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24.二部から溝口へ
二部宿を出る手前、3401の地点で斜め右に分岐する道が旧街道の道筋と思われ、3402の写真のように出雲街道らしい山沿いの道を少し歩けますが、残念ながらその先までは続いていませんので、いったん県道46号に出ます。

3401.二部宿の出口

3402.旧街道はこの道と思われます
県道46号を200mほど行って斜め右に分岐する旧道に入りますが、県道と旧道の間にある細道には、玄関がその細道に向いた家や、何かの供養塔と思われる石造物があります。入り方がよくわからなかったため十分に確認できていませんが、雰囲気的にはこれが旧街道で、二部の一里塚もこの辺りにあったと推測できます。

3403.斜め右に入り三部地区へ

3404.玄関の向きに注目
三部地区で県道46号の旧道は一直線に北へ伸びていますが、旧街道の道筋は直線的ではなかったそうで、3405の写真の地点では斜め右の細道が旧街道です。その後も北にある溝口の方向へ旧道がずっと続くので、そのまま進んでしまいそうになりますが、3406の写真の地点で左折して三部橋で野上川を渡ります。左岸の県道に出るとすぐに斜め左への分岐で三部一区の集落に入ります。

3405.厳密には斜め右が旧街道

3406.ここを左

3407.今度は左

3408.三部一区
●三部の地蔵
三部一区内の交差点の側に地蔵がありますが、これまで勝央町の岡や日野町の乢根で見てきたものと同じように、道標の役割を兼ねています。左は「上がた にぶ」と出雲街道を指しているのに対し、右は「外構 ふじや谷」と近隣の地名を指しています。

3409.三部の地蔵
三部一区の集落もまた歴史ある集落という雰囲気を持っており、二部宿の本陣はもちろん先述した足羽家でしたが、脇本陣は三部にあったそうです。集落を抜けたところで、現在の新出雲街道のルートに該当する道路が北の山の方へ向かっています。新出雲街道は三部から南部町(旧会見町)の天萬経由で米子へ向かうルートで、日野川を渡る回数を根雨と舟場の間の1回だけにするとともに、距離的にも大幅に短縮できるため、松江藩が参勤交代の道として整備したものです。とは言え、利用されていたのは幕末の一時期だけだったので、ここでは(旧)出雲街道を選択して右折します。

3410.二部宿の脇本陣跡は三部に

3411.左が新出雲街道
県道46号に戻る一つ手前の道を左に入ると、北の山沿いに残っている旧街道を歩くこともできますが、荒れてしまっているところもあります。再び県道に復帰すれば、荒れている旧街道とは対照的に今度はとてもよく整備された快適な県道を歩いていくことになりますが、そのような中でも歴史の道である証拠物件が残されています。

3412.荒れた旧街道

3413.よく整備された県道ですが…!?
記念碑や供養塔が4つもある父原バス停の先を右折して野上川を渡り、父原の集落に入るとまた左折して次は河岸段丘上にある古市地区を目指します。野上川に沿って一直線に溝口を目指す県道46号に比べて遠回りですが、かつては現在の県道の道筋がなかったのでしょう。

3414.父原バス停

3415.野上川を渡って左折
父原から段丘崖を上れば、古市の集落に入る頃には県道46号との高低差はかなりついています。古市は段丘面の平地が広がっており、集落の規模も比較的大きく感じます。古市の集落から下りきったところの交差点を左折しますが、ここでは方向感覚が狂いがちですので、そこにある道標で確認しましょう。溝口方面から見て「左 庄 江尾 右 古市」となっています。

3416.古市へ向けて上る

3417.かなりの高低差

3418.古市の道沿い

3419.古市の道標
日野川への合流目前の野上川を再度渡ると、左斜め前の脇道に入って県道46号に戻ります。すると、またすぐに次の中祖地区の集落に入る斜め左への分岐があり、現在は県道に分断されているこの2本の道路が旧街道の道筋であったことがよくわかります。なお、中祖集落では公民館がある集落の中心部に入る手前で右折してまたも県道に戻ります。文章で書いてもご理解いただきにくいと思いますが、ともかく二部宿を出てから中祖の一里塚跡までの間は野上川を3度も渡り、県道46号を4度も横断するという出雲街道らしからぬジグザグのルートです。

