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32.松江大橋から玉造へ
松江城下から国道の竪町交差点に戻ると、東から来た山陰道は左折していったん南に向きます。この道で出雲大社を目指してさらに旅を続けますが、その前に松江城と並ぶ松江の名所、宍道湖の嫁ヶ島に行ってみましょう。竪町交差点からほんの300mほど西にある袖師交差点で国道は宍道湖にぶつかります。その側には島根県立美術館があり、湖岸は白潟公園、岸公園という公園になっています。

4401.島根県立美術館

4402.湖畔の岸公園
●宍道湖の夕景
袖師交差点から宍道湖沿いの国道を南へ300mほど行ったところに嫁ヶ島や袖師地蔵があり、この辺りで有名な宍道湖の夕景を最も美しく見ることができます。この付近はトイレや駐車場のある「宍道湖夕日スポット」として整備されているので、国道上でありながら、広い歩道から安全にじっくりと夕景を堪能できます。国道は夕日スポットを過ぎてもなお宍道湖沿いを行きますが、先述したように古い道筋は竪町交差点からやや内陸側を行くことになります。

4403.嫁ヶ島の夕景

4404.袖師地蔵
 
4405.国道は宍道湖沿いに続きますが…
>拡大画像 袖師地蔵と嫁ヶ島の案内板
竪町交差点からまずは300mほど南下します。東側の雑賀町は碁盤目状の町割りが特徴的で、下級武士が住んでいた場所だそうです。普通乗用車でもかなり狭く感じるような道が交互に一方通行になっており、江戸時代から町割り自体に全く変化がないのだと思われます。新設の道標が設置されている4407の写真の交差点で右折してしばらく行くと、幹の空洞の中にある塞の神が見られます。そして、4409の写真の変則的な形状の交差点で(写真では奥の道へ)左折して県道263号に入ります。微細な違いこそあるものの、松江から旧玉湯町の中心部まではこの県道が旧山陰道の道筋を引き継いだ道路で、松江と玉造温泉を結ぶバス路線もこちらを経由します。

4406.雑賀町の街路
 
4407.ここを右折

4408.こんなところに塞の神
 
4409.県道263号に入る
この付近は松江城下町を出ていますが、比較的早くから市街化が進んだエリアだと思われ、沿道には古い家屋が多くなっており、松江開府の祖である堀尾家の菩提寺の円成寺もあります。宍道湖沿いの国道には新しい建物しかないのとは対照的で、こちらが旧街道であることを実感できます。

4410.沿道は古くからの街
 
4411.円成寺
>拡大画像 円成寺の案内板
大きくカーブして進路を南に変えると、続いて東側には善光寺があります。ここは源頼朝の家臣で宇治川の戦いの先陣争いで知られる佐々木高綱、その末裔であり日露戦争の将軍にして戦前の英雄である乃木希典ゆかりの霊場で、境内には近年植え替えられていると思われますが、明治42年(1909年)に乃木大将が植えられたという松もあり、門前には砂見塚という芭蕉句碑もあるという寺です。

4412.善光寺
 
4413.砂見塚
善光寺からさらに200mほど南下すると、松江総合運動公園や松江市立病院などへのアクセスとなる幹線道路が嫁島陸橋で頭上を越えていき、高架下には浜乃木の一丁地蔵が残されています。明らかに移設されたもので、方向がずれていますが、「右 大社 札所 玉造 道」と記されています。なお、この地点は浜乃木地区で2つに分かれていた街道の分岐点でもあり、左折で前方にある小さな丘の東側を回る道が古い道、直進(右方向)で丘の西側を回る道が新しい道です。ここでは前者を選択することにし、左折して山居川を渡り、(高架橋から少しずつ離れる形で)道なりに続く道を進み、天平時代以前に創建されたという野代神社の前を通過します。

4414.道標を兼ねた浜乃木の地蔵
 
4415.山居川を渡って道なりに進む

4416.野代神社
 
>拡大画像 野代神社の案内板
けやき通りと名付けられた広い道路を横断すると、すぐに4417の写真のY字型交差点を斜め右に進み、さらにそのすぐ先もまた斜め右に入ります。ここからは旧街道らしき道が残されていたり、緩やかな坂の下に歳徳神のお堂、頂上に恵比須神社の小堂があったりするなど、宅地化された都市郊外の平凡な風景の中にも旧街道らしさが感じられます。

