トップページ > 出雲街道の道のり > 34.宍道から神立橋へ
34.宍道から神立橋へ
   
街道分岐点を過ぎると、旧道はまっすぐ続いているので、そのまま直進してしまいそうになりますが、国道54号の高架橋の手前で多根踏切を渡り、国道54号に出るとそのすぐ南で横断して細道に入ります。

4601.多根踏切を渡って国道54号へ
 
4602.右の細道へ
●蔵敷の旧街道
4602の写真の地点から入る細道はほとんど人通りもなく、特に4604の写真の地点からしばらくの間は一般的な地図に記載されていない未舗装の山道です。しかし、この道は旧街道に該当する道で、蔵敷集落の南側には五輪塔も見られます。また、すぐ北の国道9号や山陰本線とは高低差がかなりあって、出雲平野や出雲縁結び空港、そして宍道湖の眺めが開ける場所もある楽しい道でもあります。なお、これだけの平地があるにも関わらずこのような山道になっているのは、この平地が宍道湖を埋め立てられてできた極めて新しい土地であることが理由で、出雲縁結び空港のある平坦地には「昭和新田」という地名が付けられています。

4603.眺めは最高
 

4604.右の山道へ
 
4605.五輪塔は古道の証
4606の写真の地点では直進の道があり、それが旧街道の道筋と思われますが、まもなく県道57号に遮られて途切れることになるので、舗装された道を道なりに行き、県道に出ます。県道はよく整備されていますが、4607の写真の地点付近では、県道の切通しが旧街道と思われる道を分断したことがわかります。

4606.ここは左へ
 
4607.切通しが旧街道を分断
●出雲平野の散居村
宍道湖の西側は広大な出雲平野ですが、出雲平野の大きな特色となっているのが散居村です。県道57号は相変わらず少し高い位置を行くので、眺めの開ける場所から見ると、平野の家屋が密集することなく散在しているのがよく見えます。このような伝統的な村落の形態は都市化や道路整備によって失われつつあることが多いですが、旧宍道町の西端から旧斐川町にかけては、国道などの主要道路を離れると散居村が多く見られます。

4608.出雲平野の散居村
 
宍道インターの交差点では歩道から平地に下りる道が分岐しており、その道に入ります。この付近の県道57号は宍道インターの開通に合わせて現在の姿に改良されたと思われますが、その際にこのような道が整備されたのは、そこに歩行者や自転車のために残さなければならない古い道筋があったからでしょう。平坦地に戻ると、山陰本線のすぐ南を西進していきますが、新しい住宅地などもあり、史跡はほとんど見られなくなります。

4609.右に下る道へ
 
4610.平地に戻る
小佐々布踏切を渡って国道に出て、400mほどは国道を歩きます。途中、4612の写真の地点では今まで何度となく見てきた斜め左への分岐がありますが、ここは珍しく国道を直進することになります。

4611.小佐々布踏切を渡る…おっ!
 
4612.ここは国道を直進
●伊志見一里塚跡
出雲市(旧斐川町)に入る直前に伊志見の一里塚跡があります。松の木こそないものの、土を盛った塚の跡が健在です。そして北塚と南塚の間には今も旧街道の細道が通っています。

4613.伊志見一里塚跡
 

4614.北塚と南塚の間の旧街道へ
 
>拡大画像 伊志見一里塚の案内板
伊志見の一里塚跡からの旧街道は4615の写真の地点からわずかの間だけ畦道となり、その先で上り坂となって出雲市(旧斐川町)の軍原集落に入ります。4612の写真で斜め左に分岐する道に合流しますが、そのすぐ手前にある軍原公民館の前には旧街道らしい地蔵や三界萬霊塔があります。軍原集落は微高地となっていて、軍原古墳という地形を改変するほどの土木技術がなかった時代の史跡もあり、伊志見の一里塚跡と旧街道が、かつての宍道湖の湖岸線がこの付近ではさらに少し南にあったことをも想像させてくれます。

4615.右の畦道へ
 
4616.軍原公民館前の地蔵など

4617.軍原古墳
 
軍原から荘原駅方面へ下っていく途中、4618の写真の地点では旧街道に該当する道が左に分岐しますが、山陰本線に踏切がないので通り抜けできません。いくつかのラブホテルがある一帯を通り過ぎると4619の写真の交差点に至ります。左が旧街道や湯の川温泉、直進が荘原駅、右が道の駅湯の川です。

