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7-1.板井原バス停→金持→根雨宿→根雨駅
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●日野エリア この区間の地図 |
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<6-4-2.新庄村役場BS→四十曲峠→板井原BS |
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7-2.根雨駅→間地峠→二部上BS> |
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板井原の集落を過ぎたところで標高は400m。乢根からもう200mも下っていて、岡山県側と比較すると美甘(約410m)よりも低くなっていますが、景色の山深さは相変わらずで、国道は板井原川に沿って曲がりくねりながら、同じような景色の中を下っていきます。板井原を過ぎると登坂車線がなくなり、相変わらず歩道はほとんどないので、交通安全には十分な注意が必要です。歩道が少しはある(根雨に向かって)左側を歩くか、自動車に正対できる右側を歩くか迷うところですが、板井原川の渓流が見られるのは概ね右側です。もちろん、あまり脇見はしないようにしましょう。なお、この区間では旧街道と現在の国道の道筋がほぼ一致しているため、岡山県側の旧美甘村域のように、少し離れたところに歩行可能な旧街道が残されていることもありません。 |
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3701.歩道はあったり |
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3702.なかったり |
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板井原から3km少々でようやく景色が開けてくると、「元弘の忠臣 金持景藤の墓」という案内板があります。そこから上る道は荒れがちなので、3703の写真の地点から回り込んでいけば、金持景藤の墓の宝篋印塔があります。金持景藤は美作国で何度も見かけた児島高徳と似たような事績を持つ人物で、隠岐に流される後醍醐天皇を四十曲峠で迎え、天皇が京に復帰される際には名和長年とともに手引きをし、以後も南朝方として各地を転戦しています。 |
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3703.ここを右へ行けば |
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3704.金持景藤の墓 |
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>拡大画像 金持景藤の墓の案内板 |
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3705の写真の地点からは明治時代の旧国道があるので、久しぶりに国道を離れてそちらに入っていきます。100mほど行くと斜め右にそれ以前の旧街道と思われる細道が分岐しています。すぐに途切れてしまうので通り抜けはできませんが、道が途切れる地点には石積みの上に小さな祠が祀られています。ここまでだけ道が残されていることから、この祠を地元の方々が細々と守り続けていることが想像できます。 |
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3705.旧道(中央)へ |
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3706.右に旧街道らしき道が… |
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3707.小さな祠まで残る |
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旧国道をさらに進んでいくと、山沿いには江戸時代までの旧街道と思われる道が通っているように見えます。3709の写真の地点を右折してそちらの方へ行ってみると、やはり3708の写真左の民家の方へ道は続いており、通り抜けもできない私道のような姿になっているものの、旧街道は今も生き続けています。そしてその道は3709の写真右の2つの家の間に続いており、わずかながらも通り抜け可能な旧街道を歩くことができます。 |
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3708.左の民家の方へ旧街道が残る |
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3709.ここを右へ |
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3710.これでも旧街道 |
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3711.ここにも旧街道 |
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集落を通り過ぎても六地蔵が見られるなど、旧道には旧街道らしさが感じられる状態が続きます。旧街道の道筋は板井原川の右岸に続くのですが、3713の写真の地点からは道が荒れてしまっているので橋を渡って国道に戻ります。 |
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3712.六地蔵 |
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3713.左折して国道に戻る |
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国道に合流すると「日本で一番縁起の良い名前の神社」の金持神社の駐車場と札所が見えてきます。街道歩きをしている身からすれば、久しぶりに駐車場やトイレがきちんと整備された貴重な休憩ポイントともなります。「棚からぼた餅」などの開運グッズが販売されている札所の先で神明橋を渡り、100mほど行くと金持神社です。 |
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3714.金持神社札所 |
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3715.神明橋を渡ると神社へ |
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●金持神社
その名前からすっかり有名になった金持神社ですが、規模としては普通の田舎の神社というところです。しかし、境内には「とっとりの名木100選」に選ばれているサワラとチャンチンの木があるなど、由緒ある神社らしい雰囲気はあります。そして、何と言っても金持神社は金運を呼ぶパワースポットで、境内のあちらこちらに小銭が供えられています。絵馬に書かれた日付や住所を見ると、全国各地から参拝者が絶えないこともわかり、もちろんその願い事は金運のことがほとんど、中には「宝くじ○等当たりました。ありがとうございました」といったものもあります。ちなみに金持という地名はたたら製鉄に由来するものですが、先述した金持景藤ら「金持党」が活躍したことからも、歴史的事実として鉄のおかげでこの土地からはかなりの財力が生み出されていたと言うことはできるでしょう。 |
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3716.金持神社 |
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3717.狛犬もこの通り |
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3718.こんな祈願がほとんど |
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>拡大画像 金持神社の案内板(札所)
>拡大画像 金持神社の案内板(境内) |
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金持神社の札所からもなお板井原川に沿って国道を下っていき、高尾交差点で新見方面から明地峠を越えてきた国道180号に合流しますが、国道180号は根雨宿の南にある塔の峰交差点で分岐してしまうので、重複区間はわずかです。ちなみに、次に国道180号と出会うのは鳥取県の最後の陰田町交差点ですが、ここから米子までの間は明らかに181号がメインルートです。なお、国道同士の交差点だけに高尾にはかつて道標も置かれていたそうで、また、旧街道らしき細道もその付近から北の方へ分岐しています。 |
