠岐島までが見えるという超が付くほどの絶景スポットにもなります。通常の晴れた日は島根半島くらいまでで、現在は眺望が開ける方向の木が伸びてやや眺めが悪くなっていますが、それでもここが出雲街道で最後の峠だと思うと感慨深いものがあります。

3320.間地峠出茶屋旧跡

3321.峠の地蔵

3322.隠岐島も見える!?
>拡大画像 間地峠出茶屋旧跡の案内板
伯耆町側でも山道の状態は良好で、気持ちの良い道を下っていきます。県道35号に戻る3324の写真の地点にも出雲街道の標柱が設置されていて、街道歩きをしている者が間違いなく旧街道に入っていけるようになっています。

3323.伯耆町側へ下る

3324.県道に戻る
県道35号を少し下れば間地峠駐車場があります。植栽や巨石の配された庭園風の空間があるなど、ちょっと豪華すぎる印象も受けますが、平成5年(1993年)と比較的開通が新しい道路だけに本当によく整備されており、古くから出雲街道を介して交流のある地域間において、それまで自動車で通れる道路が存在しなかったことが不思議なくらいです。日野町側と違って県道に並行する旧道等はないため県道を下っていきますが、歩道がないのは日野町側と同様なので、交通安全には十分注意してください。

3325.間地峠駐車場

3326.勾配とカーブの続く県道
わずかな平地が開け始めたところに植松の一里塚の跡があります。3327の写真の中央に松が植えられていますが、これは地元の先生が独力で植えなおし、育てたものだそうです。この付近では旧街道と思われる道も見られるようになってきますが、残念ながらいずれも進入または通り抜けができず、最初の集落に入るところで斜め右への分岐があり、ようやく県道35号から逃れられます。

3327.ここが一里塚の跡

3328.古峠山を目指す林道

3329.斜め右で集落内へ
●間地集落(上)
集落内の道に入ると、定番の六地蔵だけでなく「牛つなぎ石」も見られます。これは牛馬を連れた旅人が一時的に牛馬をつないでおくための石で、全国最大の牛馬市が開かれていた大山にも近いこの付近では、牛馬市に向かう人々も出雲街道を利用していたことがわかります。続いて登場するのは「うなぎ井手」で、流れのある水路が現在の道路の下を横切っており、先述した「うなぎ池」と同じ機能を持っています。このように間地集落の上の方では、単に何となくの雰囲気として旧街道の面影が残されているのではなく、出雲街道が「うなぎの道」「牛馬の道」としても大いに利用されていた証が次々に登場します。

3330.うなぎ井手

3331.六地蔵と三界萬霊塔

3332.牛つなぎ石
いったん県道35号に戻り、またしばらくすれば3333の写真の地点で斜め左への分岐があり、間地の集落に入っていきますが、この付近にはカナクソが落ちています。ここではたたらの跡がすぐ側に見つかるわけではありませんが、付近にたたらの跡があることは間違いなく、この地域では随所でたたら製鉄が行われていたことを実感できます。旧街道らしく道沿いに立派な古民家や六地蔵が見られる中を下っていき、もう一度県道35号に戻れば500mほどで県道35号と県道46号が交差する二部交差点に至りますが、そのすぐ手前が旧道との交差点です。

3333.斜め左に入る

3334.間地の集落内

3335.ここにも六地蔵と三界萬霊塔

3336.二部交差点のすぐ東が旧道交差点
●二部の道標
旧道の交差点の南にある宮の鼻橋を渡ったところには立派な道標が残されており、「左 大さか 右 びんご」「左 黒坂 右 米子」と記されています。そしてこの道標の最大の特徴は大坂の近江屋という店の名前が刻まれていることで、スポンサーが広告を出すという、現在の資本主義にも通じる発想が見られる貴重な歴史遺産であり、関西と山陰を結ぶ出雲街道を介した交流の象徴であるとも言えます。また、現在でも主要地方道同士が交差する二部はこの道標が示しているように古くからの交通の要衝で、ご紹介してきた四十曲峠や間地峠が参勤交代の道として整備されるまでは、津地峠を越えて南から二部に入る「富田街道」が陰陽連絡のメインルートで、江戸時代の「うなぎの道」も西の法勝寺方面から来て二部で出雲街道に合流していました。

3337.二部の道標
道標から折り返して北の二部宿に入っていけば、まず二部神社があります。美作国で見た鶴坂神社と同様、後醍醐天皇が休息されたという地に建てられた神社です。さらに北上していく道沿いに旧街道時代からの旧家はあまり残っていませんが、主要な史跡があった場所に標柱が立てられたりしています。また、二部公民館の横にはヒ(たたら製鉄で生まれる鉄の塊)が展示されています。先述したように多くの古道が必ず二部を経由していましたが、その理由はやはりたたら製鉄の関係だと思われ、その山々の谷筋の要に位置する二部は、一時は日野郡の郡役所も所在していたほど繁栄していました。

3338.二部神社

3339.二部宿の街並み

3340.歴史を語る標柱

3341.ヒ
>拡大画像 ヒの案内板
●二部宿
二部宿では本陣の足羽家が雲州松平候本陣跡として残されています。イベント時以外は中には入れませんが、本陣を務めた家にふさわしく立派な庭園が現存しており、脇の道からその片鱗を見ることができます。街並みの北端にある傳燈寺も平安時代からの古い歴史を持つ素朴な雰囲気の寺です。二部宿はこれまで見てきた出雲街道の宿場町の中で唯一国道から外れており、平成の大合併前でも町村の中心地ではなかった集落ですが、静かな雰囲気の中にかつての繁栄を想像させる史跡が点在しているのが特徴となっています。

3342.本陣足羽家

3343.庭園も少し見える

3344.傳燈寺
「地域の皆様とともに」コーナーの「出雲街道散策ショートコース」「出雲街道散策ロングコース」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・二部=にぶ
 ・間地=まじ
 ・古峠山=ふるたわやま(「ことうやま」とも呼ばれる)
 ・津地=つち
 ・富田=とだ
 ・法勝寺=ほっしょうじ
 ・ヒ=けら
 ・傳燈寺=でんとうじ

●参考資料
 溝口町二部公民館「ふる里 野上の郷」

●取材日
 2015.6.10/9.21/12.5
 2016.11.19
 2018.9.5/9.6
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