4618.左の旧街道は通り抜けできません
 
4619.道の駅や荘原駅への交差点
●道の駅湯の川
湯の川温泉は皆生温泉や玉造温泉のような知名度も温泉街らしい温泉街もありませんが、出雲らしく神話の伝説に基づき、日本三美人の湯に選ばれているという温泉です。国道沿いには「道の駅湯の川」があり、足湯も併設されている他、出西生姜など、地元の名産品も販売されていて、松江市と出雲市の境近くで絶好の休憩スポットとなります。

4620.道の駅湯の川
 

4621.道の駅の足湯
 
4622.出西生姜の生姜飯
>拡大画像 湯の川温泉の案内板
>拡大画像 湯の川温泉郷散策マップ
4619の写真の交差点や道の駅湯の川から南へ行き、湯の川踏切を渡って山陰本線の南側に出ます。湯の川温泉の温泉旅館も見えますが、またすぐに右折して進路を西に戻し、さらに4624の写真の地点を右折します。荘原駅のすぐ裏側の道には旧街道らしい風情が残されており、弘化2年(1846年)に建てられた一畑薬師常夜燈などの石造物群もあります。

4623.温泉旅館も見える
 
4624.ここで右折

4625.駅の裏の常夜燈など
 
荘原駅の西側にある大倉踏切で山陰本線を、大倉橋で七日市川を渡ると、駅と国道を結ぶ県道196号に出て左折します。さらに石川橋で新石川を渡ると国道の学頭交差点に至り、国道を横断すると新橋で新建川を渡って荘原の街に入っていきます。この付近ではこのような河川が多いのが特徴ですが、多くは先述してきたような人工的な地形の改変によって造られたものでしょう。

4626.学頭交差点
 
4627.新橋で新建川を渡る
荘原の街は荘原駅から500mほど離れていますが、市街を形成しています。戦後の混乱期に昭和天皇が全国を行幸された際にも荘原に立ち寄られたそうで、市街を抜けたところにはその記念碑も建てられています。ところで、この辺りは現在の地名は「斐川町学頭」「斐川町荘原」ですが、さらに細かい地名を見ると、「北灘」「島灘」というように「灘」と付く地名が多くあり、やはり宍道湖の湖岸線がかつてこの辺りにあったことを想像させます。

4628.荘原の街並み
 
4629.昭和天皇行幸の記念碑
出東入口交差点からは県道243号に入ります。この県道もよく整備されていて旧街道らしい姿は残されていませんが、沖洲天満宮の参道と交差する地点には新しい常夜燈が設けられているなど、古い道筋を引き継いだ道路であることは想像できます。4631の写真の地点はいかにも古い道が接続している雰囲気で、ここを斜め右に入ります。

4630.沖洲天満宮の参道と交差
 
4631.ここを斜め右へ
●築地松
出雲平野の古い家屋には高い松が周囲に植えられている家が多く、「築地松」と呼ばれています。これは西から吹き付ける冬の強い季節風から家屋を守ることを主目的(それ以外にも副次的な効果があります)に植えられているもので、先述の散居村と並んで出雲平野の景観の一大特徴となっています。現在では伝統的な築地松を持つ民家は減っていていますが、地域の伝統文化を守る活動も盛んになってきています。

4632.築地松を持つ民家
 

4633.旧街道沿いにも並んでいます
 
荘原から直江までの旧街道には特筆するほどの史跡こそほとんど見当たりませんが、それでも馬役集落内は旧街道らしい雰囲気もあり、一里塚もあったそうです。馬役の集落を過ぎると広大な田園地帯になり、抜けると農協関係の施設や倉庫が集中している一角を通り抜けていきます。

4634.馬役集落内
 
4635.広大な田園地帯
4636の写真の地点のすぐ南には国道の荒神谷入口交差点があります。ここから3kmほど南には全国でも最多の銅鐸や銅剣が発掘されたことで有名な荒神谷遺跡があります。旧街道の道筋としてはここも直進し、200mほど行った先で国道を横断し、直江の街に入っていきます。

4636.なおも直進
 
4637.国道を横断して直江へ
●直江
直江の街では、旧国道と思われる道が中央を貫き、現在の国道が北をバイパスしています。一方、南にも古そうな道筋があり、旧国道(と思われる道)との間を小路がつないでいるのが興味深いところです。街並みの中央付近には金刀比羅宮があり、その脇には伝統の「直江一式飾り」も展示されています。目を引くほどの古い家屋こそ見当たりませんが、街道らしい雰囲気が健在です。

