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1-4.播磨新宮駅→千本宿→西栗栖駅
姫路・たつのエリア この区間の地図
<1-3.東觜崎駅→觜崎宿→播磨新宮駅 2-1.西栗栖駅→相坂峠→三日月宿→三日月駅>
国道に合流して500mほど西には道の駅しんぐうがあり、敷地内には旧新宮町内に残されていた元禄15年(1702年)の道標が移設されています。道の駅からさらに200mほど西の1403の写真の交差点で斜め右の旧道に入ると、平野の街並みに入っていきます。

1401.道の駅しんぐう

1402.道の駅で保存されている道標

1403.斜め右で平野へ
>拡大画像 道の駅の移設道標の案内板
●平野
觜崎から千本までのほぼ中間に位置する平野では、栗栖川沿いをバイパスする形の国道とは対照的に、旧道沿いには古いものも含む家並みが続きます。都市的な発展をしていない旧街道の集落の登場に、いよいよ出雲街道らしさが強く感じられます。中でも最大の見どころとなるのが1404の写真の交差点で、そこに立つ常夜燈は万延元年(1860年)に建てられたもので、「左往還」と旧街道の道筋を差しています。また、その下には東栗栖村の道路元標もあります。

1404.常夜燈と道路元標

1405.円休寺

1406.旧街道らしい雰囲気
平野地区を過ぎれば、国道に合流してまた栗栖川を渡ります。対岸には大屋地区の集落が見え、大屋を経由した方が距離は短いように感じます。

1407.対岸は大屋

1408.また栗栖川を渡る
右岸に戻っても、国道は相変わらず栗栖川沿いを行きます。旧街道の道筋は少しだけ川から離れていたようで、1409の写真の地点で左折して東栗栖小学校の南側を通り抜けていきます。旧街道の道筋は失われてしまっていますが、この付近は「出茶屋」という旧街道らしい地名です。また、小学校の西側には旧街道を引き継いでいると思われる細道が見られます。

1409.ここを左へ

1410.東栗栖小学校の南へ

1411.おそらく旧街道
 
東栗栖小学校付近に残る旧街道の痕跡を見た後は、千本宿に近づくまで長く国道を歩くことになります。特筆すべきほどの史跡は見られず、通り抜けられる道も1412の写真で斜め左に分岐する道くらいです。歩道が異様に広くなっているところも見られますが、旧街道を直線的な国道に整備した際、はみ出した部分と想像できます。

1412.左が旧街道?

1413.歩道の広さに理由があるはず
千本橋で栗栖川を渡って千本宿に入っていきますが、旧街道はその100mほど東の1414の写真の付近を歩いて渡っていたそうです。

1414.旧街道の渡河地点はこの付近

1415.千本橋を渡る
千本橋を渡ると、斜め右に分岐する県道434号に入って千本駅前に出ます。千本駅は駅舎もない単線の駅で、播磨新宮までの各駅に駅舎と行き違い設備があったのと比べると、姫新線もローカル区間に入ったことを感じさせます。気になるのは駅前にある古い大きな倉庫で、かつてはこんなちっぽけな駅でも貨物を乗せていたのかという疑問を抱かせるほどです。本当にそうだったのかは私にはわかりませんが、このような駅前の古くて大きな倉庫は、姫新線の多くの駅で見られます。

1416.県道434号へ

1417.千本駅

1418.駅前の倉庫
千本駅前には地蔵堂があり、旧街道には欠かせない地蔵菩薩についてわかりやすく書かれた貼り紙があります。ここからは斜め右に宿場町入口の曲がりを構成していたと思われる道があり、そこから千本街道踏切を渡って千本宿に入っていきます。

1419.千本駅前の地蔵

1420.斜め左が旧街道と思われます
>拡大画像 千本駅前の地蔵の案内板(1)
>拡大画像 千本駅前の地蔵の案内板(2)
●千本宿
千本宿の本陣は現役の民家でありながら当時の建物が残っており、そば屋として営業中で、ちょっとした観光拠点となっています。中に入るには営業日・営業時間内に訪れて食事をしなければなりませんが、あの伊能忠敬も宿泊したという本陣で食事も楽しむという貴重な体験ができます。

1421.本陣の門

1422.そば屋として営業中

1423.土塀も良い雰囲気
>拡大画像 千本宿本陣の案内板
千本宿はこれまでの宿場町と違って山沿いにあるため、旧街道は緩やかな坂道となっています。1424の写真はごく最近まで味のある古い商店だった家ですが、閉店後に店の看板等をきれいに外してリフォームしたようで、旧街道らしい雰囲気の民家に生まれ変わっていて、ご主人の判断に拍手を送りたいところです。旧街道の道筋としてはそのまま道なりに進んでいきますが、斜め右に入ると、古代の栗栖廃寺の跡や大きな五輪塔が印象的な依藤塚という史跡もあるので、旧街道から少し外れて大川稲荷神社の参道まで北の山沿いを行くのがおすすめです。

