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26.八幡橋から米子へ
八幡橋を渡ると、日野川左岸の堤防道路を北西へ進んでいきます。現在の堤防道路はもちろん旧街道時代からの道ではありませんし、周辺も近代的な圃場整備がなされているため、旧街道の道筋は失われていると思われますが、高い堤防がちょっとした展望台の役割を果たしてくれていて、米子平野と日野川、そして後方の大山の眺めが良い道が続きます。

3601.堤防道路を行く

3602.振り向けば日野川と大山
この付近で左に見えるのは福市地区で、台地上には弥生時代から古墳時代にかけての土器等が多数出土し、国指定史跡にもなっている福市遺跡もあります。「福市遺跡公園」として整備されており、1kmに満たない寄道で行くことができるので、立ち寄ってみるのも一興でしょう。続いて3604の写真の左に見える大川橋を渡って安養寺に立ち寄ります。

3603.広大な田園の向こうは福市地区

3604.この辺りで一度堤防を下りる
●安養寺
福市地区の低い丘陵の東端近くにある安養寺は、後醍醐天皇の皇女の瓊子内親王が開かれた寺です。瓊子内親王は後醍醐天皇を追ってここまで来られたものの、後醍醐天皇についていくことは叶わず、この地で亡くなられているという人物で、境内にはその墓があります。御皇室の人物の墓が地方にある珍しい例でもあり、史実かどうかわからない伝承に基づくものがほとんどの出雲街道沿線にある後醍醐天皇の関係史跡の中では、史実に基づく明確な史跡があるという珍しい例でもあります。

3605.瓊子内親王の墓

3606.境内

3607.談碑
>拡大画像 安養寺の案内板
日野川の堤防道路に戻り、さらに北上を続けます。安養寺のある丘陵を過ぎれば、西からは法勝寺川が近づいてきて、日野川との間には家屋が見られなくなります。この付近では2つの河川が氾濫を繰り返したり、流路を変え続けたりしてとても人が居住できる場所ではなかったのでしょう。一方で、両河川の合流地点近くには米子市水道局の施設や米川頭首工紀功碑があります。日野川および法勝寺川のもたらす豊かな水資源を米子平野全体に波及させるための要となっているのがこの場所であるとも言えます。

3608.法勝寺川との間に水道施設

3609.米川頭首工紀功碑
いよいよ法勝寺川が近づいてきたところで法勝寺川を渡ります。渡った先には戸上山という丘があり、藤内稲荷神社があります。ここで堤防を下り、米川に沿って進んでいきます。

3610.左折で法勝寺川を渡る

3611.藤内稲荷神社
>拡大画像 米川頭首工と藤内さんの案内板
●米川
戸上山の麓から始まる米川は、江戸時代中期に約60年の歳月をかけて整備された人工の河川で、米子平野を南北に貫き、河川らしい河川のない弓浜半島方面(境港市方面)の極めて重要な水源となっています。流量が調整されているので河川敷や堤防はありませんが、「川」と呼ぶにふさわしい水量が豊かに流れています。また、堤防を下りたところにある戸上の集落では、古い家屋の間を米川が貫いており、道路のない左岸側の家に出入りするための橋が多く架けられていたりするなど、独特の雰囲気があります。

3612.米川のスタート地点

3613.人の暮らしとともにある人工河川

3614.左岸に道路はない
戸上の集落を過ぎると、進路を西に変え、北は観音寺新町という新興住宅地となっていますが、米川の流れは南の丘陵に沿うようにして進んでいきます。新しい住宅地に対して米川は明らかに高い位置を流れる天井川になっています。平野部において、安定した水量を確実に流すための高低差をつけているというところでしょう。

3615.右は新興住宅地ですが…

3616.米川の方が明らかに高い
米子環状線を名乗る県道300号を横断すれば、その先は野球場や陸上競技場などが集まる東山公園で、ネーミングライツにより「どらやきドラマチックパーク米子」と名づけられています。この名称は、施設命名権を購入した米子市の製菓メーカーがどらやきの生産量日本一であるため、「どらやきのまち米子」としてPRするプロジェクトの一環として名づけたものです。また、どらドラパーク米子市民球場は、(数年に1回のみですが)山陰地方で唯一のプロ野球一軍公式戦が開催される球場でもあります。

3617.県道300号を横断

3618.東山公園駅

3619.どらドラパーク米子市民球場

3620.「どらやきのまち」をPR
●車尾の道標
米川踏切で山陰本線の線路を渡れば、まもなく旧山陰道と合流し、ここから松江までは出雲街道と山陰道が重複するようになります。そして交差点の脇にある民家の敷地内にはには古い道標があります。柵の中にあるためじっくりと見ることができず、保存状態もあまり良くないのが惜しまれるところではありますが、道標には非常に多くの地名が刻まれており、車尾が米子の東部にある交通の要衝であったことを強く感じることができます。

3621.車尾の道標
道標のある交差点を左折し、米川橋で米川を渡ると、ごく緩やかな下り坂で堤防を下ります。ここから旧街道の道筋は直線的に米子の市街を目指していきますが、3623の写真の地点で左折してみると、江戸時代の堤防が残る「新土手跡」が見られます。

3622.左折で米川を渡る

3623.ここを左に入ると…

3624.新土手跡
>拡大画像 新土手跡の案内板
この辺りはまだ米子の城下町には入っていませんが、現在では車尾から米子までの旧街道沿いには市街が連続しています。米子東高校と博労町駅の間には勝田神社や出雲大社(米子分院)、法勝寺や了春寺など、多くの寺社が集まっています。

