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6-2.八反BS→美甘振興局前BS
真庭西部エリア この区間の地図
<6-1.中国勝山駅→神代→八反BS 6-3.美甘振興局前BS→新庄村役場前BS>
険しい山の中に続く旧美甘村南部の旧街道は先述のように状態が悪いため、当サイトでは安全面の配慮から新庄川沿いの旧国道をメインにご紹介していくこととします。しかし、ここの旧街道は見ないまま通過してしまうのは惜しいので、ここで少しだけ寄道をしてみましょう。八反の集落に設置されている看板からコンクリート舗装の道へ入ると、そこには中国電力の施設があり、そこを正面に進んで右の方へ下り、一般的な地図で道路扱いされていない山道へと入っていきます。

3301.電力施設からの登り口は正面右

3302.ここからは山道です
山道に入れば、ヘアピンカーブ一つで標高を稼いだ先に倒れてしまった案内看板がある三差路があります。旧街道を先へ進んでいくのは左折ですが、現在では通行する人がなく、草に埋もれがちな場所や崩れている場所もあります。一応、田口地区まで通り抜けることはでき、史跡も存在するので、「ヤマレコ」の山行記録を残しておきますが、あまりおすすめできる道ではありません。もし、ここを歩かれる際は危険がある山道を歩くという認識を持ったうえで、天候などの条件も考えながら安全によく留意して歩いていただきますようお願いいたします。

3303.案内看板が倒れた三差路

3304.田口方面はこんな感じ
●赤坂の石垣
3303の写真の地点を右に進み、神代方面へ少し戻るとそこは赤坂の岩壁の上で、ここでは高く積まれた見事な石垣で街道が造られています。この道は文久3年(1863年)に美甘の横山平右衛門が改良したものですが、このような山奥の急傾斜地にこれほどの石を積み上げて道を造った苦労が偲ばれます。道を踏み外せば死につながるような危険な場所だけに、この付近には灯明御崎と呼ばれたお堂に明かりを灯していたという話も伝わっています。この石垣までならほぼ安全に歩けるのでご紹介しましたが、先述の通り、神代方面への道はこの先、急傾斜地で道が崩れているところがありますので、3306の写真のワイヤーが張られている地点までで折り返してください。

3305.赤坂の石垣

3306.ここで引き返してください
山中を通る旧街道の片鱗を見たところで折り返し、国道に戻ります。八反の集落を出るところでは山に少し入ったところに七体の地蔵が見えます。600mほど進んで猿飛橋の手前を右折して旧国道に入りますが、この交差点には移設されてきたと思われる大峯山供養塔、馬頭観音、大師像が並んでいます。

3307.七体の六地蔵

3308.猿飛橋の手前で右折して旧国道へ

3309.地蔵、馬頭観音、供養塔
ここからは明治時代に建設された旧国道が長く続きます。険しい山の中を通る江戸時代の出雲街道とは対照的に、屈曲する新庄川の流れに沿ったほぼ平坦な道です。神代の龍宮岩から美甘宿に近づくまでの間の新庄川は美甘渓谷と呼ばれる渓流で、景観も優れています。

3310.これが明治の出雲街道

3311.美甘渓谷に沿って進む
橋本の集落に入れば、また山の方に向いて出雲街道を示す看板が立っていますが、ここから旧街道に入る意味はないので無視して進みます。その先ではとても大きな岩が道沿いにたくさん転がっている場所を通ります。小さな沢に大量の岩が転がり、山からの水が滝のように出ている場所も見られ、この辺りが崩れやすい地質であることが窺えます。

3312.この看板は無視

3313.大岩の上に大日如来

3314.道が岩の間を通る

3315.滝のような沢
3316の写真の地点では、左折すると新庄川を渡って国道の延風バス停に出て、右にも旧街道の方へ続く山道があります。さらに旧国道を300mほど進めば、美甘小学校の田口分校跡と田口バス停のところでいったん国道にぶつかります。国道はすぐに新庄川の右岸に移りますが、旧国道はなおも左岸に続き、まもなくオーバーハングの下に明治34年(1901年)に立てられた馬頭観音があります。

3317.左折すれば延風バス停

3318.田口分校跡

3319.馬頭観音
●湯谷バス停付近
旧国道はいつしか旧街道の道筋と合流しており、次に国道に出会う湯谷バス停のところで国道と旧街道が一瞬だけ並びます。3319の写真ではもちろん左が国道ですが、右にある家屋および湯谷集落への道との境界の段差が二段となっていて、間に挟まった細道こそが旧街道です。国道との境界はコンクリート、家屋と湯谷集落への道との境界は石垣と、ほんの10mほどの間にある段差に道の歴史が凝縮された形になっています。

3319.真ん中が旧街道
旧街道は国道のわずか東を行く細道となり、地蔵などを見ながら国道と並行して北に続きますが、国道とはどんどん高低差がつきます。その先は新庄川に沿う国道とその旧道に対し、山を越えてショートカットしていくコースとなっており、湯谷バス停から300mほど行けば未舗装の山道となります。しかし、残念ながらその先にはまた平成30年7月豪雨の際に崩れてしまった場所がありますので、3321の写真の地点で斜め左に下っていく道に入ります。なお、この先で崩れているのは数十mで、再び地面も固まりつつあるため通り抜けられないことはありませんが、広く一般におすすめできるような道ではなく、もし通られる際はくれぐれも足下に気を付けながら慎重に歩いてください。