1424.老舗商店が閉店したら…

1425.浄福寺

1426.依藤塚

1427.大川稲荷神社の参道との交差点
>拡大画像 依藤塚の案内板
1427の写真の地点を右折すれば大川稲荷神社がありますが、左折すると姫新線の線路の少し北、現在の道路から少しずれた場所にもう一つ鳥居があります。当然、旧参道は鳥居をくぐる形になっていたはずでしょうし、おそらくこの鳥居の付近で旧街道と参道が交差していたことでしょう。

1428.大川稲荷神社

1429.現在の道と合わない鳥居
大川稲荷神社の鳥居からは田園の中を一直線に貫く道を進みます。圃場整備によって古い道筋は消失していますが、姫新線の線路や国道が近づいてくると緩くS字カーブを描き、そこを過ぎると古いものも含む民家が沿道に並ぶようになり、古い道筋が残っていると推測できます。明らかに幅員が狭い大宇登踏切を渡ると、国道を横断する形で直進の道に入ります。なお、大宇登踏切付近でも振り返れば大川稲荷神社の赤い鳥居、そして遠くには千本宿の街並みが見えていて、かつてはどのような道筋であったのかが何となく想像できます。

1430.田園の中を一直線

1431.鉄道と国道を渡って正面の道へ
千本地区と次の栗町地区の間では山が栗栖川まで迫っていて、国道、鉄道、そして栗栖川とも大きくカーブしています。国道や鉄道のルートは近代になってから山を削って造られたもので、旧街道のルートは栗栖川を2度渡っていたそうです。右岸にある田幸の集落へ行くための橋が2カ所に架けられているため、現在でも栗栖川を2度渡っていた旧街道のイメージを感じることができます。左岸の国道に戻ると、まもなく1434の写真の地点を斜め右に入りますが、さらに300mほど先には播磨科学公園都市へのアクセス路となる県道44号が分岐する栗町交差点があります。その間には小規模な親水公園やコンビニがあり、格好の休憩ポイントとなります。

1432.六十六部供養塔

1433.左折で栗栖川を渡る

1433.また栗栖川を渡って国道に復帰

1434.ここで斜め右へ
栗町地区では国道の東に古くからの集落があり、国道と並行する形で北上していきます。国道に復帰する付近では播磨科学公園都市の開発に合わせて整備されたと思われる団地や駐車スペースがあり、そこから旧街道の道筋が失われていますが、国道に広い歩道があるため、歩きやすい状況は続きます。

1435.栗町の集落内

1436.新しい団地も作られている
●栗栖里
続く鍛冶屋地区に入ると、また同じような駐車スペースがあり、そこにはこの辺りの地名である「栗栖」の由来が紹介されています。このように古墳時代という極めて古い時代の記録が出てくるのは播磨国には奈良時代に編纂された「(古)風土記」が残っていることが理由です。出雲街道沿線で同様に「風土記」が残されているのは出雲国で、これから断片的に少しずつご紹介していくことになりますが、この2つの国については美作国や伯耆国と比べて、古代の歴史研究がかなり進んでいます。

1438.栗栖里の由来
>拡大画像 栗栖里(渋なし栗)の案内板
1439の写真の地点で右折すると、下鍛冶屋公民館の前からは旧街道の道筋が復活します。200mほど北上すればたつの市の最後の駅である西栗栖駅に至ります。西栗栖駅は令和2年(2020年)に古い駅舎が取り壊され、簡易な待合室があるのみの駅となりましたが、誰でも利用できる無料駐車場もあり、ホームへの階段を避けられるスロープの設置でバリアフリーにも対応できています。兵庫県内の姫新線らしく、ローカル線の無人駅なりにできる改善が尽くされた駅と言えます。

1439.ここで右折

1440.旧街道が復活

1441.西栗栖駅
 
<1-3.東觜崎駅→觜崎宿→播磨新宮駅 2-1.西栗栖駅→相坂峠→三日月宿→三日月駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  元禄=げんろく
    •  万延=まんえん
    •  伊能忠敬=いのうただたか
    •  依藤塚=よりふじづか
    •  大宇登=おおうど
    •  田幸=たこう
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  たつの市立埋蔵文化財センター図録10「因幡街道 〜山陰と山陽を結ぶ道〜」
    •  佐用ハイキングコース選定の会「佐用ハイキング34コース」
          
  • ●取材日
    •  2014.8.26
    •  2015.8.23
    •  2016.4.9
    •  2017.9.4
    •  2019.2.10
    •  2020.12.18
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