3625.勝田神社

3626.出雲大社(米子分院)
>拡大画像 勝田神社の案内板
博労町駅は山陰本線ではなく境線の駅で、駅舎もない小さな駅です。境線は米子から境港までの17.9kmの間に14駅(両端駅を除く)もの駅があるというJRの地方路線らしからぬ路線で、境港市ゆかりの水木しげる先生にちなみ、各駅には「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の名前が愛称が付けられていて、博労町駅は「コロポックル駅」です。列車は車両の内外に「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターが描かれた「鬼太郎列車」が走っています。
博労町駅のすぐ南の鳥取街道踏切を渡れば、すぐに変則的な形状の交差点があり、旧街道は斜め左に進んで米子城下町に入っていきます。博労町という町名からも、大山牛馬市に集う人々などが集まる交通の町が米子城下の東端にあったことが想像できます。現在では跡形もありませんが、博労町には一里塚もありました。

3626.博労町駅

3627.斜め左へ
古い屋敷や蔵が残っている商家がある博労町1丁目交差点で久しぶりの国道181号に出会います。ここから国道181号の終点である公会堂前交差点までは500m足らずで、津山市の院庄交差点から約100kmに及ぶ国道一本分を歩き通してきたと思うと達成感を感じます。なお、ここから先、文中で単に「国道」と記している場合は、国道9号を指しています。

3629.古く立派な商家がある

3630.交差点から振り返る
出雲街道の道筋は国道を横断して糀町に入り、そのまま一直線に進んでいくのですが、米子市街を貫く旧加茂川に架かる糀町橋の手前で右折して、北の方へ少し寄道してみることにします。今後「だいせんみちを歩こう」の方でご紹介していきたいと思いますが、旧加茂川沿いには多くの地蔵が祀られており、平成28年(2016年)に日本遺産に指定された「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」の構成文化財の一つとなっています。出雲街道の道筋から離れすぎるので、ここでは国道9号にぶつかるまでの寄道に留めますが、旧加茂川沿いをさらに進めばまだまだ多くの地蔵を見ることができるだけでなく、古い回船問屋や白壁土蔵も残されており、加茂川・中海の遊覧船も運航されているという、米子市街で随一の観光スポットとなっており、「旧加茂川・寺町周辺のまちづくりを進める会」による散策マップも作成されています。

3631.糀町橋の手前で右折してみます

3632.旧加茂川沿い

3633.多くの地蔵がある
>拡大画像 加茂川の橋と地蔵の案内板
>拡大画像 加茂川の橋と地蔵位置図
出雲街道に戻るのは「米子ほんどおり」と名付けられた一本西の商店街を選びます。米子は「山陰の大阪」とも呼ばれる山陰随一の商業都市として知られており、この辺りがその中心商店街となるはずですが、やはり地方都市における中心商店街の空洞化とは無縁ではいられず、まだまだがんばっている店舗も見られるものの、津山のソシオ一番街や銀天街の方がまだ良かったと思えるほどの廃れ方に見えます。地方都市はどこでも共通ですが、郊外の自動車交通の便利な場所に商業の中心が移っており、津山都市圏では河辺に該当する郊外で繁栄している場所は、米子都市圏では米子市の東方の日吉津村です。山陰随一の商業都市に住む市民が買い物に行く場所が、鳥取県内唯一の「村」であるという皮肉な状況が発生してしまっています。

3634.米子ほんどおりで戻る

3635.状況は良くありません
●法勝寺町
本通りから続く法勝寺町はアーケードを撤去し、七福神が配され、「世界一」の米子市の水道水をアピールするピリケンさんもいるこの通りは、明るく、歩いて楽しい雰囲気づくりをして再生の道を歩んでいます。地方都市の商店街が商業的な意味で昔日の繁栄を取り戻すことは不可能に近いとは思いますが、再び人の集まる場所にしていくために少し違ったストーリーでまちづくりを進めていこうという思いが感じられ、大いに応援したいところです。リニューアルされた部分が終わったところで右折すれば出雲街道の道筋に戻ります。

3636.アーケードの撤去された法勝寺町

3637.縁結びの神「れいちゃん」

3638.ピリケンさんと地蔵
>拡大画像 開運招き水(米子市の水道水)の案内板
●元町サンロード
法勝寺町から道笑町、日野町、茶町と続く旧街道は「元町サンロード」と呼ばれる商店街で、現在はシャッター通りと化してしまっているものの、法勝寺町と同じくアーケードを撤去して新たなまちづくりが進められており、電柱には「2018年電柱アートコンテスト」の入賞作品が飾られています。「パティオ広場」には「現存する日本最古の客車」である旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道車両が展示され、イベントが開催できるスペースになっているほか、駅前大通りの県道28号に至る直前には「出雲かいどう 右 上方 左 松江」と大書された新しい道標が置かれています。また、いくつかの小路が旧街道に接続しており、その中の一つである「瓢箪小路」は伯耆町の三部で分岐した新出雲街道の道筋で、ここで(旧)出雲街道と合流します。

3639.旧街道に電柱アートの地蔵

3640.パティオ広場

3641.新出雲街道の瓢箪小路

3642.出雲街道の新設道標
>拡大画像 旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道車両の案内板
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●地名、人名等の読み方
 ・安養寺=あんにょうじ
 ・米川=よねかわ
 ・藤内=とうない
 ・弓浜半島=ゆみはまはんとう(「きゅうひんはんとう」とも呼ばれる)
 ・博労町=ばくろうまち
 ・勝田神社=かんだじんじゃ
 ・糀町=こうじまち
 ・日吉津村=ひえづそん
 ・道笑町=どうしょうまち

●参考資料
 米子市立山陰歴史館運営委員会「米子のふるさと散歩」

●取材日
 2015.7.3
 2018.2.21/2.23/5.22
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