トップページ > 出雲街道の道のり > 1-1.姫路駅→下手野→青山→余部駅
1-1.姫路→下手野→青山→余部駅
姫路・たつのエリア この区間の地図
1-2.余部駅→飾西宿→追分峠→東觜崎駅>
●姫路城
出雲街道歩きのスタートは姫路。姫路と言えば、何と言っても世界遺産の姫路城ですので、姫路駅北口から正面へ約900mの姫路城前交差点からスタートすることにします。姫路城は私などがご紹介するまでもない場所であり、数多くの見どころに立ち寄っていると最初から話が前に進まなくなってしまうので、ここは先に進ませていただきます。

1101.姫路城前交差点付近から見る姫路城
>拡大画像 姫路城の案内板
出雲街道は姫路駅や姫路城から4〜5kmほど西で西国街道(山陽道)から分岐するので、まず西国街道に入るべく大手前通りを南下します。ビルが建ち並ぶ都会的な景観であり、歩行者も多いですが、これから歩いていく出雲街道では終点の出雲大社に至るまで、これほどの大都会は二度と登場しません。国道2号の一つ南の交差点が現在の大手前通りと昔の西国街道の交差点にあたり、ここを右折します。案内看板によるとここにはかつて国府寺家本陣があったそうで、西国街道沿いにもかなりの屋敷が建ち並んでいたそうです。

1102.国道2号を横断

1103.歩道も広い大手前通り
>拡大画像 西国街道の案内板
>拡大画像 国府寺家本陣跡の案内板
西国街道に入って一つ西の交差点は札の辻と呼ばれ、姫路城下町でも人の往来が多かった場所でした。600mほど進むと、姫路城の堀である船場川を渡ります。その橋は「西国橋」という名前で、まだ現在の国道が開通していなかった大正13年(1924年)に架けられたトラス橋が近年まで残されていました。その西国橋を渡ると、県道62号にぶつかり右折します。旧街道の道筋は厳密に言うともう少し直進してから右折となるのですが、県道と国道2号をうまく渡れる場所がありません。

1104.札の辻

1105.船場川を渡って右
>拡大画像 札の辻の案内板
>拡大画像 西国橋の案内板
白鷺橋交差点で国道2号を横断し、東に姫路城を見ながら堀端を100mほど北上すれば、姫路城の車門跡のところに西国街道の新しい道標があるので、それに従って左折します。

1106.白鷺橋交差点

1107.ここを左折
>拡大画像 車門跡の案内板
姫路城の西の旧街道沿いは龍野町。羽柴秀吉が楽市を許可した町で、この近辺は姫路の中でも最も古い町だそうです。古い街並みが残されているとまでは言えずとも、弘化元年(1844年)に建てられた初井家住宅を筆頭に、かなり古そうな家が点在し、新旧混在の街並みとなっています。

1108.初井家住宅

1109.まさに新旧混在
>拡大画像 龍野町の案内板
>拡大画像 西国街道沿の文化財マップ
薬師山の丘陵に突き当たると左折し、山の南麓を取り巻くように進んでいきます。薬師山トンネルの南入口にあたる1111の写真の地点では横断すべき道路の車線が柵で分離されているので、いったん国道2号の車崎東交差点に出て道路を横断し、写真奥の道へ進んでいきます。

1110.丘陵にあたると左折

1111.国道までちょっと迂回
旧街道の道筋は国道2号の少し北を一直線です。姫路の城下町は薬師山の南までだと思われ、車崎地区や神子岡前地区では古い建造物が見られなくなりますが、郊外に出ても住宅街がずっと続きます。東今宿交差点を過ぎても状況は相変わらずですが、古い家屋も見られるようになってきて、姫路城下町とは別の独立した村が古くからあったことがわかります。そしてその証拠として高岡市民広場の脇には高岡村道路元標が残されています。

1112.水尾川を渡れば一直線の道

1113.東今宿では古い家屋も少し残る

1114.高岡村道路元標
今宿西交差点のすぐ東で国道2号に合流しますが、今宿西交差点にかけて歩道が異様に広くなっていて、昔の道路形状の痕跡だと感じます。続く高岡駅前交差点を過ぎると、国道2号は高架橋となって姫新線の線路を乗り越えます。この姫新線は中国地方の内陸部を縦断して姫路と新見を結ぶ鉄道路線で、これから勝山までの100km以上にわたって出雲街道に並行していくという出雲街道歩きの前半に欠かせない交通機関です。

1115.国道に合流

1116.姫新線を越える
姫新線の跨線橋を下ったところにある西今宿1丁目交差点では斜め右への分岐で下手野地区に入っていきます。下手野はこれから歩いていく出雲街道の分岐点だっただけあって旧街道らしい雰囲気が色濃く残されています。

1117.斜め右で下手野へ

1118.下手野の旧家(米穀店)
●下手野の道標
下手野には圓光大師二十五霊場の道標が立っています。圓光大師とは浄土宗の開祖として知られる法然のことで、その生誕地として知られる美作国の誕生寺が案内されています。また、この道標は明和4年(1767年)のもので、これから出雲街道で見ていく道標の中でも古い部類に入ります。この道標自体は移設されたものだそうですが、ここは西国街道から因幡街道と出雲街道が分岐していた場所です。

