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3-1.美作土居駅→江見→美作江見駅
美作・勝央エリア この区間の地図
<2-5-2.萬ノ乢→美作土居駅 3-2.美作江見駅→楢原→美作インターBS>
●土居一里塚
土居宿を出ると山家川を渡り、その先で国道に復帰する直前には一里塚があります。この一里塚の特徴はいったん伐採された北塚の松、南塚の榎が昭和47年(1972年)に植えなおされていることで、それから約50年の歳月が江戸時代以来の姿を復活させています。なお、この一里塚の松や榎の管理も「出雲街道土居宿を後世にのこす会」の皆様の活動の一つで、枝が伸びすぎたときは一度枝を切ったりされているそうです。

2101.土居一里塚

2102.北の松塚

2103.南の榎塚
>拡大画像 一里塚の案内板
土居からしばらくは山家川に沿った国道を進みます。2104の写真で山が削られていることから想像できるように、これは新しい道筋で、旧街道は国道沿いにある供養塔のあたりから少し山の中に入っていたようですが、現在では通行できません。

2104.しばらく国道を行く

2105.供養塔
竹田地区に入り、最初の落合集落では西側の山沿いに旧街道と考えて間違いない道を発見できますが、柵が設置されていたり、民家の庭先を通っていたりしているため、通り抜けができません。平成21年(2009年)の台風9号では佐用だけでなくこの辺りにも被害を与えたため、河川改修や土砂災害防止の工事が行われており、供養塔が真新しい土台に立て直されているのも発見できます。次の杉ヶ市集落では集落内を通り抜ける道が存在しますが、これは新しい道だそうです。作東インターや作東工業団地の開発と関連してか、田園も整然と整備されており、それはそれで美しい眺めですが、旧街道らしさはありません。

2106.左の土手の上と思われますが…

2107.移設された供養塔

2108.杉ヶ市集落内の道
 
上福原地区に入ると2109の写真の地点を左折し、またすぐに右折すれば国道の一本南に旧街道が復活します。途中、2111の写真の地点に電気柵がありますが、令和3年(2021年)11月の「つながる出雲街道を歩こう会」のときには低い柵に更新されていたため、そのまま進むことができました。地図上で道路扱いされている道なので通行することに問題はなく、電気柵に触れないようにだけ十分注意して進んでください。なお、ここを避ける場合は、出雲街道のより古い道筋である杉坂峠方面への道路(県道365号)との交差点のすぐ東側から南に入る形となり、その先の見どころの多いところのみを歩けます。

2109.上福原地区に入ると左折

2110.旧街道が復活しますが…

2111.電気柵に阻まれる
道路に舗装が復活した先では右前方に天王山城跡があり、その麓で道が左にカーブしているところでは、六十六部供養塔と大師堂が背中合わせになっています。本来、旧街道は正面に続く未舗装の道なのですが、この先に土砂が運び込まれて通り抜けられなくなり、その際、沿道にあった供養塔と大師堂がここに移設されたそうです。道路の形状や供養塔と大師堂の配置が珍しい形になっているのにはやはりそれなりの歴史的経緯があり、田舎の田園地帯の旧街道であっても時代により変化していることを感じさせます。ここから集落を通り抜けていくと城近坂と呼ばれる坂を下ります。

2112.左にカーブ

2113.旧街道に向いた六十六部供養塔

2114.現在の道に向いた大師堂

2115.城近坂を下る
●津山元標里程標
城近坂を下る途中で振り返れば津山元標六里の里程標が見えます。これは明治の初めに津山の大橋に設けられた元標を基準に整備された里程標です。明治時代の道標と言えば、兵庫県では自治体道路元標が多数残されていましたが、岡山県に入ると出雲街道沿いでは全滅、ごく少数が沿線外の町村にあるのみであるのに対し、このような主要都市に置かれた元標基準の里程標は兵庫県では見られなかったものの岡山県には多く残されており、県ごとの道路政策や史跡保存の考え方の違いが読み取れます。また、江戸時代の一里塚と同様の役割を果たしている里程標であっても、街道の道筋の変遷や測量技術の向上によって、江戸時代の一里塚とは設置場所に大きな誤差があるのも興味深い点です。

2116.津山元標六里
坂道を下り終えて国道に戻るところには南東から下ってきた城近坂とその先の警固屋坂を案内する新しい道標がありますが、警固屋坂の方はここで接続するもう一つの坂道ではありません。国道を100mほど西へ行き、国道が地形に沿ってカーブする地点から斜め左に分岐する坂道に入ります。

2117.新しい道標

2118.100mほど西で左の坂へ
江見市街東方の小さな丘越えは山家川と国道が迂回しているだけあって、かなり急な坂です。頂上には北向地蔵尊があり、またすぐに警固屋坂を下って江見の市街に入っていきます。下りきったところにある商店の直前には江見の一里塚がありました。

2119.北向地蔵尊

2120.警固屋坂を下る

2121.古そうな石造物も

2122.江見市街の直前に一里塚があった
旧作東町の中心地区である江見では、国道の一本南側に旧道と思われる道があり、古くから栄えた街という感じがします。少し南に入って作東公民館まで行けば、その前には移設された道標も展示されています。一方、北の国道沿いは新しい市街で、江見商業高校の閉校などの要因を受けてやや寂しい感じがしますが、それでも営業している店舗が多く集まっている場所は久しぶりです。

2123.江見の旧道沿い

2124.作東公民館前の道標(移設)
江見市街を過ぎると吉野川を渡ります。旧道の橋と国道の橋が100mも離れずに並んでいて、名前はどちらも同じ大還橋です。なお、旧街道の時代にはここに橋はなく、旧道の大還橋のすぐ南側で渡し舟によって両岸が結ばれていました。続いて姫新線の江見踏切を渡れば、目の前に横切る国道に復帰していくような形に見えますが、国道の直前で左折して用水路沿いの細い道に入り、突き当たりを右折します。そこからわずかな区間ではありますが、旧街道がひっそりと残されています。

2125.新旧の大還橋

2126.国道の直前で左へ

2127.旧街道の道筋はひっそりと残る
国道に戻ればまもなく美作江見駅で、ここも美作土居駅と同じく古い木造駅舎が残されていてCMのロケ地にもなった駅です。美作国(岡山県北部)には懐かしい雰囲気を残す駅や鉄道施設が多く、津山駅にある蒸気機関車時代からの扇形機関車庫が「津山まなびの鉄道館」となっているほか、姫新線、津山線、因美線で臨時運行されるイベント列車も古い木造駅舎を持つ駅で長時間停車するダイヤが組まれていて、鉄道ファンのみならず一般観光客にも人気を集めています。

2128.美作江見駅

2129.姫新線全通45年記念碑
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