トップページ > 出雲街道の道のり > 29.安来から出雲郷へ
29.安来から出雲郷へ
安来から荒島駅までの間は約5kmにわたって旧国道沿いを歩いていきます。安来大橋で伯太川を渡ると、平坦な一直線の道が1km以上続きます。旧国道だけに古い道の雰囲気が少しはあるのですが、史跡は南にある伊勢神社を案内する道標がひっそりと残されている程度で、旧街道もこの旧国道にほとんど吸収されて、史跡とともに消失してしまっていると思われます。

4101.伯太川を渡る
 
4102.一直線に続く旧国道

4103.伊勢神社の道標
 
4104の写真の地点では電柱の陰に隠れてまず気づかない細道が斜め右に分岐しており、小さな神社の前に出るまで、ごく細い路地裏の道として旧街道の道筋が生き残っています。この付近は圃場整備が行われていますが、旧国道沿いにある「模範耕地整理」の記念碑は明治44年(1911年)のもので、戦後の圃場整備ほどは徹底されていないように感じられます。それが微妙に旧街道が残っている要因となっていると言えるでしょう。

4104.電柱の後ろ!
 
4105.これが旧街道

4106.神社の前に出てくる
 
4107.模範耕地整理の碑
そのまま旧国道の一本北を飯梨川の堤防まで行き、旧国道に戻って飯梨橋で飯梨川を渡りますが、旧街道の道筋は変わらず旧国道の少し北に続いていると思われるので、堤防を下り終えると赤江小学校と赤江保育園の前で右折し、小学校と保育園の間の道に入ります。

4108.飯梨川を渡る
 
4109.赤江小学校の前で右折
赤江小学校を過ぎれば旧街道の道筋が復活します。微妙に屈曲しながら進んでいく途中には旧赤江村役場の建物を利用した安来市立民俗資料館や地蔵などがあり、ほんの200mほどの間ですが、旧街道の雰囲気を強く感じられる道が残されています。

4110.ここから旧街道が残る
 
4111.安来市立民俗資料館

4112.なぜ顔が描かれている?
 
4113.わずかながらも旧街道らしい
>拡大画像 赤江地区の案内板
旧国道に戻って200mほど、山陰本線の赤江踏切の手前にある4114の写真の地点で右折し、またすぐに左折します。広大な田園地帯に出る直前には旧赤江村高等小学校跡の碑があります。

4114.赤江踏切の手前で右折
 
4115.旧赤江村高等小学校跡の碑
●赤江の汐土手
旧赤江村高等小学校跡の碑の先からは田園地帯を貫く畦道を歩きますが、畦道というには幅が広くなっています。これは「赤江の汐土手」と呼ばれる堤防の跡で、通常の堤防ではなく、海水の塩分を含んでいる汽水湖の中海の水を田畑に入り込ませないことを役割としていました。北の方へ新たな農地が大きく広がったため、その役割はなくなっていますが、古くからの農地と新しく開拓された農地の境界線になっています。そしてこの堤防は旧街道の道も兼ねていたので、ここを歩くことは同時に旧街道の道筋を歩くことにもなっています。

4116.赤江の汐土手
赤江の汐土手をしばらく歩いて旧国道に復帰しますが、山陰本線のガードの高さは150cmくらいしかないので、頭をぶつけないように注意してください。旧国道に戻ればまもなく田頼川を渡り、さらに300mほどで広瀬方面へ続く県道180号と交差、さらにそのすぐ先では北の方向へゴミの捨てられた未舗装の道が見えますが、これは荒島と広瀬を結んでいた一畑電気鉄道広瀬線の廃線敷です。

4117.山陰本線をくぐって旧国道へ戻る
 
4118.県道180号と交差

4119.一畑電気鉄道広瀬線の廃線敷
 
またすぐ先の4120の写真の地点で鋭角に右折し、少し戻る形で県道180号をくぐれば、道は旧街道らしい雰囲気になり、山陰本線の線路の直前には歳徳神のお堂があります。踏切がないので進めるのはここまでですが、ここで農作業をされていた65歳くらいの女性によれば、この道が旧街道で、線路の向こう側に見える家の付近にはかつて大きな松の木が植えられており、今でも田頼川の手前まで道は続いているとのことでした。