3320.塞の神、地蔵、大日如来

3321.左に下る道へ

3322.低い柵は乗り越える
国道に下ってきたところは都合よく旧国道の分岐点で、国道を横断して旧国道に入ります。500mほど進めば美甘橋で新庄川を渡ります。ここでは国道の新美甘橋を見上げることをでき、距離が近くなるように山を越えていた江戸時代の旧街道、谷の地形に従っていた明治時代の旧国道、そして発達した土木技術により高い橋を架けて地形を克服した現在の国道というそれぞれの個性がよく感じられます。

3323.国道を横断して旧国道へ

3324.美甘橋の上に新美甘橋
美甘橋を渡ると左折して太井の坂の集落へ入っていきます。太井の坂バス停のところで国道を横断した先には宝篋印塔が残されており、記録に残る近世以降の出雲街道が新庄川の左岸を通っていたのに対し、中世までの出雲街道が右岸を通っていたことを示しています。

3325.太井の坂の集落内

3326.太井の坂の宝篋印塔
●真橋と美甘渓谷
新庄川沿いの旧国道に戻ったところで真橋を渡って左岸に戻ります。この真橋のすぐ北では大岩に挟まれて川幅が極端に狭くなっているところがありますが、ここには後醍醐天皇が板橋を架けて通られたという伝承もあり、先述のように中世の出雲街道が右岸を通っていたことを裏付けています。また、太井ノ坂の一里塚もこの付近にあったと言われています。

3327.後醍醐天皇が渡られた?

3328.真橋を下から

3329.河原に下りて見る美甘渓谷
>拡大画像 真橋周辺の案内板
真橋から美甘渓谷沿いの旧国道は大きな落石が原因で自動車が通行不能になっていましたが、ここは自動車の通行もある道路だけに復旧し、安心して景色を楽しみながら歩ける道に戻りました。途中に魚切という名勝もあり、景色の美しさでは出雲街道の長い道のりの中でもハイライトの一つと言える場所です。

3330.美甘渓谷の眺めがすばらしい

3331.魚切
国道に復帰すれば、右岸は出雲嶽と呼ばれる断崖になっています。これは松江の殿様がこの景勝地で足を止めて休憩されたことに由来する名前です。さらに300mほど行けば右側に寄水滝が見え、一方、左側では国道の柵が一カ所だけ切れているところがあり、そこを下れば旧街道の道筋に出ます。しかし、旧街道には棘があるものを含む草が生い茂り、旧美甘村指定の天然記念物である寄水のケヤキも折れているという状態なので、ここは国道経由が無難です。なお、この付近の国道には歩道はあるものの、車は高い速度で走っており、見通しの悪いカーブもありますので、特に横断時にはくれぐれも気を付けてください。寄水集落を過ぎると、2587の写真の地点で斜め右の上っていく道に入ります。

3332.出雲嶽

3333.寄水滝

3334.旧街道は左ですが…

3335.美甘トンネルの手前で斜め右へ
●首切乢
美甘宿までの間で最後となるこの峠は首切乢と呼ばれます。現在では国道のトンネルが桜の名所となっているようなこの場所にこのような恐ろしい名前が付けられているのは、戦国時代にこの場所で出雲の大名である尼子氏と高田(勝山)の領主である三浦氏との合戦があり、多数の首が斬られたことに由来しているとされています。ここで歩くのは明治時代の旧国道ですが、沿道に人家も田畑もないのでほとんど利用されなくなっているうえ、崩れやすい地質ということもあって、崖が派手に崩れるなど荒れがちな状態でしたが、令和2年(2020年)3月に訪れたときにはきれいに復旧していました。この峠を越えて国道に戻れば、すっかり地形も穏やかになっており、美甘宿がようやく近づいてきたことを感じさせます。

3336.首切乢

3337.晩秋には落ち葉が堆積
国道に復帰して400mほど行けば、斜め左への分岐で美甘宿に到着します。やっと到着した美甘宿にそのまま入っていきたくなりますが、国道東側の少し高い位置には久平地蔵と呼ばれる地蔵が移転して祀られています。旧街道沿いによく見られる地蔵と比べ、サイズがかなり大きいというだけでなく、作られた年代も応安2年(1369年)というかなり古い時代のものであるということにも驚かされます。

3338.美甘宿の入口

3339.久平地蔵
>拡大画像 久平地蔵の案内板
いよいよ宿場町の中心部に入っていくところにある3340の写真の交差点を右折すれば、美甘振興局に隣接して「てまりの館」があり、市民グループの創作てまりが展示されています。一方、新庄川の堤防は見事な桜並木が美甘宿場桜と呼ばれる名所になっています。

3340.右折すれば美甘振興局や国道

3341.てまりの館

3342.美甘宿場桜
<6-1.中国勝山駅→神代→八反BS 6-3.美甘振興局前BS→新庄村役場前BS>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  文久=ぶんきゅう
    •  横山平右衛門=よこやまへいえもん
    •  猿飛=さるとび
    •  延風=のぶかぜ
    •  太井の坂=たいのさか
    •  寄水=よりみず
    •  首切乢=くびきりたわ
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  出雲街道勝山宿の会「出雲街道(1)ガイドブック」
    •  小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」
    •  美作地域歴史研究連絡協議会「美作の道標と出雲往来一里塚」
    •  岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第四集 出雲往来」
          
  • ●取材日
    •  2014.11.12
    •  2015.3.26/4.12/11.16
    •  2016.10.23/11.12
    •  2017.11.5/11.29
    •  2018.4.12/9.6/10.28
    •  2019.9.23
    •  2020.3.21/11.7
    •  2021.11.13
    •  2022.4.6
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