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7-2.根雨駅→間地峠→二部上バス停
日野エリア この区間の地図
<7-1.板井原BS→金持→根雨宿→根雨駅 7-3.二部上BS→二部宿→溝口宿→伯耆溝口駅>
根雨駅のすぐ北に供養塔等の石造物が多数置かれている延暦寺への道があり、その道を少し上ったところを左折して一般的な地図で道路扱いされていない細道に入ります。後述する「奥日野ガイド倶楽部」の皆様から教わったこの細道は、町の中心駅のすぐ近くにおいて奇跡的に残った旧街道です。なお、延暦寺まで上れば、根雨出身で大正から昭和初期に思想家として活躍した生田長江の碑もあり、遠くに大山もその姿をのぞかせています。

3801.延暦寺へ上る道

3802.生田長江の碑

3803.こんな旧街道が残る
写真3804の交差点を直進するともう少し旧街道の道筋が残っていますが、伯備線や国道に阻まれて途切れてしまい、付近にあったという三谷の一里塚も完全に消滅しているので、ここは左折して伯備線の根雨道踏切、そして国道の舟場橋交差点を横断します。

3804.ここでは左折

3805.根雨道踏切を渡る
分水嶺を越えて根雨では鉄道に再会し、比較的大きな町を見たため、この先は国道と伯備線、そして日野川に沿って穏やかな道のりに戻るような気もしますが、旧街道は早速日野川を渡り、国道と伯備線から離れて次の峠越えにかかります。日野川に架かる舟場橋には大名行列を模した装飾があり、渡った先には「出雲街道お国入り」と題したモニュメントも置かれ、ここが参勤交代の道筋だった歴史が表現されていますが、もちろん近代以前にはこのような大きな川に橋が架けられているわけもなく、渡し舟による連絡でした。

3806.舟場橋の装飾

3807.舟場のモニュメント
>拡大画像 舟場の案内板
かつて中安井と呼ばれていたという舟場は、その地名が示すように出雲街道の渡し場として繁栄してきた場所です。旧街道は県道35号の西を通っているので、舟場橋を渡ると左折、またすぐに右折の順で緩やかな坂道を上っていきます。写真3809の地点で左折すれば、さらにもう一つ西を通っている裏道にうなぎ池も残されています。

3808.県道の裏道が旧街道

3809.うなぎ池にはここを左
●うなぎ池
出雲街道は中海や宍道湖のうなぎを京都や大坂に運ぶための「うなぎの道」としての役割も持っており、うなぎを生きたまま遠方まで輸送するために、途中ではこのような小さな池が多数設けられていました。冷蔵(冷凍)技術のない時代に遠方へ水産物を運ぶための工夫と言えます。なお、うなぎの道は当サイトでご紹介している旧街道とは多少道筋が違っていたそうです。

3810.うなぎ池
●古民家沙々樹
舟場には古い民家が多く見られますが、集落の終わりが近づいてきた頃、旧街道と県道35号との間にとりわけ立派な古民家があります。ここは江戸時代末期に建てられ、平成29年(2017)に登録有形文化財となった「古民家沙々樹」で、地域の歴史文化を活かしたイベントを多数開催し、出雲街道のウォーキングイベントも主催されている「奥日野ガイド倶楽部」の活動拠点ともなっています。古民家を活用したイベントや付近を通るウォーキングイベントに参加すれば、中を見学させていただくことができます。

3811.古民家沙々樹(県道側から)
根雨から二部までは概ね県道35号に沿って間地峠を越えていきます。峠道だけに勾配こそきついものの、道路はよく整備されており、次の次の宿場である溝口までの距離も、国道と伯備線が通る江尾経由のルートより、こちらの県道の二部経由のルートの方がやや近いです。日野川を2度渡ることに困難のなくなった現在では、日野町から米子市方面へ行くのにこちらを選択する車も多く、交通量も県境あたりの国道よりは多いです。歩道がないのが難点ですが、日野町側ではほぼ全区間で旧街道に該当する道が並行しているので何の問題もありません。