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3719.高尾交差点 |
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3720.旧街道はこちら? |
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山沿いにある高尾の旧街道はすぐに途切れるので、もうしばらく国道を歩いていくことになり、高尾交差点からもわずかに見える3721の写真の分岐には「旧出雲街道根雨宿入口」という看板があり、そこを斜め右に入ります。まもなく大日如来、次いで多くの石造物群に迎えられて根雨宿に入ります。ここには19体もの石仏がありますが、これは根雨にかつて存在した八十八カ所巡りの石仏の一部が移設されてきたものです。 |
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3721.根雨宿の入口 |
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3722.大日如来 |
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3723.供養塔、題目塔、地蔵 |
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根雨の街並みに入ると、ずっと旧街道らしい通りが続きますが、地蔵やお堂のある3725の写真の地点では斜め左に入り、またすぐに右カーブしてその通りに戻ってくるのが本来の旧街道の道筋です。新庄で見たのと同じような宿場入口の桝形ですが、曲がる前から市街が続いているのが新庄との違いです。根雨の街は水路も見どころの一つで、この桝形では水路が旧街道に沿って曲がっていることが確認でき、宿場町の通りに入ってしばらく進んだところでは、山の伏流水を引いた水舟が今も使用できる状態で残されているのも見られます。 |
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3724.地蔵とお堂 |
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3725.斜め左が旧街道 |
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3726.桝形の終わり |
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3727.水舟 |
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>拡大画像 水舟の案内板 |
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●根雨宿1
根雨は伯耆国を代表する河川である日野川沿いにあり、また、四十曲峠を控えているという地理的条件から、出雲街道の中でも拠点性が高く機能の集中した宿場町の一つと言えそうです。道沿いには宿場の雰囲気を色濃く残した街並みがあり、その中央部付近には鉄山師の近藤家をはじめとした江戸時代末期から明治初めの建物が残っています。特に日野町公舎は休日には「たたらの楽校」としてたたら製鉄に関する展示が行われており、日野郡のたたら場を網羅して表示した地図や「高殿」の模型は必見です。 |
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3728.近藤家周辺 |
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3729.たたらの楽校根雨学舎 |
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3730.本陣の門(移築) |
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>拡大画像 根雨宿場町と日野町公舎の案内板 |
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●根雨宿2
根雨の発展を支えてきたのはたたら製鉄と出雲街道と言えますが、両者とも前近代的なイメージとは反して、近代的な製鉄所が増え、鉄道ネットワークが全国的なものになる大正時代くらいまでは発展を続けてきました。根雨宿で近代以降の名建築が目につくのは、明治以後も産業と交通の拠点として発展を続けていた証とも言えます。 |
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3731.日野町歴史民俗資料館(旧根雨公会堂) |
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3732.最近まで現役だった銀行 |
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>拡大画像 日野町歴史民俗資料館の案内板 |
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根雨駅や日野町役場、鳥取県の日野振興センターに向けて道なりに市街が連続していますが、3733の写真の地点で右折するのが旧街道の道筋です。またすぐに左折すると東側に旧権現神社の小さな公園があり、かつてそこには富籤場もありました。江戸時代の宝くじである富籤はごく限られた場所にしか許可されず、その事実からも当時の根雨の繁栄が想像できます。 |
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3733.ここで右折 |
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3734.旧権現神社 |
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旧街道は日野町役場でいったん途切れ、根雨駅に出てきます。久しぶりに再会する鉄道は、佐用で出会った智頭急行と並んで「陰陽連絡」の機能を今も保持し続ける伯備線で、根雨駅には特急「やくも」の約半数が停車します。 |
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3735.細道をすり抜けて役場へ |
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3736.根雨駅 |
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>拡大画像 日野町根雨地区文化財マップ
>拡大画像 「出雲街道根雨宿」まちなみ散策マップ |
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●日野川のオシドリ
根雨の日野川には11〜3月頃の朝夕に、多いときには約1,000羽というオシドリが飛来してきます。街道歩きに適した季節や時間帯と合わないものの、「オシドリ観察小屋」が出雲街道や根雨駅からも徒歩で約5分の伯備線の橋梁のところに設置されているので、もし季節や時間帯を合わせられたならぜひ立ち寄っていただきたい場所です。なお、オシドリ観察小屋の運営等をしておられるのは「オシドリグループ」の皆様方で、オシドリの餌となるドングリは全国の有志から届けられているということで、ここでも地域の有志の力で地域資源が守られ、育まれ続けています。 |
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3737.清流日野川に集うオシドリ |
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<6-4-2.新庄村役場BS→四十曲峠→板井原BS |
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7-2.根雨駅→間地峠→二部上BS> |
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- ●地名、人名等の読み方
- 金持景藤=かもちかげふじ
- 名和長年=なわながとし
- 金持=かもち
- 高尾=こお
- 明地峠=あけちとうげ
- 陰田町=いんだちょう
- 生田長江=いくたちょうこう
- 伯備線=はくびせん
- ●関連ページ
- ●参考資料
- 小谷善守「出雲街道 第1巻 松江−米子−新庄−美甘」
- 鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書第六集 出雲街道・法勝寺往来」
- ●取材日
- 2015.5.21/6.10/9.21/12.5
- 2017.1.13/11.5
- 2018.9.5/11.29
- 2023.5.21
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