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36.今市から大社へ
くにびき中央通り(県道27号)を横断すれば、少しだけ南寄りに向きを変えつつ、扇町、新町とさらに西へ市街を進んでいきます。

4801.扇町

4802.新町
出雲市民病院の南側の交差点は変則的な形状になっていて、左前方に旧国道の道路が伸びていますが、正面の細い道へ直進します。さらに100mほどでまた押しボタン信号のある交差点があり、そこは斜め方向に横断していきます。文章で書くとわかりづらいですが、南西に向いて進んでいくのが古い道筋で、自動車の通る新しい道路とミスマッチを起こしていることが感じられます。

4803.正面の細い道へ

4804.斜め方向(南西)に進むイメージで
赤川を渡るとまもなく山陰本線の高架橋にぶつかります。山陰道はさらに南西に進んでいくのですが、出雲大社があるのはもちろん北西なので、このへんで山陰道とはお別れしなければなりません。
さて、出雲大社に至る道は多数ありますが、大社から見ると、東および南からは国道431号が、南東からは県道162号が古くから参詣に利用されてきた道筋に近いと考えられます。しかし、出雲街道や山陰道のような有名な街道ではないこともあって、古道としての正確なルートはよくわかりません。そこで、出雲大社への最終コースは趣向を変えて、平成2年(1990年)に廃止されたJR大社線の廃線敷を選び、鉄道の痕跡を探しながら歩いていくことにします。ここからの旧大社駅までの間、ご紹介している道は古道とは関係ありませんので、その点はご了承ください。
山陰道が山陰本線と交差する地点から山陰本線沿いに西へ行くと、出雲警察署の南側で国道184号をアンダークロスします。その先に山陰本線と旧大社線の分岐点があり、山陰本線が左へ、旧大社線が右へカーブしていきます。

4805.国道184号をアンダークロス

4806.山陰本線は南へカーブ
山陰本線の線路が離れていくところからは旧大社線の廃線敷が自転車道となります。レールや枕木はきれいに撤去されたうえで舗装されていますが、鉄道の痕跡は随所に残っています。

4807.どう見ても線路の跡

4808.通信設備の跡?

4809.バラストも多数転がっている

4810.桜並木が植えられた場所も
出雲平野では古くから河川の改修や水路の建設がなされ、水がコントロールすることで発展してきたことはこれまでも触れてきていますが、水との戦いは現在も進行中で、平成30年(2018年)現在、旧大社線に沿った塩冶赤川が改修工事中です。迂回を強いられる場所もありましたが、現役の鉄道では見る機会のほとんどない路盤の断面が見られたり、また、改修中の塩冶赤川の流れは異様なほど赤くなっていて、たたら製鉄地帯の下流らしさが普段以上に強く感じられたりと、ある意味貴重なものが見られました。この付近では立派な築地松を持つ民家も目立っています。

4811.路盤の断面が見える

4812.家を覆い隠すような築地松

4813.塩冶赤川の流れは赤茶色
白枝地区では旧国道9号の県道28号と交差しますが、平成30年(2018年)2月現在、その先が通行止になっているため、高瀬川沿いの道に迂回します。高瀬川沿いは自転車道として整備されていて、この付近でも今市で見たときと同様に気持ち良く歩ける道になっています。地下道で国道9号と交差し、高松小学校付近まで西に進んだところで左折すれば、まもなく出雲高松駅跡です。

4814.通行止のため迂回

4815.高瀬川沿いの自転車道

4816.国道9号をくぐる

4817.ここで左折すれば出雲高松駅跡へ
●旧出雲高松駅
旧出雲高松駅にはホームが残されており、鉄道の雰囲気が色濃く残されています。そして駅のすぐ西にある「高松駅前橋」という橋や「高松駅前橋」という交差点に今も駅名が健在です。そして、近年になって架け替えられたと思われるその高松駅前橋には出雲高松駅が現役だった頃の写真が飾られています。駅がここにあったということだけでなく、その駅に対する地元の思いも未来に残したい歴史と言えます。

