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28.陰田から安来へ
伯耆国と出雲国の境の旧街道は現在の国道のもう少し南の丘陵を通り、ごく小さな峠越えをしていたそうですが、その道筋は完全になくなっているので、陰田町交差点からは400mほど国道を行き、吉佐交差点を左折します。山陰本線の御茶屋川踏切を渡ると、またすぐに右折して御茶屋川を渡り、吉佐の街並みに入ります。

4001.しばらくは国道
 
4002.吉佐交差点を左折
●吉佐
伯耆と出雲の国境において、先述したように伯耆側では陰田に番所を設けて国境を警備していましたが、出雲側で同様に番所が設置されていたのが吉佐です。周辺の開発によりその姿がほとんど失われてしまった陰田に対して、国道から外れることになった吉佐では、道沿いに石州瓦の立派な古民家が数多く建ち並んでいたりするなど、昔の面影が今もよく残されています。特に4004の写真の地点では道が直角に曲がっており、防衛機能を持った国境の町らしさを感じることができます。

4003.吉佐の街並み

4004.直角カーブもある
 
4005.街を過ぎると直進
吉佐を過ぎると、国道の南側にある低い丘のさらに南を回り込むようにして西進していきます。沿道には支布佐神社などがありますが、久しぶりに静かな田舎道に戻り、道の駅「あらエッサ」もあって賑わっている国道沿いとは対照的です。

4006.支布佐神社
 
4007.丘陵の南側を西進
坂道を下ると国道までは戻らず、4008の写真の地点で左折して田園の中を貫く畦道に入ります。旧街道の名残の道というわけではないでしょうが、軽トラックでも通れそうな幅があって、少し旧街道風の雰囲気のある畔道です。米子から安来までの間にはいくつもの小さな丘陵があり、八坂山と呼ばれる次の丘陵にかかりかけたところで少しだけ戻る形で国道に復帰します。

4008.ここで左折すれば
 
4009.ちょっと雰囲気の良い畦道

4010.左折で国道に復帰
 
国道に戻って八坂山を越えていきます。写真は交通量の少ないときを選んで撮影していますが、中海宍道湖都市圏の基幹をなす幹線国道の割には整備状況が悪く、陰田町交差点から八坂山まで渋滞が続いていることも珍しくありません。歩く者にとっては歩道が設置されていないのもつらいです。

4011.国道に歩道なし
 
4012.切通しで八坂山を越える
八坂山を越えれば次は門生で、ここでは「広瀬清水街道」という旧街道が南西に分岐します。この広瀬清水街道は三重塔もある清水寺の近くを通り、戦国大名尼子氏の根拠地であった日本100名城の月山富田城がある広瀬へと向かう街道で、名所の多さもさることながら、古道の山道がよく残り、しかも歩きやすいように案内看板等がよく整備されているという極めて魅力的な旧街道です。一方で国道の北には昔からの集落があり、4014の写真の地点から右の細道に入り、またすぐに西に進路を戻して集落に入っていけば旧街道の道筋も残っています。しかし、残念ながら次の島田地区まで道は続いていないので、門生交差点を左折して山陰本線の門生踏切を渡り、線路の南西側に続く道に入ります。

4013.広瀬清水街道の分岐点
 
4014.ここを右へ

4015.門生の集落内
 
4016.門生交差点
門生から島田までも国道は小さな峠越えをしていますが、旧街道に近い道を辿ろうとすると線路沿いを歩くことになるため、ここは平坦な道となります。島田地区に入れば、島田踏切の南で左折して県道257号に入り、200mほど行くと右折します。

4017.山陰本線と並んで歩く
 
4018.島田地区へ

4019.ここは左折(正面の県道へ)
 
4020.ここを右へ
4020の地点から西への細道に入れば、100mほどで客神社があり、側にある島田コミュニティセンターには常夜燈が置かれています。ここからは国道から少し離れ、細井坂と呼ばれる峠越えの道のりとなります。