4120.鋭角に右折してみよう
 
4121.歳徳神のお堂
荒島駅に続く街並みの途中、4122の写真の地点で斜め左にごく細い道があり、ここでもひっそりと残された路地裏の旧街道を歩けます。いったん自動車の通れる道路になりますが、丘陵にぶつかったところで少し北に行けばその続きに入ることができ、荒島駅のすぐ東にある桜地蔵のところに出てきます。余談ながら、私が訪れたときにはちょうど小学生がこの道で遊んでいて、道が人の暮らしの中に溶け込んでいた時代の光景が見られました。都会でもなければ過疎地でもなく、荒島小学校にも近いこの場所に自動車の通らない道が残されているからこそ見られた光景と言えるでしょう。

4122.斜め左に細道が…
 
4123.家並みの中を縫う旧街道

4124.まだ続きがあります
 
4125.桜地蔵の地蔵堂の前まで
荒島駅は現在の国道に背を向けている立地条件もあり、一見すると寂しい無人駅ですが、中には荒島地区の史跡などの魅力を発信する掲示物が所狭しと貼られています。この規模の地区にしては珍しいほど充実したパンフレットや、地元の小中学生による荒島史跡探検新聞の入賞作品など色とりどり、まさに市民参加型で歴史による地域おこしを行う先進地と言え、見ているだけでうれしくなります。

4126.荒島駅
 
4127.駅舎内の掲示物
>拡大画像 荒島地区の案内板
荒島駅のすぐ西には全国最大級の方墳の大成古墳があり、さらに西には古代出雲を代表する墳丘墓群に整備された「古代出雲王陵の丘」があります。山陰本線の踏切を渡る直前には、荒島出身で明治時代に稲の新品種「亀治米」を開発した広田亀治の像が建てられています。

4128.大成古墳
 
4129.広田亀治の像
>拡大画像 広田亀治の案内板
荒島の旧街道とその周辺の歴史はここまででも多くの場所で見ることができましたが、本来の荒島の町はさらに西にあるため、広田亀治の像のすぐ西で山陰本線の荒島踏切と国道の歩道橋を横断して、国道の北の街並みに入っていきます。集落の北に旧国道、南に国道という形になっていますが、旧街道はその中央にあります。途中に曲がり角もありますが、荒島駅前の案内板の記述をよく覚えておけば、旧街道の道筋を正確に辿れます。

4130.正解は真ん中!
 
4131.ここで右
●荒島
4131の写真の地点を右折するとかなり立派な古民家があり、続いて大東町公会堂のところで左折して旧国道に入ったところ、4132の写真の付近には一里塚があったそうです。荒島は出雲街道の宿場町ではありませんが、この付近では並みの宿場町に劣らないほどの街並みが形成されていて、さらに200mほど西で道が直角に曲がっているのも宿場町並みです。沿道には古い民家も点在しているだけでなく、松江藩主も参勤交代の際に休憩地にしていたという月形神社などの史跡もあり、じっくりと歴史散策を楽しめます。また、町は中海に面しているため、湖岸に出て中海の景色を堪能することもできます。

4132.荒島の街並み

4133.直角に曲がる
 
4134.月形神社
>拡大画像 月形神社の案内板
荒島の町の最後ではまた細道に入って国道へと戻っていきます。さらにそこから旧街道は一時的に南の山の方へ入っていったそうですが、残念ながら現在では山陰本線の線路に踏切がないため、線路の向こうに六十六部供養塔を見るだけとなります。それでも、旧街道の道筋や単独で観光名所となりえないようなマイナー史跡について、これほど知ることができるのは「荒島地区活性化推進協議会」でリアルでもネットでも活発に活動されている地元の皆様のご努力の賜物です。

4135.正解は左!
 