1119.下手野の道標
出雲街道の道筋としては下手野の道標から北上していくのですが、この先余部駅付近までは迂回を強いられる割に見どころも少ないので、コースをアレンジして、西国街道をもうしばらく歩いてから北上していくことにします。下手野の道標のすぐ西には西国街道の一里塚の跡があり、続いて大きな金毘羅石灯籠も見られるなど、旧街道らしさが楽しめる道が続きます。

1120.下手野の一里塚跡

1121.金毘羅常夜燈
>拡大画像 山陽道一里塚跡の案内板
夢前川にぶつかれば、少し南にある国道2号の夢前橋で川を渡り、夢前橋西詰交差点を右折して青山の道標を目指します。下手野でも青山でも旧街道も国道より少し北を通っているため、旧街道の時代に川を渡っていた地点は現在の夢前橋の少し北であったことが容易に想像できます。

1122.夢前橋を渡る

1123.夢前橋西詰交差点
●青山の道標
青山の道標には「右 因州 伯州 作州 雲州往来」という文字が刻まれ、ここから中国山地を越えて山陰地方に行くという気分を盛り上げてくれます。別の角度から見たら「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」で、まさにここが山陽地方への道と山陰地方への道の分岐点だということがわかる道標です。そして少し見づらくなっているものの、道標下部には主要な場所への距離が詳しく案内されているのがこの道標の特徴で、これから歩いていく方面では「津山」「倉吉」「鳥取」「米子」「大仙」「松江」「出雲大社」の記載があり、終点の出雲大社までは60里(約240km)となっています。

1124.青山の道標

1125.詳細な距離の表示
青山の道標からも稲岡神社まで西国街道を歩き続けます。下手野と同様に青山の西国街道沿いでは古い町家が多数残って街並みを形成しており、旧街道らしさがよく感じられます。北に見える丘は「播磨国風土記」に記載された稲牟礼丘だと比定されており、そこにある稲岡神社自体も約600年の歴史を誇る神社です。現在も地元の崇敬を集めており、西国街道に面する鳥居は令和4年(2022年)に建て替えられたばかりのものです。

1126.青山の西国街道沿い

1127.稲岡神社の新しい鳥居

1128.稲岡神社
>拡大画像 稲岡神社の案内板
稲岡神社鳥居の次の交差点を右折するか、稲岡神社から丘陵に沿って進みかのどちらかの道で北に向きを変えます。それらの道が合流する1129の写真の交差点は変則的な五差路になっており、写真右のカーブして北北東に向かう道に進みます。この交差点には書写山を示す寛政7年(1795年)の道標があります。先述のように下手野からはコースをアレンジして出雲街道を離れていますが、この道も古くから利用されてきた道です。

1129.右前方の道へ

1130.書写山を指す道標
道標のある交差点から余部駅までは道なりに直進を続けます。平凡な都市郊外の風景が続きますが、この付近ではどの道を選んでも同じことです。姫路駅や姫路城から6〜7kmほど離れていますが、家並みが全く途切れることなく続くだけでなく、立地から考えて昔からこの場所にあると思われる会社や工場が見られるのも姫路の都市規模の大きさを感じさせます。

1131.遠山の地蔵尊

1132.会社や工場が見られる
西国街道を離れてから1.2kmほどで、余部駅の西口に到着します。こちらは裏口となるため交通系ICカードの簡易型改札機があるのみですが、東口の駅舎にはみどりの窓口もあり、近年では本竜野駅や津山駅を上回って姫新線内で第1位の乗車人員数を記録している駅です。ホームとの間には、神功皇后ゆかりの伝承が伝わる矢落の森の大きな石碑があります。これから断片的にご紹介していくことになりますが、出雲街道の沿線のうち、播磨国と出雲国は奈良時代に編纂された「風土記」が残っているなどの要因もあり、古代の伝承がよく伝わり、古代の歴史研究がよく進んでいます。

1133.矢落の森の碑

1134.余部駅
>拡大画像 矢落の森の案内板
1-2.余部駅→飾西宿→追分峠→東觜崎駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  余部=よべ
    •  札の辻=さつのつじ
    •  船場川=せんばがわ
    •  白鷺橋=はくろばし
    •  羽柴秀吉=はしばひでよし
    •  弘化=こうか
    •  神子岡前=みこおかまえ
    •  姫新線=きしんせん
    •  新見=にいみ
    •  圓光大師=えんこうだいし
    •  法然=ほうねん
    •  明和=めいわ
    •  美作=みまさか
    •  金毘羅=こんぴら
    •  夢前=ゆめさき
    •  因州=いんしゅう
    •  伯州=はくしゅう
    •  作州=さくしゅう
    •  雲州=うんしゅう
    •  備前=びぜん
    •  稲牟礼丘=いなむれがおか
    •  寛政=かんせい
    •  神功皇后=じんぐうこうごう
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  姫路市教育委員会文化財課「姫路城下古道界隈」
    •  たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」
          
  • ●取材日
    •  2014.8.19
    •  2015.1.19/8.23
    •  2017.10.1
    •  2018.8.19/9.11/10.9
    •  2019.2.10
    •  2021.8.5
    •  2023.1.12
▲ページトップ
inserted by FC2 system