4818.高松駅前橋に飾られた駅舎の写真

4819.ホームは今も残っている

4820.橋に飾られた写真は必見
旧出雲高松駅を過ぎると、塩冶赤川を渡ります。大社線の廃止後に河川の改修が行われたようで、鉄橋は残されていませんが、左岸に移っても廃線敷の自転車道はまだまだ続きます。浜山中学校の東側で自転車道としての整備区間はいったん終わりますが、未舗装になった廃線敷をもう少し進めば、中学校の南に線路の勾配を示す標識が残されています。

4821.左岸に移った廃線跡

4822.浜山.中学校の南に勾配の標識
廃線敷の道が続かなくなるので、また高瀬川沿いの道に戻ります。浜山中学校から200mほどで新内藤川を渡りますが、高瀬川は新内藤川に流れ込むのではなく、その上を乗り越えてさらに北西に向かっていくという珍しい風景が見られます。

4823.新内藤川を渡りますが…

4824.高瀬川も新内藤川をオーバークロス
新内藤川を渡ると左折して再び大社線の廃線敷に戻ります。新内藤川の橋梁もなくなっていますが、両岸の廃線敷ははっきりとわかります。荒茅駅跡の手前までは砂利道になっていて、放置された踏切設備の箱や細い農道を乗り越えていた荒茅架道橋といった鉄道の痕跡が見られます。

4825.砂利道の廃線敷

4826.踏切設備の箱
廃線敷がアスファルト舗装の自転車道に戻ればまもなく旧荒茅駅です。ここにもホームが残っており、ホームへ上がるスロープの柵も残されています。また、駅の北側で交差する道路の踏切跡には踏切設備の箱が残っており、そこに記された文字から「自衛隊前踏切」という踏切名であったことがわかります。

4827.旧荒茅駅

4828.踏切の名前も残る
旧荒茅駅から300mほどで廃線敷は立派な新しい道路に変わり、鉄道の痕跡は見られなくなります。さらに400mほど行けば西側には古くからあると思われる家屋がなくなり、極めて広大で整然とした田園地帯となります。この辺りは神門水海(現在も神西湖として一部が残る)という潟湖だった場所で、現在の水田は江戸時代に高瀬川とともに開発されたものと思われます。また、現在は宍道湖に注いでいる斐伊川も江戸時代の途中までは神門水海を経て西の日本海に注ぐ流れで、この付近の地形は江戸時代に大きく姿を変えています。

4829.広い道路になる

4830.西は広大な田園地帯
4831の写真の交差点からは街路樹も植えられた「縁結びの道」となり、いよいよ出雲大社が近づいてきたことを感じさせますが、ここは廃線敷を活用した新しい道です。さらに400mほど進んだ荒木小学校前バス停のところには出雲大社周辺の駐車場の案内板があり、道路は左(西)にカーブしています。正面に進めばまもなく旧大社駅の跡で、駅の跡に至るまでの廃線敷に整備された小公園には「大梶七兵衛翁紀功碑」も立てられています。これまでもご紹介してきた出雲平野における江戸時代の開発について、高瀬川の整備など、最も偉大な功績を残したのがこの大梶七兵衛です。ここだけでなく今市の高瀬川沿いや国道431号の万代橋東交差点にも銅像が立てられており、地域において本当に尊敬されている人物だと言えます。

4831.直進の「縁結びの道」へ

4832.大梶七兵衛翁紀功碑
>拡大画像 大梶七兵衛翁紀功碑文(訳文)
>拡大画像 大梶七兵衛翁の功績の案内板
●旧大社駅1
そうして到着した旧大社駅には、大正13年(1924年)に建てられ、東京駅と門司港駅と並んで国の重要文化財に指定されている駅舎が残されています。構内にも線路が残り、D51型蒸気機関車が展示されているなど、極めて貴重で整備もよく行き届いた鉄道遺産です。しかし、旧大社駅は出雲大社から1km以上も離れているという悪い立地にあり、それも一因となって利用が低迷して大社線が廃止に至ったわけですが、この立地の悪さは鉄道開通以前に門前町を形成していた「市場通り」「馬場通り」という2つの主要ルートの中間に駅を設置したという何とも国鉄らしい妥協の産物です。そして、観光の足としてまだまだ活用できそうに思える大社線を輸送実績の数字だけで例外なく廃止してしまったのもまた国鉄(JR)らしいところです。

