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27.米子から陰田へ
元町サンロードの商店街を抜けると県道28号を横断します。出雲街道の道筋はなおも直進ですが、米子城下の残る茶町、塩町、大工町にはあまり旧街道の風情が残されていないので、ここで右折して、米子城跡の方へまた寄り道することとします。
県道28号は米子駅と国道を連結する駅前の大通りで、この付近の都市景観は地方の県庁所在地の都市並みです。鳥取県の県庁所在地はもちろん県東部の鳥取市ですが、例えば山陰2県のJR各線を管理するJRの支社は「米子支社」であるなど、地理的に山陰の中央にあたる米子は山陰2県の中心地として高い都市機能を持っていることを感じさせます。国道と交差する加茂町2丁目を左折すれば、米子城跡のある湊山が近くに見えてきます。

3701.県道28号にぶつかる

3702.加茂町2丁目交差点
続いて久米町交差点を右折し、またすぐに左折で市営湊山球場の南側の道に入れば、米子城跡(湊山公園)の入口です。ここからかつて天守閣のあった湊山の頂上に登るには、右折して桝形から城郭を見学するか、直進して弘法大師像の前を通り「四国八十八カ所霊場巡り」をするかの2つのルートがあります。

3703.桝形から上っていくか

3704.弘法大師像から上っていくか
>拡大画像 城山大師の案内板
●米子城跡
米子城跡は安土桃山時代に吉川広家が築き、江戸時代に入って中村一忠が拡張した西伯耆最大の城郭で、立派な石垣が残されています。出雲街道沿いには姫路、津山、松江と日本100名城にも選ばれた名城があり、それらの城の石垣ほどの壮大さはありませんが、それぞれの防御機能を持っていたと考えられる廓の石垣が幾重にも重なった姿からは、姫路や津山や松江とはまた異なった防御思想を感じ取れます。そして、小高い丘の上にあるため、頂上(天守台跡)からの眺めが見事で、北西の中海方面、北東の弓浜半島方面、そして東の市街・大山方面とこの辺りの地形と米子市街の構造が手に取るようにわかります。

3705.幾重にも重なる石垣

3706.市街、大山方面の眺め

3707.中海方面の眺め
>拡大画像 米子城跡の案内板
城跡から下る道は先述したように2つの選択肢があり、四国八十八カ所霊場を模した石仏が配された道を下りながら戻っていくこともできます。麓まで下れば国道をしばらく西進して湊山の丘陵を超え、新加茂川(深浦)の手前で左折します。旧街道の道筋に戻るためには新加茂川沿いを遡っていくことになりますが、逆に進めば中海沿いを散策することもできます。湊山を中心としたこの一帯は湊山公園としてよく整備されているため、じっくりと散策が楽しめます。

3718.四国八十八カ所巡りをして下る

3719.ここで左折

3720.中海沿いを散策できる
     
出雲街道の道筋に戻る新加茂川沿いは「彫刻ロード」として彫刻作品が展示された遊歩道となっており、数々の地蔵がある旧加茂川沿いと好対照をなしています。新加茂川橋(歩道は愛宕橋)まで戻れば右折して再び旧街道を西進していきます。

3721.新加茂川沿いの彫刻ロード

3721.新加茂川橋と愛宕橋
>拡大画像 米子まち歩きマップ
●愛宕山
新加茂川を渡れば米子城下町を出ますが、すぐに愛宕山が行く手を遮ります。ここから県境までの道は、愛宕山の北西側の国道9号沿いか南東側の山陰本線沿いかの二択になりますが、旧街道の道筋に近いのは南東側です。愛宕山の東の麓を通る旧街道沿いには出雲街道について記載された標柱のある愛宕神社や桂住寺、総泉寺といった寺院が集まっています。また、現在は利用できませんが、かつて街道を歩く人々の喉を潤していた「やな井戸」もあり、地蔵が祀られています。

3713.愛宕神社

3714.やな井戸地蔵

3715.総泉寺
>拡大画像 愛宕神社の出雲街道の案内板
>拡大画像 総泉寺の案内板
愛宕山は意外と険しい山で、自然の地形なのか削られたものなのかはわかりませんが、平野部の都市内で海にも近い場所とは思えないような風景も見られます。史跡は3717の写真の享保4年(1719年)の題目塔が見られる程度で、その先米子西高校の南側から山陰本線の線路沿いを進んでいく辺りにはあまり旧街道の雰囲気が感じられず、現在の道は旧街道とは多少異なっているような気がします。

3716.切り立った崖

3717.題目塔

3718.米子西高校の南を行く
3719の写真の交差点を右折して口陰田の集落内に入っていけば、古い民家も多く並んだ旧街道らしい雰囲気となります。集落内には日御碕神社があるほか、線路沿いの道に戻る地点には地蔵堂や念仏供養塔も見られます。

3719.ここで右折

3720.集落内は旧街道の風情

3721.日御碕神社

3722.地蔵堂や念仏供養塔など
●陰田番所跡
ここまで来ればいよいよ出雲国は目前ですが、伯耆国と出雲国の境には地形的に明らかな境界線がありません。そのため、国境近くに番所を設けることで国境の警備が行われていたという歴史があり、山陰本線の線路から少し離れていく場所に陰田の番所跡があります。県道300号(米子環状線)に合流する地点のすぐ手前にあるため、現在でも「止まれ」の道路標識があり、一時停止をしなければならない場所です。

3723.陰田番所跡
>拡大画像 御番所跡の案内板
3724の写真の交差点は直進して、国道のやや南側を西進します。この付近では30年ほど前までは旧街道の道が一部残されていたそうですが、汐入川の改修や米子西インター周辺の道路整備などにより、新しい道に姿を変えてしまっています。山陰自動車道の米子西インターに接続する国道バイパスに合流すれば、もう陰田町交差点はすぐ先に見えています。

3724.ここは直進して

3725.国道9号バイパスへ
●陰田町
鳥取県の西端に位置する陰田町交差点は国道9号と国道9号バイパス(国道180号が重複)が交差する重要交差点で、いつも多くの車の往来があります。ここを左折すればすぐに県境で、皇紀2600年(1940年)に建てられた県境の碑があります。ついに島根県(出雲国)に入っていくことになりますが、これまでの2つの国境(県境)の万能峠や四十曲峠と違って、都市郊外の風景が連続する中に境界線があるので、その実感には乏しいです。

3726.県境の碑

3727.陰田町交差点

3728.そして島根県へ
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●地名、人名等の読み方
 ・吉川広家=きっかわひろいえ
 ・中村一忠=なかむらかずただ
 ・愛宕山=あたごやま
 ・日御碕=ひのみさき

●参考資料
 米子市立山陰歴史館運営委員会「米子のふるさと散歩」
 樹林舎「定本 島根県の歴史街道」

●取材日
 2015.7.3/7.4
 2017.11.28
 2018.2.21/2.23
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