3812.立派な主要地方道
xx
3813.斜め左の旧街道へ
日野川を渡ってから間地峠までは連続する上り坂でどんどん標高を上げていきます。後ろを振り返れば舟場の集落はもちろん、日野川対岸の根雨の街やその向こうの山々の眺めもすばらしいです。道沿いに目立つそば畑は、日野町で震度6強を記録した平成12年(2000)の鳥取県西部地震で水路等が破壊されたために水田から転作されたものだそうで、そばは現在では日野町の名物の一つに育っています。そば畑もなくなってきたところで獣害防止柵がありますが、針金で簡単に開閉可能なタイプですので、そのまま先に進んでいけます。

3814.そば畑の多い坂道

3815.柵を閉まっていることもある
●舟場山たたら跡
間地峠を目指す坂道の途中ではついに出雲街道の道沿いにたたらの跡が登場します。写真ではわかりにくいですが、大量に取り残された「カナクソ」(製鉄の過程で砂鉄の不純物が固まったもの)を拾い上げてみれば、明らかに自然の石とは違って鉄の成分が含まれていることがわかり、ここで製鉄が行われていたことの証明になります。舟場の集落を完全に過ぎた山の中ですが、付近には石垣を築いて造られた人工的な小平地が多くあり、ここに人の暮らしがあったことがよくわかります。

3816.舟場山たたら跡

3817.カナクソ

3818.石垣で造られた小平地
舟場山たたら跡からさらに上っていくと、日野町と伯耆町の境となる間地トンネルの手前で県道35号と合流します。この地点には出雲街道の標柱と案内看板があり、本当はこの地点から直線的に間地峠に向かう道筋だったのですが、草木に埋もれて到底通行できません。しかし、延長980mの間地トンネルを歩く必要はなく、少し東から旧街道の間地峠に行ける道が用意されており、県道をほんの少しだけ下って、古峠山という山を目指す林道に入ります。

3819.出雲街道の標柱

3820.間地トンネル

3821.左の脇道から右の脇道へ
>拡大画像 間地峠・出雲街道の案内板
この林道は自動車が通行できる道路としては伯耆町側につながっていませんが、500mほど上るとまた出雲街道の標柱が設置されており、そこから分岐する左側の山道に入れば、まもなく旧街道の道筋に戻って間地峠に至ることができます。また、先述した舟場山たたら跡やこの山道の入口には「奥日野ガイド倶楽部」の皆様が看板を設置して、見逃したり間違えたりしがちな場所をカバーしてくださっています。

3822.古峠山を目指す林道

3823.看板を見逃さないようにして左へ
ここからの峠道は先述した「奥日野ガイド倶楽部」の皆様が定期的に開催されている出雲街道のウォークイベントのために草を刈ってくださっているおかげで、山道としての状態がとても良いです。短い間ではありますが、道に石が転がっている区間があるので足元に十分注意してください。

3824.道の状態はいつも良好

3825.この付近は足元注意
●間地峠
山道を上り詰めると標高479mの間地峠に到達し、茶屋跡の標柱と峠地蔵に迎えられます。根雨との標高差は300m近くあり、新庄から四十曲峠までに匹敵しています。ここにあった茶屋のエピソードは案内文をご覧いただくとして、間地峠は条件さえ整えば日本海のはるか彼方の隠岐島まで見えるという絶景スポットにもなります。現在、眺望が開ける方向の木が伸びているのでそのような眺望は望めませんが、それでもここが出雲街道で最後の峠だと思うと感慨深いものがあります。

3826.間地峠出茶屋旧跡

3827.峠の地蔵

3828.隠岐島も見える!?
>拡大画像 間地峠出茶屋旧跡の案内板
日野町側と比べ、伯耆町側の道は状態が悪くなっていることがありますが、「二部地区活性化推進機構(歴史ガイド部会)」と間地集落の皆様が毎年6月に道の整備をしてくださっているので、最悪でも5月下旬に撮影した写真3829程度で、通行に問題はありません。ただ、石が雑草の下に転がっていることがあるので足元に注意して勢いよく下っていかないようにしましょう。県道35号に戻る地点にも出雲街道の標柱が設置されていて、街道歩きをしている者が伯耆町側からも間違いなく旧街道に入っていけるようになっています。