4833.旧大社駅舎

4834.構内には線路も残る

4835.D51型蒸気機関車
●旧大社駅2
旧大社駅は旧大社町の主要観光スポットの一つで、昼間には廃線当時の姿がほぼそのまま残されている駅舎内部を見学できます。機械化されたシステマティックな現在の鉄道駅と違い、一つ一つの設備が丁寧に作られている印象です。ネットで容易に経路や運賃が検索できるようになった現在ではめっきり見かけなくなった長距離の運賃表を見れば、これまで歩いてきた道のりの長さを実感できますし、宿泊施設の電話番号案内の看板を見ても、ネット予約が主流になった現在ではレトロな感じがします。往時は駅前で旅館の客引きも盛んに行われていたそうで、旅行のスタイルの違いにも時代を感じます。

4836.駅舎内部

4837.姫路5.150円

4838.現地で旅館に電話していた時代
>拡大画像 旧大社駅の案内板
旧大社駅から出雲大社まで続くのが「神門通り」ですが、この神門通りは国鉄大社線の開通に合わせて整備された道で、出雲大社の長い歴史から見れば新しい道です。4839の写真の地点には江戸時代に松江藩領と出雲大社領の境界線であった「境土手」がありました。出雲大社領では西の「市場通り」が昔の道筋と雰囲気を残しているため、当サイトの本来の趣旨である古道歩きに戻ることとし、ここを左折し、水路沿いに西へ進みます。4840の写真の交差点を右折すれば市場通りに入り、まもなく流下橋で堀川を渡ります。堀川が松江藩領と出雲大社領の境界線になっている方が自然に思えますが、少しだけ南に境界があるのにはやはり何らかの歴史的経緯があるのでしょう。

4839.境土手のあった場所

4840.右折で市場通りへ

4841.流下橋で堀川を渡る
>拡大画像 境土手の案内板
●神門通り
堀川を渡った先で神門通りに戻れば、「道の駅大社ご縁広場」があり、周辺には吉兆館や出雲阿国像、国引き神話のモニュメントなどがあり、いよいよ出雲大社の門前という雰囲気が一気に強くなります。さらに北上すれば、宇迦橋の大鳥居があり、さらに一畑電車の出雲大社前駅を経て後述する勢溜の大鳥居に至ります。平成27年(2015年)に100周年を迎えた神門通りは、紛れもなく現在の出雲大社の門前町を形成するメインストリートで、多くの土産物屋や出雲そば屋、出雲が発祥と言われるぜんざい屋などが並んでおり、平成の大遷宮や神話博の開催、縁結びやパワースポットのブームなどの追い風も受けて、近年の新たなまちづくりもすっかり定着化しています。

4842.宇迦橋の大鳥居

4843.吉兆館(道の駅大社ご縁広場)

4844.出雲大社前駅
>拡大画像 出雲阿国の案内板
とは言え、道にこだわる当サイトとしては、やはり市場通りに戻って出雲大社を目指します。市場通りは近年まで国道431号に指定されていた道路で、そのことも歴史的に重要な道であったことの証拠の一つと言えます。しかし、国道というには道幅があまりにも狭いため、地理不案内な観光客が迷い込んでしまわないよう、国道の指定を外されています。出雲大社の門前町は主として出雲大社の南西の方で発展してきたため、徐々に史跡も増えてきて、門前町らしい雰囲気が強まってきます。明治元年(1868年)に山陰道鎮撫使を迎え入れた藤間家住宅は現役の民家のため立ち入ることはできませんが、そのときに建てられた勅使門が県指定の重要文化財となっています。