3420.斜め左が旧街道

3421.中祖でもまた左
中祖には一里塚の跡があり、ほんの30年ほど前までは見事な松の木があったそうですが、松くい虫によって枯れてしまったそうです。現在では圃場整備によって旧街道も失われてしまっていますが、新たに植えられた松が育ちつつあり、田園風景の中でよく目立っています。ここからは日野川沿いの県道を一直線です。

3422.中祖の一里塚跡

3423.約30年前まであった巨木

3424.あとは県道を一直線
●溝口の鬼
旧溝口町には日本最古の鬼伝説があり、それにちなんだ鬼のまちづくりが進められてきました。いよいよ溝口の市街が近づいてきたこの付近では西の丘に巨大な鬼の像が見えてきます。その丘の上には遊園地の「おにっ子ランド」があり、また、旧町内には鬼の電話ボックス等が造られています。ただ、私が訪れたのは平日とは言え、「おにっ子ランド」は閑散としていて、併設されていた「鬼ミュージアム」も閉鎖されているなど、ハコモノ先行の公共事業の失敗例という感は否めません。なお、鬼伝説の鬼住山はここではなく、3430の写真の鬼守橋正面の山です。

3425.巨大な鬼の像

3426.おにっ子ランド

3427.市街にある鬼の電話ボックス
>拡大画像 鬼の像の案内板
3428の写真の交差点で県道1号に合流します。左折すると鳥取県内でも有数の観光名所である「とっとり花回廊」も近いです。旧街道としての見どころはこの交差点のやや南側に大守神社で、参勤交代の一行はその境内で隊列を整えたと言われており、その大守神社の東側が溝口の渡し場跡(左岸側)です。現在の道路はそのやや北側にある鬼守橋を渡って鬼守橋交差点で国道に合流します。ここは当然米子方面へ左折しますが、右折して150mほど行けば溝口の渡し場跡(右岸側)があります。

3428.県道1号に合流

3429.大守神社

3430.鬼守橋を渡る

3431.溝口の渡し場跡
>拡大画像 溝口の渡し跡の案内板
渡し場から国道を300mほど北上して溝口交差点を右折し、石碑等が多数置かれている溝口第二ふれあい会館のある3433の写真の地点を再び左折すれば、溝口宿の街並みに入っていきます。

3432.溝口交差点を右

3433.溝口第二ふれあい会館を左
●溝口宿
溝口宿は旧家の混在する商店街になっていて、佐用あたりと似た雰囲気です。溝口分庁舎(旧溝口町役場)も縦に積まれたビルで、再び都市的な場所に近づいてきたことを感じさせますが、この場所は旧街道時代には本陣があり、新出雲街道の開通後は高等教育機関である「溝口郷黌」が置かれた場所で、脇に記念碑があります。

3434.溝口宿の街並み

3435.溝口分庁舎

3436.溝口郷黌跡、池田亀鑑先生の碑
>拡大画像 溝口郷黌之跡の碑、池田亀鑑先生学恩碑の案内板
溝口宿の街並みでは伯耆溝口駅前に旧家が比較的多く残っていて、また、駅前ではちょっとした再開発がなされているように見えましたが、いくつかの店が入居するその建物も町家風に作られて、景観が整えられています。

3437.伯耆溝口駅
 
3438.駅前の新しい店
伯耆溝口駅を過ぎてもしばらく街並みは続き、警察署の手前には「大山道」の道標があります。溝口は今も昔も大山への入口となっており、大山道の主要ルートの一つである「溝口道」の起点がここです。そして、国道に復帰する溝口インター入口交差点で分岐する県道45号はその溝口道のルートを引き継ぎ、枡水高原を経て大山に至る道路です。出雲街道から大山に入るには岡山県では久世、鳥取県では溝口が主要な結節点となっていました。

3439.大山道の道標
 
3440.溝口インター入口交差点
「地域の皆様とともに」コーナーの「出雲街道散策ロングコース」もあわせてご覧ください。
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●地名、人名等の読み方
 ・溝口=みぞくち
 ・三部=さんぶ
 ・野上川=のかみがわ
 ・外構=とがまえ
 ・会見町=あいみちょう
 ・天萬=てんまん
 ・父原=ちちばら
 ・中祖=なかそ
 ・鬼住山=きすみやま
 ・鬼守橋=きもりはし
 ・大守神社=おおもりじんじゃ
 ・溝口郷黌=みぞくちごうこう
 ・伯耆溝口駅=ほうきみぞぐちえき

●取材日
 2015.6.10/7.3/12.5
 2016.11.19
 2017.1.12
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