4021.客神社
 
4022.島田コミュニティセンター
●細井坂
島田コミュニティセンターからは細井坂と呼ばれる坂道を緩やかに上っていきます。本来の旧街道は線路あたりにあったそうで、その少し南の細道を行くことになりますが、田舎の旧街道を歩いているのと変わらない雰囲気があります。しばらく上れば溜池がありますが、文政10年(1827年)に描かれた「道程記」という絵図にも明確に描かれている池で、また、その付近には一里塚も描かれています。その池にぶつかったところで道は鉤型に曲がりますが、ここでは晴れていれば振り返って見る大山の姿が見事です。山陰本線の複線化によって使用されなくなった鉄道トンネルを見ることもできます。

4023.振り向けば大山

4024.山陰本線沿いの緩やかな坂道
 
4025.旧山陰本線のトンネル
溜池の付近では竹藪の中を通り抜けていきます。旧街道は4026の写真の右の山に入っていったと思われますが、道筋がわからなくなってしまっています。西の細井集落側から入るとそれらしい道は見つけられますが、途中で道が荒れ果ててしまっているので、細井坂の続きの山道は通行不能です。仕方がないので、細井集落までの間は大きく迂回することとし、いったん県道334号に出ます。

4026.竹藪の中を行く
 
4027.仕方なしに県道へ
山陰道の北を並行する県道334号は国道のバイパス機能を持った幹線道路となっていますが、高速で自動車が行き交う割に歩道がありません。国道に比べれば交通量は少ないですが、交通安全には注意してください。600mほど行ったところにある4029の写真の交差点を右折して細井集落の方へ戻っていきます。

4028.山陰道と県道334号
 
4029.右折して細井へ
旧街道では東から入っていたはずの細井集落に南から入り、4031の写真の地点を左折し、また細道で坂を上っていきます。今度は正真正銘の旧街道の道筋で、小さな峠を越えたところにはやはり「道程記」に描かれている池があり、絵図の通りにその右側(東側)を歩いていくことができます。

4030.細井集落
 
4031.左折で旧街道の道筋に復帰

4032.小さな峠を越える
 
4033.池の脇を絵図の通りに歩く
池を通り過ぎると再び平地が見え、黒鳥集落に向けて下っていきます。現在では忘れ去られてしまったかのような旧街道ですが、黒鳥集落ではその道筋に沿って古い家が建ち並ぶという旧街道らしい集落の形が健在です。

4034.黒鳥集落へ下る
 
4035.黒鳥集落に入る
山陰本線沿いの旧国道に戻る4036の写真の地点で写真右の階段を上れば古い五輪塔が置かれている大日堂があります。旧街道の道筋としてはここを左折し、最初の黒井田踏切を渡って国道に復帰します。国道沿いには工場や石材業者が多く、工業都市である安来らしさが感じられます。

4036.左折ですが正面右には大日堂
 
4037.黒鳥大日堂

4038.黒井田踏切を渡って国道へ
 
>拡大画像 黒鳥大日堂五輪塔の案内板
国道を500mほど西進し、4039の写真の地点で斜め右に分岐する和田の旧道に入ります。交差点にある酒屋は比較的新しい建物ですが、玄関は斜め方向に分岐する旧道の方を向いており、その先には立派なお堂があるなど、旧道らしい雰囲気が感じられる道です。和田の旧道を抜ければまもなく安来駅に到着します。米子駅からJRの営業キロでも8.8km、地方のJR線としてもかなり長い1駅間でした。

4039.斜め右で和田集落へ
 
4040.立派なお堂
●安来駅
安来駅は平成20年(2008年)に「観光交流プラザ」が併設された新しい駅舎になっており、「足立美術館」「安来節演芸館」「月山富田城跡」などの観光スポットへの路線バスや送迎バスも発着しているという観光の拠点となっています。それらの観光名所より知名度は劣りますが、これから歩いていく安来市街も日本遺産「出雲国たたら風土記 〜鉄づくり千年の物語〜」の構成文化財の一つで、定時ガイドツアーの「安来港と町の繁栄を巡る」も開催されています。また、駅の裏に大きな製鋼工場があるのもここでの注目ポイントで、たたら製鉄で古代から磨き上げられてきた鉄の加工技術が、現在でも他の追随を許さない特殊鋼の製造技術に昇華していることを象徴しています。なお、旧街道の道筋は現在の駅前広場を通っており、駅の西の駐輪場の方に続いています。

