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1-3.東觜崎駅→觜崎宿→播磨新宮駅
姫路・たつのエリア この区間の地図
<1-2.余部駅→飾西宿→追分峠→東觜崎駅 1-4.播磨新宮駅→千本宿→西栗栖駅>
●觜崎宿
姫新線の佐用街道踏切を渡ったあたりからは、宿場町らしく両側に古い家や寺が立ち並び、觜崎宿の中心部に入ったことが実感できます。脇本陣の門は現在も健在で、本陣を務めた家の敷地内には神社があります。觜崎は西播磨を代表する河川である揖保川の畔にある交通の町で、本陣跡のすぐ先で県道437号を北に入れば草に埋もれた小さな道標も見られ、揖保川に到達する直前では瀬戸内海の港町である室津への古道も南へ分かれていきます。

1301.觜崎宿の街並み

1302.民家の中に鳥居

1303.道標も見られる
●寝釈迦の渡し跡
揖保川の堤防に上がると、そこに道標型に作られた「寝釈迦のわたし」跡の標柱があり、かつてここに渡し場があったことを示しています。今でこそ觜崎橋が架けられ簡単に渡ることができますが、この辺りの揖保川は太く水量も豊富なため、かつては橋を架けるのが技術的にも費用的にも困難だったことが容易に想像できます。

1304.寝釈迦の渡し跡
>拡大画像 寝釈迦の渡しの案内板(左岸側)
●觜崎橋周辺
觜崎宿周辺の見どころは宿場町だけではありません。觜崎橋より北の揖保川東岸は、長年にわたる風化浸食の末、川沿いの山肌の岩が露出した地形が特徴的で、觜崎の屏風岩に代表される景勝地になっています。觜崎橋のすぐ北には文和3年(1354年)に作られたという磨崖仏もあります。

1305.觜崎の磨崖仏

1306.揖保川に到達

1307.揖保川を渡る姫新線列車
>拡大画像 觜崎周辺の名所の案内板
觜崎橋を渡ると磨崖仏の拝殿が北にありますが、旧街道の道筋は先述した寝釈迦の渡し跡の対岸から県道724号の南に続くので、1309の写真の地点まで堤防道路を南下して西岸の集落に入っていきます。

1308.磨崖仏の拝殿

1309.ここまで堤防を南下
>拡大画像 寝釈迦の渡しの案内板(右岸側)
觜崎宿の対岸にあたる西岸の集落においても、大きな河川の渡し場があったところだけに、かつての交通拠点らしい雰囲気がありますが、道路形状は宿場町型のものではなく、何度も曲がりながら進んでいくことになります。迷いやすい場所なので、北西に向けて進んでいくという方向感覚を保ちながら進んでいくようにしましょう。

1310.明源寺

1311.ここは右

1312.ここも右
 
1313.小さな稲荷神社を左
船渡交差点では初めて国道179号と交差し、ここから津山市の院庄交差点までは延々75kmもこの国道沿いを歩くことになります(ここから院庄までの間、単に「国道」と書いている場合、国道179号を指しているとご理解ください)。しかし、旧街道で考えると、まだ概ね県道724号に沿った道筋を行き、夢前橋西詰交差点から(一部は国道29号に重複)辿ってきたこの県道も出雲街道の一翼を担う重要な路線と言えます。船渡交差点で国道179号を横断してその一本西の道に入り、200mほど北で越部村道路元標と地元の商店がある交差点を左折します。

1314.船渡交差点

1315.ここから西へ

1316.越部村道路元標
越部小学校の前を通過し、今宮権現神社のところで一時県道724号に合流しますが、またすぐに斜め右の脇道へ入り、1318の写真の地点を右折して中野庄地区に入ります。結局のところ栗栖川を渡るのは県道の馬立橋になるので、遠回りをしている形ですが、最近になって整備されたような姿の県道に対し、旧街道はそのやや北側を通っていました。栗栖川にぶつかると、川の向こうには珍しい古代山城であり、室町時代の播磨国を代表する大名であった赤松氏も一時本拠にしていたという城山城跡が見えます。

