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2-5-1.上月駅→萬ノ乢
佐用エリア この区間の地図
<2-4.佐用駅→上月駅 2-5-2.萬ノ乢→美作土居駅>
しばらく国道を歩いて上月の市街を出て、金屋橋で幕山川を、次いで力万橋で大日山川を渡った先で旧道に入ります。

1901.しばらく国道を行く

1902.斜め右で旧道へ
旧道沿いに続く集落の中心近くには西庄小学校の跡があり、その側に西庄村道路元標も残されています。兵庫県には自治体道路元標が多数現存しており、たつの市(旧新宮町)の平野で見た東栗栖村の道路元標、佐用町(旧三日月町)の新宿で見た大廣村の道路元標など、現在では一集落に過ぎないように見える場所から、地域の中心地区が移動していることがよく感じ取れます。

1903.力万の集落内

1904.西庄村道路元標
力万の旧道から国道に戻り、大日山川を渡る須安橋の手前では右側(北側)に常夜燈が見えたりしますが、旧街道はやや南側を通っていたそうです。とは言え、大日山川を渡る橋がなく、道が続かないため、ここは国道を歩くことになります。古い家が国道に対して少し斜め向きに建っていたりするのが旧街道の痕跡を示しているとは言えるでしょう。

1905.古い家は少し斜め向き

1906.須安橋を渡る
続いて姫新線の力万踏切を渡り、さらに600mほど国道を歩いて次は西大畠地区に入ります。最初の樫ヶ淵集落に入る手前では国道から斜め右への分岐があり、その道は大日山川にぶつかってすぐに途切れてしまいますが、そこには河原に下りる梯子が置いてあり、その対岸にはやはり河原に下りるための道が設けられています。ひょっとしたらかつて旧街道が大日山川を徒歩で渡っていた名残なのかもしれません。

1907.斜め右に進んで

1908.対岸と結んでみれば…
大日山川を渡った先の樫ヶ淵集落では旧街道は国道の南側を通っていたそうですが、うまく集落の中を抜けられる道はないので、ここでは古い家屋も多く、雰囲気の良い国道の北側の道を通ります。1911の写真の地点を右折して向河原橋でまたも大日山川を渡り、次は判官集落に入りますが、間違いなく人物に由来する地名に、どのような伝承があるのか気になるところです。この付近では旧街道の道筋からはやや北寄りに外れたコースをご紹介していますが、力万地区の旧道を抜けてからほとんど国道ウォークが続いているため、ここは田舎らしい道や集落を縫いながら進んでいく道を選択しています。

1909.旧街道は南の方ですが…

1910.北の道も良い雰囲気

1911.右に行ってみます
 
1912.判官の集落内
なおも大日山川に沿って緩やかに上っていきますが、上月から3km以上歩いても山道らしい場所がなく、わずかな間隔で集落も続いているので、このまま岡山県に入っていけそうな気すらします。その展開が変わるのは1914の写真の地点で農道に入るところからです。目印は国道のおにぎり標識で、この地点では字が読み取れませんが、兵庫県最後の稗田集落の手前には「もうすぐ岡山県」と記された看板があります。

1913.大日山川に沿った細道

1914.ここを左へ
●万能峠の峠道(播磨側)
細い小川に沿ってしばらく西へ行くと、斜め左への分岐があり、そこには「出雲街道」と記された看板があります。そこからようやく峠に向かっていることを意識できるような上り坂となります。なお、この道は明治時代の道筋で、江戸時代の道筋は昭和11年(1936年)に開通した姫新線の線路沿いにあったそうですが、狭い谷の田畑が耕作放棄地に変わると同時に途切れます。

1915.出雲街道の看板からスタート

1916.姫新線の下が江戸時代の道

1917.最初のうちは歩きやすい
この辺りではかつて石灰岩の採掘が行われていたそうで、途中にはその跡である洞窟も見えます。足場も悪く、かなり深そうなので、近づきすぎないようにしましょう。現在は県境の往来に使われることのない道を歩いているので、県境を示す道路標識を見ることはできませんが、代わりに姫新線の線路とぴったり沿うところでJRの神戸支社と岡山支社の境界を示す標柱が見えます。

1918.石灰岩を採掘していた穴

1919.JRの支社境界
姫新線に沿う辺りからは雑草が伸びて道の状態が悪くなってきます。ただ、その先に万能池という溜池があり、そこでの作業があるときには草刈りが行われているのか、通行困難なほどひどい状態にはなりません。このような道を歩くことに自信のない方は国道を歩くのも一つの手ですが、稗田集落から先には歩道がなく、急カーブも連続する割に交通量の多い峠道を歩かなければならないので、交通安全にはくれぐれも注意が必要です。

1920.道の悪いとき

1921.万能池
万能池が見えた先でもう一度「出雲街道」の看板があり、そこを右折すればいよいよ最後の上りですが、ここからは一般的な地図で道路扱いされていない道で、私が初めて訪れたときに1923の写真のような状態でした。それを見かねて私も少しずつ草を刈っていたほどでしたが、平成30年(2018年)6月には草が刈られていたのが確認でき、令和2年(2020年)1月に訪れたときも悪くない状態が保たれていました。
しばらく上って作業道と交差した先では左側の崖が崩れてしまっていて、この道が長らく放置されてきたことを象徴しているかのようですが、もう少しで峠の頂上が見えてきて、そこからは土居の皆様が道を整備してくださっています。なお、このように荒れていることも多い道ですが、1922の写真の地点から萬ノ乢までの距離は300mほどなので、少々道が荒れていたとしても耐えられる距離でしょう。

1922.平成30年6月はこの状態ですが…

1923.こんな惨状だったことも

1924.崖崩れ箇所
 
1925.劇的にきれいになる
●万能峠(萬ノ乢)
ようやく峠に達すると、そこには「萬ノ乢」と大書された標柱が立っていて、国境に辿り着いたことを感じさせます。中国地方では峠のことを「乢(たわ)」と呼ぶことが多く、その辺りからも中国地方に入ったことを実感させてくれます。標柱の脇には宝暦14年(1764年)の題目塔もあり、旧街道の峠という雰囲気が強く感じられます。また、ここにはさらに地蔵堂もあったそうですが、その地蔵堂は現在では国道の万能峠に移設されています。

1926.万能峠(萬ノ乢)
<2-4.佐用駅→上月駅 2-5-2.萬ノ乢→美作土居駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  萬ノ乢=まんのたわ
    •  幕山川=まくやまがわ
    •  大日山川=おおびやまかわ
    •  力万=りきまん
    •  弘化=こうか
    •  西大畠=にしおおばたけ
    •  樫ヶ淵=かしがふち
    •  判官=ほうがん
    •  稗田=ひえだ
    •  土居=どい
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  佐用ハイキングコース選定の会「佐用ハイキング34コース」
          
  • ●取材日
    •  2014.9.2
    •  2015.10.9
    •  2016.5.31/10.9
    •  2018.1.23/6.13
    •  2019.4.28
    •  2020.1.31
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