4845.市場通り

4846.四本松大井戸と通り堂地蔵

4847.旧家

4848.藤間家住宅と勅使門
>拡大画像 藤間家住宅勅使門の案内板
●大社門前
藤間家住宅を過ぎると「四ツ角」に辿り着きます。三叉路が2つ隣接したような形状をしているこの交差点が、歴史的に出雲大社門前の中心と位置付けられる場所でした。現在もなお出雲大社参拝の観光客もこの辺りまでは多く訪れ、付近にあるいくつかの老舗のそば屋では、休日のお昼時には大都市の人気店にも劣らないほどの行列ができています。そしてここを右(東)に曲がれば、稲佐の浜からやってくる神様の通る「神迎の道」で、緩い坂道を上って出雲大社正門(勢溜)の大鳥居に到着します。

4849.四ツ角

4850.老舗の出雲そば

4851.緩やかな坂道を上っていくと…
>拡大画像 大社広域観光案内図
●出雲大社1
西から到着した勢溜は大社正面の低い丘の上にあり、江戸時代には富籤場が開かれるなど、多くの人々が集まることを前提に設置された広場です。現在でも出雲大社は年間800万人以上の人が訪れる一大観光地で、「神在月」には「八百万」の神々もここを訪れます。当サイトらしく「道」に注目しながら参道を進んでいくと、微高地の勢溜から本殿へ向けて下っていることがはっきりわかります。100年前まで参道から真正面に伸びる道(神門通り)がなかったということも含め、珍しい形状の参道を持つ神社ということができます。

4852.ついに到着

4853.本殿へ「下る」

4854.真ん中は神様の通り道
●出雲大社2
出雲大社は平成の大遷宮が行われたばかりで、平成30年(2018年)2月現在、目立つ工事はすべて完了したため境内をじっくりと見て回ることができます。出雲大社の歴史や各社殿の意味といった事柄は私などがご案内するまでもないので省略しますが、言うまでもなく全国屈指の神社だけにその神々の伝承や歴史のストーリーは奥深いものがあり、地元ボランティアガイドに案内していただくこともできます。

4855.遷宮の終わった拝殿
大社周辺にはまだまだ見どころは多く、特に出雲大社の東に隣接する「古代出雲歴史博物館」は出雲の歴史を学ぶのに最適な施設です。そして、瀬戸内海側(山陽)の姫路から中国山地を越えて日本海側(山陰)まで歩いてきた旅の終わりだけに、最後は日本海を見に行くことにします。出雲大社(勢溜)から日本海までは国道431号で1.4kmほど、その途中には出雲阿国の墓もあります。

4856.古代出雲歴史博物館

4857.出雲阿国の墓
●稲佐の浜
出雲大社の西にある「稲佐の浜」は、国譲り神話の舞台となった場所です。姫路を出てからもちろん初めて見る海で、美しい砂浜と神話ゆかりの弁天島を見ると、本当に遠くまで来たという実感が湧いてきます。そして、稲佐の浜は西の海に沈む夕日の美しさも知られており、平成29年(2017年)には日御碕神社等も含めた周辺文化財群が「日が沈む聖地出雲 〜神が創り出した地の夕日を巡る〜」として日本遺産にも認定されました。

4858.稲佐の浜(弁天島)
>拡大画像 稲佐の浜の案内板
<< 35.神立橋から今市へ 
●地名、人名等の読み方
 ・塩冶赤川=えんやあかがわ
 ・荒茅=あらかや
 ・神門水海=かんどのみずうみ
 ・神西湖=じんざいこ
 ・万代橋=よろずやばし

●参考資料
 樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
 大社史話会「出雲国大社観光史 〜参詣地から観光地へ〜」
 島根県立古代出雲歴史博物館「入り海の記憶 知られざる出雲の面影」
取材日:2015.9.15/2016.7.16/2018.2.22
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