1317.今宮権現神社のところで県道へ

1318.右折で北の方へ

1319.中野庄の集落内

1320.栗栖川の対岸に城山城跡
県道に戻って馬立橋で栗栖川を渡り、中野庄地区の対岸にあたるところまでしばらく堤防の道路を北上してから馬立地区の集落の北側を通り抜けていきます。県道724号に再びぶつかる地点には色褪せた因幡街道の標柱があり、県道に右折するよう案内されますが、整然とした田園の中をただ一直線に進むだけなので、ここは直進して西の山沿いまで進んでから右折し、進路を北に戻すことにします。

1321.斜め左で馬立へ

1322.県道を横断
広い平地のよく整備された田園地帯を進んでいくと、田園の中に鎌倉時代からの伝承がある「お玉の清水」があります。今は飲用できるような状態ではありませんが、最近まで井戸として活用されていたようです。さらに500mほど北上すれば、市野保地区に入っていきます。

1323.広大な田園地帯

1324.お玉の清水

1325.最近まで利用されていた?
>拡大画像 お玉の清水の案内板
●市野保地区
西の山沿いにある市野保地区の集落内に入ると、これまでの道路と圃場がよく整備された近代的な農村風景とは一転して、古くからの集落らしい雰囲気になります。その中心にある越部八幡神社は1000年以上の歴史を持つ神社です。また、市野保地区から北では山沿いに続く旧街道らしい雰囲気の道を歩くことができます。

1326.越部八幡神社

1327.境内に飾られた絵

1328.山沿いの道
>拡大画像 越部八幡神社の案内板
●輪袈裟の清水
龍野北高校の西にある輪袈裟の清水は、現在ではわずかな量しか湧いておらず、名水として飲用できるような水ではありませんが、旱魃の際に空海が見つけ出したという伝説を持つ清水です。また、「たつの市ドラゴンウォーカーズ」のメンバーから教わった話によると、この付近の栗栖川はかつて現在より西側を流れていたそうで、付近の地形と西の山沿いの街道、そしてお玉の清水と合わせて2つの名水が近隣に並んでいることから、かつての地形を想像してみるのも面白いです。

1329.輪袈裟の清水
>拡大画像 西国街道の案内板
芝田地区を通り抜け、芝田橋の200mほど西にある歩行者、自転車用の橋で栗栖川を渡って国道に出ます。旧街道の道筋としては芝田地区の西で栗栖川を渡っていたそうですが、その地点には橋はありません。また、この後また遠くないうちにもう一度栗栖川を渡ることになるので、栗栖川を渡らずに済む大屋経由のルートもあったそうですが、ここでは左岸の平野経由のルートをご紹介します。

1330.芝田の集落内

1331.栗栖川を渡る
栗栖川を渡ると、500mほど東には播磨新宮駅があります。真新しい橋上駅舎を持つ姫新線の拠点駅で、列車の運行回数も姫路から播磨新宮までは30分に1回、播磨新宮以西は1時間に1回未満となります。この列車本数が象徴しているように、新宮を境として、出雲街道の沿線は都市(郊外)から田舎へ地域性が変わります。

1332.播磨新宮駅
<1-2.余部駅→飾西宿→追分峠→東觜崎駅 1-4.播磨新宮駅→千本宿→西栗栖駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  千本=せんぼん
    •  揖保川=いぼがわ
    •  船渡=ふなと
    •  院庄=いんのしょう
    •  越部=こしべ
    •  馬立=まだち
    •  栗栖=くりす
    •  城山城=きのやまじょう
    •  市野保=いちのほ
    •  輪袈裟=わけさ
    •  空海=くうかい
    •  芝田=こげた
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」
          
  • ●取材日
    •  2014.8.19
    •  2015.1.19/8.23
    •  2016.2.6/4.9
    •  2018.8.19/10.9
    •  2019.2.10
    •  2020.12.18
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