4136.線路の向こうに六十六部供養塔
山の方の旧街道を歩くことができないため、安来市と松江市(旧東出雲町)の境となるこの辺りでは国道を歩いていきますが、中海沿いの景色は楽しめる場所です。旧街道はいつの間にか山から戻ってきており、羽入というバス停と交差点の手前で斜め右に入ります。

4137.松江市に入る
 
4138.中海の景色が楽しめる

4139.羽入でも斜め右へ
 
羽入で国道から分岐点してから1kmほどのところには、陣幕久五郎の碑や美人塚という史跡があり、続いて昭和10年(1935年)に架けられ、今なお現役の前田橋を渡れば、下意東地区の中心部に入っていきます。余談ながら、旧東出雲町では案内板を多く設置し、こうした小さな史跡やそこに至る道を容易に知ることができるようにしてくれています。

4140.陣幕久五郎の碑
 
4141.美人塚

4142.前田橋
 
4143.地図や案内板が充実
>拡大画像 陣幕久五郎の案内板
>拡大画像 美人塚の案内板
●下意東
下意東は宿場町ではないものの、中海に面した小規模な漁港で、荒島と同様、古い街並みが形成されています。「道程記」を見ても、吉佐や荒島には及びませんが、門生や後述する揖屋と同様に街道沿いに密集した家並みが描かれ、旧街道時代にも現在と同様の街並みがあったことが想像できます。

4144.下意東の街並み
4145の写真の地点で左折すると、中海に突き出た小さな半島を越えていく坂道にかかり、下意東地区と揖屋地区の境では眺めが良くなります。4146の写真では全くわかりませんが、途中の墓地の付近で振り向けば中海が眼下に広がり、天気さえ良ければその向こうに大山も見えます。

4145.ここで左折
 
4146.振り返れば中海
旧街道の道筋は頂上付近の交差点を左折することとなり、その道を行けば立場や茶屋の跡、塞の神がありますが、草木に埋もれて通り抜けは困難です。そのため、4147の写真の交差点で左折して新しい農道を南下していきます。

4147.左折で農道へ
 
4148.新しい農道を行く
4149の写真の地点で右折し、100mほどでまたすぐ左折となりますが、その間に神子谷の一里塚跡があります。現在はその痕跡も案内板もありませんが、場所は正確に伝わっています。またすぐに左折し、何の変哲もない道を600mほど行くと、4151の写真の交差点に至り、右折で揖夜神社、そして揖屋の街に入っていきますが、ここで左折して山陰本線の平賀踏切まで東に戻り、踏切を渡って南へ行けば黄泉比良坂があります。1kmに満たない寄道で神々の国出雲らしい名所へ行けるので、立ち寄ってみます。

4149.ここを右折
 
4150.神子谷の一里塚跡

4151.旧街道は右、黄泉比良坂は左
 
●黄泉比良坂
黄泉比良坂は伊邪那岐命と伊邪那美命の国産み神話で知られる伝説の地で、黄泉の国への出入口を塞いだ岩があります。さらに神話の舞台となったとされる坂道を行けば、頂上には通行人が無数の石を積んだ塞の神があり、岩で道を塞いだ伝説に基づく、全国の塞の神の元祖と言える場所にもなっています。現在では映画のロケ地になったこともあり、「逢いたい人にもう一度逢える」パワースポットとして、ちょっとした観光地に整備されています。まだ大きく育ってはいませんが、神話に登場する桃の木も植えられています。

4152.伊賦夜坂(黄泉比良坂)

4153.神話伝説の岩
 
4154.元祖・塞の神
>拡大画像 黄泉平良坂の案内板
●揖夜神社
4151の写真の地点に戻ればすぐ西に揖夜神社があります。黄泉比良坂にも近いこの神社は伊邪那美命を祀る神社で、日本書紀など数多くの古典にも記載があり、「意宇六社」の一つにも数えられているという由緒ある神社です。

4155.揖夜神社
>拡大画像 揖夜神社の案内板
旧東出雲町の中心となる揖屋地区からは国道の旧道が長く続きます。この旧道は旧街道の道筋とほぼ一致していて町割りに大きな変化はないため、4156の写真の地点で道が直角に曲がっていたり、自動車の通れない小路が多く接続していたりする様子も見られます。