4638.直江一式飾り館
 

4639.南北の道を小路が接続
 
4640.金刀比羅宮出雲分社
>拡大画像 直江一式飾りの案内板
4641の写真の交差点を左折して伊波野川踏切を渡り、進路を南に変えます。この付近は新興住宅地となっていて、旧街道は消失してしまっています。

4641.左折して伊波野川踏切を渡る
 
4642.新興住宅地の中を行く
4643の写真の交差点は直進しますが、右折すれば200mほどで直江駅の裏口に行くことができます。直江駅は先述した直江の街の中心部からは1km以上も西にあるという不便な立地ですが、逆に現在では線路の南東側の新興住宅地や、郊外型の発展を遂げている北西側の国道沿いに対して便利な立地になっています。さらに南下していくと田舎の田園風景に戻り、巨岩と出西伊波野一里塚の案内標識がある4644の写真の交差点を右折します。

4643.直江駅へは右へ
 
4644.ここを右折
●出西・伊波野一里塚跡
4644の写真の交差点から200mほど西に出西・伊波野一里塚跡があり、この一里塚の跡は塚だけでなく枯れた松の巨木の切り株もそのままに残されていることが大きな特徴となっています。圃場整備によって旧街道は跡形もありませんが、広大な田園地帯の中なので、それと知って見れば現在でも広範囲から視認できます。

4645.枯れた松の切り株が残る
 
>拡大画像 出西伊波野一里塚の案内板
出西・伊波野一里塚跡の少し西で左折し、県道197号を横断してさらに400mほど直進して右折します。この辺りは先述のように圃場整備で旧街道はなくなっていますが、見通しの良い中で散居村の風景も見られます。

4646.県道197号を横断
 
4647.ここを右へ
千家第二踏切を渡り、さらに400mほどで出雲市街中心部に至る国道184号が見えてきますが、その手前の4649の写真の交差点を左折します。

4648.千家第二踏切を渡る
 
4649.ここを左折
水路沿いに続く道を4650の写真の地点まで歩きます。ここまで来れば出雲国を代表する河川である斐伊川は目前で、水路も斐伊川に向けて流れていそうなものですが、ここまで来ても東に向いた流れになっています。4650の写真の交差点を右折すると、わずかながらも旧街道そのままの道筋が残っており、斐伊川の堤防に至ります。

4650.右折すると旧街道
 
4651.斐伊川の堤防に至る
斐伊川の堤防にぶつかると右折して堤防に上がりますが、水路が気になるので水路を辿っていくと神立堤に至り、この一帯に張り巡らされた水路はこのように斐伊川から取水したものであることがわかります。出雲平野に入ってからずっと水路の目立つ平坦地を歩いてきましたが、その流れは一貫して西から東へ流れるもので、標高も荘原あたりが3〜4m程度、直江あたりが6〜7m程度、この付近は11〜12m程度と、斐伊川に向けて意識することもできないほどわずかずつ上ってきた形になります。斐伊川は洪水の危険性の高い天井川で、そこから宍道湖へ向けて治水と利水を兼ねた水路のネットワークが形成されていることになり、通常意識することのない平野部の高低差を活用した先人たちの土木事業に感心させられます。

4652.神立堤
 
4653.斐伊川の堤防に上がる
●神立橋
昭和13年(1938年)に建設された神立橋は橋長417m。斐伊川の幅は広く、雄大な眺めが楽しめます。上流の雲南市や奥出雲町はたたら製鉄が盛んだった地域で、これまで歩いてきた伯耆国の日野川流域と似た地域性を持っています。両河川の名称も「火い川」「火の川」と、同じくたたらの火に由来していると想像できます。そして、川底は少し赤っぽい色をしており、これは錆びた鉄の色で、この地域の河川の特徴となっています。また、神立の地名の由来は、「神在月」に出雲大社に集まった神々が出立する地とのことで、旧出雲市域の出入口となるこの橋は、神々にとっても出雲の出入口となる場所です。

4654.神立橋から上流側の眺め
 
>拡大画像 神立の案内板
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●地名、人名等の読み方
 ・伊志見=いじみ
 ・斐川=ひかわ
 ・佐々布=さざぶ
 ・出西=しゅっさい
 ・荘原=しょうばら
 ・学頭=がくとう
 ・新建川=しんたてがわ
 ・伊波野=いわの
 ・荒神谷=こうじんだに
 ・斐伊川=ひいがわ
 ・神立=かんだち

●参考資料
 樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
 島根県立古代出雲歴史博物館「入り海の記憶 知られざる出雲の面影」
取材日:2015.9.14/2016.7.16/2017.8.24
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