3829.道が悪い時もあるが特に問題はなし

3830.県道に戻る
県道35号を少し下れば間地峠駐車場があります。植栽や巨石の配された庭園風の空間があるなど、少し豪華すぎる印象も受けますが、平成5年(1993)と比較的開通が新しい道路だけによく整備されており、古くから出雲街道を介して交流のある地域間において、それまで自動車で通れる道路がなかったことが不思議なくらいです。日野町側と違って旧道等がないため県道を下っていきますが、歩道がないのは日野町側と同様なので、交通安全には十分な注意が必要です。

3831.間地峠駐車場

3832.勾配とカーブが続く県道
わずかに平地が開け始めたところに植松の一里塚の跡があります。写真3833の中央に松が植えられていますが、これは地元の先生が独力で植えなおし、育てたものだそうです。この付近では旧街道と思われる道も見られますが、残念ながらいずれも進入または通り抜けができず、最初の集落に入るところで斜め右への分岐があり、ようやく県道35号から逃れられます。

3833.ここが一里塚の跡

3834.草に埋もれた旧街道らしき道

3835.斜め右で集落内へ
●間地の集落内
集落内の道に入ると、定番の六地蔵だけでなく牛つなぎ石も見られます。これは牛馬を連れた旅人が一時的に牛馬をつないでおくための石で、全国最大の牛馬市が開かれていた大山にも近いこの付近では、牛馬市に向かう人々も出雲街道を利用していたことがわかります。続いて登場するのはうなぎ井手で、流れのある水路が現在の道路の下を横切っており、先述したうなぎ池と同じ機能を持っています。このように間地の集落では、単に何となくの雰囲気として旧街道の面影が残されているのではなく、出雲街道が「うなぎの道」「牛馬の道」としても大いに利用されていた証が次々に登場します。

3836.うなぎ井手

3837.六地蔵と三界萬霊塔

3838.牛つなぎ石
県道35号に戻って500mほど進めば斜め左への分岐があり、そちらに入っていきますが、この付近では道端にカナクソが落ちています。ここではたたらの跡がすぐ側に見つかるわけではありませんが、付近にたたらの跡があることは間違いなく、この地域では随所でたたら製鉄が行われていたことを実感できます。間地では下の方の集落でも道沿いに立派な古民家や六地蔵が見られます。

3839.斜め左に入る

3840.間地の集落内

3841.ここにも六地蔵と三界萬霊塔
次に県道35号に戻る地点にある間地下バス停の脇には出雲街道の案内板と地蔵があり、そこから500mほどで二部交差点に至りますが、そのすぐ手前が旧道との交差点です。

3842.間地下バス停に地蔵と案内看板

3843.二部交差点のすぐ東が旧道交差点
●二部宮の鼻の道標
旧道交差点の南にある宮の鼻橋を渡ったところには立派な道標が残されており、「左 大さか 右 びんご」「左 黒坂 右 米子」と記されています。そしてこの道標の最大の特徴は大坂の近江屋という店の名前が刻まれていることで、スポンサーが広告を出すという、現在の資本主義にも通じる発想が見られる歴史遺産であり、関西と山陰を結ぶ出雲街道を介した交流の象徴とも言えます。また、現在でも主要地方道同士が交差する二部はこの道標が示しているように古くからの交通の要衝で、ご紹介してきた四十曲峠や間地峠が参勤交代の道として整備されるまでは、津地峠を越えて南から二部に入る「富田街道」が陰陽連絡のメインルートで、江戸時代の「うなぎの道」も西の法勝寺方面から来て二部で出雲街道に合流していました。

3844.二部宮の鼻の道標
県道35号と県道46号が交差する二部交差点のすぐ北に二部上バス停がありますが、公共交通機関はスクールバスとデマンドバスを組み合わせた伯耆町型バスが通るのみなので、街道歩きには使いにくく、根雨から溝口までは一気に歩く方が良いでしょう。
<7-1.板井原BS→金持→根雨宿→根雨駅 7-3.二部上BS→二部宿→溝口宿→伯耆溝口駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  二部=にぶ
    •  間地=まじ
    •  古峠山=ふるたわやま(「ことうやま」とも呼ばれる)
    •  津地=つち
    •  富田=とだ
    •  法勝寺=ほっしょうじ
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  溝口町二部公民館「ふる里 二部の郷」
    •  鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書第六集 出雲街道・法勝寺往来」
          
  • ●取材日
    •  2015.6.10/9.21/12.5
    •  2016.11.19
    •  2018.9.5/9.6
    •  2023.5.21/5.22
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