4156.揖屋の街並み
 
4157.揖屋駅
揖屋駅の西側では旧道のすぐ南が旧街道だったそうで、斜め左への道が分岐しており、農機具メーカーの敷地にぶつかってすぐに途切れますが、旧街道と国道の旧道との微細な違いが見られます。旧東出雲町はこの農機具メーカーの企業城下町で、その敷地内には旧東出雲町出身でコンバインの原型となる「回転式稲扱機械」を発明したという佐藤忠次郎の記念館もあります。この工場が旧街道の一部を消失させてはいますが、現在の国道が駅の裏をバイパスしているにも関わらず新旧の揖屋の街が両立しているのは、この場所に大きな企業が立地しているおかげだと考えることもできます。
そのすぐ先にある大内神社は、戦国時代に尼子氏の月山富田城を攻め、敗走の途中にこの地で死亡した大内晴持を祀る神社で、地元大名の宿敵の当主(大内義隆)の嫡男を祀るだけあって、小さな社がひっそりと佇んでいます。

4158.旧街道は左
 
4159.佐藤忠次郎記念館

4160.大内神社
 
>拡大画像 佐藤忠次郎記念館の案内板
>拡大画像 大内神社の案内板
●出雲郷宿
揖屋から約1.5km、旧国道を西へ進み続けると、姫路と松江の間にある最後の宿場町である出雲郷に至ります。宿場町としての風情はこれまで多くの宿場町を見てきた身には物足りなく感じるくらいの状態でしか残っておらず、昭和57年(1982年)の新設道標が歴史を語っている程度ですが、ここでは阿多加夜神社と意宇川が歴史的な名所となります。普通に読めば絶対に読めない難読地名ももちろんこの阿多加夜神社にちなんだものです。

4161.出雲郷宿と阿多加夜神社の鳥居

4162.新設の道標
 
●阿多加夜神社
出雲郷宿にある鳥居から斜め左の参道に入り、国道を横断すれば、意宇川の畔に阿多加夜神社があります。「出雲国風土記」にも記載された由緒ある神社というだけでなく、何と言っても10年に一度しか開催されない日本三大船神事の一つ、「ホーランエンヤ」で有名な神社です。令和元年(2019年)5月はそのホーランエンヤが開催されるため、2月に訪れたときには境内で船神事に使われる舟が整備中でした。

4163.阿多加夜神社

4164.立派なご神木に
 
4165.ホーランエンヤの舟も
>拡大画像 阿多加夜神社の案内板
 
阿多加夜神社と意宇川の間は「面足山万葉公園」となっており、奈良時代に大和から出雲守として派遣された門部王の歌碑があります。それにちなんで、公園に植えられている植物にもそれにちなんだ和歌が添えられています。また、ここには国引きの碑もあり、かつて「意宇郡」と呼ばれていた意宇川流域の地名が国引き神話で知られる八束水臣津命に由来するという伝承も紹介されています。

4166.門部王の歌碑
 
4167.国引きの碑
<< 28.陰田から安来へ 30.出雲郷から松江大橋へ >>
●地名、人名等の読み方
 ・出雲郷=あだかえ
 ・荒島=あらしま
 ・伯太川=はくたがわ
 ・飯梨川=いいなしがわ
 ・田頼川=たよりがわ
 ・広田亀治=ひろたかめじ
 ・羽入=はにゅう
 ・下意東=しもいとう
 ・揖屋=いや
 ・神子谷=みこだに
 ・揖夜神社=いやじんじゃ
 ・黄泉比良坂=よもつひらさか
 ・伊邪那岐命=いざなぎのみこと
 ・伊邪那美命=いざなみのみこと
 ・意宇=いう
 ・佐藤忠次郎=さとうちゅうじろう
 ・大内晴持=おおうちはるもち
 ・大内義隆=おおうちよしたか
 ・阿多加夜神社=あだかやじんじゃ
 ・門部王=かどべのおおきみ
 ・八束水臣津命=やつかみずおみつのみこと

●参考資料
 樹林舎「定本 島根県の歴史街道」

●取材日
 2015.7.4/7.29
 2016.7.15
 2017.11.28
 2018.10.28
 2019.2.27
▲ページトップ
inserted by FC2 system