4041.安来駅

4042.駅の裏の製鋼工場
 
4043.駐輪場の脇に残る旧街道の道筋
一方、駅の北側は安来港で、中海と十神山の地形が作った天然の良港として、古来から繁栄してきた安来港です。中世には後醍醐天皇が隠岐配流の際、安来港から出港されており、近世には北前船の寄港地となっていました。出雲街道の道筋からは少し離れますが、十神山や安来港の方へ少し立ち寄ると、安来の町をより深く知ることができます。駅から1kmほどの臨海工業地区には、安来をはじめとする出雲国の製鉄・製鋼の歴史や技術を紹介する「和鋼博物館」もあります。

4044.北前船のモニュメント
 
4045.十神山と語臣猪麻呂の毘売像
>拡大画像 駅前モニュメントの案内板
>拡大画像 語臣猪麻呂の毘売像の案内板
●安来宿1
駅の西の裏道を抜けて国道に戻ったところには「語臣猪麻呂像」があり、その案内板には「出雲国風土記」にも記された安来の地名の由来と伝統の神事の由来が記されていますが、この「月の輪神事」は記録が残り、現在も続いている祭の中では全国最古のものです。また、語臣猪麻呂像の南西に広がる空地は安来宿の本陣となっていた屋敷の跡です。日立坂下、東小路の交差点を過ぎ、西小路交差点の手前の銀行には旧安来銀行本店のレンガ造りの門が保存されています。旧街道の道筋は西小路交差点を左折ですが、右折する道もかつて安来港へのメインストリートだった西灘通りで、この界隈はまさに安来の中心地だったと言える場所です。交差点の北西側には昭和初期の和風建築で営業を続ける料亭の山常楼もあります。旧出雲街道の道筋を南に入っても旧天界酒造、そして県指定の有形文化財となっている商家の並河家住宅と、古くて大きな建物が多く見られます。

4046.語臣猪麻呂の像と安来宿本陣跡

4047.旧安来銀行本店の門
 
4048.西小路交差点を左折

4049.並河家住宅
 
>拡大画像 語臣猪麻呂の案内板
●安来宿
並河家住宅の先の突き当たりを右折すると、安来宿は中市場、そして大市場と商店街になります。現在の車社会では賑わっているとは言えない状態になっていますが、その分、原本家住宅などの古い建物が残されていて、多少は宿場町らしい雰囲気を醸し出しています。中でも観光面で核となるのが「やすぎ懐古館一風亭」で、明治時代に建てられた大きな商家(旧鎌田商店)の内部が見学できるだけでなく、イベントスペースとして市民も利用することができるようになっているため、様々なイベントも開催されています。

4050.やすぎ懐古館一風亭

4051.宿場町は商店街に
 
4052.原本家住宅
>拡大画像 原本家住宅の案内板
商店街が終わると木戸川にぶつかり、そこを左折して山陰本線の線路まで少し南下します。その途中にある地蔵堂には清水寺への道標を兼ねた地蔵が祀られています。木戸川を渡り、市街の中の細い道をすり抜けて県道45号を横断します。商店街からそのまま西進する方が近いのですが、後述する一里塚が旧国道の一本南にあるため、その方が旧街道の道筋に近い道を歩いていることになります。

4053.清水寺を示す道標地蔵
 
4054.山陰本線のすぐ北で右折

4055.木戸川を渡る
 
4056.県道45号を横断
●安来一里塚
県道45号と交差して旧国道の一本南の道を進めば、安来一里塚があります。これまでも一里塚の跡は多く見てきましたが、ここは国の史跡に指定されている一里塚で、道の両側に植えなおされた松があり、今なお一里塚の体裁を保っています。案内板の写真にあるように、往時は松がまさに目印と呼ぶにふさわしいほど大きく育っていたようです。

4057.安来一里塚
>拡大画像 安来一里塚の案内板
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