4417.斜め右、またすぐに斜め右
 
4418.旧街道らしき道も残る

4419.歳徳神
 
4420.恵比須神社
坂道を下る途中で先述した新しい方の道筋と合流し、平凡な都市郊外の住宅街の中を道なりに進んでいきます。松江農林高校に突き当たるとその北側を通り、左折で県道263号に戻ります。

4421.郊外の住宅街
 
4422.右折して高校の北を通過

4423.県道263号に戻る
 
忌部川を渡り、次いで雲南市方面への主要地方道である県道24号の高架橋をくぐります。県道24号と交差した先で右(北西側)に大企業の工場がありますが、その工場敷地の最後に不自然な斜め右への分岐があり、敷地がそこだけ削られたような形になっています。その道に入れば、柵で区切られた工場敷地内に白龍大明神という小さな神社が見えますが、鳥居は工場の方ではなく、この細道の方を向いており、そのことからもこの道は旧街道だと思われます。この細道は工場の西側で南に向きを変え、県道263号の西の少し高い位置にしばらく続きます。

4424.斜め右への分岐
 
4425.工場敷地内の白龍大明神

4426.少し高い位置を行く
 
県道263号に復帰して300mほど南へ行くと、山陰自動車道をアンダークロスしたところで右折し、旧玉湯町に入ります。この辺りでは山陰自動車道の建設に伴って県道も極めて立派な姿に整備されており、旧街道は消失しています。

4427.山陰道をくぐって右折
 
4428.よく整備された県道
●布志名地区
旧玉湯町の東端にある布志名地区に入ると、すぐに斜め左(南側)への旧道があり、その分岐点には塞の神があります。その旧道はすぐに終わりますが、郵便局の付近ではかつて斜め方向の分岐だった痕跡の残る交差点からは北側の旧道を歩くことができます。この旧道は旧街道の道筋を引き継いだもので、布志名地区の西半分で北側の丘陵地に沿うように続いています。途中には一丁地蔵が残っている場所もあり、旧街道らしい雰囲気の道です。

4429.布志名の塞の神

4430.斜め方向の道の痕跡
 
4431.布志名の一丁地蔵

4432.山沿いに古い道筋が続く
 
布志名西バス停のところで県道263号に戻り、緩やかな上り坂を上り詰めると仙石トンネルで山陰道をくぐり、その先にある玉造病院の南側の交差点を右折します。この交差点の東側には「俵藤太」と刻まれた地蔵が残されています。向きは現在の道路ではなく、東の山の方を向いているので、かつての道筋が想像できます。

4433.玉造病院のところで右折
 
4434.「俵藤太」と刻まれた地蔵
湯町踏切で山陰本線を渡ると、湯町の街に入っていきます。現在では宍道湖沿いの国道の方に市街が移っていますが、玉造温泉駅はこの湯町に所在し、駅前に「湯町窯」があります。先述した布志名やこの湯町は窯業の町として繁栄してきた歴史を持っています。

4435.湯町踏切を渡る
 
4436.玉造温泉駅付近の街並み

4437.玉造温泉駅
 
玉湯川を渡る直前には玉湯村道路元標が立っています。ここは玉湯支所にもほど近い旧玉湯町の中心というだけでなく、陰陽連絡の古道の一つである「湯町八川往還」の分岐点でもある場所です。出雲を代表する温泉地と言える玉造温泉もここから南へ約1.5kmほどです。

4438.玉湯村道路元標
 
4439.玉湯支所脇のモニュメント
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  • ●地名、人名等の読み方
    •  嫁ヶ島=よめがしま
    •  袖師=そでし
    •  雑賀町=さいかまち
    •  玉湯町=たまゆちょう
    •  円成寺=えんじょうじ
    •  源頼朝=みなもとのよりとも
    •  佐々木高綱=ささきたかつな
    •  乃木希典=のぎまれすけ
    •  忌部川=いんべがわ
    •  布志名=ふじな
    •  俵藤太=たわらのとうた
    •  八川=やかわ
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
          
  • ●取材日
    •  2015.7.29/7.30/9.14
    •  2017.4.21
    •  2019.8.20
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